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72話『闇夜に詫びて露と消えろ(1)』

 それは虫の知らせ、あるいは第六感が働いたのかもしれない。

 俺が目を覚ましてすぐ、慌ただしく扉を叩く音がした。

 暗い寝室の中、俺は枕の下に忍ばせていたクナイの腹帯に手を伸ばす。

 寝巻き代わりの作務衣の上から巻き付けて、そろりと寝台を下りた。


 隣の寝台にはティアナートが、その向こうにはベルメッタが眠っている。

 こんな夜更けに王女陛下の寝室に訪ねてくるのは何者か。

 俺は息を殺して、扉へと歩いた。

 その間にもまた扉が叩かれる。

 俺は厚い木の扉に右手を当てて、廊下の何者かに誰何した。


「どちら様ですか」

「夜分に申し訳ありません! マクールであります!」


 マクール将軍はこの度のトラネウス訪問における一団の監督役である。

 俺は扉のかんぬきを外し、そっと扉を開けた。

 わずかな隙間からするりと廊下に出て、後ろ手で扉を閉める。

 マクールは一人で、寝巻きと思しき軽装の上に鎖帷子を着込んでいた。

 手に持った燭台の火が、いつもの口髭ダンディな彼とは違った、切羽詰まった表情を浮かび上がらせている。


「救世主様、敵襲です!」

「敵襲!?」


 剣呑な響きに俺は目を丸くする。


「すでに館のそばまで武装した兵士が迫っております! 急ぎ陛下をお連れして、ここをお離れになってください!」


 マクールは手短に一礼すると、駆け足で去っていった。

 俺は部屋の中に戻ろうと扉を開けて、その先に立っていた人影に驚く。

 突然のことに心臓が跳ねるが、別に幽霊とかではない。

 いつの間に起きていたのかベルメッタである。


「シロガネ様。いかがなさいましたか?」

「敵が来てるって、マクールさんが。すぐに逃げる用意を」

「かしこまりました」


 ベルメッタは慌てることなく、速やかにティアナートの寝台に向かった。

 突然の状況にもかかわらず大した肝の据わりようである。


 俺は自分の寝台のそばまで戻り、結露した窓を指でなでた。

 目を凝らして外の様子をうかがうが、窓越しではよく見えない。

 今日は朝から曇り空の上、二日月で月明かりも無いに等しい。

 闇討ちするには絶好の日と言えた。


 俺は思い切って窓を開けた。

 凍えそうな夜風に揺られて庭木がざわつく。

 目を凝らした俺が見たのは百を超える人影だった。

 地獄の亡者さながらの軍勢はすでに正門を越え、前庭まで入ってきている。

 地面を踏む数多の足音が暗黒に響き、迎賓館へと迫ってくる。

 シルビスとライムンドどちらの発案かわからないが、敵は本気らしい。

 一人として生かして帰さぬと言わんばかりではないか。


「どう? シロガネ」


 後ろからティアナートが声をかけてくる。

 振り返ると、彼女は薄桃色の寝巻の上から、ベルメッタに防寒着を着せてもらっているところだった。


「正直言って、かなり絶体絶命です」


 俺は窓を閉め、自分の寝台のそばに安置していた金属槍を手に取った。

 ぐっと力を込めて重たい槍を肩に担ぐ。

 しかしあの敵の数、頑張ってどうにかなるものだろうか。

 こちらの戦力はマクール隊の歩兵百人と騎兵十名。あとは使用人だ。

 戦うなら全滅覚悟でやることになる。

 そのうえ、もし仮に勝てたとしても所詮はその場しのぎだ。

 ここは敵国のど真ん中。助けてくれる味方などいない。


「俺の力じゃ、みんなを守り切れそうにない……」

「今この状況で取れる対応策。思いつくだけ並べてみて」


 暗い気持ちになりかけていた俺は、ティアナートの言葉に引きずり戻された。

 思い通りにならないからって、もたもた落ち込んでいる暇なんてない。

 今できる最善の方法を探さないといけないのだ。


「一つはこのまま館に籠って迎撃すること。でもこれはだめです。援軍の当てのない籠城なんてするものじゃない。二つ目は逆に敵の親玉の首を取りに行くこと。これも現実的じゃないです。そもそも相手の確実な所在がわからないからどうしようもない。やっぱりここは逃げるべきです。問題なのはどう逃げるかですけど……」


 こうして答えられるあたり、俺も荒事に慣れたものだ。

 ティアナートが口を挟まなかったので俺は言葉を続ける。


「一点突破で活路を開いて全員で逃げるか。俺がティアナートさんを抱えて、二人だけ先に逃げるかです」

「それは……」

「俺は、みんなと分かれて二人で先に逃げるべきだと思います」


 ティアナートが表情を苦く曇らせる。

 ようは仲間を置き去りにする提案をしているのだ。

 後ろ髪を引かれる思いがして当然だ。


 対して彼女の後ろに控えるベルメッタは微笑むように頷いていた。

 主君の安全を第一に考えた提案に賛成なのだろう。

 もっともその場合、ベルメッタは取り残される側になるのだが、それをわかった上で良しとできるのは本当に覚悟が決まっている。


 とは言え俺も、そこまで残酷な提案をしたつもりはない。

 敵の第一目標は俺とティアナートのはずだ。

 標的が先に逃げたとわかれば相手はどうするか。

 俺たちの追跡を優先し、残った皆を無視する可能性もある。

 そうなれば正面衝突するよりは生き残る芽が出てくるはずだ。

 なんなら俺たちが逃げた後、すぐに降伏してくれていいのだ。


 ただしこの仮定には何一つ確証がない。

 残った皆が口封じで消される可能性だってある。

 鬱憤晴らしの暴力に晒されることだって考えられる。

 それらを踏まえてティアナートは決断しなければならない。

 命令できるのは主君たる彼女だけなのだ。


「……ベルメッタ」


 ティアナートは動く方の右手で侍女の手を取り、強く握った。

 じっと目を見つめる。


「私も貴方もまだ人生に幕を下ろす時じゃない。そうでしょう?」


 ベルメッタは両手で彼女の右手を包み込み、微笑んでみせた。


「もちろんです。私、ティア様のお孫様までお世話するつもりですから」

「その時はお願い」


 ティアナートも笑顔で応じる。 

 このやりとりが最後の思い出にならないようにと、俺は願うしかなかった。

 自分がもう一人いればベルメッタも守れるのに。

 自分があと百人いれば皆を守れるだろうに。

 いや、そんな風に思うのは妄想にしてもおこがましいか。

 人が守れるのはせいぜい自分の手の届く範囲だけだ。

 それも必死こいて辛うじてだ。


「至急ここを離れます。行きましょう」


 俺たち三人は寝室を出た。

 階段を下りて一階の玄関前広間に来ると、兵士が所狭しと集まっていた。

 多くの者が、寝巻きの上から鎖帷子を着込んだ緊急の装いである。

 机や家具を玄関扉の前に集めてバリケードにしているようだ。


「陛下!」


 マクールが俺たちに気付いて、すぐやってくる。

 その時にはすでにティアナートは毅然とした王女陛下の態度を作っていた。


「状況は?」


 マクールはすかさず踵を揃え、右の手の平を左胸に当てた。

 玄関に集まった兵士たちも同様に敬礼をする。


「正門、裏門ともに多数の敵兵が待ち構えております。正門の敵の数はおよそ百五十。裏門の敵はおよそ五十かと」

「では裏門の方が手が薄いというわけだな?」

「はい。ですが裏門は馬車も通れぬ狭さ。抜けるのは難しいかと」

「心配ない」


 ティアナートがちらりと見てくるので、俺は頷いた。

 門を突破する必要などない。

 塀を飛び越えてしまえばいいのだ。


「私はシロガネと共に先行して脱出する。マクール、裏門の敵の目を集めて援護せよ。私が脱出した後は、独自の判断で生き残るため最適の行動を取れ」

「ははっ」


 マクールは短く一礼する形で命令を受け取った。

 ティアナートは広間に集まった面々を見渡し、声を張り上げる。


「皆の者、聞け! 我々は今、深刻な危機に直面している! だがそれがどうした! 我々はその度、困難を跳ねのけてきたはずだ! ここにいる全ての者がエルトゥランを支える柱だ! 欠けてはならない宝だと私は考えている! 信じて生き延びよ! 必ず迎えに行き、皆の働きに報いる!」


 今回ばかりは兵士たちも皆、険しい表情だ。

 何割かが頷いたが、状況が状況なだけに気勢を上げるには至らない。

 それでも錯乱する者がいないだけで立派だろう。


 ふとその時、がたがたと玄関扉が音を立てた。

 一瞬にして場に戦慄が走る。

 外のトラネウス兵が扉を開こうと手をかけたのだろう。

 それから間を置かず、強烈な衝撃が玄関扉を軋ませる。

 扉を破壊する気だ。

 すかさずマクールが大声で指示を飛ばす。


「一番から五番隊はこの場にて正面を死守! 六番から十番隊は裏門に攻撃をかける! 続け!」


 槍を片手に、真っ先にマクールが駆け出した。

 兵士たちも遅れてなるものかと裏口を目指して館の奥へと走っていく。


「行きましょう」


 お辞儀するベルメッタに見送られて、俺とティアナートも駆け出した。

 迎賓館の廊下を抜けて、裏口から建物の外へと出る。


 二メートルはあろう煉瓦造りの塀が迎賓館の敷地を囲っている。

 その塀の一部の柵門は小間使いが出入りする用の裏門だった。

 五十名ほどの板金鎧のトラネウス兵たちが裏門の前に陣取っている。

 正面の敵部隊と違って、彼らは裏門を封鎖することが任務なのだろう。


「突撃だぁ! トラネウスの腰抜けどもを蹴散らせぇ!」


 マクールが鼓舞の声を上げながら、トラネウス兵へと向かっていく。

 負けじと隊員たちも雄叫びを上げ、槍を構えて突っ込んでいく。

 マクール隊の勇猛果敢な突撃に、敵は慌てて応戦体制を取った。


 これで敵の注意は完全に逸れただろう。最高の援護だ。

 俺は胸元に下げたペンダントの透明結晶に手を当て、合言葉を念じた。

 閃光が弾け、一瞬の内に俺の体は銀色の全身鎧に覆われた。

 流れる血液が燃えたかのように熱が走り、全身に力がみなぎる。

 俺は左手で握り拳を作り、灰化した左腕に感覚が戻ったことを確認した。


「ティアナートさん、急ぎなのでちょっと乱暴になります。じたばたしたりしないで、あと舌を噛まないでくださいね」


 するとティアナートは思いの外、穏やか笑った。


「任せます。私の命はもう貴方に預けているのだから」

「じゃあ遠慮なく」


 俺は彼女の膝の裏に腕をやり、その体を抱え上げた。

 マクールたちが頑張っているのを横目に、離れた塀に向かって駆け出す。

 自分の背より高い煉瓦の壁を人を抱えて飛び越えるのはさすがに難しい。

 じゃあどうするかと言えばだ。


「行きますよ!」

「えっ?」


 俺は両腕で抱えたティアナートを塀の向こうへと空高く放り投げた。

 その間に俺は跳躍から塀のてっぺんに手をかけ飛び越える。

 落ちてきた彼女の体を、俺は衝撃を与えないように柔らかく受け止めた。

 俺の行動が予想外だったのか、ティアナートは目を丸くして固まっていた。


 ちらりと裏門の方を見ると、門の外にも何人かの兵士がいた。

 だがこちらに気付いた様子はない。

 マクール隊の猛攻を受けて、完全に意識がそちらに向いていた。


「走ります。しっかり掴まっていてください」


 ティアナートは黙ったまま、右の腕を俺の首に回した。

 了承の合図と受け取り、俺は颯爽と駆け出した。


 迎賓館の位置はエルバロンの町の西南地区にある。

 建物と建物に挟まれた暗い小道を北に進み、俺は東西に延びる大通りに出た。

 ぱぱっと左右を確認するが誰の姿もない。

 一つ先の脇道も見えない暗さだ。

 仮に誰かがいたとしても、そうそう見つかることはないだろう。


 この大通りを西に抜ければ港に出るが、そちらはだめだ。

 船での逃走を警戒して、まず確実に兵が置かれている。

 そもそも俺一人では船の操舵はできない。

 俺は大通りを横断し、また小道を北に抜けることにした。


 寝静まった冷たい闇の都を走る。

 思えば仕事で馬車に乗っただけで、ろくに出歩くこともできなかった。

 ようやく自分の足を使ったのが逃げ帰るためだなんて悲しいにも程がある。


 無事に北側の町外れまで来られた。

 不意の遭遇は覚悟していたが、敵兵に見つかることはなかった。

 どうやら町中に兵隊を散開させて配置しなかったらしい。

 そこまで大掛かりな動員はさすがにできなかったということか。


「ティアナートさん、大丈夫ですか?」


 ひとまず俺はほっとして、抱きかかえている彼女にたずねた。

 向き合えば互いの顔がほんの数センチの至近距離になる。


「ありがとう。私は大丈夫」


 表情を見る限り、強がりではなさそうだ。

 冬の夜は冷える。

 走っている俺は平気だが、寝巻に防寒着だけの彼女が心配だった。


「寒かったり辛くなったら言ってください。休める場所を探しますから」

「無理なら言います。ですが言わない限りは止まらないで。一刻も早くドナンのいるベルクに戻り、反転攻勢してシルビスを討つ。それが皆に命をかけさせた私の責務です」


 こうなってしまった以上、それ以外の道はないか。

 賽は投げられてしまった。

 だったらもう行くところまで行くしかない。

 でなければ国を預かる者として示しがつかないのだ。


「……走ります」


 俺は憂鬱な気持ちになりながら、地面を蹴った。

 万が一にも転倒して彼女にケガをさせないようにと、俺は雑草の生えた野原から舗装された道に入ろうとした。

 その時、北方向から急速に接近する気配に気付く。

 俺はぐっと目を凝らして、闇の中に意識を集中させた。

 何者かが走って向かって来ている。


「ティアナートさん、ちょっと本気で動きます!」


 俺は進行方向を左斜め六十度に変更し、速度を上げて疾走する。

 するとその影はこちらに合わせるように進路を変えてきた。

 この敵、この闇の中で俺の姿が見えている。

 しかも速い。下手な馬より速いまである。


 振り切れるか。

 切り返そうと俺が足底に力を入れた時、甲高い笛の音が闇夜に響いた。

 敵が笛を吹いたのだ。

 仲間を呼ぶつもりなのか、繰り返し吹き鳴らしてくる。

 だったらその前に引き離すのみ。


 俺は方向を九十度、切り返して、弾けるように駆け出した。

 足は俺の方が速い。このまま距離を空けて抜き去ってやる。

 そう考えていると、暗闇の中にふと赤橙色の塊が浮かび上がった。

 まさかと思っている内に一つ、二つ、三つと光源が増えていく。

 嫌な予感がして町の方を見ると、そちらにも同じ灯火が浮かんでいた。


「う……」


 俺は足を緩めて、闇の中で立ち止まった。

 たいまつのような明かりが三百六十度を取り囲むように揺れている。

 炎の数は二十。敵の兵士は当然その何倍もいるだろう。

 完全に嵌められた。

 初めからこうするつもりで罠を張っていたのだ。

 襲撃者以外の敵兵を町中で見なかったのは待ち構えていたからだ。


 途端に嫌な汗がにじみ出してくる。

 俺一人なら無理をやればいいが、ティアナートを抱えてでは厳しい。

 何より大切なのは彼女の身の安全だ。

 そのためにできることは何だ。

 何でもいい、脳みそを絞って捻り出すんだ。


「シロガネ、私を下ろしなさい」


 ティアナートは淡々と言った。


「貴方一人なら突破できるでしょう? 私を置いてベルクに戻り、私の代わりとしてシルビスを討ちなさい」

「そんなことできるわけがないでしょ!?」


 彼女が諦めてしまったのかと思い、俺は反射的に熱くなってしまう。

 しかしティアナートは遥かに冷静だった。


「ごめんなさい。貴方がこの状況をどうにかできるのなら任せます。でももし無理なら、生き残るためにできることをすべきでしょう?」


 頭の中が零か百かになっていた俺は横から脳を回されるのを感じた。

 確かにそれは一つの手かもしれない。

 無抵抗で投降した国家元首に対して、トラネウス兵はどう応じるだろうか。

 彼らは蛮族ではなく、教育された国軍の兵士だ。

 いったん捕縛だけして上役に指示を仰ぐのではと思う。

 敵国の王の処遇は最上級の判断が必要な案件だ。

 もし俺がただの兵士や隊長なら責任を回避するためにそうする。

 それなら一時的にティアナートの安全を確保できる。


 そんな風に考えるのは希望的観測だろうか。

 だが俺にはあると思える一つの理由があった。

 シルビスは会談で俺の身柄の引き渡しを講和の条件に挙げている。

 逆に言えば、ティアナートとは講和ができると考えているわけだ。

 つまり抹殺の対象は俺個人。

 ティアナートは単なる敵国の王と認識されていることになる。

 それが無傷で手に入るのならすぐには殺さない。

 殺すよりももっと有用な使い道を考えるのではと思う。

 それが政治だからだ。


 彼女を抱えて駆け回るよりも分がいい気がする。

 そうだな、だったら。

 俺は両腕で抱えていたティアナートを地面に下ろした。

 ティアナートは俺の意思を確認するように、兜の俺の顔を見てくる。


「ティアナートさん。この場は何もせず敵に従ってください。少しの間、不自由を我慢してくれますか?」

「ええ。貴方が迎えに来てくれるのを信じて待っています」


 たぶんティアナートは俺がしようとしていることを少し勘違いしている。

 でもいい。どうせすぐにわかることだ。


 そうこうしている間に、前と後ろから足音が近付いてくる。

 前方から来たのはフード付き外套をまとった大柄の男トトチトだった。

 いつかにも見た、四メートルはあろう長い槍を手に握っている。

 闇夜の下、俺を補足して笛を吹いたのは彼だろう。


 町の方から駆けて来たのは白い髪の少年ロタンだった。

 トトチトと同様の外套で体を包んでいる。

 俺は金属槍を静かに足下に置いて、両手を上げて投降の意を示した。


「よぉシロガネ。ずいぶん殊勝な態度だな?」


 そばまでやって来たトトチトが軽く声をかけてくる。


「抵抗するなら殺してもいいって言われてたんだが……まぁいいか。楽に仕事が終わるなら、その方がいいに決まってる」


 ロタンはティアナートのそばに来て、こんばんはと挨拶をしている。

 どうやら問答無用で攻撃してはこないようだ。

 俺は密かに安堵しつつ、少しでも足しになればと懇願する。


「俺はどうなってもいいですから、その人だけは丁重に扱ってください。俺にとって、この世界で一番大切な人なんです」

「……そうかよ」


 トトチトは長大な槍の柄を自身の肩にかけた。

 毛むくじゃらの顔で同情するように、惜しむような目で俺を見てくる。


「やっぱり、お前は俺の仲間になるべきだったな。もうちょっと早く出会えてたら……お前とは仲良くなれただろうに」


 余裕のある状況なら俺も喜んで頷いただろう。

 だが俺の意識はすでに『これからすべきこと』に移っていた。

 俺たちを包囲する敵兵にも、あらん限りの大声で釘を刺しにいく。


「この場にいる全てのトラネウス兵に告げる! ここにおわす御方はエルトゥラン王国王女ティアナート陛下である! 一切の非礼は許されない。最大限の敬意をもって応対せよ! 狼藉者あらば貴様ら全員、一族郎党残さず八つ裂きにして獣の餌とする!!」


 突然どうしたとばかりにトトチトがたじろぐ。

 その隙に俺はさも当然のように足元の金属槍を掴み、駆け出していた。

 のんきに油断していたトトチトを置き去りにする。


「お前っ!?」

「救世主が逃げたぞー! 絶対に逃がすな捕まえろぉ!」


 俺は闇の野を走りながら、あえて敵の包囲網に呼びかけた。

 さあ、かかってこい。俺の戦いを始めよう。

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