70話『口先舞台の停滞前線(1)』
結婚式の日は町中がお祭り騒ぎだった。
エルバロンの中央広場では無料の振る舞い酒が提供された。
稼ぎ時とばかりに屋台が並び、熱心に声かけをする。
この日のために招かれた雑技団が芸を披露しており、玉乗りお手玉、猛獣使いに腹話術師、世にも珍しい巨人と小人のショー、舞台を立てての演劇に楽隊までおり、目移りし放題である。
お上公認の無礼講ということで、どんちゃん騒ぎは夜通し続いた。
酔いの回った大きな歌声が窓を開ければ聞こえてきたくらいだ。
シルビスの結婚と戴冠は民衆に受け入れられているように見えた。
もっとも、よそ者の俺が抱いた印象だから当てにはならない。
内心ではアスカニオの方が良かったと思っている者もいるのだろうが、口にできる雰囲気ではないという見方もできる。
そういう風にライムンドが演出しているのだ。
そもそもアスカニオが不在だから議論のしようがない現状ではあるのだが。
昼過ぎ、迎賓館に迎えが来た。
招かれて着いたのはエルバロンの北東区にある屋敷だった。
なんでもシルビスが生まれ育ったララン家のお屋敷なんだとか。
木造の屋敷は年季を感じる佇まいだが、手入れは行き届いてる印象だ。
前庭の木々や花壇も整えられ、掃き清められていた。
玄関の前でライムンドの出迎えを受け、屋敷の中に通される。
応接間の扉を開けると、シルビスが一人で椅子に腰かけて待っていた。
俺とティアナートの姿を確認して、すっと席を立つ。
「ようこそおいでくださいました。どうぞおかけになってください」
床に敷かれた古風な絨毯の上に四角い卓が置かれている。
年を重ねた家具特有の深みのある色合いをした卓だ。
卓を挟んで場の四人が席に着く。
シルビスの対面にティアナートが、ライムンドの対面に俺が座った。
「この度はご結婚おめでとうございます。シルビス王……とお呼びした方がよろしいのでしょうか?」
ティアナートの問いかけに、シルビスは微笑を浮かべた。
「ありがとうございます。そうお呼びいただきたい」
彼が着る白に金の差し色の衣装はアイネオスのそれと同じものだ。
ティアナートは納得したように頷いた。
「昨日の式は趣向の凝ったものでした。教会での式は初めて拝見いたしましたが、たいへん興味深いものでした」
「見世物は派手でなければいけません。堅実を好む者もいるが、地味なものでは観衆の心には響かない」
「……人は口では堅実を唱えるが、心では冒険を求めている」
ティアナートの返しに、シルビスはおやっと目を見開いた。
「それは我が国の歴史に名を残す偉大なる劇作家ルフスの言葉だ。魔術師の農耕詩……その第四章だったかな?」
「そうだったと記憶しております」
「ティアナート王女が劇作に造詣の深い方だとは知らなかった。私もルフスの作品が好きでしてね。特に理想郷の牧歌。あれは子供の頃、何度も何度も読み返した覚えがある」
目を輝かせて語るシルビスは年相応の若者の顔をしていた。
まだ王様を演じるのが不慣れで、つい仮面が脱げてしまったように思える。
それだけ芸術への愛があるのだろう。
そんな軽めの世間話をしていると、ふと応接間の扉が叩く音がする。
ライムンドが席を立って招き入れたのは、お茶を運んできた使用人だった。
各々の前に湯気を立てるカップが配膳される。
お茶のポットを卓の真ん中に置いて、使用人は部屋から出ていった。
「陛下、そろそろ」
ライムンドが小声でシルビスに促す。
わかったとばかりに新たなるトラネウス王は頷いた。
「それではここからは国の代表として話をいたしましょう。私としては貴国と講和したいと考えております。まずはこちらの提案をご覧いただきたい」
シルビスが目配せすると、ライムンドは一枚の書類を卓上に差し出してきた。
ティアナートはそれを手元に寄せ、書面に視線を落とす。
書かれているのは講和をするに当たっての取り決めである。
その内容をざっくりまとめるとこうだ。
両国は戦争終結を合意するにあたり、以下の条件を履行することとする。
両国は脱走兵、及び捕虜を無条件に解放し帰国させる。
トラネウス王国は賠償金の半分を一括で支払い、残額は十年割賦とする。
エルトゥラン王国はシルビスが指名する者一名の身柄を引き渡す。
この講和条約締結から二年間、両国は相互不可侵を約束する……等である。
「この、シルビス王が指名する者とは何を指す文言なのでしょうか?」
ティアナートが問うと、シルビスの顔から笑みが消えた。
さっと表情の温度が下がる。
「私の父アイネオス=ウォルトゥーナを殺害した人物のことです。その人物を我が国に引き渡していただきたい」
本人は抑えているつもりかもしれないが、その声からは底冷えするような怨念が滲みだしていた。
俺は居心地の悪さを感じながらも沈黙を維持する。
今はまだ俺がしゃしゃり出る場面じゃない。
あくまでも発言権は国の代表であるティアナートにあるのだ。
俺がどうするかはそれから決めればいいことだ。
「なぜ引き渡す必要があるのですか?」
ティアナートが落ち着いた様子で聞き返す。
「そうでなければ私自身が納得できないからです。父を殺した相手がのうのうと生きているなどと……私の心が許さない」
シルビスは目元を鋭くして言葉を吐いた。
怒りに煮えた目が俺に向けられる。
俺は慌てず動じず、その視線を受け止めた。
肉親を殺された憎しみを否定するつもりはない。
だが一方的に恨まれるような関係でもないはずだ。
だから俺は目をそらさなかった。
「……生き死には戦場の常。それのどこに納得がいかないのでしょう」
ティアナートは淡々とした声で言い返した。
「正々堂々と戦った結果、貴方の父は命を落としたのです。その責任をこちらに押しつけるのは筋違いでございましょう」
「まったくの正論だ。十人に聞けば九人は貴方が正しいと言うでしょう。だが私は筋の話はしていない。納得の話をしている」
シルビスは開き直った顔で言い切った。
窓を閉じた室内の空気がひりつく。
どうするのかと俺が心配する中、ティアナートは口を開いた。
「仮に私が引き渡しを拒否したとしたら、貴方はどうするのですか?」
「残念だが講和はできない」
「それで脅しているつもりですか」
ティアナートは感心するほど落ち着き払っていた。
現状のエルトゥラン王国はだいぶ厳しい状態にあるはずなのだ。
それを微塵も感じさせないのはさすがである。
彼女のそんな態度に、シルビスはやや怒気を弱めた。
「勘違いしないでいただきたいが、むしろ私は講和を望んでいる。だがどうしても外せない事柄ゆえ言及させてもらっただけなのです。賠償が足りないと思うのなら、そちらからも条件を出していただきたい」
「……私も講和を望んでいますが、譲れない一線もあります」
ティアナートは力を込めた目でシルビスを見た。
「命がけで戦ってくれた者を売り渡す王に誰が付いてくると言うのか。そんな前提で交渉などできない。撤回していただきたい」
しかしシルビスも怯まない。
「先程も言った通り、撤回はできない」
「だったらどう始末をつけるおつもりですか」
一段と空気が重くなる。
そばで見ているだけなのに、こっちの口の中が乾いてくる。
目の前に置かれたお茶のカップに手を伸ばしたい。
だが指を動かすのもためらわれる雰囲気だ。
そんな中、ティアナートはゆっくりと息を吐いた。
「貴方の妻は、このことを知っているのですか?」
予想外の問いかけだったのか、シルビスは虚を突かれた顔をした。
「何の話です?」
「貴方の妻ディド=メルカルートは私の友人でもあります。彼女は私に戦争の終結を望み、皆で幸せになろうと説きました。私としても彼女の意向を尊重したいと思っていた。ですが貴方の心はその対極にある。私はそれが解せないのです」
ティアナートは努めて穏やかに語りかけた。
「貴方はその心の内を、人生を共にする伴侶に打ち明けなかったのですか?」
「……余計な詮索はしないでいただきたい」
癇に障ったのか、シルビスは突き放すような言い方をする。
「これは私自身の問題だ。彼女は一切関係ない」
ティアナートはどこか悲しげに口を閉ざした。
折り合いがつかないとなれば、これ以上、話の進めようがない。
どうにも行き詰まった空気が応接間に漂い始めていた。
静かな室内が息苦しい。
じっとりとした時間が過ぎる
何百の秒を数えただろうか、沈黙を破ったのはライムンドだった。
「……今日はここまでといたしましょう」
視線が白い役人服の宰相に集まる。
ライムンドはお茶のカップを口に運び、一息ついた。
「一日、考える時間を空けてはいかがでしょうか。あらためてまた明日、同じ時間に話し合いの場を持ちましょう」
このままにらみ合っていても、おそらく何も決まらない。
二人の若き君主は共に頷き、その提案を受け入れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ララン家の屋敷から迎賓館に帰る馬車の中。
俺は隣に座るティアナートに問いかけた。
「俺のこと、守ってくれたんですか?」
彼女は俺の顔を見て、六秒の間そのままでいた。
それから視線を外し、口を開く。
「もし向こうの提案通り、貴方を引き渡したらどうなると思いますか?」
「……和平が成立して、戦争は終わるんですよね」
「終わることは終わるでしょう。ですがその後が問題です」
ティアナートはまた俺の方に向き直った。
「シルビスはきっと、貴方を大々的に処刑する。先代の仇を討った新王はさぞ持て囃されることでしょう。対して私はその日の都合で救国の英雄を売り渡した恥知らずとなる。王とは民の信頼によって立つもの。これでは負け戦も同然。外交的敗北です。お話にならない」
喋っている内に苛立ちが溢れてきたのか、最後の方は早口になっていた。
言い切って途端に黙り込む。
馬車の窓越しにエルバロンの町並みが流れていく。
ふとティアナートは疲れた様子でため息をついた。
「……私のこと、嫌いになる?」
急に不安そうな顔をした彼女に、俺は不思議に思って小首を傾げた。
「どうしてですか?」
「貴方は私のことをいつも一番に考えてくれているのに、私はそうしていない。貴方の命と、自分の立場と、国の未来とを天秤にかけて考えてしまっている。貴方のことを守るって約束したのに」
ティアナートはしょんぼりと肩を落とした。
でもすぐ何かに気付いたように首を横に振る。
「ごめんなさい。誘導するような言い方をしてしまって」
「大丈夫ですって。弱音を吐いたらいいって言ったのは俺なんですから」
俺は微笑んで返事をする。
「ちょっと不安な気持ちになってしまったんですよね? そういう時は吐き出して楽になったほうがいいんです。そんなことで嫌いになったりしませんよ」
「シロガネ……」
ティアナートは緊張していた頬を緩めた。
かと思うと今度は表情を渋くする。
「最近の私、貴方の優しさに甘えすぎている気がする」
「別にいいんじゃないですか?」
「片方だけに負担がかかる関係は不仲の元です。そういうのは嫌なの」
「まぁ確かに、してもらって当然になったらだめだとは思いますけど。でもこういう風に言い合えていたら大丈夫ですよ」
「……うん」
満足してくれたのか、ティアナートは座席に背中を預けた。
かたんことんと馬車が揺れる。
どうにか会談がうまくまとまってくれればいいのだが。
俺はそんな風に思いながら、馬車の窓から外を眺めた。