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69話『新たなる王に祝福を』

 薄曇りの白い晴れ空の昼、次期トラネウス国王シルビス=ラランとエリッサ神国女王ディド=メルカルートの結婚式が執り行われることとなった。

 場所は首都エルバロンの西南地区にある大聖堂だ。

 この大聖堂はトラネウス王国におけるエリッサ教の本部である。

 式場の選択からして結婚式の政治的な意味合いが見て取れるというものだ。


 まず前提としてエリッサ教はトラネウス王国の国教ではない。

 あくまでも布教を認められた他国の宗教なのである。

 本来であればトラネウス国王の結婚式は丘の上の神殿で行われる。

 そこはトラネウス王国の初代国王が神格化されて祀られた場所だ。

 王国の始祖の前で誓いを立てるのである。

 そこには教会の司祭から祝福を授かるなどという手順はない。

 今回の結婚式は両国の融和を進める強いメッセージと言えた。


 第三者であるエルトゥラン側から見れば、これはエリッサ神国の支配者ハモンの仕掛けた一種の同化政策ではないかとも思えるのだが、いかがなものか。

 アイネオスが存命であれば古狸に後れを取ることもないのだろうが、その辺りはシルビスのお手並み拝見といったところか。


 切り出した石で造られた大聖堂は実にロマンティックな景観だった。

 西を望めばデニズ海の青さが広がっており、潮風が届く。

 これが庶民の恋愛結婚なら一生の思い出となることだろう。

 式場である大聖堂の外には多くのトラネウス国民が詰めかけている。

 堂の扉を閉めていても、ざわつきが薄っすらと建物の中まで響いてきていた。


 祭壇を正面にして、右手側の来賓席に俺とティアナートはいた。

 公の行事ということで、彼女は紫色のドレスを身にまとっている。

 主役の邪魔になってはならないので装飾は控えめだ。

 その隣で俺は同じく紫色の礼装を着ている。

 二人してお揃いの純白の手袋をはめていた。


 俺たちより前の席に座っているのは新郎シルビスの縁者である。

 その誰もが白を基調とした衣装で出席していた。

 一見ぎょっとする光景なのだが、それは俺の不慣れゆえだろう。

 トラネウス王国では祭事には白で出席するのが常識だ。

 白がトラネウス王国の特別な色だからである。

 なお俺たちの周りにいるトラネウスの要職の方々も白づくめだ。


 ところで俺は、親族席の先頭にいる女性が気になった。

 足元まで届きそうな長い髪には何やら妖しい迫力がある。

 ぎらついた目に頬骨が浮いた顔で、まるで魔女のような風貌である。

 席順から考えるとシルビスの母親になるのだろうか。

 ただならぬ人生を歩んできた人なのかもしれない。


 大聖堂の左側の席には長袖に丈長スカートの白装束の女性らが並んでいた。

 身なりからエリッサ教団員だとすぐにわかる。

 先頭の席に一人だけいる男性には見覚えがあった。

 たしかディドの従兄とのことで、教団員のまとめ役だったと記憶している。

 他人を寄せ付けない気難しそうな人相をしているが、わくわくした笑顔を隠しきれていないあたり、意外と性根は優しい人だったりするのかもしれない。


 さて、そろそろ時間である。

 祭壇のそばに立つライムンドはぱんぱんと手を打ち鳴らした。


「これより婚礼の儀を始めさせていただきます。ご臨席の皆様方、どうか式中はご静粛にお願いいたします」


 ライムンドの合図で聖歌隊が合唱を始める。

 来客の全員が立ち上がり、後ろを向いた。

 新郎新婦の入場である。


 久方ぶりに会うシルビスは顔付きが変わっていた。

 以前はどこか冷めたところのある線の細い美形といった雰囲気だったが、今では凛々しい青年の顔になっていた。

 さらさらの髪は長さが背中まであり、体の線も女性のように細い。

 それでも美ではなく精悍な印象を受ける。

 父親の死、頼れる兄の不在という状況が彼に変化を与えたのだろうか。

 身にまとった衣装は亡き父アイネオスと同じものだった。

 白を基調に金の差し色を入れた上品なつくりである。

 肩から下げた白マントは足元まで長さがあった。


 隣を歩くディドははにかんだ笑顔を浮かべていた。

 魅惑的なボディラインを純白のドレスで包んでいる。

 花冠を頭にのせた姿は女神の化身と言われても信じてしまうくらいだ。


 左右に分かれた客席の間に敷かれた赤いカーペットの上を二人が進む。

 左側を歩くのがディドで右側がシルビスだ。

 身長差があまりないことがかえって対等なお似合い感を出している。

 足取りを揃えて祭壇の前へ。

 祭壇に立つエリッサ教の司祭が語りかける。


「エリッサ女神の導きで夫婦になろうとする者たちよ。神の耳にその名前を告げなさい」


 ちらりとディドが隣のシルビスを見る。

 シルビスは目線を上げ、司祭の向こうを見た。

 奥面の壁にはエリッサ女神の巨大な彫刻がある。


「アイネオス=ウォルトゥーナの子、シルビス=ララン!」


 石造りの大聖堂にシルビスの声が響く。

 やや上擦ってはいるがしっかりとした宣言だ。

 ディドは隣の新郎の姿に微笑み、胸の前で指を組んだ。


「母なるエリッサの子、ディド=メルカルート」

「エリッサ女神は地に満ちる全ての命を祝福します。それでは指輪の交換を」


 祭壇の上には清められた聖布が敷かれ、その上に二つの指輪がある。

 これはエルトゥランとトラネウスの風習なのだが、指輪にはそれをはめる本人の名前と、何かあった時に指輪を届ける誰かの名前を彫るのが決まりだ。

 新婚の夫婦の場合だと互いの名前を刻んだものとなる。


 シルビスは祭壇の指輪を手に取ると、ディドと向かい合った。

 差し出された左手の薬指に指輪を通す。

 ディドはほのかに頬を染めながら、同じように夫に指輪をはめた。

 その様子が俺にはとても清らかなものに感じられた。

 幸せの始まりを感じさせるような、そんな尊い感情を覚えたのだ。


 自分もあんな風に結婚できるのだろうか。

 結婚をして、家族を作って、そんな綺麗な未来に辿り着けるのだろうか。

 俺は密かに横目で隣を見る。

 ティアナートは微笑を浮かべて主役の二人を眺めていた。


 未来がどうなるかなんてわからない。

 ただ確かなことは、生きていないと辿り着けないということだ。

 そう思えば何があっても頑張って生き続けないといけない。

 それにしても指輪というのはいいものだなと思う。

 エルトゥランに帰ったら、ミスミス姉弟に相談してみようか。


「今ここに新たな夫婦が誕生しました。エリッサ女神の加護のあらんことを!」


 司祭は指を組んだ両手を頭上に掲げた。

 シルビスとディドが奥面の女神の彫刻に一礼する。

 それに合わせて列席者たちは割れんばかりの拍手で新郎新婦を祝福した。

 俺とティアナートは左腕が動かせないので、右手を左胸に添える敬礼の姿勢で代わりとさせてもらう。

 拍手を浴びながら新郎新婦がこちらに向き直る。

 それから場が静まるのを待って、シルビスは口を開いた。


「各々方、此度は婚礼の儀にご参加いただき感謝申し上げる。この婚儀はトラネウスとエリッサの友好を進める大きな一歩となるだろう。いや、両国のみならず、世界の歴史の新たな一歩となるかもしれない。それだけ大きな意義のあるものだと私は理解している」


 その時、シルビスの目がこちらに向けられたのは気のせいではないだろう。

 ティアナートと俺とを確かに見たのだ。

 それからシルビスはライムンドに目で合図を出した。

 脇に下がった宰相が持ち出したのは白い台座に載せられた王冠である。

 黄金の王冠には栄光の象徴にふさわしい威厳があった。

 途端にトラネウス側の出席者がざわつきはじめる。

 彼らにとっても予定にない不意打ちだったのかもしれない。

 ライムンドが運んできた王冠を、シルビスは自らの手で頭の上にのせた。


「この場を借りて、私シルビス=ラランは宣言させていただく。今この時より私はトラネウス国王となる! 父の遺志を継ぎ、この偉大なる王国を栄光で満たすことを誓おう!」


 堂々と言ってのけ、シルビスは右の手をディドの前に出した。

 新たなる王の妻は左の手でその手を取る。

 二人が大聖堂の出口へと歩き始めるのと同時に、ライムンドが声を上げた。


「新郎新婦の退場です。新しきトラネウス王と王妃に今一度、万雷の拍手で祝福を!」


 そして率先して手を打ち鳴らす。

 間を置かず拍手で続いたのは右側席の先頭の魔女めいた女性だ。

 続いて左側席のエリッサ教団員たちが拍手をする。

 トラネウス側の出席者らは困惑しつつも、出来上がってしまった雰囲気に圧されてか、まばらに拍手をした。


 シルビスとディドは並んで赤いカーペットの上を歩いていく。

 祭壇の間から出ていき、そして大聖堂の入り口扉が開かれる。

 途端に上がった歓声は建物を震わせるような大きさで俺の所まで届いた。

 外で待つ民衆が新王と王妃のお出ましに湧き上がったのだ。


「以上をもちまして婚礼の儀は終了とさせていただきます。皆様、本日はご臨席まことにありがとうございました」


 そう言ってライムンドは丁寧にお辞儀をした。

 エリッサ教団員が順々に退出していく。

 トラネウス側の出席者は何やらざわざわとし始めた。

 騙し討ちのような戴冠は賛否両論といったところか。

 そんな喧噪をよそに、ティアナートは席に腰を下ろした。


「人が引くのを待って帰りましょう」


 はいと頷いて、俺は彼女の隣に座った。

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