68話『永遠の友情を誓って』
空模様は雲が七、青が三の晴れ日。
王女陛下ご一行はトラネウス王国の首都エルバロンに到着した。
俺が抱いた第一印象はエルトゥランの城下町を小綺麗にした風な町だった。
町の西部には港があり、遠くを望めばデニズ海の青色が広がっている。
道は石畳で舗装されており、コンクリート造りの集合住宅が並んでいた。
建物のデザイン性から景観美を感じるが、根本的に町の作りが似ている。
それはやはり同じ文化的土壌を持つ同族という証なのだろう。
三百年前、人間族の住処は半島の南部にあったという。
ここエルバロン一帯はその頃から人間が暮らす由緒正しい土地である。
獣人族を半島から北のチコモストへと追い出した後、人間族は古エルトゥランなる大国を建国したわけだが、もしかするとその時に故郷の風景を模して町づくりしたのがエルトゥランの城下町なのかもしれない。
あるいはその逆で、古エルトゥランが分裂した際にエルトゥラン城下町の風景をエルバロンに持ち帰り再現したのか。
そういう観点で歴史を見るのも面白い。
エルバロンの都は東西南北に十字の大通りが通っている。
町並みを眺めていると東向きの建物が多いことに気付く。
なぜかと言うと、町の東にトラネウス国王のおわす王城があるからだ。
王様に尻を向けるのは失礼であるとの考えらしい。
エルバロン独自の慣習だが、由来や成立時期はよくわかっていないそうだ。
大通りを進む王女陛下の行列を、エルバロンの住民は静かに見守った。
好奇の視線であったり不安げな表情であったり反応は様々だが、どちらにしろ歓迎されていないようなのは俺の目にも明らかだった。
自分の国の王様が戦争を吹っかけて、返り討ちにあったのだ。
国民としては内心穏やかではないだろう。
西南の区画にある迎賓館に俺たちは案内された。
迎賓館は木造の二階建てで、もちろん東向きに建てられている。
白木の建材を使った建物はその色合いもあって格式高い趣で、前にすると思わず襟を正したくなる御堂的な佇まいだった。
館の前庭には季節の花がずらりと並び、赤、紫、ピンク、白と咲き誇る。
海の湿気を帯びた冷たい風に花の香りがうっすらと流れる。
馬を何十頭と預けられる厩舎も近くにあり、まさしく大人数での来訪を想定した行き届いた場所だった。
迎賓館の玄関で俺たちを待っていたのは宰相ライムンド=マザランだった。
黒髪黒眼の長身の男で、トラネウス王国の政治を牛耳る権力者である。
彼が着る白の役人服はこの国の公務に携わる者の証だ。
ちなみにこの白色はトラネウス王国の象徴たる色でもある。
古エルトゥラン分断の要因となった後継者戦争により、半島の南半分を勝ち取った初代トラネウス王は、建国にあたり真白の旗を掲げたという。
その旗は穢れなき志による新たなる歴史の始まりを意味したそうだ。
その逸話によりトラネウスでは白が神聖な色として扱われているのである。
馬車から降りたティアナートは前庭を歩いて迎賓館へと向かった。
一歩下がった左に俺が、三歩下がった右にマクール将軍が後に続く。
玄関の前には白い役人服のライムンドが直立の姿勢で立ち、左の手の平を右胸に当てるトラネウス式の敬礼で俺たちを迎えた。
「ようこそおいでくださいました。ライムンド=マザランでございます」
「エルトゥラン王国王女ティアナート=ニンアンナである。出迎えご苦労」
ティアナートは外交用の微笑で応じた。
暗殺を企てたことなど、おくびにも出さない。
「長旅でお疲れでございましょう。中でお休みになられてください。トラネウスにご滞在の間はこちらの館をご自由にお使いくださいませ」
ライムンドはどうぞと伸ばした手で、開け放たれた玄関扉を示した。
「お心遣い感謝すると、シルビス殿下に伝えられよ」
「承りました。式は明日の昼より行います。お迎えに参りますので、それまでにご用意をお願いいたします」
ティアナートは軽く頷く形で謝意を示し、迎賓館の中に入った。
まずは彼女が部屋まで行かないと、他の皆が仕事に移れないのである。
俺は隣のマクールと目を合わせ、無言の意思疎通で頷き合った。
連れてきた歩兵や騎兵、使用人への監督はマクールの仕事だ。
滞在に必要な荷物を運び入れて、馬を休ませてと忙しくなるだろう。
そして俺の仕事はティアナートをそばで守ることだ。
早足で彼女を追いかける。
すれ違い際に俺が会釈すると、ライムンドはにこりと微笑んだ。
この笑顔を見て、彼が一流の暗殺者だと気付ける者はほとんどいないだろう。
俺が玄関に入ると、ティアナートが館の使用人から説明を受けていた。
館の間取りについての話のようだ。
俺は彼女のそばに付き、途中からその説明を一緒に聞いた。
その後、使用人の案内に従い玄関正面の階段で二階に上がる。
上がってすぐの廊下の壁面には等身大の大きな絵画が飾られていた。
絵の中心に描かれているのは王冠を被ったアイネオスだ。
自信に満ちた威厳ある王の姿である。
アイネオスの左には軍服のアスカニオが緊張した面持ちで直立していた。
右にはお洒落に着飾ったシルビスが嬉しそうに微笑んでいる。
素敵な絵だなと俺は率直に思った。
彼らと俺たちの間にはしがらみがありすぎる。
でもそういった感情を抜きにして見れば、この絵からは幸せを感じられた。
三人の姿から家族の温かみと絆を感じられたのだ。
だからこそ俺は悲しくなる。
案内の使用人は絵画から右手側の廊下に足を向けた。
まっすぐに伸びた廊下には赤いカーペットが敷かれている。
また廊下の左右には部屋があるようで、壁に扉が並んでいる。
使用人は右側の一つ目の扉を押し開いた。
それから入り口の前を空け、両手をへその位置に重ねてお辞儀をする。
「ご苦労」
ティアナートは一言いい、部屋の中に入った。
俺もそれに続く。
ずいぶんと広い部屋だと思うのは、俺が庶民感覚だからだろう。
入って正面の壁には両開きの大きなガラス窓が二つあった。
窓辺に立てば前庭を彩る花々を眺められるだろう。
また非常時はこの窓から外に出られそうだ。
部屋の左手側には人が二人で寝られそうな大きさの寝台が三つある。
姿見の鏡のそばには木彫り人形が数体並んでいた。
以前に町の仕立て屋で見たものと似ている。
ドレスや礼装を綺麗に保管しておくためのものだろう。
部屋の右手側には八人掛けの長卓と椅子が置かれていた。
窓辺の近くには丸卓と深く座れる形の椅子が二つあった。
椅子は背もたれが編み込みのようになっていて、くつろぎやすそうである。
どちらの卓上にも陶器の花瓶に花束が生けてあった。
「ひとまずは座りましょう」
ティアナートは丸卓の椅子に腰を下ろして、背もたれに体を預けた。
俺は両開きの窓の片側を開けて、少し風を入れることにする。
それから彼女の向かいの席に座った。
ひたすら馬車に揺られる旅には歩くのとは違う疲れがある。
椅子に体を沈ませると自然とため息が出た。
ティアナートも同じなのか、眉間を指の腹でぐりぐりしている。
そんな風に小休止していると、ふと部屋の扉がこんこんと叩かれる。
「失礼いたします」
部屋に入ってきたのは王女専属の侍女であるベルメッタだ。
ぱぱっと目で室内を見回して、足音静かにやってくる。
「荷物の運び入れを始めてもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
「かしこまりました。先にお茶をお持ちいたします」
侍女のできた気遣いに、ティアナートは頬を緩めた。
「ありがとう、ベルメッタ」
ベルメッタは笑顔で一礼し、部屋を出ていった。
静かに部屋の扉が閉まる。
さて、この後はどうしたものか。
もう外に出ないのなら、とりあえず手を洗ってうがいをしたいところだが。
「シロガネ」
声に呼び戻されて、俺は視線をティアナートに合わせた。
「なんでしょう?」
「エルトゥランに戻るまでは常に私のそばにいるようになさい」
「もちろんそのつもりです」
俺たちがライムンドを暗殺しようと考えたように、トラネウス王国の何者かがティアナートを害しようと考えていてもおかしくない。
俺も国境を越えてからは普段以上に護衛の意識を持っているつもりだ。
ティアナートはちらりと視線を寝台に向け、そしてまた戻してくる。
「寝床もちょうど三つある。貴方は窓際のものを使いなさい」
「えっ? 俺もこの部屋で寝るんですか?」
「寝込みを襲われたらどうするのです。貴方がいれば私も安心して眠れるでしょう?」
俺は黙って彼女の顔を見つめた。
平気なふりをしているが、内心は不安で神経質になっているのだろう。
こういう時、俺は笑顔で返すことにしている。
「わかりました。俺がそばにいますから、安心して眠ってください」
するとティアナートは目を丸くして、口元を右手で隠して小さく笑った。
「頼もしいことね。さすがは私の救世主様」
おどけた風に言う彼女に、俺は微笑むのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
滞在の用意も整い、迎賓館が静かになった夕方の頃である。
お忍びの来客がティアナートを訪ねてきた。
ベルメッタに案内されて部屋に入ってきたのはディド=メルカルートだった。
明日、シルビスと結婚式を挙げる予定のエリッサ神国の女王である。
ティアナートと同い年の十八歳。
ぱっちりとした大きな目と健康的に焼けた肌が印象的な少女だった。
艶のある黒い髪を肩口で切り揃えている。
「ティアナート、久しぶり」
ディドが脱いだフード付き外套を、待たすことなくベルメッタが受け取った。
まっすぐの棒に枝が生えたような外套掛けへと持っていく。
ディドは冬用の厚い生地の長袖長ズボンを着ていた。
町中でよく見かける格好なのだが、不思議と違和感があった。
常日頃から他人の視線を浴びている人には特有の華がある。
本人の華やかさと大衆的な服装の差が不釣り合いな印象を与えるのだろう。
「ディド」
ティアナートが笑顔で友人に歩み寄る。
丸卓の椅子から立ち上がった俺はぺこりと頭を下げた。
ディドはちらりと俺を見て小さく会釈し、ティアナートの右手を握った。
「なんか大変なことになっちゃったねー。て、前にもこんなこと言ったっけ」
「気が休まる暇もない。相変わらずです」
ティアナートは微笑んで、丸卓の椅子をディドに勧めた。
俺は席を外した方がいいかと思い、すれ違いに扉へと歩く。
「シロガネ、どこに行くのです」
ティアナートに呼び止められる。
振り返ると、ディドが手招きしてくる。
「全然いてくれて大丈夫だよ。そんな長居するつもりはないし」
そういうことならと俺は長卓の方の椅子に座った。
ティアナートとディドは丸卓を挟んで編み椅子に腰を下ろす。
ベルメッタは扉のそばで待機していた。
「まずは……結婚おめでとう。でよいのでしょうか?」
ティアナートが反応をうかがうように言うと、ディドは笑顔で頷いた。
「おめでとうでいいよ。ありがとう」
「以前に話をした時は不安そうでしたが、何か心境の変化があったのですか?」
「うん。会ってちゃんと話してみたら、思ってたよりずっといい人だったから」
ティアナートは卓上のポットを手に取り、空のカップにお茶を注いだ。
丸卓の対面のディドにそのカップを勧める。
「それはシルビス=ラランが、ですか?」
「そうだよ。やっぱり噂って当てになんないねー。私、結婚って不安だったんだけど、うまくやっていけそうかなって。なんかね、彼のこと好きになれそうって思ったの。今はそういう気持ち」
はにかんだような笑顔でのろけを口にしてくる。
それが意外だったのか、ティアナートは表情を戸惑わせた。
「そ、そうでしたか。それは良かったですね」
「だからね、ティアナートにお願いがあるの」
ディドはすっと背筋を伸ばし、真剣な顔をした。
「もうこれ以上、戦うのはやめてほしい。こんなこと言われたら、嫌な気持ちになるかもしれないけど……立ち止まるなら今だと思うの。戦うのはやめて、みんなで幸せになろ?」
横から見ていて、ティアナートの表情が冷えていくのがわかった。
たぶんそれは怒りや不快の感情からくるものではない。
思考回路が年頃の女子から一国の王女に切り変わったからだろう。
「私にそう言えと、シルビスに言われたのですか?」
「え?」
ディドは両方の手のひらを見せて、首を横に振った。
「違う違う。これはあたしの勝手な気持ち。でも彼も同意してくれると思う」
「その理由は?」
なおも問うティアナートに気圧されながらも、ディドはほのかに笑んだ。
「シルビスくんはまじめで、根が優しい人だから。戦争をして何かを手に入れようとか、そんな人じゃないと思うから」
彼の父アイネオスとは性格が違うと言いたいのだろうか。
ティアナートは友人の目をじっと見ている。
少しの沈黙の後、ディドはため息を吐いて苦笑した。
「もう少し政治的な理由を付けるなら、私のとこの爺さんのせいもあるかな。戦いを続けるなら、トラネウス王国はエリッサ神国の力を借りることになる。でもハモンの爺さんに借りを作ったら後で何を要求されるかわからないし」
「……なるほど」
納得がいったのか、ティアナートは頷いた。
ディドのいう爺さんとはハモン=メルカルートのことだろう。
ハモンはディドの祖母の兄にあたる人物で、エリッサ教団の最高指導者だ。
エリッサ神国の統治者は建前の上では女王であるディドなのだが、実態として統治機構を掌握しているのはエリッサ教団だと言われている。
そしてその教団を支配しているのがハモンであるため、彼こそが事実上のエリッサ国王だと俺たちは認識しているわけだ。
「ところでディド。貴方は結婚してトラネウスに残るのですか? ハモンが実権を握っているとしても、エリッサ神国は女王が治める国です。エリッサの巫女である貴方の不在を国民は認めるのですか?」
ディドはうーんと唸りながら首を傾けた。
「エリッサの国民がどう思うかは正直、私にはわかんないかな。でもハモンの爺さんは私にいつ帰れなんて話はしなかった。お母さんは幸せになりなさいって言って私を送り出してくれた。そういうわけだから、私がいなくてもどうとでもなるんでしょ。私としても嫁いだつもりでいるし、帰るつもりはないよ」
「そうですか……」
ティアナートは丸卓に置かれたカップを指で掴み、お茶を口にした。
ディドもまねするようにお茶を飲む。
ティアナートはカップの中で揺れるお茶の水面を眺めているようだった。
頭の中で色々と思考を走らせているのだろう。
少しの沈黙の後、ティアナートはふと口角を上げて微笑んだ。
「私としても事が収まるならそれが望ましい。前向きな話ができることを期待している……と伝えてくれて構いません」
「ほんとに? ありがとう、よかったぁ」
ディドは安堵したように、ふんわりと表情を明るくした。
「私、ティアナートとはずっと友達でいたいな」
「……そうですね。私もそう思います」
二人の友情はきっと末永く続く。
俺は何の根拠もなく、ただただそうあってほしいと願っていた。
国の重鎮である彼女たち二人の友情が続くということは、国同士のいざこざのない平和な関係が続くことと同義なのだから。