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63話『黒い髪の宰相』

 エルトゥラン王城の二階南側には玉座の間がある。

 トラネウス王国からの突然の来客をこの場で迎えることとなった。


 広間の奥にある壇上の玉座は金の彫刻と宝石で煌びやかに飾られている。

 玉座に座るティアナートは外交用の紫色のドレスを身にまとい、黄金のティアラを頭にのせていた。その両手は純白の手袋で覆われている。


 事前連絡のない急な訪問だったので、歓待の用意などできていない。

 ドナンは休みを取っているため本日は不在である。

 玉座の壇の前、右手側に宰相であるリシュリーが、左手側に俺が立った。

 俺は急いで着替えた紫の礼服でいる。


「よし、通せ」


 ティアナートが合図を出す。

 玉座の間の入り口に立つ衛兵が道を空けると、一人の男が姿を現した。

 黒い髪をした背の高い男である。

 身長はおそらく百八十五センチほど、年齢は三十代半ばだろうか。

 身にまとった白い衣装はトラネウス王国の役人服なのだが、妙に迫力を感じられるのは当人の持つ貫禄ゆえだろう。

 足音を立てず自然に歩いてくる様から特殊な訓練を積んだ人間と思えた。


 白黒の男は玉座のティアナートの前に立つと、踵を揃えて直立した。

 指を閉じピンと伸ばした左の手の平を右胸に当てる。

 これはトラネウス王国式の敬礼だ。

 エルトゥラン式とは左右が反転した形になる。

 男は微笑を浮かべた堂々とした態度で、その黒い瞳に王女陛下を映した。


「突然の来訪をお許しいただき、ありがとうございます。トラネウス王国宰相ライムンド=マザランでございます」


 殺気や覇気のような圧は感じられない。

 だがその穏やかさがクセ者だろう。

 ロタンと対峙した時と似た感覚を俺は覚えていた。


「エルトゥラン王国王女ティアナート=ニンアンナである」


 ティアナートは名乗りだけを返して、無言でライムンドを見下ろした。

 冷ややかな目である。

 それもそのはず、この対面は友好国との談笑を目的としたものではない。

 相手は矛を交えたばかりの敵国から来た使者だ。

 ティアナートはエルトゥラン王国の長として甘い態度をとれないのだ。


 緊迫した空間に一人であっても、ライムンドは微笑を崩さない。

 しばしの沈黙の後、ティアナートは口を開いた。


「私は貴国に出した使者にこう伝えるよう命じた。次のトラネウス国王に私の下まで来るようにとだ。なにゆえ貴様が私の前に姿を現した?」

「僭越ながら、今の陛下のお言葉は不確かでございましょう」


 言い返されて、ティアナートは片方の眉をわずかに上げた。

 ライムンドは落ち着いた様子で続ける。


「陛下からいただいた親書にはこうありました。アイネオス=ウォルトゥーナの跡を継ぐ者を参上させよと。亡き友の遺志を継ぐことができるのは今現在、私だけでしょう」

「では貴様が次のトラネウス国王の座につくとでも?」

「まさか。私は王の座に興味などございません」


 ライムンドは微笑の面を崩さない。


「次の王はシルビス殿下です。しかし殿下はお父上を亡くし傷心の身。とても人前に出られる状況ではない。その点はお察しいただきたい」

「そんな甘えた言い分が通るものか」


 ティアナートは冷淡に言い切った。


「国を背負う王ならば心を殺してでも来るべきだろう。それができない者に王の座につく資格などない。アイネオスの隣にいた貴様なら、よーくわかっているはずだと思うが?」


 ティアナートにはそれを言う権利がある。

 反乱で両親を亡くした後、彼女は自分を押し殺して統治者となった人なのだ。

 その反乱を裏から支援していたのはアイネオスだと思われている。


「陛下のお言葉はごもっともでございます」


 ライムンドは眉根を寄せて、重ねた両手をお腹に当てた。


「ですが私も宰相として、亡き王よりトラネウスを任されている身。民のためにも、いち早く陛下にお会いせねばと考えた次第なのです。どうかお許しを」


 下手に出ているようで、余裕の態度を崩していない。

 ティアナートはかつて彼のことを『いけ好かない男です』と評したが、その意味がなんとなくわかる。どうにも底が見えない人だ。

 ティアナートは苛立ちをため息に変え、表情を平静に戻した。


「つまらないおしゃべりはもういい。本題に入れ、ライムンド=マザラン。宰相の立場にある者としてトラネウス王国の総意を述べよ」


 するとライムンドは姿勢を直立に正し、はじめて目元を真剣なものにした。


「では端的に申し上げます。アイネオス=ウォルトゥーナの首をお返しくださいませ」

「いいだろう。それで?」

「私個人からお願いしたき儀はただ一つ、それだけです」

「……それだけ?」


 ティアナートはいぶかしむように聞き返した。

 それは彼女が和議の話こそ本題だと考えていたからだろう。

 戦争の長期化を望む為政者などいない。

 今は一連の戦いの終わりを合意し、その後の交渉をすべき局面なのだ。

 そう思うからこそ聞き返したのだが、なぜかライムンドは乗ってこない。


「友の亡骸を、友の愛した祖国に帰してやりたい。それが私にとって何より重要な事柄です。どうかお願いいたします」


 そう言うとライムンドはおもむろに床に膝をつき、手をついた。

 頭を下げたその姿勢はまさかの土下座である。

 ティアナートは困惑した様子で、右前に立つリシュリーの顔を見た。

 だが彼も釈然としない表情を主君に返すしかなかった。


「お願いいたします。友を祖国の土に還らせてやりたいのです」


 ライムンドは真剣に頼み込んでいるように見えた。

 ティアナートはそんな敵国の宰相をしばし見下ろした後、ため息をついた。


「……リシュリー」

「承知いたしました」


 王女陛下の意図を汲みとり、リシュリーは足早に玉座の間を出ていった。

 彼が黒塗りの木箱を抱えて戻って来るまで何分かかっただろうか。

 短くないその時間、ライムンドは土下座のまま動かなかった。


 リシュリーが黒塗りの木箱をライムンドの前に置く。

 それから我が国の宰相は玉座の壇の前、右手側に戻った。


「中身をあらためるがいい」


 玉座のティアナートが告げる。

 ライムンドは木箱の蓋を外し、両方の手をそっと箱の中に伸ばした。

 箱の中身はアイネオスの頭部を塩漬けにしたものである。

 亡き友の顔を眺めるライムンドの表情は不思議なものだった。

 口元は嘲笑っているようなのに、その目は潤んでいる。

 頬を一筋の涙が伝い、彼はぐっとまぶたを閉じた。


「……寛大なお心遣い感謝いたします」


 ライムンドは木箱の蓋を閉じた。

 ゆっくりと深呼吸をして気を静めようとする彼に、ティアナートは問う。


「用件はこれで終わりか?」

「私個人としての用は終わりました」


 ライムンドはそう言って、すっと立ち上がった。

 懐から取り出した一通の封書をティアナートの方へと差し出す。


「トラネウス王国宰相として、こちらを陛下にお読みいただきたく」

「ほう」


 ティアナートの目配せを受け、リシュリーが動いた。

 ライムンドから封書を受け取り、玉座のそばまで壇を上がる。

 そして王女陛下の目の前で封を開けた。

 ティアナートが純白の手袋をした右手で手紙を広げる。

 紙面に目を走らせるや、その顔色が変わった。


「貴様……!」


 ティアナートの凝視を、ライムンドは微笑で受け止めた。


「結婚式の招待状でございます。次のトラネウス国王シルビス殿下と、エリッサ神国のディド女王とのです」


 国の王が結婚するということは国が同盟関係を結ぶという意味である。

 エリッサ神国の国力はトラネウス王国に勝るとも劣らない。

 両国の戦力を合算すれば、エルトゥラン王国を大きく上回ることとなる。

 これでは交渉の前提がまるで変わってしまう。

 戦勝を嵩に懸かり、一方的に有利な条件で講和を結ぶことがこちら側の目的だったのだが、それも簡単にはいかなくなりそうだ。


「それで? 貴様は私に何を言わせたいのだ?」


 ティアナートは不快感を抑えきれずにか、片方の眉を上げた。

 対するライムンドの微笑はよくできた仮面のようである。


「言わせるなどと恐れ多いことです。私はただの使いですので。ですがあえて申し上げるならば、ご祝辞の用意をお願いいたします。一か月後の式でお待ちしております」


 ライムンドは深々とお辞儀をした。

 使者としての務めは終わったということだろう。

 ティアナートは疲労を押し殺すように息を吐いた。


「話はわかった。もういい、下がれ」

「本日はお目通りをお許しいただき、ありがとうございました。最後に一つだけよろしいでしょうか?」


 返事を待たず、ライムンドは俺の方に顔を向けてきた。

 その目はなにやら期待に輝いているように見えた。


「私は本日、エルトゥランの城下町で宿を取るつもりです。もしよろしければ私の部屋をお訪ねくださいませ。噂の救世主様とはぜひ一度、お話してみたいと思っておりました」


 あらためて頭を下げ、ライムンドは黒塗りの木箱を大事そうに抱え上げた。

 玉座に背を向けて去っていく。


「リシュリー、見送りは任せる」

「かしこまりました」


 ティアナートの指示を受けて、リシュリーは早足で後を追った。

 その背中が見えなくなり、広間には俺とティアナートの二人が残される。

 ティアナートは玉座の背もたれに体を預けて、軽く握った右手を額に当てた。

 目をつむって塞ぎ込むように考え込む。


 会談の内容はお世辞にも良いものとは言えなかった。

 和議は事実上の先送り。そのうえ次の会談は苦しい立場で臨むことになる。

 ようやく終幕と思っていたところにこれでは頭も痛くなる。


 玉座の間が静寂に包まれてしばらく。

 ふとティアナートが手招きしてきたので、俺は壇の近くに寄った。


「もっとそばに。上がってきて」


 言葉の通りに壇を上がり、俺は玉座のそばに寄る。

 なおも手招きしてくるので俺はやや身をかがめ、彼女の口元に耳を寄せた。


「シロガネ。貴方にしか頼めないことがある。できるかできないかで答えて」

「なんですか?」


 ティアナートは張り詰めた表情で、囁くように言ってくる。


「ライムンド=マザランを暗殺したい」

「あ――!? 本気ですか?」


 驚きながらも声を抑えて聞き返すと、ティアナートは小さく頷いた。


「正直なところ、トラネウス国内はもっと乱れると考えていました。想定以上にライムンドが政治中枢を掌握していたということでしょう。でなければ王位継承や婚姻を滞りなく進められるはずがない。我が国に二度と害をなせぬよう、トラネウスには崩れてもらわなければ困る。アイネオスを排除してなお足りないのなら残った片腕ももぎ取るしかない」


 俺はためらいの吐息を漏らした。

 暗殺というのは本来まともなやり方ではないだろう。

 でも……だ。

 戦争で多くの命が失われることに比べれば、まだマシなのかもしれない。

 そんなことを考えるのは、それはそれで倫理観が乱れているとは思うのだが。

 ひとまず俺は彼女の問いに答えることにした。


「ライムンドさんが宿に一人でいるのなら、たぶん暗殺はできます。でももし護衛が付いていたら失敗の確率はかなりあると思ってください」


 たとえば、そばにロタンが一人いるだけで任務達成は困難になる。

 当たり前だが失敗すればトラネウス王国との関係は確実に悪化する。

 その危険を承知の上でやるんですかと、俺は目でティアナートに問うた。

 彼女はしばしの沈黙の後、意思を固めたように目に力を込めた。


「決行しましょう。今日という日が好機なのは間違いない。今は失敗を恐れるよりも大きな成功に手を伸ばすべきです」


 トラネウス国内に帰られたら襲うことすら難しくなる。

 やるなら敵が懐にいる内に襲撃するのが正しい。

 あとは俺自身がそれを納得できるかどうかだ。

 だから問う。


「仮に暗殺が成功したとしても、国と国の関係は悪くなりますよね。ライムンドさんがいなくなるだけで本当に状況が改善するんでしょうか?」

「少なくとも、いま打てる最善手だと私は考えています」


 ティアナートの声に迷いの色はないようだった。


「アイネオス以前のトラネウス王国は王の権力が弱かった。政治は貴族の談合により行われ、ゆえに名家が幅を利かせていた。あの男は私にとって怨敵でしたが、優れた王であり改革者でもあった。そういう強い王が亡くなった後は揺り戻しがあるものです。それを抑えているのがライムンドなのですから、消せば土台から崩れる」


 アイネオスは絶対的な君主としてトラネウス王国を統治していた。

 国王として、あらゆる国事の意思決定をしていたのだ。

 そしてその支配体制を実働させていたのが宰相ライムンドなのである。

 両輪を欠けば統治機構が機能停止するだろうというわけだ。


「主権が定まらねば、欲を出した旧貴族による権力闘争が始まるかもしれない。そうなればトラネウス国内が分裂する可能性まである。私が望んでいるのはそういう展開なのです。もちろん、そこまで都合よく事が運ぶとは思いません。ようは一枚岩でなくなればいいのです。統制のとれていない国なら付け入る隙はいくらでもある。だからライムンドには消えてもらいたい」

「……わかりました」


 そこまで彼女の気持ちが固まっているのなら、俺もそれに乗ろう。

 俺にとって一番重要なことは、大切だと思える人たちを守ることだ。

 そのためなら望んで手を汚して苦しもう。

 俺は玉座のティアナートの正面に立ち、姿勢を正した。


「今夜、ライムンドさんの宿を訪ねてきます」

「頼りにしています」


 ティアナートは微笑を浮かべかけたかと思うと、表情を曇らせた。

 目をそらすように綺麗な顔をうつむかせる。


「ごめんなさい。貴方にはもう無理をさせたくなかったのに……」

「大丈夫ですよ」


 俺は努めて優しく言葉を返す。


「ティアナートさんの荷物は重たいから、いくらかは俺が背負います。一緒に生きていくっていうのは、たぶんそういうことでしょう?」

「……ありがとう」


 ティアナートが顔をほころばせる。

 そんな彼女を見て、俺は心にやる気が湧くのを感じた。

 結局はこの感覚を信じるのが正解なんだろう。

 心が納得していれば暗闇の荒野でも走っていける。

 それで転んで傷付いたとしても、傷跡を誇りに変えられるはずだ。


「それじゃあ、俺は用意をします」

「待ってシロガネ」


 背を向けようとしたところを呼び止められる。


「決して無理はしないように。やれとは言いましたが、現場の判断を優先してくれてかまわない。ライムンドを排除できても、代わりに貴方を失うようでは何の意味もない」


 彼女らしい心配の仕方だなと思い、俺は微笑んだ。

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