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62話『書庫を調べよう』

 エルトゥラン王城の三階。西側廊下の北の角部屋は書庫である。

 普段は太い錠で閉ざされたこの部屋の前に俺たちは来ていた。


 書庫に保存されているのは極めて貴重な歴史的資料である。

 窃盗、損壊はもっての外なのだ。

 年に二回の虫干しの時以外、書庫の扉はほぼ閉ざされている。

 立ち入るには国王のみが所有する鍵がなければならない。


「じゃあ頼むよ」


 俺は付き添いの侍女ベルメッタに書庫の鍵を渡した。

 この鍵はもちろん、ティアナートから預かったものである。


「では開けますね」


 ベルメッタは錠を外すと、分厚い木の扉を押し開いた。

 さっそく中に入らせてもらう。

 窓が一つもない室内はほこりっぽい。

 鼻がむずむずするにおいがした。


 封印された書庫の中はあっさりした作りだった。

 コンクリートの冷たい壁に囲まれて、たくさんの書棚が並んでいる。

 部屋の奥には石碑や石板が置かれていた。

 隅には大小いくつかの木箱が積んである。


 俺はひとまず部屋の中を観察することにした。

 棚にある本にもいくつかの種類があるようだ。

 紐で綴じられたものや、横長の紙面を折りたたんだもの、巻物もある。


「ベルメッタ。この箱は開けていいの?」

「少々お待ちください」


 ベルメッタは扉に内側からかんぬきをかけ、部屋の隅へとやって来た。

 白手袋をはめた手で木箱の蓋をそっと外す。

 中には木簡が束になって収められていた。


「うーん……」


 さて、どこから手をつけたものか。

 思案していると、ベルメッタが一冊の綴じ本を差し出してきた。

 装丁と紙の色から察するに、作られてからまだ日が浅い。


「以前、陛下の御命令で救世主様のことを調べたんです。救聖装光や救世召喚の儀。あれこれについてお兄様がまとめたものです。よろしければ参考になさってください」


 ベルメッタの言うお兄様とは宰相リシュリーのことである。

 彼が書いたものなら信用してよさそうだ。


「ありがとう。これも持ち出し禁止?」

「はい。この部屋にあるものは全てそうです」


 それならと俺はコンクリートの床に腰を下ろした。

 左腕が動かないので立ち読みが難しいのだ。

 あぐらをかき、ももの上に本を置いて、純白の手袋をした右手で頁をめくる。


 出典元とその原文、それに対する要約が書き記してある。

 さすがリシュリーだ。とても読みやすい。

 俺は目的である救世召喚の儀について書かれた部分を探した。


 曰く、救世召喚の儀とは位置交換の秘術である。

 術の対象者と触媒とを互いの場所から移し替える魔法なのだという。

 記された手順はこうだ。

 光の届かぬ、静謐にて清められた場に雪灰をもって魔法陣を描く。

 次に陣からはみ出さないよう中に触媒を供える。

 触媒の内容は人一人分の遺灰、それと同量の豊穣たる土。

 これに銀の剣にて穢れなき乙女の生き血を注ぎ、混ぜる。

 その後、血と同量の聖油を用い、触媒を火によって浄化する。

 この時、炎と煙が完全に消えるまで祈りを捧げ続けなければならない。

 儀式が成功すれば魔法陣の中から触媒が消失し、代わりに術の対象者が魔法陣の中に召喚されるのだという。


「なぁベルメッタ。ここに書いてあるやり方で俺は召喚されたわけ?」


 ベルメッタは俺の隣に来ると、スカートを押さえながら膝を曲げた。

 手元の冊子を覗き込んでくる。


「おおまかな流れとしてはそうです。ただし、魔法陣は儀式の間に残っていたものをそのまま使用しました。ゆきはい? というものが何を意味するのか分かりませんでしたので」

「もう一度この儀式をやろうとしたら、できる?」


 ベルメッタは難しそうに首を捻った。


「雪灰なるものを用意できません。他のものは揃えられますが……」

「そっか」


 俺は息を吐いて考え込む。

 この手の霊的儀式は正確に行う必要がある。

 まじないというのは手順や材料にまで意味が隠されているものなのだ。

 少し何かを変えるだけで術の効果が正反対に変わってしまうことだってある。

 勝手なアレンジは大惨事を招くだけだ。

 完全な再現ができない術は絶対に行ってはならない。

 俺が父さんから悪霊払いを習う上で口酸っぱく言われたことだ。


「難しいな……」


 可能であれば術の反転を試してみようと俺は考えていた。

 送ったものと呼んだものを再度入れ替えて元に戻すのである。

 だが正規の術が再試行できない状況であればそれも難しい。


「うーん……」


 ともあれ、まだ結論を出すには早い。

 俺はリシュリー執筆の綴じ本の続きを読むことにした。


 どうやらこの救世召喚の儀というの樹魔族から伝授されたものらしい。

 チコモストから東に進んだ先にはリブリナの大森林と呼ばれる森林地帯があるのだが、樹魔族はかつてその森を支配域としていた種族だ。

 伝説では樹魔族は魔法らしき力を行使できたと謳われている。


 樹魔族が隆盛を誇っていたのは三百年前。

 エルトゥランを支配していた頃の獣人族と覇権を争っていたそうだ。

 しかし歴史書によると、三百年前に人間族が獣人族に勝利した後、樹魔族の領土であるリブリナは空前絶後の森林火災に見舞われたらしい。

 これにより樹魔族は滅亡。

 以降、歴史上に樹魔族の名が挙がったことはない。


「この樹魔族って人たちと会う手段ってないのかな?」


 問いかけると、ベルメッタは眉尻を八の字に下げた。


「当てもありませんし難しいかと。本当に樹魔族なんて種族がいたのかと疑われているくらいなんです。わずかな生き残りが再生した大森林に隠れているとの噂はありますが……」


 ベルメッタの顔を見る限り、それも真偽不確かな話なのだろう。

 残存しているかもわからない術の知識を求めて、存在しているかもわからない生き物を探すことになるのか。

 夢と浪漫を愛する冒険家でもなければ二の足を踏む案件だ。

 俺は本を閉じると、立てた片膝に右腕を乗せて、下唇を親指で押さえた。


 問題になるのはわずかな可能性に費やされる時間と労力だ。

 ティアナートが許してくれるなら、期限を切って探してみたくはある。

 世界は広いのだ。未知を求めて旅をするのも楽しかろう。

 情勢が落ち着く見込みなら、それもありだと思うのだが。


「シロガネ様」


 ベルメッタは俺の正面に回って、床に膝をついた。

 何やらもの申したげに俺の目を見てくる。


「シロガネ様は故郷が恋しいですか?」

「ん?」


 彼女の顔が真剣なものだったので、俺は足を正座に直した。

 背筋を伸ばして答える。


「どっちかって言うと、故郷の家族が……かな」

「どこにもお行きにならないでください」


 ベルメッタの眼力が強くなる。


「シロガネ様からお言葉をいただいて、私は改めて考え直しました。それでもやっぱり私の幸せは、ティア様に幸せになっていただくことです。だから今、意見することをお許しください」


 俺は口を挟まず、彼女の話に耳を傾ける。


「シロガネ様がこの国に来られたのは奇跡だったと私は思っています。藁にも縋る思いで儀式を行った末の不可思議な奇跡です。こんな都合のいい奇跡が何度も起こるとは思えません。シロガネ様が故郷に帰られたら、二度とこの国には戻ってこられなくなる。そんな気がして……恐ろしいのです」


 ベルメッタの危惧には俺も思うところがあった。

 仮に術の反転が成功したとして、住み慣れた田舎寺に帰れたとしよう。

 結果、俺とこの国とを繋ぐ霊的な縁が切れてしまうのではなかろうか。

 その後またティアナートたちが救世召喚の儀を行ったとして、俺はエルトゥランに戻ることができるのだろうか。そんな保証はどこにもない。


 ベルメッタが不安を口にするくらいだ。

 当然、ティアナートも同じ考えに至っているはずだ。

 そのうえで俺がどうするかを見守っているのか。

 あるいは今のベルメッタの言葉は、主人が秘めた思いの代弁なのだろうか。


「わかったよ。確証が得られるまで勝手なまねはしない。何かするにしてもちゃんと相談してからにする。それでいいだろ?」


 ベルメッタは安堵したように頬を緩めた。


「ありがとうございます」

「俺だって、みんなと二度と会えないってなったら嫌に決まってる。別に焦ってすぐ何かしたいわけじゃないんだ。帰るのが不安なら、手紙だけびょーんって飛んでってくれる方法を探すよ」


 俺がそう言うと、ベルメッタは小さく笑いをこぼした。


「びょーん?」

「びょーん」


 二人して微笑み合うと、ふと書庫の扉を叩く音がする。

 誰か来たのだろうか。

 ベルメッタは立ち上がって、扉のそばにそっと立った。

 外と誰何の言葉を交わすと、かんぬきを抜いて扉を開ける。

 急ぎ足で書庫に入ってきたのはティアナートだった。


「シロガネ。調べ物はいったん切り上げて、すぐに支度をして」


 ずいぶんと慌てた様子である。


「どうかしたんですか?」

「ライムンド=マザランが訪ねてきたのです」

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