61話『年頃男子の人生相談』
片付けを終えて皆と別れた後、俺はオグに部屋へと招かれた。
オグの部屋は館の二階。階段を上がってすぐの部屋である。
木製の扉を押し開いて中へ。
部屋の広さは、城の俺の部屋と同じくらいか。
とはいえ板張りの床と壁なので雰囲気がずいぶんと違う。
コンクリートとは違う温かさを感じられた。
窓辺の机が夕日で赤く照らされている。
机の上には何冊かの本が積まれていた。
部屋に本棚は見当たらない。おそらく館の書斎から持ってきたのだろう。
入って左手側の壁には長短二本の槍が水平にかけられていた。
木壁の抉れやひっかき傷は部屋の中で素振りでもしたのだろう。
右手側の壁際に置かれた寝台は亜麻色のシーツがかかっていた。
オグは机の椅子を寝台のそばに動かし、当人は寝台に腰を下ろした。
さっそく靴の紐をほどきだす。
「お前も楽にしてな。で、相談ってのは?」
オグは寝台の上で片膝を立てた。
俺もお言葉に甘えさせてもらって、靴を脱いで椅子の上であぐらをかく。
「一人で考えても正解がわからなくてさ。同世代の友達の意見がほしいと思って」
「ふむ。それで?」
「オグってさ、女の子と付き合ったことある?」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような、とはこういう表情を言うのだろう。
口を開けたまま止まること数秒、オグは視線を外し、また戻してきた。
「ごめん、もっかい言ってくれる?」
「オグって彼女とかいるの?」
「ん……?」
たいそう訝しげに、オグは眉間にしわを寄せた。
そんなに理解し辛い言葉を使っているだろうかと俺が首を傾げると、ふとオグは何かに気付いたように顔を明るくした。
にへへと頬を緩めて、怪しい商人みたいに手揉みしてくる。
「まじで? お前からそういう話、振られるとは思わなかったなー。これ恋話ってやつだろ? なんか嬉しいな」
オグは足を寝台から降ろして、ももに肘をついて前のめりになった。
よくわからないが乗り気になってくれたらしい。
「で、彼女? いないいない。いたこともない」
「そうなんだ。オグってかっこいいから、いるのかなーって思ってた」
「なんだよ、めっちゃ褒めてくるな」
まんざらでもないのか、照れてオグはこめかみをかく。
かわいい奴である。
「レティなんかはモテるらしいんだけどな。暇な日は散歩がてら、ピンときた女の子に声かけるんだと。俺にはそういうのはできないからなぁ」
「へぇー」
あの人も見た目は好青年なのに、わりと自由人だなと思う。
俺もそういうのはしたことがない。
そもそも俺の人生で、知り合い以上の関係の女性は幼馴染一人だけだった。
「オグって彼女ほしいとか思う?」
「んー……」
オグは腕を組むと、まじめな顔をして、うーんと唸った。
「まぁそりゃあ俺だって男だし、多少はさ? でも正直、今はそんな余裕なんかないかなぁ。軍に入って一年ちょっと。とっとと七光りを返上しないと」
俺の目から見て、オグは一生懸命に十人隊長をやっていると思う。
だが一生懸命やっていますだけでは足りないのだろう。
彼は多くの将軍を輩出してきた名家ダングリヌス家の跡取りなのだ。
周囲からは期待と羨望、そして嫉妬とやっかみの目で見られている。
並以上にやって見せないと納得してもらえない。
そのことを理解しているがゆえの言葉だろう。
そんな友に俺は微笑む。
「オグのそういうところ、かっこいいと思うよ」
「今日はやたら褒めてくるな? ありがとな」
オグは微笑みながら、寝台に置いた後ろ手に体重を預けた。
「お前の話も聞かせろよ。こういうことを聞くってことは何かあったんだろ?」
「うん、結婚しようって言われた」
「ほう」
オグは適当に頷いたかと思うと、体を支える腕をずるっと滑らせた。
「俺、いま聞き間違えた?」
「いや、たぶんあってる」
「そっかー。って、おいー!」
バンと寝台を叩いて、オグは目をくわっと開いた。
「なんでいきなり結婚なんだよ!? 最初はどうやって話しかけようとか、手を繋ごうとかだろうが! 過程をすっ飛ばすな! お前もう、ちゅーとかしたの?」
「してるわけないでしょ」
オグの健やかな発想に俺は安心した。
そうだよな。やっぱりそれが普通だよな。
結婚というのは、どぎまぎするような恋愛の先にあるもののはずだ。
「だからオグに聞きたかったんだよ。家柄が特別な人って、結婚に対する価値観が違うのかなって」
すると、オグは勢いをなくしたように声の調子を落とした。
「まぁ……確かに普通とは違うのかもな。当事者の気持ちよりも家の格とか実益を優先するとこあるし。親父も母さんと結婚するときは大反対されたらしいしな」
「そうなんだ?」
「母さんの家はダングリヌス家の分家筋の遠縁のところでさ。俗に言う、家柄が違うってやつだったんだよ。でも母さんに一目惚れした親父が徹底抗戦したらしくてさ。認めてくれないなら家を捨てるとか言いだして」
今は落ち着いた紳士だが、ドナンも昔はむちゃをやっていたらしい。
俺は微笑ましい気持ちになった。
「その後はどうなったの」
「駆け落ちする気で迎えに行ったら、逆に母さんにぶん殴られたんだと。そんな無責任な男に付いていくわけないだろって。それで嫌がる親父を引っ張って本家に謝りに行ったら、逆に肝の据わった女だって気に入られて、なんだかんだでめでたしめでたしってわけよ」
「へぇー」
その冒険も今ではきっと夫婦のいい思い出なのだろう。
うらやましい話である。
「で、話を戻すけど。そもそも、お前に結婚を迫ってる相手って誰よ?」
「え、それは……」
俺は瞬時に思考を巡らせた。
相手が相手だけに名前を出すのは良くない気がする。
オグは信頼できる友人だが、どんな人間にもうっかりはある。
俺は申し訳なさそうに片手でごめんの動作をした。
「ごめん。ちょっとそれは伏せさせて」
「……ふむ」
オグは何か思案するように視線を斜め上にそらした。
微妙な沈黙が室内に流れる。
気を悪くしてしまっただろうか。
次の言葉を探していると、ふと扉を叩く音がした。
「開いてるー」
オグが答えると、扉を押し開いて母タルタが顔を見せた。
左手にはカップとポットをのせた丸盆を持っている。
「お茶いれたから置いとくねー」
「ありがと」
丸盆ごとお茶のセットを机に置く。
俺もお礼を言って会釈すると、タルタはにこりと笑んだ。
「シロガネ君、今日はうちに泊まっていく? お布団、用意しておくけど」
「お気遣いありがとうございます。でも夜には帰りますので」
「そう? 部屋は空いてるから、またいつでも遊びに来てね。それじゃあ、ごゆっくりー」
手をひらひらさせて、タルタは部屋を出ていった。
オグは裸足のまま立ち上がり、机の上のカップにお茶を注いだ。
立ち昇る湯気と共にお茶のいい香りが部屋に広がる。
オグはカップの一つを俺に渡し、自分はまた寝台に腰かけた。
二人して熱々のお茶をすする。
胃が温かくなると自然と気持ちが落ち着いた気がした。
「なぁシロガネ」
オグはできる男の笑みを浮かべた。
「こう見えても俺、けっこう口が固いんだ。今日の話は誰にも漏らさない。家族にも秘密だ。それが正解だろ?」
そう言って、一本立てた人差し指を口に当てる。
おそらくオグには察しがついているのだろう。
だから俺が気を揉まずに済むよう先に言ってくれたのだ。
さらっとそういうことを言えるあたり、オグは男前だなと思う。
「ありがとう。俺が女の子だったら惚れてるよ」
「女の子になってから言ってくれ」
はははと笑い合う。
「悩みはそれで全部か? 喋ってすっきりしとけよ?」
「……もう一つ。重たい話になるんだけど……」
俺は深く息を吐いた。
胸の奥でちくちくする棘をそっと抜いて言葉にする。
「……人を殺した人間に、幸せになる権利ってあると思う?」
オグは顔を強張らせた。
夕日に照らされた部屋にまた違う静寂が流れる。
窓から差し込む夕日の朱が眩しくて、俺は目を細めた。
「俺、この間の戦いで何十人も人を殺したよ。その人たちにも家族とか友人がいて、それぞれの幸せがあったはずなんだ。人の命を奪うってことは、その幸せを奪うってことだろ」
オグは黙ってじっと俺の口元を見ていた。
「もちろん戦う理由はあったよ。絶対に負けるわけにはいかなかった。負けたら大事なものが全部奪われる。大切な人が辛い思いをする。だから戦った。必要だと思ってやったんだ。それでも何て言うか、心の奥がつっかえてすっきりしないんだ。だって人が死ぬのって悲しいことだろ。それを自分の手で……それが堪えてるのかもしれない……」
溜まっていた弱音を吐いて、俺はうなだれる。
目の前の問題に追い詰められている間は考える余裕がなかった。
でもいま平穏な時間が帰ってきて、ふと気付くのだ。
光の差す場所を歩き始めた自分の足に殺人者の足枷がついていることに。
その重たさが心を沈ませるのである。
「俺の意見を言ってもいいか?」
友の声に俺は顔を上げる。
オグはカップをお茶を一口飲み、杯を両手で挟んだ。
「お前の言ってることはわかるよ。俺だって人を殺すのが楽しいわけじゃない。しなくて済むならしたくないのは一緒だよ。ただな……」
オグは大きく息を吐く。
それから真剣な目で俺を見てきた。
「ちょっときついこと言うけどさ、嫌なら武器を置けよ。その辛さを背負う覚悟がないのなら、潰れる前にやめた方がいい」
俺はぐっと喉の奥が詰まる。
それでも苛立ちの感情が湧かなかったのは、オグの目が優しかったからだ。
「一年前に反乱があった時さ、俺の家も襲撃されたんだよ。親父は仕事で町を離れてたから、俺が家族を守らなきゃいけなかった。でもなんにもできなかった。もしうちに来たのが柄の悪い奴らだったら、みんな死んでたよ。ほんと悔しくて、自分が情けなくってさ。だから事が終わった後、親父に無理言って、すぐ軍に入れてもらったんだ。いざって時、家族を守れる強い男にならなきゃいけないから」
そう語るオグは杯を持つ手を固くしていた。
男の顔をしている。
「俺は家族のことが大好きだ。母さんもルウも親父も。家族のためなら自分の手を汚したってかまわない。大事なものを守るためには、心でも体でも痛みを背負う覚悟が必要なんだよ。俺はそう思って納得してる。って、人に説教できるほど立派じゃないけど」
オグは苦笑いする。
友の本気の言葉が聞けて、俺は答えの端っこに手が届いた気がした。
俺が失くしてしまったもの、取り戻したいと願っていたもの。
自分の全てをかけてでも守りたいと願う気持ちを愛情だとするのなら、つまるところ俺はずっと愛ってやつを求めていたんだろう。
言葉にしてしまうと陳腐だけど、感覚としては一番しっくりくる。
心のもやが晴れた気がした。
「大好き。大好きか……うん、大好きっていい言葉だよな」
俺が呟くように言うと、オグは顔を赤らめて頭をかいた。
「復唱すんなよ。恥ずかしいだろ」
「照れなくてもいいじゃん」
俺は笑顔で言い返す。
きっと俺は大好きだった。
だから幼馴染を守れなかったことが辛くて辛くて仕方がなかった。
でもそんな自分を心の押し入れにしまう日が来たんだろう。
過去への後悔ではなく、これからは好きな人のために命をかけていくんだ。
そう思えれば、辛さも苦しさも抱えて歩いていけるはずだ。
「ありがとうオグ。すっごく参考になった」
「そうか? だったらいいけど」
オグはカップの残りを呷って、ポットのある机の前に立った。
俺も手元のお茶を飲み干し、一緒に注いでもらう。
「まぁでもお前の仕事、本当に大変そうだもんな。まじで頭が下がるよ。俺なんか九人まとめるだけでもいっぱいいっぱいだってのに」
湯気を立てるカップを受け取って、俺は微笑みを返す。
「大変は大変だけど、わりと好き勝手やらせてもらえてるから。隊長やってるオグの方が心労かかってるんじゃない?」
「どうかなぁ。俺もけっこう楽させてもらってるからなー」
オグは机の縁にもたれかかって、お茶をすする。
「サムニーのおっさんとムルミロさんって、どっちも昔は百人隊長でさ。二人とも教え方がうまいんだよ。上から押し付けるんじゃなくてさ。とりあえず俺にやらせてくれて、ちゃんと失敗させてくれる。助け方もさりげないし。最高の手本が目の前にいるってのはズルだろ」
そう言って嬉しそうに笑う。
俺も笑顔で同意を返した。
「お互い、周りに恵まれてる」
「だな。感謝しなきゃ罰が当たるぜ」
オグは寝台に戻って、その上であぐらをかいた。
「たまにはこうやってサシで話すのもいいな。またなんかあったら、こんな風にお茶でも飲もうか。愚痴とかならいくらでも聞くからさ」
「あぁ、そうしよう」
それから夜空に三日月が浮かぶまで、俺たちは年頃男子らしく語り合った。
仕事でやっちゃった話や、面白アクシデントの話。
おすすめの筋トレの話や、槍を使った具体的な戦闘動作の話。
好みの女の子の話や、ちょっとどきどきするような話。
どれもたわいない話題だったけど、とても楽しいものだった。