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59話『ご褒美なあに』

 トラネウス王国国王アイネオス=ウォルトゥーナ戦死。

 これによりトラネウス軍は即日、エルトゥランからの撤退を開始した。


 この動きに対し、ティアナートは軍に静観を命じる。

 これ以上の戦争継続は困難であると判断したためだ。

 なにせ予備役まで引っ張り出したくらいである。

 チコモストからの撤退も完了していないのだ。

 それにこれ以上、戦いを続ければ今度はこちらが侵略側になる。

 当然だが激しい抵抗が予想され、それに勝ち切る体力は残っていない。

 ゆえに大勝したこのタイミングこそが引き際だと考えたのだ。


 とはいえティアナートは泣き寝入りするような統治者ではない。

 戦勝報告を受けてすぐトラネウス王国に使者を送り出した。

 建前は講和の使者だが、一つだけ絶対条件を申し付けてある。

 和平交渉の前提として、アイネオスの跡を継ぐ者――つまり次のトラネウス国王にエルトゥラン王城まで参上するよう要求したのだ。


 どういう意味かと言うと、恫喝である。

 和平交渉をしたいなら国王自ら出向いてきて首を垂れろ。

 そうすれば話は聞いてやる……と言っているのだ。

 これは単なる鬱憤晴らしではない。

 こうすることで格付けを国内外に知らしめる。

 今後の外交を踏まえての一手なのだ。


 エルトゥラン王城三階の南側廊下に面する大部屋は王女陛下の執務室である。

 三時のお茶休憩の時間に呼び出されて、俺は執務室に来ていた。

 円卓に座すのは俺とティアナートの二人だ。

 ベルメッタは扉の外で待機している。


 会議用の円卓の上にはお茶の入ったポットがある。

 白い皿に盛られた一口サイズの焼き菓子がお茶請けだ。

 対トラネウスの戦略を聞いている間に、カップの湯気は息を潜めた。


「凱旋式はチコモストから全ての兵が戻り次第、行います。それまでは貴方に暇を与えます。のんびりと羽を伸ばしなさい」


 ティアナートは純白の手袋で包んだ右手でカップの取っ手をつまんだ。

 お茶を口に運んで、ほっと一息つく。

 微笑むその顔には肩の荷が下りた余裕が感じられた。


「明日、昼から出かけてもいいですか? ドナンさんの家に招待されているんです」


 ティアナートはうんと頷いた。


「今回の戦いではドナンにも苦労をかけた。ベルメッタに手土産を用意させましょう。持って行きなさい」

「ありがとうございます」


 俺も微笑んで、同じ白手袋をした右の指でお菓子をつまむ。

 甘味を堪能している間、ティアナートはじーっと俺の顔を見てきた。

 食べかすでもついているのかと、俺は口の周りを指でなでる。


「何かついてます?」

「いいえ。貴方の顔を見ているだけ」


 そう言って、ふふふと笑うのである。

 俺はつい照れくさくなって目をそらしてしまう。

 急に喉が渇いた気がして、ぐいっとお茶を流し込んだ。


「ありがとう、シロガネ」


 視線を戻すと、ティアナートは安らかにため息をついた。

 まるで憑き物が落ちたみたいに、心の底から穏やかな目をしていた。


「貴方がアイネオスを討ってくれたことで、私の戦いは終わった。まだ後始末は残っているけど、これまでの困難に比べればきっとたやすい。これから先は……凪のように静かに暮らしていきたい」


 家族を失ってからずっと彼女の人生は激動だった。

 大きな区切りを迎えて気が抜けたのだろう。


 開いた窓の外から鳥の囀りが訪ねてくる。

 快晴の空は青く透き通っていた。

 涼やかな秋の風が肌をなでる。

 上に羽織る暖かいものを用意したい季節になっていた。


「ところでシロガネ。私に言うことがあるでしょう?」


 ティアナートは桃色の袖に覆われた右腕を自身の豊満な胸に押し付けた。


「貴方は私にどんな褒美を望むの? 聞かせて?」


 彼女の目は何かを期待するように輝いていた。

 反対に俺はためらいで喉が詰まる。

 とはいえ、ごまかして済ますわけにはいかない。

 つまらない隠し事はしないのが俺と彼女の今の関係なんだから。


「その前に一つだけ質問させてください。こういう聞き方は……試すみたいで良くないとは思うんですけど……」

「なぁに?」


 俺はお茶を飲んで、喉を鳴らした。

 そうして深呼吸する俺を、ティアナートはわくわくした目で見守っている。

 カップを卓に戻して、俺は切り出した。


「もし俺が……戦えなくなったとしても、そばにいてほしいですか?」

「え……」


 ティアナートの丸くした目が瞬時に険しくなる。

 俺が着る作務衣の襟首を勢いよく掴むや、むりやり引っ張った。

 露わになった俺の左肩は肌の色を燃え尽きた灰の色に変えていた。


「服を脱いで! 早く!」


 言われる通りに、俺は服の前をはだけ上半身を晒した。 

 左の腕は指の先から肩まで灰色に染まってしまっている。

 以前はあった肩の感覚ももう残っていない。

 ティアナートはドレスの首元を右手で握り、絶句した。


「この調子で症状が進んだら、どうなるのかなって思うんです。灰色になった部分は感覚がなくなって動かせなくなる。このまま左胸の方まで広がったら……」


 もしかすると片方の肺は機能しなくなり、心臓も止まるかもしれない。

 心臓が止まった人間がどうなるかは言うまでもない。


「肩でいったん止まってくれて、次は足とかならいいんですけど……」


 俺は空笑いする。

 まだ俺自身、現状をしっかり認識できていないところがあった。

 このまま救聖装光を使って戦い続ければ灰塵となって死ぬ。

 理屈ではわかっていても想像力が追い付いていない。

 腕を斬られた時のような強烈に死が迫る感覚がないからだろう。


「……シロガネ」


 ティアナートは俺の顔に右手を伸ばしてきた。

 どうするのかと思うと、むんずと左の頬をつまんでくる。

 困惑する俺を前に、彼女は半分微笑んでいるような半分怒っているような表情をした。


「隠さず言い出したことは褒めてあげましょう。ですが私を侮ったことは悔い改めなさい」


 頬をつまむ指の力がぎゅぅっと強くなる。


「私は貴方を伴侶にすると言ったのです。それは軽い言葉ではない。その程度の理由で私が貴方を手放すわけがないでしょう……!」

「はい……あの、その、痛いです……」


 涙目になる俺をそのままに、ティアナートは顔を近付けてきた。

 鼻先が触れそうな距離で眼力を発揮してくる。


「私は寂しいのが嫌いなの。だから私より先に死ぬのは許さない。そうね……私が死んだ次の日に死になさい」

「えぇ……?」

「言っておきますが、私は長生きをするつもりですから。私を泣かせるようなまねは許しません。わかりましたか?」

「は、はい……」

「よろしい」


 ようやく、ほっぺたを離してくれた。

 ティアナートは椅子に座り直し、お茶を口にする。

 もういいだろうと、俺は作務衣の袖に手を通して身なりを整えた。


「獣人族の王アカマピも、トラネウスの王アイネオスもいなくなった。どちらの国も当面は内部のごたつきをまとめるのに手一杯でしょう。貴方に無理を強いる必要はないはずです」


 チコモストでは近い内に部族間の内戦が始まる。

 コヨルゥはそう言っていた。

 トラネウス王国も辣腕の国王の急死で国内が混乱するだろう。

 しかも長男であるアスカニオはチコモストに残ったままだ。

 優男と揶揄される次男シルビスを王に立てるかで揉めてもおかしくない。

 どの国も大きな戦いを起こせる状況ではないと思われた。


「シロガネ。戦うだけが貴方の能ではない。そばで私を支える。それが一番大切な、他に代わりのいない務めです」

「……わかりました」


 俺は納得して頷いた。

 彼女がそう言ってくれるなら、それに応えよう。

 もう自分を傷つけることにのめり込まなくてもいいんだ。

 やれることを精一杯やっていけばいい。

 あと何度戦えるかはわからないけど、まだ何度かは戦えるはずだ。

 救世主の力に頼るのは本当に必要な時だけでいい。

 俺だって望んで死にたいわけじゃないんだ。


「それで結局、私は貴方にどんなご褒美をあげればいいの?」

「城の書庫を調べさせてください」


 俺の返答が予想外だったのか、ティアナートは目を点にした。


「理由を聞いても?」

「俺の故郷とエルトゥランとを行き来する手段を探したいんです」


 ティアナートは眉をひそめる。

 咄嗟に何か言おうとして、言葉を飲み込んだように見えた。

 それから抑えた声音で聞いてくる。


「……何のために?」

「俺の家族は父さんと爺ちゃんの二人だけです。二人ともきっと、俺が突然いなくなって心配してくれていると思います。だから一言でいいから、元気でやってるよって伝えたい」


 ティアナートは黙って目を伏せた。

 彼女が行った救世召喚の儀なるもので俺はエルトゥランにやって来た。

 摩訶不思議な方法だが、されたことは要するに拉致である。

 そのことで後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。

 そう思われているのは不本意なので、俺は笑顔を浮かべてみせた。


「俺はこの国に来られて良かったと思っています」


 苦しい思いはたくさんした。

 それでも俺は現状にむしろ感謝すらしていた。

 後悔と自罰に溺れていた自分に変わるきっかけをくれたのは彼女なのだ。


「だから今、あらためてけじめをつけたいんです。これから先もこの国で、貴方の隣で生きていくために」

「そう……」


 ティアナートは穏やかに微笑み、椅子から腰を上げた。

 仕事机の引き出しから鍵を取り出す。

 その鍵で別の鍵付き引き出しを開けて、一本の鍵を持って戻ってくる。


「貴方に預けます。ただし書庫の資料は歴史的に大変貴重なものです。破損、紛失は絶対に許されない。書庫に入る際は必ずベルメッタを連れていくこと。いいですね?」

「わかりました」


 俺は受け取った鍵をしっかりと懐にしまう。

 ティアナートは円卓の席に座り直した。


「私もそれらしい資料には目を通しましたが、最低限の情報しかなかった。もし何か発見があれば教えなさい。私も興味がある」


 俺がはいと返事すると、彼女はよろしいと頷いた。

 白手袋の指先が焼き菓子に伸びて、開いた唇へと運ばれる。

 俺もお菓子をお茶を楽しませてもらう。

 一服した後、ティアナートは不思議そうに小首を傾げた。


「それで? 本当にそれだけでいいの?」

「何がですか?」

「ご褒美。多少の高望みなら口にする権利が貴方にはあるのよ。さすがに領地や軍事力を与えるわけにはいかないけれど……」


 俺はしばし考えて、うーんと首をひねった。

 お城の暮らしはお金が必要ないくらい福利厚生が足りている。

 自分専用の部屋があって、衣服も頼めば用意してもらえる。

 食堂に行けばご飯が食べられて、面倒な後片付けをしなくてもいいのだ。


 お給金も十分にもらえている。

 もらったお金の一部は自分用として部屋に置いているが、残りは屋敷に運んでもらうよう頼んでいて、管理をシトリに任せていた。

 シトリとギルタのお給料はそこから出ているわけだが、それでもだいぶ余裕がある。屋敷の維持費や人付き合いの費用を考えても黒字だろう。


「生活には困らないくらい、いただいていますから。俺の実家はそんなに裕福でもなかったですし。今の暮らしに不満はないと言いますか……」


 ティアナートは右手で口元を隠して、ふふふと笑った。


「無欲な人。でも貴方のそんなところも好き。私の父も質素倹約を旨とする人だった。貴方のその姿勢はきっと民からも好まれると思う」

「そうですか? 俺、自分でもわりとわがままだなって思ってるんですけど」


 そう言うと、ティアナートはやれやれと苦笑いした。


「そんなことは知っています。財と権力に執着がないことを褒めただけです」

「あー……それはまぁ、そうかもですね」


 平穏に楽しい時間が過ぎる。

 これが最後かと怯えずに堪能できるお茶はとてもおいしかった。

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