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06話『右手で握手を左手に剣を』

 晩餐会が始まった。

 色とりどりの装花が会場の大部屋を彩っている。

 燭台の太いろうそくの火が室内を明るく染めていた。

 白い掛け布がかかった縦長の食卓を挟んで、両国の面々が席についていた。

 ずらりと大人数で向かい合う。


 まずは席順に注目したい。

 出席者の序列がわかるからだ。


 まず部屋の窓側であり、卓の左手側。

 上座の席に着いたのは主催者であるティアナートだ。

 その隣はなぜか俺だった。

 俺の隣には紫の礼装を着た青年が座っていた。

 会が始まる前、廊下でドナンがリシュリーと呼んだ栗色の髪の彼である。

 リシュリーの隣には、斜め上に尖った口髭が特徴の軍人らしき中年紳士が席についており、その先は我が国の要職のおじさま方が並んでいる。

 ドナンの姿がないのは警備の責任者だからだ。

 彼が座るならおそらくリシュリーの隣だっただろうと思う。


 卓の右手側にはトラネウス王国の皆様が座っている。

 上座の男が国王のアイネオス=ウォルトゥーナだ。

 ぎらぎらとした目が印象的な中年の男である。

 なで上げた髪を整髪料で固めており、口髭は綺麗に整えられている。

 衣装は白を基調に金の差し色を入れた格調高いものだ。


 隣に座る青年は王の長男アスカニオ=ウォルトゥーナだ。

 年齢は二十代半ばといったあたりか。

 髪は短く刈り揃えられており、髭はきれいに剃ってあった。

 がっしりとした体格と白い軍服がいかにもな雰囲気を出している。

 一目でわかるほど硬い表情をしていた。


 その隣にいるのが次男のシルビス=ララン。

 トラネウス王国の列席者の中でも彼はひときわ異質だった。

 体は線が細く、髪も女性のように長い。

 顔立ちは中性的で、百合の花を人の形にしたような美男子だった。

 衣装の至る所に宝石を散りばめた派手な格好をしている。


 その他の面々は年齢こそまばらだが、どれも厳つい顔立ちの男たちだった。

 彼らは全て軍人なのだ。

 この晩餐会は、隣国の危機に援軍として駆けつけてくれたトラネウス軍のための慰労会なのだから、面子が偏るのも当然である。


「本日はご臨席いただき、誠にありがとうございます。こうして場を設けることができたのも皆様のご尽力あってのこと。国を代表して私から御礼申し上げます」


 豊満な胸元を右手で抑えて、ティアナートは一礼した。

 まずは定型通りの開幕の挨拶である。

 それを受けてアイネオスが返礼する。


「何のお役にも立てず恐縮でございます。早馬のごとく駆けて参りましたが、まさか間に合わぬとは思いませんでした。寡兵にもかかわらず、あの野蛮な獣人族を返り討ちになされるとは。エルトゥランの兵士はまこと強者揃いでございますな」


 アイネオスは仰々しい手振りで感嘆してみせた。

 隣国の王である彼をしっかり見ておくことが今日の俺の仕事である。


「良く戦ってくれたと、私も誇らしく思っております」

「でしょうなぁ。ではその誇り高き勝利に、まずは乾杯いたしましょう」


 アイネオスがグラスを手に取った。

 応じたティアナートに合わせて、皆が一斉にグラスを掲げた。

 グラスには紫色の果実酒が注がれている。


「乾杯」


 グラスを口元に運んで気付いたが、これはお酒だ。

 どうしようかと思ったが、取りあえず口をつけるふりだけしておいた。

 ここは俺が暮らしていた日本ではないのだから、未成年の飲酒が罪に問われたりはしないのだろうが、いちおう控えておく。

 ティアナートの付き添いとしてそばにいたベルメッタをこっそり呼んで、代わりにお茶を持ってきてもらうことにした。


 給仕が料理を運んでくる。

 まずは前菜からだ。

 生野菜にフレッシュなチーズを重ねて、オイルソースをかけたものだ。

 ソースは植物油に酢や柑橘系の果汁、それに蜜と塩を加え、砕いた粒状の香辛料や細かく刻んだ香草を混ぜ合わせたもののようだ。

 もう一つの皿は煮凝りか。

 中身の刻んだ具材は根菜と魚肉だろうか。


 見た目は良い。問題はこの国の人と俺の味覚が合うかどうかだ。

 俺は密かに怯えながらも、突き匙で煮凝りを口に運んだ。

 噛みしめるとだしの風味がじわりと口内に広がった。

 すぐさま魚肉の旨味と根菜の歯ごたえが追いかけてくる。

 これはおいしい。俺は自然と頬が緩んだ。

 びっくり料理が出てきたらどうしようと思っていたが、完全に杞憂だった。

 これなら今後の食生活も安心できそうだ。


「ところでティアナート王女。私は不思議に思っていることがございまして」


 皆が料理を楽しんでいる中、ふとアイネオスが切り出した。


「エルトゥランの兵士は歴戦の勇者だ。ですが、それでもやはりおかしいと思うのですよ」

「何がでしょうか」

「我々が到着するまでに、単独でエルトゥランが勝利を手にしたことです」


 がたりと音を立てたのはこちら側の出席者だ。

 身なりと体格の良さから見て、軍の将校だろう。


「侮辱したつもりはない。早とちりなさるな」


 アイネオスは落ち着いて制した。

 エルトゥラン軍人は非礼を詫びて、椅子に座り直した。


「腹立たしいことだが獣人族は本当に強い。ゆえに地の利を生かし、籠城によって持ちこたえたなら理解できる。だが僅かな戦力で打ち破ったというのはどうにも不可解だ」


 他国の人から見てもそうなのか。

 獣人の身体能力は人間のそれを凌駕していた。

 実際に戦った身としては、あれは戦慄以外のなにものでもない。


「私の読みではこうだった。エルトゥラン王城を取り囲む獣人軍に対し、我らトラネウス軍が南から。サビオラ砦からエルトゥラン軍の一部をとんぼ返りさせて北から。両軍で同時にぶつかり、挟み撃ちでもって奴らを殲滅する」


 アイネオスは片手に持ったグラスを揺らした。

 グラスの中で紫色の果実酒が波打つ。


「他に勝利の筋道があるとは思っておりませんでした。王女はいったいどんな魔法を使われたのです?」

「アイネオス王は前提を間違われております」


 ティアナートは純白の手袋をした手で口元を隠して、小さく笑った。

 アイネオスが訝しげに眉根を寄せる。


「我々が獣人族の軍に打ち勝てたのは望外の救いがあったからです」

「救い? しかしどちらの軍も間に合わなかったはずでは?」

「王はエルトゥラン建国の伝説をご存知ですか?」


 アイネオスは片方の眉をぴくりと動かした。

 静聴していた隣の長男アスカニオが興味ありと目を大きくする。

 次男のシルビスも料理を楽しむ手を止めた。


「異空より来たりし者。光の鎧を身にまとい、千の兵にも勝りけり。その者、不死鳥の如くあり、立ちふさがる者全て灰燼に帰す。百の勝利を天に積み、万魔の豊地を平定す」


 ティアナートは凛と響く声で吟じた。

 その間、アイネオスはグラスを持つ手を固めたまま聞いていた。

 彼女が口を閉じるなり、すぐに言葉を返す。


「古エルトゥラン建国史の第一節だ」

「さすがはアイネオス王。博識でいらっしゃる」

「袂を分かったとは言え、トラネウス王家とて同じ祖を持つ後胤。知らぬはずがない」

「ではもちろん、救世主の伝説もご存知ですね?」

「知っている。だがあれはおとぎ話の類の話だ」

「伝説は夢物語ではありませんでしたよ」


 ティアナートは椅子から立ち上がると、ゆっくりと俺の背後に回った。

 その右手を俺の肩に乗せる。


「紹介いたします。この者の名はシロガネ。獣人族の将を一騎打ちにて打ち負かし、敵軍を退けた勝利の立役者。伝説の救世主の再来です」


 ざわめきと共に一斉に視線が集まってくる。

 大丈夫だ。前置きをしてくれていたから慌てたりしない。

 俺はそれらしく無言で一礼する。

 アイネオスはじっとりとした目で俺を見てきた。


「その若者が救世主であると……? ありえない話だ」

「では賢明な王なら他の可能性をお示しになられるのでしょうか。およそ三倍の数の獣人族の軍に囲まれた城で、敵を打ち破る秘策を」


 アイネオスの眼力が睨むように強くなる。

 俺は平静を装っているが、今にも内心を見透かされそうだ。

 しばしの静寂の後、アイネオスは息を吐いた。


「伝説の真偽はいつか轡を並べた時にわかりましょう。だがそれよりも今は気になることができてしまった」


 アイネオスは食卓に身を乗り出した。


「王女はその御仁に冠をお授けになるおつもりか?」


 今度はティアナートに注目が集まる。

 よりざわめいたのは不思議とエルトゥラン側の要職の面々だった。

 視線を受けて、ティアナートはくすりと微笑した。


「気の早いお話です。まだ先王の喪も明けておりませんのに」

「ですが民は王の座がいつまでも空いたままでは不安に思うでしょう」


 ティアナートは列席の面々を見回した。

 咳払いをして目を逸らす者もいれば、好奇の目で彼女を見る者もいる。


「エルトゥランとトラネウスは同じ血を引く同胞。もし王女が望まれるなら、私どもは尽力を惜しみませぬ」

「アイネオス王は本当に民思いの御方ですね。ですがその話はまた、然るべき時が来ればといたしましょう」


 ティアナートは自分の席に戻った。

 ベルメッタに椅子を引いてもらい座り直す。

 アイネオスから視線を外し、グラスを手に取った。

 取り付く島もないとはこのことだろう。

 アイネオスは背もたれに体を預けると、グラスの果実酒を呷った。


 その後、取り留めのない雑談を交え、晩餐会はつつがなく終了した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 半分の月が闇夜をぼんやりと照らしている。

 城の前の広場にたくさんの馬車が並んでいた。

 俺はティアナートらと共に来賓の見送りに出ていた。


 来賓が順々にティアナートと握手をし、別れの挨拶を交わしていく。

 その最中、一人の青年が俺の元に歩み寄って来た。


「アスカニオと申します。握手をお願いできますか」


 差し出された手を俺は握った。

 鍛錬によって厚く硬くなった手である。

 向かい合うと目の高さがあった。


「獣人族の将はウィツィだったと聞いております。あの者と一騎打ちを?」

「はい。とんでもない大きさの斧を振り回す相手でした」


 興味津々といった面持ちでアスカニオが頷く。

 晩餐会の間ずっと黙っていたので、寡黙な人なのかと思っていた。

 社交場は苦手というまじめな人がいるが、彼はそのタイプなのだろう。


「一振りで槍を真っ二つにされました。今も胴体が繋がっているのが不思議なくらいです。勝てたのは本当にたまたまで、運が良かっただけです」

「運が良かった」


 アスカニオは俺の言葉を繰り返すと、ふと頬を緩めた。


「戦場では力を尽くしてもなお、どうしようもない運が存在するものです。そのことを知っている貴殿は戦士として尊敬できる」


 まっすぐにこちらの目を見て言ってくる。

 お世辞ではなく、そう思ってくれているようだった。


「私もあの獣人族の王子を戦場で見たことがあります。並の者では運の勝負にすら持っていけないでしょう」

「できることならもうやり合いたくないです。ちょっと卑怯かもですけど、遠くからこう、飛び道具で」

「同感です」


 はははと笑い合う。

 何だろう。この人とは仲良くなれる気がした。


「兄上。いつまで油を売っておられるのですか」


 話しかけてきたのは長髪の美男子シルビスだ。

 気怠げに首を傾けている。


「父上がお待ちですよ。早くいらしてください」


 体をひるがえした拍子に長い髪がさらさらと流れた。

 ティアナートに笑顔で挨拶をして、シルビスは馬車へと歩いていった。


「それではシロガネ殿。ご縁があればまた」


 アスカニオは足早に、ティアナートに挨拶をしにいった。

 二つ三つ言葉を交わして、急いで馬車へと走っていく。

 来賓を乗せた馬車が次々と城門を出ていった。

 その全てを見送って、ようやく城に静寂が戻って来る。


「皆のおかげで無事に会を終えることができた。大儀である!」


 ティアナートが皆にねぎらいの言葉をかけている。

 その様子を眺めていると、ふと彼女と目が合った。

 こちらに歩み寄ってくる。


「シロガネ、貴方もよく頑張りました。上出来です」


 褒めてもらえると嬉しくなる。

 我ながら安上がりな奴だと思うが、人間なんてそんなものだろう。


「貴方には後で話があります。先に部屋で休んでいなさい」

「わかりました」


 お許しも出たので、俺は城の中に戻ることにした。

 城内では早速、後片付けが始まっている。

 使用人の皆さんがせわしなく動いていた。


 俺は衣装室で着替えを済ませ、三階西側にある自室に戻った。

 寝台と机と椅子しかない寂しい部屋だ。

 まだ慣れないが、それでも自分だけの空間と思えば安心する。


 机の上には受け皿に刺さったろうそくが置かれていた。

 一緒に置いてある箱には火打石と火打金、火口などが収められていた。

 火打石の使い方は爺ちゃんから教わったことがある。

 久しぶりなので少し手間取ったが、火をつけることができた。

 ろうそくの明かりが暗い室内を橙色に染めた。


 俺は靴の紐をほどいて脱ぎ、寝台の上に寝っ転がった。

 思いきり大の字になって、あくびをする。

 ようやく肩の荷が下りた気がした。

 体を使うのとはまた違う気疲れをしたと思う。

 ぼんやりしながら部屋の天井を眺める。


 そう言えばなのだが、壁の染みが人の顔に見えるという類の話は怪談の定番だが、それは九割方ただの錯覚だ。

 実際、心霊現象のほとんどは心と体の疲れによるものである。

 悪霊祓いの本職である父さんの仕事をそばで何度も見てきたが、大抵のお客さんは話を聞いてあげて、それっぽい儀式をすれば安心して帰っていく。

 病は気からの言葉通りなのだ。

 お祓いに来る人の多くは日常生活に大きなストレスを抱えている。

 環境を変えるなりして、不安を取り除いてやることが人生には肝要だ。


 うとうとしかかった頃、部屋の扉を叩く音がした。

 扉を開けると、ティアナートとベルメッタの姿があった。

 ティアナートは紫色のドレスのままだ。

 仕事を終えたその足で来てくれたのだろう。


「入ってもいいですか?」

「あっはい」


 机の椅子を出して、ティアナートに座ってもらう。

 俺は寝台に腰を下ろして、彼女と向かい合った。

 ベルメッタは以前と同じように扉のそばに立っている。


「晩餐会はどうでしたか?」

「緊張しました。あとそれと、ご飯がおいしかったです」

「それは料理人も喜ぶでしょう」


 ティアナートはどこか困ったように微笑んだ。

 そういうことを聞いているわけではない、と言いたげに思えた。


「トラネウスの方の話ですか?」

「そうです。どういった印象を持ちましたか?」

「そうですね。アスカニオさんはまじめそうで、いい人だと思いました。それに実戦を知っている強い人です」


 ティアナートは頷いた。


「長男のアスカニオは若くしてトラネウス軍を率いる勇将です。軍部からの評判も良い。浮いた噂のない実直な人物です」


 彼は同性に好かれるタイプだと思う。

 しかし責任感から仕事を優先して、なかなか結婚できない男性だろう。

 もちろんこれは勝手な憶測だ。


「他の者については?」

「アイネオスさんは凄く迫力のある方でした。目標に向かって物事を推し進める力強さのある方かなと。文武のどちらにも長けた王様という印象を受けました」

「なるほど」


 ティアナートの表情が少し硬くなるのを感じた。

 ベルメッタが言っていた通り、彼のことを嫌っているからだろうか。 


「以上ですか?」

「シルビスさんは政治に興味が……距離を置いているように見えました。どちらかと言うと、芸術肌の人なのかなと」

「上出来です」


 ティアナートはにっこりと笑みを作った。

 だが同時に嫌な予感がした。


「つまりアイネオスとアスカニオ。この二人を排除すればトラネウス王国は崩れるということです」


 ティアナートは蛇のように笑って言ってくる。

 その不穏な目は違うんだ。

 俺がそばにいたいと思った彼女の目はそれじゃない。

 俺は気持ちを抑えずに、率直にぶつけることにした。


「聞きたいことがあります」

「何ですか」

「ティアナートさんはトラネウス王国に恨みがあるんですか?」


 ティアナートは体を硬直させた。

 綺麗な顔を険しくし、鋭い目つきを俺に向けてくる。


「誰かが貴方にそう告げ口をしたのですか」

「違います。ティアナートさんの目を見ていればわかります」


 半分は嘘だがもう半分は本当だ。

 ベルメッタに言われていなくてもきっと気付いた。


「聞かせてください。俺は貴方の助けになりたいんです」


 ティアナートの目を見つめ返す。

 俺は彼女の手を絶対に離さないと決めた。

 でもそれは無条件で言いなりになることじゃない。

 納得が必要なんだ。

 納得があればこそ、いざという時に命を懸けることができるんだ。


「……そこまで貴方が言うなら聞かせましょう」


 ティアナートは自身の大きな胸を右手で押さえた。

 気持ちを落ち着かせるように息を吐く。


「かつてこの国で反乱があったという話はしましたね?」

「前に祓った怨霊の……」

「今から一年ほど前の話になります。王位を簒奪しようと一部の者が城を襲い占拠したのです」


 ティアナートはドレスの胸元をぎゅっと握った。


「当時の国王だった父はその命を逆賊どもに奪われた。私を逃がすために、母は自ら剣を取り……」


 ティアナートがちらりと後ろを向く。

 ベルメッタはうつむいていた。


「私を匿ったせいでベルメッタの家族も……」


 この二人の信頼関係はそういう悲しみを共有していたからなのか。

 仲が良いだけではなかったんだ。


「その反乱にトラネウス王国が関与していると?」

「逆賊を裏から支援していたのが、どうやらアイネオスのようなのです」

「この国を奪うつもりで、ですか?」

「父が存命の時にも、自分の息子たちを私と契らせたいと縁談を持ってきたことがあります。少なからず野心はあるのでしょう」


 あの王様、そういう謀を仕掛けてきていたのか。

 晩餐会の時もエルトゥランの王位に興味を示していた。

 ティアナートはため息をつく。


「もちろん私は王女ですから、私情で優先順序を間違えたりはしません。今はまず、二度と民を危険に晒さぬよう獣人族への対処が先決です。ですがそれらが片付いた暁には……」


 彼女は椅子から立ち上がると、右手で俺の肩を掴んできた。

 強い力で指が肩に食い込む。

 ティアナートは顔をぐっと寄せてきた。


「あの男の一族はこの世から消します。痕跡すら残させない」


 怒りで面を歪めるティアナートに、俺はただただ悲しくなった。

 なぜなら彼女の怒りは後天的なものだからだ。

 平穏の世であればきっと、彼女は愛らしいお姫様のままでいられたのだ。

 光り輝く未来を真っ黒な理不尽に歪められてしまった人なんだろう。

 俺にはそんな風に思えた。


「それで? シロガネ、話を聞いて貴方はどう思いましたか? 復讐などやめろとでも言いますか?」

「俺は……」


 だらりと下がったティアナートの左腕に、俺は手を添えた。

 反乱を鎮めた時に救聖装光の力を使い、動かなくなった灰色の左腕。

 彼女はそれを一瞥して、またすぐ荒んだ視線を戻してくる。


「俺には貴方を止められる言葉が思いつかない。だからやめろとは言いません。でもその代わり、一つだけ約束してください」

「何をです」

「俺を置いて先に死なないでください」


 ティアナートは虚をつかれたような顔をした。

 俺は彼女を押しやり、立ち上がって相対した。

 喉の奥から気持ちが溢れ出る。


「大切な人がいなくなるのはもう絶対に嫌なんです。俺は貴方の救世主になるって誓いました。だから貴方を死なせはしない。どんなことがあっても守ります。どんなに恐ろしいものが相手でも、八つ裂きにされたって貴方だけは守る。だから……だから絶対に俺より先には死なないでください!」


 ティアナートは口を開くも、返す言葉に詰まった。

 その瞳が揺れる。

 俺は彼女の右手を取って、両手でぎゅっと握った。

 見開いた目で彼女の目を真剣に見つめる。


「約束してくれますか?」

「え、えぇ……」

「約束しましたからね!」


 手の平に熱を感じるほどに強く握る。

 ティアナートは困惑しきった様子で、何度もまばたきを繰り返した。


「絶対ですよ。絶対に長生きしてくださいよ!」

「わ、わかりましたからっ。だから手を放して……!」


 そう言いながらも、ティアナートは振りほどこうとはしていない。

 俺が手を放すと、彼女は逃げるように扉のそばまで早足で歩いた。

 ちらりとこちらに振り返る。

 その顔は動揺の色がまだ抜けていない。


「お、おやすみなさい」


 ベルメッタに扉を開けてもらい、ティアナートが部屋を出ていく。

 ベルメッタは俺と目を合わせると、お辞儀をして退室した。 

 分厚い木の扉が閉じる。

 ろうそくの火に照らされて、俺の影が壁に伸びていた。


 一人になると途端に部屋が静かに感じられる。

 そう言えばいま何時なんだろう。

 時計がないから何となくでしかわからない。

 どのみち今日はもうやることもないのだ。

 さっさと寝るのが正解だろう。


 俺は扉にかんぬきをかけようとして、やっぱりやめた。

 寝過ごしたら迷惑をかけそうだ。

 そう思い、開けたままにしておく。


 机の上のろうそくの火を吹き消す。

 窓から入る月明かりを頼りに、俺は寝台に横たわった。

 初日は気を失ってしまったので、今日がこの国に来て初めての夜になる。

 今度こそ、いい夢を見たいものだ。


「おやすみなさい」


 毛布をかぶって、俺は目を閉じた。

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