54話『裏切りの要請』
トラネウス軍への行軍妨害を始めて二日目の夜を迎えた。
騎兵隊は一日の務めを終え、ザイデンの町に戻ってきた。
町の北はずれの厩舎と宿舎は帰ってきた騎兵隊員で騒がしくなる。
騎兵隊の兵士は自分の馬を世話する義務があった。
帰ってきたらまず馬をきれいにして、厩舎で休ませてやる。
それから己の身を清め、宿舎の食堂でようやく食事にありつける。
全てを済ませて部屋に戻るころにはもうくたくただ。
無言で寝台に横になれば、そのまま夜明けまで起きることはない。
俺は食堂でゆっくりと夜食をいただきながら、彼らの様子を横目に見ていた。
選良の兵士のみが騎兵隊員に任命される理由がよくわかる。
体力も精神力も抜群でなければとてもこなせない仕事だ。
「きゅうせいしゅさま!」
子供の声に振り返ると、男の子が俺に向かって木のお椀を突き出していた。
椀の中身は一口大に切った果物に蜜をかけたものだ。
食後のデザートだろうか。
「ありがとう」
俺は右手でお椀を受け取って、木製の食卓の上に置いた。
匙ですくって甘味を口に運ぶと、自然と頬が緩んだ。
男の子はそばに立ったまま、俺のことをじっと見てきた。
何か言いたいことでもあるのかと思い、尋ねてみる。
「どうしたの?」
「ちゃんと手でお椀を持たないと、おぎょうぎわるいよ」
意外な指摘に俺は目をぱちぱちする。
匙を置いてから、笑顔をつくって男の子と向かい合う。
「ごめんね。ちょっと前に左腕をケガしちゃって、うまく動かせないんだ」
「そうなの?」
だらりとぶら下げた俺の左腕に、男の子は視線を移した。
しばらく見ていたかと思うと、手の平をばっとかざしてくる。
「いたいのなおれ~」
目をつぶって、手に力を込めているようだ。
かわいらしい男の子である。
微笑ましい気持ちになっていると、宿舎の主人が食堂にやってきた。
小太りのおじさんが足早に近付いてくる。
「救世主様。お食事中のところ失礼いたします」
「どうかしましたか?」
宿舎の主人は胸の前で手を揉み合わせる。
「ポルトー様がお越しになられております。至急お話ししたいことがあるとのことで」
「わかりました。行きます」
俺はお椀を手に取り、残った果物を口の中に流し込んだ。
それこそ行儀が悪いが、残さず食べておきたかったのだ。
もぐもぐしながら手を振ると、男の子は『ばいばい』と返してくれた。
宿舎の主人の後に続いて食堂を出る。
廊下を歩く途中、俺は彼の隣に並んで問いかけた。
「先程の男の子はお子さんですか? いい子ですね」
すると宿舎の主人は首を横に振り、少し困った風な顔をした。
「あの子は居候のようなものでしてね。私の子ではないのです。私の家族はもう田舎の方に疎開しておりますので」
「居候?」
「どこかの隊商の子だと思うのですが、はぐれてしまったそうで。行くあてもないと泣きつかれてしまいましてね。隊商ならまたこの町を通るでしょうし、それまでの間ということで」
宿舎の主人はやれやれとこめかみを指でかいた。
とはいえ男の子の顔色は良かったし、明るい印象だった。
きちんと面倒を見てやっているのだろう。
できた人だなと思う。
俺は宿舎の主人に案内されて、応接間にやってきた。
扉を開けると、ポルトーとダンキーがすでに椅子に座っていた。
俺の来室に気付いて、二人がさっと立ち上がる。
宿舎の主人は部屋には入らず、外から扉を閉めた。
「すみません。お待たせしました」
俺は卓を挟んでポルトーの対面の席に座った。
それを合図に二人も着席する。
ダンキーは俺の隣である。
「夜分に申し訳ございません。シロガネ様にお知らせしたい儀がありまして」
ポルトーは書簡を差し出してきた。
俺は卓の上に紙面を広げて、目を通す。
「トラネウス軍が物資をよこせと言ってきているんですか?」
俺は読んだ書簡を隣のダンキーに渡しながら、ポルトーに聞き返した。
「明日にはザイデンに到着するので、用意をしておけと申しております」
よその国を侵略しておきながら厚かましい話である。
「どうなさるんですか?」
「すでに用意はできておりますので、催促されしだい引き渡します」
「え?」
驚く俺をよそに、ポルトーは落ち着いて言葉を続けた。
「要求に応じなければ略奪されて、町の住民にまで危険が及びかねません。私はザイデンを預かる者として民の命を守らなければなりません。ですが素直に渡す代わりに受け渡し作業で引き延ばすつもりです。そうやって時を稼ぎますので、どうかご理解くださいませ」
これが最善だと言わんばかりの口ぶりである。
俺は納得したふうに頷きつつ、思案する。
アイネオスはザイデンの町に物資の提供を求めてきた。
だが今の段階でトラネウス軍の物資が不足しているとは考えにくい。
もしそうならとっとと国に帰るべきだからだ。
そうなると送られてきた書簡には別の意味がある。
思うにこれはアイネオス流の試しなのだろう。
ザイデンの町が服従するかどうかを見ているのだ。
ポルトーはそれを受け入れるふりをすると言うが、本当だろうか。
「ポルトーさんは、アイネオスがのんきに略奪すると考えているんですか?」
俺が試すように言うと、ポルトーは首を横に振った。
その間もずっと彼の表情は仮面を被ったかのように冷静だ。
「可能性がある以上、私は民の命を第一に考えます。他意はございません」
そこまで言われると、これ以上は疑う方が失礼だろう。
町の住民をなにより大事とする彼の言葉は地方官として正しい。
ポルトーの提案も落としどころとして現実的だ。
「話はわかりました。知らせてくださって、ありがとうございます。町中で争いが起きないように、俺たちは明日の朝すぐに離れます」
視線を隣のダンキーに向けると、彼は承知とばかりに頷いた。
ポルトーはすっと姿勢を正す。
「お心遣い痛み入ります。皆様の御武運をお祈りしております」
その後、俺たちは宿舎の外までポルトーを見送った。
あらためてダンキーと明日の予定を確認し、早めに床に就くことにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
早朝、俺たちはザイデンの町を出た。
ダンキー隊は次の妨害行動に備えて、北へと移動した。
俺は町の東にある山の上から、トラネウス軍の様子を眺めることにした。
ポルトーの屋敷からさらに山を登った場所からである。
トラネウス軍がザイデンに到着したのは昼前になった頃だ。
トラネウスの兵士たちは町の外で足を止めた。
町の大通りは人影も少なく、ほとんどの店が閉められていた。
ポルトーが事前にトラネウス軍の到来を通達していたからだ。
トラネウス軍から騎兵の一団が町に入った。
その中心で馬に乗っているのはアイネオスだ。
襲撃を警戒してか、前と後ろに騎兵を十騎ずつ配置している。
だがなにより目を引くのはアイネオスの両脇を歩く外套の二人だ。
一人はおそらくロタンだとして、もう一人の背の高い方が気になる。
身長はざっと百九十センチはありそうだ。
外套の上からでも大柄な体格が見て取れた。
背丈の倍ほどある長い槍を手に歩いている。
「この人……」
俺は妨害初日の夜襲を思い出していた。
火付けの邪魔をしてきた謎の人影は彼だったのではと思ったのだ。
確証はないが、少なくともアイネオスがそばに従えるくらいだ。
相当な実力者なのは間違いない。
投擲槍で狙撃できないかと、大通りを進むアイネオスの一団を観察する。
町はがらんとしているので狙いやすい。
だがもし失敗すれば、ザイデンの町に迷惑がかかる。
狙うのは絶好の好機が来た時だけにすべきか。
一団は大通りから東に麓の坂道を上り、ポルトーの屋敷に着いた。
騎兵を外に残し、アイネオスは外套の二人を連れて屋敷の中に姿を消した。
さすがに中の様子まではわからない。
俺は屋敷を見下ろしながら、次の動きを待つ間に少し考えることにした。
トラネウス軍はなぜザイデンで足を止めるのだろうか。
まっすぐエルトゥラン王城まで突っ切られるのが俺たちとしては一番辛い。
アイネオスが寄り道に時間をかける目的は何なのだろう。
「……いや」
俺はティアナートが決戦する気でいるのを知っている。
だからなぜと考えてしまうが、相手の立場になるとどうだろうか。
アイネオスからすると、数的不利なエルトゥラン軍が決戦に乗ってくるとは考えにくい。籠城戦をして、国外に出したドナンの軍を待つと考えるだろう。
そうなるとザイデンは戦略上、無視できない場所となる。
ザイデンは南国境からエルトゥラン王城までの中継地点だ。
つまりここを抑えておけばトラネウス本国との補給線が結べるのだ。
逆に言えば、ザイデンに勝手に動かれると補給路を断たれる可能性がある。
そこまで考えると、ザイデンの長には釘を刺しておかないといけない。
アイネオスがわざわざ出向いたのもそういう理由があるのではと思った。
「……あっ」
ポルトーの屋敷から出てきたのは使用人だろうか。
町の大通りに向かって坂道を下りていく。
それから少しして、アイネオスたちも外に出てきた。
屋敷の前でポルトーに見送られて、一団となって坂を下りていく。
ポルトーが何の話をしたか確認するべきだろうか。
少し迷ったが、聞きに行くことにした。
変なところで気を使って、後で疑心暗鬼になっては大間抜けだ。
草木に隠れながら山を下りて、こそっと屋敷に入る。
入ってすぐの玄関でポルトーが年配の執事と相談をしていた。
「ポルトーさん」
声をかけると、ポルトーは驚いた様子で振り返った。
「シロガネ様!? どうしてこちらに?」
「山の上からトラネウス軍の動きを見ていたんです。アイネオスが訪ねてきましたね?」
「ええ。少しお待ちいただけますか」
ポルトーは年配の執事の腕をぽんぽんと触った。
執事は無言で頷くと、俺に一礼して建物の奥へと立ち去った。
ポルトーは後ろに縛った長い髪を揺らして、俺の方に向き直る。
「簡潔に申し上げます。協力の……いえ、裏切りの要請を受けました」
「アイネオスから?」
「はい。トラネウス王国に恭順を誓うなら私の身分を保証をすると。今後もザイデンの町を任せてもよいと申されました」
言ってすぐポルトーが笑いをこぼしたので、俺は小首を傾げた。
「何かおかしなことでも?」
「トラネウス国王ともあろう御方が戯言を申されましたので」
ポルトーは口元を手で隠しながらも、思い出すように笑った。
「裏切りを打診するならもっとこう、あるではありませんか。栄達の約束をするですとか、目の前に大金を積むですとか。手土産の一つもなしに従えとは甘く見られたものです。もっともそんなもの、いくら積まれようと『はい』とは言いませんがね」
彼は嘲笑うように鼻を鳴らした。
「国元では辣腕を振るわれている御方ですし、悪気はないのでしょう。己に仕えることが誉れとでもお考えなのかもしれません。自分が負けるとは微塵を考えておられないのでしょうね。大した自信です。ご自身を絶対の王者とでも思われているのでしょうか」
えらく饒舌なポルトーに、俺は呆気に取られていた。
ほとんど罵倒のような口ぶりである。
人は見た目によらないものだと思った。
「ポルトーさんって意外と熱い方なんですね」
思ったことを率直に言うと、ポルトーは『しまった』とばかりに動揺した。
切れ長の目が大きくなる。
「も、申し訳ございません。私ごときが出過ぎたことを申しました」
「別に責めてませんから。落ち着いた方だと思っていたので驚いただけです」
微笑みまじりに言うと、ポルトーは苦笑した。
「リシュリーにもそう言われたことがあります。どうも私は感情的になると余計なことまで口走るところがあって。気を付けているつもりなのですが……」
思ったことを口に出してしまうのが彼の素なのだろう。
人柄が見えた気がして、途端に俺は親近感を覚えた。
「リシュリーさんとお知り合いなんですね」
「彼が宰相になる前は机を並べておりました。ろうそくに火を灯して、この国の未来を何度も語り合ったものです」
ポルトーは懐かしむように、穏やかな表情を浮かべた。
「シロガネ様、どうか吉報をお届けくださいませ。私はこれからも陛下にお仕えしたく存じます。私は陛下に取り立てていただいた身。友と共に陛下の手足となって、エルトゥランの安寧を願う者です」
ポルトーは右手を左胸に当てた。
俺は顔をほころばせ、エルトゥラン式の敬礼を返した。