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53話『妨害工作』

 太陽もそろそろ夕焼けを始めそうな頃だった。

 ダンキーの騎兵隊は、草原を列になって進む大軍を発見した。

 敵兵士が胴に着込んだ袖無しの板金鎧はトラネウス軍の標準装備である。


 草原には無数の低木が点在しており、場所によっては深い藪もあった。

 ダンキー隊はいったん藪の中に身を隠した。

 俺は乗せてもらっていたダンキーの馬から降りる。


「救世主様。どういたしましょう?」


 問われて、俺は馬上のダンキーを見上げる。


「目的は足止めですから、敵を倒す必要はありません。攻めるふりだけでいいです。相手が出てきたらすぐ逃げる。うざったいと思われるくらいねちっこく。でも命は大事にいきましょう」


 俺は左胸を右手で軽く叩いてみせる。


「部隊の指揮はダンキーさんに任せます。打ち合わせ通り、やるだけやったらザイデンで合流しましょう。俺は一人で動きます。こちらのことは気にせず自由にやっちゃってください」

「了解です!」


 ダンキーは威勢よく答えると、配下の騎兵たちに握り拳を掲げた。


「いいかみんな! 俺たちの活躍に祖国の未来がかかっているんだ! 一人も欠けずに生き残って、みんなで英雄になろう!」

「えい! えい! おーっ!」


 俺も一緒になって、皆で拳を掲げた。

 千人を超えるトラネウスの大軍を前にしても恐れる様子はない。


「よーし! 行動開始!」


 ダンキーの馬を先頭に騎兵隊が動き出した。

 どうやら正面から突っ込むつもりのようだ。

 隊の最後尾まで見送って、俺も行動を開始することにした。

 首に下げた銀細工のペンダントを右手で押さえ、合言葉を心で念じる。


 ――アウレオラ。


 ペンダントの透明結晶が閃光を放ち、刹那の内に光の粒子が体を包む。

 光が銀色に煌めく装甲に変わり、俺は全身鎧の戦士に変わった。

 普段は動かない灰色の左腕に熱が走り、感覚がよみがえる。


「よしっ」


 投擲槍でいっぱいのかごを背負って、俺は草原を駆け出した。

 トラネウス軍の側面を目指して動くことにする。

 丘陵の高低差を利用し、木や草葉の陰に身を隠しながら走る。


 ダンキーの騎兵隊が気勢をあげて、トラネウス軍に向かっていく。

 隊列の前を進むトラネウス歩兵が慌てた様子で荷物を投げ捨てた。

 列を作って壁になり、槍を突き出して待ち構える。


 動きにもたついている感はあるが、訓練されているようだ。

 敵国の中にいれば、いつ襲われても不思議ではない。

 騎兵にはこう対応すると事前に決めていたのだろう。


 防御陣形を組むトラネウス歩兵の横手から敵の騎兵が上がってくる。

 トラネウス軍の騎兵隊が迎撃に動いたのだ。

 ただちにダンキーは旋回行動に移り、背を向けて隊を逃走をさせる。

 的確な判断の早さだ。


「さて……」


 逃げるダンキー隊の後塵をトラネウスの騎兵隊が追いかける。

 遠く木の陰で傍観していた俺は、背負いかごの投擲槍を手にした。

 助走で勢いをつけて思い切り右腕を振りぬく。

 槍が空を貫いて、トラネウス騎兵隊を目がけて飛んでいった。


 馬上の騎手はその瞬間をおそらく認識すらできなかっただろう。

 恐ろしい速度で飛来した投擲槍が板金鎧ごと騎手の胴体を貫いた。

 その衝撃で騎手は馬の上から投げ出される。

 後続の騎兵は突然の障害物を回避できず、ぶつかって派手に転倒する。

 倒れた馬にさらに後続が巻き込まれて玉突き事故を起こした。


 遠目にも大惨事が起きたとわかる。

 そこまでやるつもりはなかったのだが、相手も運が悪い。

 ダンキー隊以外にも敵が潜んでいると思わせたかったのだ。

 疑心暗鬼は動きを制限する。


 トラネウスの騎兵隊が混乱している間に、俺は場所を移動する。

 足止めが目的とはいえ、好機があるなら金星を狙いたい。

 また別の藪の中で俺は息を潜めることにした。


 出端を挫かれたトラネウス軍はダンキー隊の追撃を諦めたようだ。

 しばらく軍を待機させ、周辺の索敵と警戒に時間を割いた。

 散開した騎兵の一騎が藪までそこそこの距離までやってきたが、俺が隠れていることには気付かなかったようだ。

 偵察から戻った騎兵隊の報告を受けて、トラネウス軍は行軍を再開した。


 俺は藪の中で静かに、トラネウス兵たちが歩いていくのを眺めていた。

 探しているのは敵の親玉であるアイネオスだ。

 あの男さえ倒せば、余計な血を流さず戦いを終わらせられる。

 その機会をうかがっているのだ。


 トラネウス軍の行列も半ばに差し掛かったところだ。

 他の騎兵とは装いが違う、目立つ男を馬上に見つけた。

 鎧は着ておらず、白の衣装に金の装飾を施したものを身にまとっている。

 隣に並ぶ馬には煌びやかに着飾った長い髪の人物が乗っていた。

 国王アイネオスと第二王子シルビスだろうか。

 俺は背負いかごの投擲槍に手を伸ばしながらも、ぐっと目を凝らした。

 目標をしっかりと観察する。


「……」


 背格好はそっくりなのだが、どうにもしっくりこない。

 あれほど目立つ格好では狙ってくれと言っているようなものだ。

 味方の士気を高めるためにあえて派手な格好をしている可能性はあるが、アイネオスは危険を天秤にかけて、そういう選択をする国王だろうか。

 何か違う気がする。


「……ん?」


 派手な二人のいくらか後方に、他の騎兵とは違う鎧を着た者がいた。

 素材も違うのか、装甲表面の質感や反射光が違うように感じられた。

 胴体だけを守る兵士の鎧とは違い、張り出した肩当てがある。

 また腕には籠手を、足には脛当てを身に着けていた。

 兜を被っているので髪形はわからないが、口髭は綺麗に整えられている。

 背格好はアイネオスに酷使している。

 よく見れば、乗っている馬の体躯も他と比べて一段と立派だ。


「お前だ」


 俺は投擲槍をしっかりと右手に握った。 

 藪から飛び出し、必殺の一撃を空へと放つ。

 飛翔する槍が雷撃めいて鎧の口髭男に迫った。

 だがその瞬間、歩兵の列から外套をまとった何者かが跳び上がる。

 漆黒の剣が弧を描き、高速の投擲槍を弾き飛ばした。


 そばにロタンがいたということは、あれがアイネオスで正解か。

 すぐさま俺は藪の奥へと逃げた。

 行軍に先回りして、また次の狙撃場所を探すことにする。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 あれからダンキー隊の仕掛けに合わせて何度か狙撃を試みた。

 だがアイネオスの周りに騎兵を集められ、壁にされてはさすがに難しい。

 狙撃手がいるのがバレれば警戒されるのも当然だ。

 とはいえ、それなりの妨害にはなったと思う。

 俺たちに課せられた任務はトラネウス軍の足を止めることだ。

 それができていれば及第点だ。


 太陽が地平線に沈みかけ、空は赤く染まっていた。

 トラネウス軍は陣を立てて、野営の支度を始めている。

 陣中からは炊煙がいくつも昇っていた。

 その様子を俺は遠くの丘陵から眺めていた。

 今は救聖装光を解いて、野原の上で一人あぐらをかいている。

 こちらも休憩して、ポルトーが用意してくれた軽食をいただくことにした。


 葉っぱの包みを開けると、こんがり色の丸いパンが現れた。

 どうやら油で揚げてあるようだ。

 さっそくかぶりついてみる。


 まず感じたのは香辛料の香りだ。

 パンの中にはぶつ切りの肉が詰まっていた。

 噛みしめると肉の旨味が口内に溢れ出してくる。


 しっかり噛んでから飲み込んで、ひょうたん型の水筒を手に取る。

 直接は口をつけずに、開いた口に注ぐようにしてお茶を飲んだ。

 乾いた体に染み入るのがわかる。


 俺は背中を丸くして、くつろぎの吐息をもらした。

 おいしいものを食べると、どうしてこんなにも活力が湧いてくるのだろう。

 食べてすぐ消化吸収されるわけでもないのに不思議だ。


「ごちそうさま」


 あっという間に食べ終わってしまった。

 空になった水筒は背負いかごに戻しておく。

 揚げパンを包んでいた葉っぱは持ち帰らなくてもいいだろう。

 当然だが葉は天然ものだ。じきに土に還る。


「どうするかな……」


 トラネウス軍の陣を眺めながら、俺は呟いた。

 選択肢はいくつか思いつく。

 一つ、天幕の中に引っ込んだアイネオスの暗殺を狙う。

 二つ、食事中のトラネウス兵を槍の的にする。

 三つ、敵陣を焼く。


「……三かな」


 背負いかごの投擲槍には限りがある。

 その本数分トラネウス兵の命を奪ったところでと思う。

 アイネオス暗殺も難しい。

 千を超える敵兵の中に一人で飛び込んでいくのはさすがに無謀だ。

 後がなくなれば決死の覚悟でやるしかないが、決断するにはまだ早い。

 今は妨害に徹するべきだろう。


 俺は背負いかごを探り、ひょうたん型の壺を取り出した。

 一つ、二つ、三つ、四つと並べる。

 割れ物なので心配していたが無事でよかった。

 壺の中には油がたっぷり入っており、巻いた布で栓をしてある。

 かつてコヨルゥにされた夜討ちをまねするつもりなのだ。

 忘れない内に火起こし用の道具も出しておく。


 俺は草の上にごろんと仰向けに寝転んだ。

 体を休めながら暗くなるのを待つとする。

 目を閉じていると、風に揺れる草木のさざめきが鮮明になる。

 遠く敵陣からトラネウス兵の団らんが耳に届いた。

 食事の時間は軍務中の貴重な楽しみだ。

 チコモストでの行軍の日々を思い出して、俺は懐かしさを覚えた。


 オグたちは元気にしているだろうか。

 今もチコモストの寒空の下にいるのか、はたまた船でデニズ海の上なのか。

 ばかを言い合える友人の不在が寂しく感じられた。


 太陽が姿を隠し、世界は闇に覆われる。

 夜空には片方の端が削げた丸い月が浮かんでいた。

 煌々と照る月を見ていると寒気がする。

 月は俺にとって忌まわしい記憶の象徴なのだ。


 俺は自分に言い聞かせる。

 必要以上に怖がる必要はない。

 満月は三日前に過ぎている。

 だから悪いことは起こらないはずだ。


 俺は原っぱから体を起こし、トラネウス軍の陣を眺めた。

 暗闇の中にたいまつの薄明りがぼんやりと浮かんでいる。

 兵士も見張り以外はもう休んでいる時間だろう。

 そろそろ動くとする。


 ――アウレオラ。


 まずは救聖装光を身にまとう。

 用意しておいた削りくずに火打ち石と打ち金で火を起こした。

 油壺の栓である布に着火すれば火炎瓶の完成だ。

 野火にならないよう削りくずは足で踏んでしっかりと消火する。


 火のついた油壷を腕に抱えて、俺はトラネウス軍の陣へと走り出した。

 敵陣の兵糧や物資の位置は見て把握している。

 あとはうまく火をつけられるかどうかだ。


 ふと黒い影が陣の内側から柵を飛び越えたように見えた。

 不審に思っている間に、影は獣めいた速さで向かってくる。

 誰だか知らないが嗅ぎつけるのが早過ぎやしないか。

 俺は背負いかごに通していた腕を外して、かごを手に掴んだ。

 その間にも謎の人影は迫ってきていた。


「せりゃっ!」


 俺は中身の投擲槍をまき散らすようにかごを放り投げる。

 謎の人影が棒状の長物を唸らせて振るうや、かごと投擲槍が弾き飛ばされた。

 俺はこれ幸いとばかりに人影の横を駆け抜ける。


「ちょまっ、待てよ!」


 声を荒げて追ってくるが、逃げに徹する俺には追い付けない。

 脚力勝負はこちらに分があるようだ。

 俺は全力疾走でトラネウス軍の陣へと迫った。

 走りの勢いも乗せて、火を吐く油壷を柵の向こうに投げ込む。

 そして火付けの確認もせずに、そのまま逃走に移った。


「逃げるな卑怯者! 男なら勝負しろぉ!」


 吠えるような声が背に届くが、相手をするつもりはない。

 一切無視して俺は闇夜の草原をひた走る。

 足音は少しの間ついてきたが、気付くとそれも聞こえなくなっていた。

 代わりに聞こえたのはトラネウス軍の陣太鼓の音だ。

 ぼや騒ぎぐらいにはなってくれたのだろう。


 明るい月に見守られて、俺はザイデンへの帰路に就いた。

 それにしても先程の声の主は何者だったのだろうか。

 いち早く俺の存在に気付き、陣の柵を飛び越える身体能力を見せてきた。

 てっきりロタンかと思ったのだが、声も動きも別人だった。


「面倒だな……」


 考えている以上にトラネウス王国の戦力は層が厚いのかもしれない。

 楽に勝てるとは思っていなかったが、楽に勝たせてほしいのが本音だ。

 チコモストの決戦のような綱渡りはもうこりごりなのだ。


 悲観的な考えを打ち払おうと、俺は頭を左右に振った。

 とにかく楽しいことを考えよう。

 ザイデンの町に戻ったら、ご飯を食べてさっさと寝てしまおう。

 無事にこの戦いが終わったら、ティアナートに褒めてもらおう。

 シトリが前に作ってくれたおかゆがまた食べたい。

 久しぶりにオグたちと風呂にも行きたい。


 不確かな未来を思い描きながら、俺は暗闇を一人走った。

 黒い空に月が機嫌よく笑っている。

 その明るさのせいで星はほとんど見えなかった。

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