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52話『ザイデンの町』

 エルトゥラン南部に留まっていたアイネオスの軍がついに北上を開始した。

 トラネウス本国からの援軍を加えて、軍勢は千二百にまで膨れ上がった。

 偵察兵の報告によれば、五日後に王城近郊まで到達する見込みだという。


 現在、エルトゥラン王国が動かせる兵力は六百ほどだ。 

 北国境の守りであるサビオラ砦から一部の兵を移し、さらにエルトゥラン国内の予備役にも招集をかけて、どうにか集めたのがこの数字である。


 現在の戦力で敵とぶつかるのは厳しい。

 やはりトラネウスとの戦いにはドナンの軍が必要だろう。

 獣人族の国チコモストに出した船はまだ戻ってこない。

 少しでも時間を稼ぐため、俺たちは敵の行軍を妨害することにした。


 早朝、城の正面の広場に百騎の騎兵が整列した。

 騎兵隊を率いるのは百人隊長のダンキーである。

 年齢は三十代の前半。

 ほとんど丸坊主の頭が特徴の、人当たりの良い好漢だ。

 戦場ではまじめで視野が広いと評判の男である。


 俺はダンキーの馬に同乗させてもらっていた。

 俺が後ろで、ダンキーは前で手綱を握っている。

 俺は背中に荷物を詰め込んだかごを背負っていた。

 かごには大量の投擲槍や油の入ったひょうたん型の壺が入っている。

 ミスミス姉弟に頼んだ新しい槍はまだ完成していない。


 見上げれば空は七割ほどの雲に覆われていた。

 城の玄関扉上の二階バルコニーにティアナートが姿を見せる。

 危険な任務に赴く兵士たちへの見送りである。


「陛下に敬礼!」


 ダンキーの号令で、馬上の兵士たちが一斉に右の手の平を左胸に当てた。

 ティアナートは広場の騎兵隊を見下ろして、口を開いた。


「エルトゥランの誇り高き兵士たちよ! 我が国の明日は皆の双肩にかかっている! 共に今日を生きる友のため、家族のため、務めを果たし帰還せよ。諸君の働きに期待する!」


 城の広場にティアナートの凛とした声が響いた。

 言葉の終わりから一拍置いて、ダンキーは号令をかける。


「ダンキー隊、出撃する!」


 隊長であるダンキーの馬を先頭に、騎兵隊は城門をくぐって外に出た。

 それから城下町の大通りを抜けて、南へと馬を歩かせる。

 町から離れると、視界は自然の緑で満たされた。

 その中に伸びる一本の太い線は整備された石畳の輸送道路だ。

 青い香りのする風を浴びながら、騎兵隊が軽やかに進む。

 隊はひとまず、エルトゥラン中南部の町ザイデンへと向かうことにした。

 そこを拠点にトラネウス軍の進軍を妨害するのだ。

 もし作戦中に分断されるなりした場合もザイデンで落ち合う段取りである。


「ダンキーさん。ケガの具合はもういいんですか?」


 俺は馬上で揺られながら、目の前で手綱を握るダンキーに尋ねた。

 彼はデニズ海の戦いで、船を指揮する副官として参加していた。

 だが戦闘中に頭部を負傷し、それから戦列を離れていたのだ。


「おかげ様ですね! いやー、一時はどうなることかと思いましたよ」


 ダンキーは明るい調子で、兜の上から頭をぺちぺちと叩いた。


「獣人族との大決戦にも置いていかれて、正直へこんでました。でも人生ってわからないものですね。寂しく居残っていたからこそ、こんな大役を任されたんですから!」

「それも巡り合わせなのかもしれません。あっそれと、ありがとうございます。乗せてもらって」


 左腕を動かせない都合で、自分一人での騎乗は難しいのだ。

 チコモストで乗っていた芦毛のスイくらい乗りやすい馬ならいいのだが、俺の経験不足もあって、普通の馬に乗るのはまだちょっと怖い。

 そういう理由でダンキーの後ろに乗せてもらっているわけだ。


「いえいえ! こちらこそありがとうございますですよ! 救世主様を乗せたなんて一生ものの自慢話になります。帰ったら娘に自慢しますので!」

「あはは、いいお父さんなんですね」


 彼がそうであるように、後続の騎手たちにも家族がいるのだろう。

 大切なものを守るために働くというのはまさに陽の在り方だ。

 自分を追い詰めるよりも、きっといい力が出せると思う。


 時折、休憩を挟みながら馬を歩かせることしばらく。

 太陽の位置から察するに、正午の頃にザイデンの町に到着した。

 俺とダンキーはまず、ザイデンの町長に挨拶に向かうことにした。

 騎兵隊が来ることは事前に連絡してあるが、挨拶は大事だ。

 騎兵隊の皆には町の外で休憩がてら待機してもらう。


 ザイデンはエルトゥラン王城と南国境との中間地点に位置する町だ。

 町には馬車が横に並べる幅の石畳の道が通っている。

 大通りの両脇には商店や宿などが建ち並んでいた。


 大通りは人で賑わっており、店の売り子が威勢よく客に声をかけている。

 荷馬車を引き連れた交易商が店先で銭勘定の相談をしていた。

 近々起こるだろう戦争を恐れる様子はない。

 気にしていないのか、あるいは商売の好機と見ているのかもしれない。


 店頭にはエリッサ神国やトラネウス王国から持ち込まれた商品が目立つ。

 しゃれた茶器のような日用品から、箪笥や椅子といった家具の類。ドレスの材料になりそうな織物や、宝石や装身具など雑多に商品が並んでいた。

 全体的に贅沢品の趣きが強いように見受けられた。


 商品を眺めているとお国柄が見えてくる。

 それほど厄介な外敵もおらず、北はエルトゥラン王国、南は海を挟んでエリッサ神国と、立地に恵まれたトラネウス王国は経済をのびのびと発展させた。

 経済に余裕があるからこそ美術芸術が進化したのだ。


 エルトゥラン王国はこの分野に関してはだいぶ遅れている。

 獣人族という外敵を抱えていたエルトゥランでは、文化活動に金を回す余裕がなかった。職人とは機能美を求めるもので、必要な日用品を作る存在なのだ。


 俺とダンキーは大通りを半ばまで進むと、東方向の坂道に入った。

 ザイデンの町は東側を山に面した麓の町だ。

 山の坂を上った先に町長の屋敷がある。

 来た道を振り返れば町を一望できる立地だ。


 町長宅は木造二階建ての屋敷だった。

 その玄関先で一人の男が直立して待っていた。

 その細身の体を包む紫色の制服はエルトゥランの役人のものである。


 目が合うと、男は右手を左胸に当てるエルトゥラン式の敬礼をした。

 すかさずダンキーが敬礼を返したので、俺も慌ててまねをした。

 それから互いに歩み寄る。


「ようこそおいでくださいました。ザイデンの地方官を任されておりますポルトー=ヴェインでございます」


 間近で見るポルトーの面構えは精悍で若さを感じられた。

 切れ長の目をしており、背中まで伸びた後ろ髪を紐で縛っている。

 年はちょうど三十歳くらいだろうか。

 背は俺より少し低いので、百七十五センチくらいだろう。


「初めまして。ベール伯爵シロガネヒカルです」


 ベール伯爵というのは先日、ティアナートから与えられた伯爵位だ。

 なおベールの名称はエルトゥランで信仰されている神様の名前である。


「こちらは百人隊長のダンキー=バークチー。この度はお世話になります」


 俺が軽く一礼するのに合わせて、ダンキーもポルトーも同様に頭を下げた。


「ベール卿、この後はどのようなご予定でしょうか? もしよろしければ、こちらで食事を用意しておりますが」


 ベール卿というのは俺のことである。

 爵位を持つ相手に対して直接その人の名前を呼ぶのは不敬に当たるらしい。

 よって敬称として爵位名で呼ぶのが礼儀作法なのだとか。

 自分で名乗っておいて何だが、正直言って誰のことかわかりにくいと思う。

 なので早めに訂正しておく。


「俺のことはシロガネと呼んでください。町の外に部隊を待たせてあります。食事の手配をお願いします」

「かしこまりました。町の北に宿舎と厩舎を用意してあります。お休みの際はそちらをご利用くださいませ。他にも入り用のものがあればすぐに用意いたします」


 若くして町を任されているだけあって、行き届いた気配りである。

 リシュリーと似た雰囲気のある人だなと思った。


「ありがとうございます。食事が終わればまたすぐに出ますので」

「承知いたしました。どうか御武運を」


 手短に挨拶を済ませ、俺たちは騎兵隊の下に戻った。

 馬を休ませ、皆でわいわいと食事を取る。

 さらに軽食を持たせてもらい、騎兵隊はザイデンの町を出た。

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