47話『貴方は私と同じ(2)』
白い髪の少年は何の小細工もなしに城の三階から飛び降りてきた。
それは普通の人間には到底不可能なことである。
俺は背中にティアナートを庇い、油断なく金属槍を構えた。
尖った穂先を向けられても、少年はまったく動じなかった。
「救世主は殺せ。王女様は連れ戻せって王様に言われたんだ。でも僕は、お兄さんのこと殺したくないんだよね。だからそんな怖いものは捨てて、降参してくれないかな?」
「俺もできるなら人の命は奪いたくない。見逃してもらえませんか?」
「それはできないかなぁ」
白い髪の少年は笑顔を崩すことなく、腰に帯びた剣の握りに手をかけた。
「お父さんからは、救世主に会ったら連れてくるように言われてるんだ。お兄さんのことは好きだけど、お父さんの希望を叶えてあげないとね。だから協力してよ。僕ね、お父さんに喜んでほしいんだ」
無邪気さを披露する少年に、俺は不気味な圧を感じていた。
地面にまっすぐに立つ少年の構えには警戒心がない。
あまりにも自然体すぎるのだ。
力量がまるで読めない。
ただの子供にも、その道の達人にも見えてくる。
相手をするのは危険だ。
俺は逃走を図ろうとして、後ろにいるティアナートに気をそらしてしまう。
その時だった。
白い髪の少年は一瞬で距離を詰め、鞘から漆黒の剣身を解き放つ。
電光石火の居合に金属音が弾ける。
ぎりぎりのところで俺は槍の柄で剣を受け止めた。
少年は目を丸くして楽しそうに笑う。
「お兄さん凄いね。止められたのは初めてだ」
華奢な体からは想像できない鮮烈な太刀筋にひやりとした。
鋭さだけならアカマピに匹敵するかもしれない。
「剣を抜いたら冗談じゃ済まないんですよ!?」
「お兄さんが逃げようとしたからでしょ。降参してくれるならやめるよ」
「……ティアナートは渡さない」
「それじゃあ、しかたないよね」
白い髪の少年は剣を両手で握るや、斬撃を繰り出してきた。
俺はどうにか槍で受けながら声を荒げる。
「ティアナートさん! 下がっていてください!」
この少年は明らかに異常だ。
かわいらしい外見に躊躇してはいけない。
本気でやらないとやられる。
ティアナートが離れたのを確認して、俺は心のスイッチを切り替えた。
一文字の斬撃を半歩下がって避ける。
続く袈裟斬りに合わせて、腰を入れた槍を叩きつける。
剣ごと少年の細身をのけぞらせた。
「わっ」
隙を逃さず俺は上段から槍を振り下ろす。
少年は漆黒の剣身で受けてくるが、かまわず繰り返し上段を打ち込む。
力比べはこちらが上のようだ。
受けきれずに体勢を崩した少年に回し蹴りをお見舞いする。
銀色の装甲に覆われた爪先が彼の脇腹を捉えた。
少年は初めてその笑顔を崩し、無残にも地面に転がった。
「つ……うぅ……」
白い髪の少年は面を歪めながらも、無理に笑おうとしているようだった。
だが手応えからして、あばら骨が折れたはずだ。
動くことはおろか息をするのも苦しいだろう。
戦闘力を奪えたなら時間をむだにするつもりはない。
俺は少年に背を向け、ティアナートのそばに駆け寄った。
「追っ手が来る前に行きましょう」
「待ってシロガネ。ベルメッタたちを連れ出したい。向こうの牢屋に入れられているはずです」
「えっ……と、とりあえず走りながら考えます!」
俺たちは城の南側から、ひとまず東方向へと走った。
城壁に囲まれた敷地の中で、王城が真ん中に建てられている。
城から東の城壁のそばには鍜治場がある。
その鍜治場から南、つまり城の敷地の東南にぽつんとある建物は牢屋だ。
サルハドン監獄を使用するようになって以来、城の牢屋は使われていなかったそうなのだが、手元にあるなら利用しようとアイネオスは考えたのだろう。
そこにベルメッタたちが監禁されているのだという。
石とコンクリートで建てられた牢屋の前に見張りの兵士は見当たらない。
移動したことで耳に届く騒ぎ声が大きくなった。
音につられて俺は北方向に目をやる。
鍜治場の煙突から黒い煙がもくもくと立ち昇っている。
建物の近くでイツラがトラネウス兵を相手に大立ち回りを演じていた。
どこで拾ったのか、身の丈を超える大戦斧を振り回している。
鍜治場の中にも誰かいるのか、中から放たれた矢が敵兵を襲っていた。
一人で大丈夫だろうかと心配していたが、もう少しだけ頑張ってもらおう。
「シロガネ」
ティアナートに呼びかけられて、俺は振り返る。
彼女は牢屋の出入り扉を指さした。
大きな錠で閉じられているが、扉自体は年季の入った木製のものだ。
俺は勢いをつけて扉そのものを蹴り壊した。
窓一つない建物の中は薄暗い。
念のため俺が先に踏み込んだが、中にトラネウス兵はいないようだった。
牢屋の間取りは非常に簡素だ。
入ってすぐ左右に通路が分かれている。
その通路に沿って、鉄格子の牢が壁を隔てて横に並んでいる。
「ティアナートが迎えに来た! 声を上げて応じよ!」
凛と通る声が暗い廊下に反響する。
ふと通路の右手側から、かちゃりと鎖の鳴る音がした。
二番目の檻の中に、壁に背を預けてうなだれるベルメッタの姿があった。
いつもの侍女服のままで、見たところケガはしていないようだ。
右の手首には枷をつけられており、枷の鎖は壁面と繋がっていた。
「ベルメッタ! 今、助けます!」
ティアナートが声を荒げる。
檻の出入り口にかかった錠を、俺は金属槍で破壊した。
さらに檻の中に入り、枷の鎖も断ち切る。
ティアナートはベルメッタに駆け寄ると、膝をついて彼女の肩を叩いた。
「ベルメッタ! しっかりなさい!」
ベルメッタは口を半開きにして、ぼんやりとした目をしていた。
返事はないが、わずかにだが口を動かそうとしているのがわかる。
ティアナートはベルメッタの脇の下に右腕を回し、むりやり立たせた。
「行きますよ。気を確かに持って」
ティアナートに支えられて、ベルメッタはよろめきながらも檻の外に出た。
俺は他の檻を順番に探す。
右側通路の一番奥の檻の中、冷たい石床に短髪の女性が横たわっていた。
「ギルタさん!」
俺は慌てて錠を壊して中に入り、手枷の鎖を切る。
彼女の状態に俺は戦慄を覚えた。
衰弱した様子のベルメッタとは違い、ギルタの体には拷問の跡があった。
別人のように顔が腫れ上がり、体の至るところにみみず腫れがある。
だが何より見るに堪えないのは彼女の手だ。
不自然に短くなった指には爪がなく、指先の肉が奇妙に膨らんでいる。
おそらくだが、指の先を切断して焼いたのだろう。
想像しただけで眩暈がした。
「ギルタさん、ギルタさん」
彼女の頬に優しく触れるも、応答はない。
口元に耳を近付けると、弱弱しくはあるが呼吸をしていた。
「シロガネ! こちらに来なさい!」
ティアナートの声がする。
俺はギルタを両腕で抱き上げて檻を出た。
左側通路の二番目の檻の前でティアナートたちが待っている。
鉄格子の中を覗くと、栗色の髪をした青年がひざまずいていた。
「リシュリーさん!」
俺はギルタを床にそっと横たえた。
錠を壊して檻の扉を開け、中に入って槍で鎖を断つ。
手を貸そうとすると、リシュリーはゆっくりとだが立ち上がった。
少し痩せているが、他の二人と違って自力で立つ余力があるようだ。
「シロガネ様がお戻りになられたということは、私の手紙は届いたのですね」
俺が頷くと、リシュリーはうっすらと笑った。
「生き恥を晒した甲斐がありました。反抗の狼煙を上げましょう」
他の牢は空だった。
長居は無用と外に向かう。
ベルメッタは引き続きティアナートが抱えて歩かせる。
意識のないギルタは、リシュリーに無理して背負ってもらった。
戦えるのが俺だけなので、出合い頭に手が塞がっていてはまずいのだ。
薄暗い牢屋から日の当たる外に出る。
風に乗って届く喧噪に変化を感じて、俺は耳を澄ました。
北と西の方角から城を飲み込むような轟きが押し寄せてくる。
大勢の人の声が重なって、判別できないほど分厚い音になっているのだ。
鍜治場の近くでイツラが大戦斧を肩にかけて佇んでいた。
一息ついた様子で城の正面広場の方を眺めている。
彼の周りには力尽きた板金鎧の兵士たちが倒れ伏していた。
イツラの視線を追うと、トラネウス兵が城門の前に集まっていた。
城門のある北側城壁の上の足場にも多数のトラネウス兵の姿があった。
城壁の内側壁面に作られた階段を駆け上がり、兵士が弓や石を運んでいる。
それはつまり城壁の外に応戦が必要な軍勢が来ているということだ。
「城が落ちる前、私は城に仕える者たちに『時を待て』と伝えました」
発言したのはリシュリーだ。
自分より背の高いギルタを背負うのは辛そうである。
「救世主様は必ず、邪知暴虐の王を倒すためにお戻りになられる。それまでは耐え忍ぶのだと。城に狼煙が上がる時、それが再び立ち上がる時であると」
リシュリーの瞳には鍜治場の煙突から空に昇る黒煙が映っていた。
ふと鍜治場の中から黄色の全身つなぎを着た小さな二人が飛び出してくる。
子供のような背丈で、バケツみたいな鉄仮面を頭に被っていた。
あれはきっと地人族の鍛冶師ミスミスとマウラの姉弟だ。
俺たちの姿を見つけて、腕を振ってくる。
「シロガネ、向こうを……」
ティアナートが唖然とした表情で西の方向を見ていた。
そこは城の南側、俺たちが三階から飛び降りた辺りである。
顔を向けると、白い髪の少年がこちらに歩いてきていた。
目が合うと少年はにっこりと笑い、突然走り出した。
駿馬のような速さで迫ってくる。
「離れて! どこかに身を隠してください!」
俺はティアナートたちを急き立てて、自分は少年に向かって走る。
牽制にクナイを投擲するが、少年は止まることなく剣で弾いた。
剣の切っ先をまっすぐ前に出して、その勢いのまま突撃してくる。
俺はすんでのところで横に避けると同時に少年の足に槍をひっかけた。
前のめりに倒れると思いきや、少年はぐるんと宙返りして着地する。
いち早く俺は地面を蹴って反転し、少年の背中めがけて槍を振るう。
少年は振り返りざまに漆黒の剣身で槍を防いだ。
押し潰してやろうと俺は槍に力を込めるが、少年も負けじと対抗してくる。
先程と違って押し切れない。
互いに武器を押し付け合う形で拮抗する。
白い髪の少年は笑顔のまま、何やら観察する目で俺の全身を見てきた。
「お兄さんの銀色の鎧、それが救聖装光ってやつだよね。それを着てるから僕みたいに強くなれてるのかな?」
「みたいに?」
「それともお兄さんって実は人間じゃなかったりする? もしかして僕みたいに血が混ざってる人?」
俺は力比べをしながらも、焦点を絞らず視界を広くとっていた。
ティアナートたちは鍜治場の方へと急いでいる。
ミスミス姉弟と合流するつもりのようだ。
イツラは状況に気付いてくれているのか、俺の方を向いて『任せとけ』と言わんばかりに胸を拳で叩くふりをしてみせてくれた。
「よそ見しないでよ」
白い髪の少年は身を翻して槍をいなすや、回転斬りを放ってくる。
俺はそれを槍の柄で防ぎつつ、後ろに大きく飛び退いた。
俺の槍は彼の剣よりも長い。
有利な間合いから突きを繰り出す。
少年は距離を取ろうとするが、その動きは予想通りだ。
合わせて俺は前に踏み出し、突きを連続して仕掛ける。
穂先が外套を切り裂くも、少年はぎりぎりのところで命中を許さない。
巧みな足さばきで体を左右に振って狙いを外してくるのだ。
タイミングを読まれたのか、突きでまっすぐに伸びた槍を少年は剣で横に弾くと同時に、靴底を滑らせて体の向きを半転させた。
背中を見せて走り出したのは鍜治場の方向だ。
「くっ……!」
行かせるものかと俺は後を追う。
少年は顔だけ後ろに向けて笑ってきた。
「お兄さんは王女様のことが大好きなんだね! 大好きな人の為なら他人を殺してもかまわないと思ってるんだ!」
「だったらどうだって言うんです!」
「僕もそう思う!」
唐突に少年は靴底で地面を削りながら急停止して向き直るや、懐に忍ばせていたのか、小袋から黒い粉末をぶわっとまき散らした。
目くらましのつもりなら通用しない。
俺はためらわずに踏み込み、粉を払うように槍を水平に強振する。
合わせるように少年は下段の構えから逆袈裟に斬り上げてくる。
一閃の軌跡が交差して甲高い金属音を響かせた。
「――えっ?」
くるくると宙に舞った棒状のものは斬られた金属槍の前半分だった。
刹那の間、俺はその光景に目を奪われてしまった。
少年が剣を斬り下ろしてくるのに気付き、俺は咄嗟に槍を手放す。
漆黒の刃が左肩の装甲を切り裂くも、鎖骨に届く直前で止まった。
辛うじて白刃取りが間に合ったのだ。
「わっ、すごいすごい」
白い髪の少年は無邪気な笑みを浮かべて、ぐいと剣を押し込んできた。
骨を断たれてはいないにしても、肩の肉は切られている。
そもそも刃と心臓までせいぜい拳二つ分の距離しかないのだ。
俺は痛みと恐怖に歯を食いしばりながら、剣を挟む手の平に力を込めた。
「お父さんが言ってたよ。人は幸せになるために生きてるんだって。だけど大抵の人間は自分の気持ちをごまかして生きている。他人の目を気にしたり、道徳心のタガにはめられてね。自分にはこれで十分だって、ちっぽけな幸せで妥協するんだ」
「くっ……」
肩に剣がこれ以上食い込まないようにするので精一杯だ。
挟むのと握って押すのとでは力の入れやすさが違いすぎるのだ。
また先程の黒い粉のせいなのだろうか、目が刺すように痛む。
喉の奥が狭くなったみたいに息がし辛い。
ともかく俺はすり足で足の位置を整えて、密かに次の行動の準備をする。
「お兄さんは優しい人だけど、自分の幸せのために他人を殺せる人でしょ? 僕ね、お兄さんとは気が合うと思うんだ。だから降参してよ」
「だったらこの剣を離してくださいよ……」
「うん、だから降参してくれたら――」
少年が言い終わるのを待たず俺は動いた。
手の平で挟んだ彼の剣を軸に逆上がりの要領で地面を蹴る。
左右の膝で少年の手首を挟み、足先を少年の腕に絡めて固定して、俺は思い切り体を捻り、ワニが獲物を食いちぎるように回転した。
「んぎぃ!」
関節の可動域を超えた負担には抗えず、少年はおそらく無自覚に横転した。
それでも剣を放さなかったのは見事だが、そのせいで腕の筋がねじ切れる。
少年が痛みに悶える間を逃さず、俺は彼に覆いかぶさった。
剣を握る腕を膝で踏み押さえながら、銀色の腕で少年の喉を押し潰す。
「うぐっ……!」
白い髪の少年は空いている左手で俺をどけようとした。
だが片腕の力では人間の体重を動かせやしない。
ならばと少年は足を振り上げて、俺を蹴り飛ばそうとする。
それを待っていたと俺は動いた。
浮いた背中の下に回り込むや、腕を巻き付けるように首を絞めにいく。
しかし少年の反応も素早く、絞める腕の内側に手を差し込まれてしまった。
俺はすかさず腕の位置をずらし、首ではなく頭を締め上げる。
爺ちゃんに習った対人ニンジャ柔術の技の一つ、いわゆる頭蓋骨固めだ。
「んあああっ! 痛い! 痛いからやめてよ!」
腕の硬い装甲に頭蓋骨を圧迫されて少年は悲鳴を上げた。
その声だけを聞けば可哀想に思えたかもしれない。
「先に剣を抜いたのは貴方ですよ」
俺は体を回す勢いで少年の首を容赦なくねじった。
首の骨が嫌な音を立てる。
少年は言葉になっていない呻き声を漏らした。
放してやると、少年の体は力なく地面に倒れた。
虫の息の少年を見下ろして、俺は後味の悪さを感じていた。
彼には手作りの飴玉をもらったことがある。
馬車の荷台に揺られながら、いくつかの話をした。
だから見ず知らずの兵士を手に掛けるより嫌な気持ちになったのだろうか。
だが彼はアイネオスの命令でティアナートを連れ戻しにきた追っ手だ。
敵なのだ。
「やらなきゃ守れないんだ……」
俺は自分に言い聞かせる。
あれこれ考えるのは事が終わってからでいい。
斬られて真っ二つになった金属槍を拾って、俺は鍜治場へと走った。