45話『殴り込みをかけます』
縦に長い食卓に置かれた燭台の火が、夜の食堂を心細く照らす。
事の顛末を語り終えたシトリは木製ジョッキに手を伸ばした。
ぬるくなったお茶を口に運んで、ため息をつく彼女に、俺は問いかける。
「捕まった人がどこにいるかわかる?」
「多分、お城のどこかに監禁されてるんだと思う。今、エルトゥラン王城は完全にトラネウス軍のものになってるの。お城で働いていた人も追い出されて、トラネウスの人しか中にいないって。それにトラネウスの王様も来てるって話なの」
「アイネオスが城に来てる?」
それならティアナートたちは城内にいる可能性が高そうだ。
最も警護に力を入れるのは国王の近辺のはずだし、重要なものほど手の届く範囲に置いておきたくなるのが人間の性だからだ。
「町で聞いた噂だと、トラネウスの王子様も呼んで結婚式をするんだって。その用意でトラネウスの人が色々と動いてるみたい」
「……なるほど」
婚姻によって権力基盤を固めるのは歴史の伝統芸だ。
アイネオスはエルトゥラン王家を身内とすることで家系の同一化を図り、王権の滑らかな移譲を目論んでいるのだろう。
「ありがとう。これでやることが決まった」
俺は卓を挟んだ向かいのイツラに顔を向けた。
獣人族の王子は卓に肘をついて、手の甲にあごをのせている。
「明日の朝、エルトゥラン王城に殴り込みをかけます」
「別に今からでもいいんだぜ?」
イツラはにやりと笑う。
これが暗殺なら夜襲を仕掛けるのも作戦の一つだろう。
でもそれでは物足りない。
アイネオスのまねをしたら、相手のやり口を肯定することになる。
それに後ろ暗い手段を用いる人物なら、暗殺は当然警戒しているだろう。
「正直言って、俺も今回の件はものすごく腹が立っているんです。どうせやるなら救世主らしいやり方で正面から立ち向かいたい。それは闇の中ではなくて、太陽の下でないといけない」
「そうかよ。オレはどっちでもかまわねぇけどな」
イツラは木製ジョッキに残ったお茶をぐいっと呷った。
「それじゃあ今日は休んで、明日が本番ってことでいいな?」
「そうしましょう」
「だったらオレはさっさと寝かせてもらうぜ」
イツラは席を立つと、部屋の隅で床にごろりと横たわった。
「空き部屋ならありますし、毛布も用意しますよ?」
「いらねえ。この国はあったけぇんだよ」
彼の故郷チコモストの冷涼な気候と比べると、確かにエルトゥランは温かい。
全身を体毛に覆われている獣人族だと、むしろ暑さを感じるのかもしれない。
「それじゃあ、おやすみなさい」
俺とシトリは食堂を出た。
俺用の部屋を用意してくれていたらしく、廊下を歩いて二階に向かう。
折り返しの階段を上る途中、シトリはふと立ち止まった。
「ねぇシロガネ」
俺は振り返って彼女を見下ろす。
「あんまり無理しないようにね」
「……どういうこと?」
「あんたが表に出ていったら、この国の人はきっと救世主様に期待する。自分じゃできないことを全部、あんたの肩に押し付けるの。わかるんだ。現に今あたしがそう思ってるから」
シトリは自嘲するような薄笑いを浮かべた。
「人生なんてどうにもならないことばっかり。辛くても理不尽でも受け入れて生きていくしかないの。だからあんたが他人の希望まで無理して背負う必要なんかない。それで死んだら世話ないんだから。そうでしょ?」
わざわざそんなことを言ってくれるのは、彼女の優しさだろう。
俺は階段を一段二段と下りて、シトリと目の高さを合わせた。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。俺はそんなできた人間じゃないよ。みんなの希望を背負おうだなんて自惚れちゃいない。俺は大切な人だけ守れたら……」
俺は自らの手に視線を落とす。
右の手はまだ自分の意志で開くことも握ることもできる。
灰色になった左手は救聖装光の力を借りないと動かすことすらできない。
俺も俺で自嘲する。
「俺はただ、一度掴んだ手を離したくないだけなんだ。無理して嫌なことをしてるわけじゃないから」
「シロガネ……」
シトリは眉尻を下げ、何か言おうとするも言葉を飲み込んだ。
一つ息を吐き、階段を上がりだした。
屋敷二階の右側廊下にある最奥の部屋がシトリの私室だ。
その隣がギルタの部屋で、さらに隣が俺用の部屋とのことだ。
扉を開けると、部屋には整えられた寝台があった。
窓のそばに机と椅子があり、部屋の隅に空の書棚がある。
俺は笑顔でシトリにお礼を言った。
「ありがとう、シトリ」
「……おやすみなさい」
シトリはどこか諦めた顔でそう言い、廊下の側から部屋の扉を閉めた。
暗い部屋に一人になる。
俺は重たい金属槍を寝台の足下に置いた。
靴を脱いで楽な格好になり、寝台に横になった。
毛布をかぶって目を閉じる。
「おやすみ」
久しぶりの柔らかい寝床に、俺はあっという間に眠りに落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝を喜ぶ鳥の歌声に目を覚ます。
すっきりとした目覚めだった。体が軽い。
窓から外を覗くと、空模様は青色と雲が半々といったところだった。
部屋を出て、一階に下りる。
食堂に入ると、シトリが朝食の支度をしていた。
イツラは食卓の席についており、皿に盛られた果物をかじっていた。
三人で卓を囲んで食事をとる。
朝食はチーズ入り穀物がゆと炙った塩漬け肉。それに果物だ。
お味の方だが、とてもおいしい。
とろりと糸を引く熱々のチーズはずるいくらいだ。
先日、俺が作った即席パンがゆとは比べるのも失礼なほどである。
「シトリって料理上手なんだな」
褒めると、隣の席に座るシトリは不思議そうに小首を傾げた。
「そんなに手の込んだものは作ってないでしょ」
「すっごくおいしい。元気が出てくる」
「そう? ならいいけど」
シトリは嬉しそうに笑う。
だがすぐ何かを発見したみたいに目を細くする。
「あんたさ、何で片っぽだけ手袋してんの?」
「えっ、あぁ……」
俺は太ももの上に置いていた左手に目を落とす。
灰色に変色した左手を人目に晒さないために、手袋をしているのだ。
「ちょっと軽いケガみたい感じでさ。また今度、落ち着いた時にでも話すよ」
「……ふーん」
明らかに納得していない表情だが、シトリはそれ以上追求しないでくれた。
別に隠したいわけじゃない。
でも今はこれから立ち向かう大事に集中したかった。
だからはぐらかしたのを許してほしい。
食事を終えれば、いざ出陣あるのみだ。
開け放った玄関扉の前で、俺とイツラはシトリに見送りを受ける。
俺はいつもの作務衣を着て、右手に金属槍を握っている。
服の上から腹に巻いた帯にはクナイを十二本差していた。
イツラにはフード付きの外套を被ってもらった。
獣人がいるというだけで、エルトゥランでは騒ぎになってしまうからだ。
あとそれに加えて鉤縄を持ってもらっている。
「それじゃあ行ってくる。戸締りをして、できれば今日は外に出ないで」
俺がそう言うと、シトリは呆れた顔でため息をついた。
「あんたねぇ。人の心配ばっかしてないで自分の心配しなさいよ。まぁ言ってもむだなのはわかってきたけど」
そして、ふっと頬を緩める。
「頑張ってね、救世主様!」
ばんばんと胸を叩かれる。
俺は笑顔で頷いた。
身を案じてもらえるのもありがたいが、今は激励の後押しが嬉しかった。
俺はイツラと共に屋敷を出発した。
邸宅の建ち並ぶ石畳の通りを北へと歩く。
住民は外出を控えているようで町は静かだ。
道を行く途中、広場の方から兵士が二人で歩いてくるのが見えた。
頭には兜を被り、胴体には袖無しの板金鎧を着込んでいる。
金属製の手甲で手首から前腕を守っていた。
手に持った槍を杖代わりにして歩いてくる。
その装備から判断して、見回りのトラネウス兵だろう。
エルトゥランの兵士は鎖帷子が標準装備なのだ。
敵兵の姿を確認して、イツラは俺の腕を軽く叩いてきた。
「先に聞いておくんだけどよ。おっぱじめたら手加減できねぇけど、いいんだよな?」
俺はイツラと目を合わせて頷いた。
「この期に及んで『殺すな』なんて甘えたことは言いませんよ。そんな余裕もないだろうし、俺もそういう心積もりでいます。ただ敵の親玉にはティアナートの居場所を吐いてもらわないといけない。国王のアイネオスだけは話ができる程度に生かしておいてください」
「おし、わかった」
トラネウス兵もこちらに気付いたようだ。
俺たちは慌てずに堂々と通りを進んだ。
兵士二人が面倒臭そうな顔をして走ってくる。
「おい、お前ら!」
声を上げた兵士は中年の男で、もう一人は若い男だ。
ベテランと新米のペアといったところか。
「一般市民の武装は禁止されているだろ! それをよこせ!」
中年の兵士が手を俺の前に出してくる。
とりあえず要求は無視して、俺は話を聞いてみることにした。
「すみません。昨日、家に帰ったばかりなのでよくわかっていなくて。詳しく教えていただけませんか?」
「口答えするな! つべこべ言わずにそいつをよこせ!」
がなり立ててくるので、俺は素直に金属槍を渡した。
片手で受け取ろうとした男は槍の重さに体を持っていかれる。
その隙をついて、俺は足払いをかけた。
足が綺麗に入って、中年の兵士は受け身も取れずに石畳の路面に倒れた。
「なにしてんだおまっ――」
若い兵士の言葉が途切れたのは、イツラが彼の首を掴んだからだ。
掴んだまま持ち上げられ、兵士の足が石畳から離れる。
若い兵士は顔を赤くしながら、イツラの腕をはがそうとする。
イツラは鼻で笑ってその兵士を放り投げた。
起き上がろうとしていた中年兵士は落ちてきた若い兵士に潰される。
折り重なって二人は呻き声を漏らした。
「ったく、弱い奴は黙って寝てろ」
イツラが興味なさげに呟く。
俺は自分の金属槍を拾い、柄を肩にのせた。
兵士二人は放っておいて、あらためて通りを進む。
城下町の中央に位置する円形広場に出る。
普段であれば外縁部の涼み台に町の人が腰かけてお喋りしているのだが、今日はのんびりとした姿は見られなかった。
とは言え、人影が全くないわけではない。
そそくさと通りを歩く住民が気にしているのは監視の目だ。
広場の真ん中にある戦士像のそばにトラネウス兵が四人立っていた。
広場で合流する四方向の通りをそれぞれが見張っている。
南側を見張る兵士が俺たちの存在に気付いて目元を険しくした。
ならばと俺は服の上から胸元のペンダントを押さえて合言葉を念じる。
――アウレオラ。
溢れ出した光が俺の体を包み、銀色に輝く全身鎧に変わった。
俺は自分の左手を見下ろし、拳を開け閉めした。
灰化した左腕が動くようになったのを確認する。
救聖装光を身にまとった時だけ、失われた感覚と熱が戻って来るのだ。
「何者だ! そこを動くな!」
トラネウス兵が大声を投げてくるが、もちろん俺たちは歩みを止めない。
ちょうどいいと思い、俺はしっかりと息を吸い込んだ。
「遠からん者は音に聞け! 近らば寄って目にも見よ! 救世主はここにある! 王国の惨禍を払うため私は帰ってきた!」
張り上げた声が静かな町中に響き渡る。
通りを歩いていた住民たちは驚いた表情で足を止めた。
「捕まえろ!」
槍を持ったトラネウス兵四人が駆け寄って来る。
俺とイツラは顔を見合わせ、互いに距離を空けた。
敵を半分ずつに分断して処理するためである。
俺は向かってくるトラネウス兵に警告する。
「邪魔をするなら容赦はしませんよ」
当然だが彼らは止まってくれない。
兵士二人が俺の方に、あとの二人はイツラの方に向かっていった。
「武器を捨てろ! 抵抗するな!」
トラネウス兵は槍を突き出して近付いてくるが、構えが隙だらけだ。
自分たちは勝者であるという余裕と、多勢であるという油断が滲み出ていた。
俺はため息をついて、地面を蹴る。
一瞬で距離を詰め、槍の一振りで兵士二人の得物を弾き飛ばした。
呆気に取られているその顔前に金属槍を突き付ける。
「命が惜しかったら、抵抗をしないで寝ててください」
兵士二人は口を開けたまま、両手を上げて降参の意志を示した。
ゆっくりと膝をつき、そのまま石畳の路上にうつぶせになる。
イツラの方もかたが付いたのか、トラネウス兵が殴り倒されていた。
「さて……」
俺は戦士像のそばに駆け寄った。
かつての救世主様であり、エルトゥラン王国初代国王を模した像である。
俺はその隣に立ち、像の真似をするように左手に持った槍を高く掲げた。
ティアナートが演説する様を頭に思い浮かべて、思い切って言葉を発する。
「エルトゥランに生きる全ての民よ! どうか我が声に耳を傾けてほしい! エルトゥラン王国は王の座を騙る姑息な輩のものではない! この国に生きる民、一人一人の力で成り立っているものだ! 徳を知らぬ非義非道の賊徒に怯えて従う必要などない!」
大通りに沿って建つ集合住宅の窓から住民が次々に顔を出す。
玄関から外を覗く者もいた。
不安と好奇の視線が集まって来るのがわかる。
俺は国の仕組みなんて理解していないし、ましてや統率者の資質もない。
それでも今この町を覆う空気を感じれば、救世主を演じるべきなのはわかる。
だからティアナートがいればそうするだろう振る舞いをやるのだ。
「私はこれから奪われたものを取り返しに王城へと向かう! 敵は多いだろう。だが恐れはしない! この声を聞いてくれている皆が私の味方だからだ! 私が先頭を走る。皆の勇気でどうか私の背中を押してほしい!」
ざわめき声が少しずつ大きくなってきている。
だが建物の外に出て、気勢を上げる者まではいなかった。
恐怖に立ち向かうには心に希望の火をともさなければならない。
その難しさは俺も身をもって知っている。
だから無理強いするつもりはない。だけど。
「この国の未来を創っていくのは、この国に生きる貴方たち一人一人だ! 他の誰でもない自分自身なんだ! どうかそれだけは忘れないで!」
俺は槍を持つ左腕を下ろし、そばで待つイツラに声をかける。
「それじゃあ、そろそろ殴り込みに行きましょうか」
「待たせやがって」
イツラは不敵に笑った。
俺たちはエルトゥラン王城を目指して、大通りを東に駆け出した。