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43話『仮釈放』

 牢屋代わりである、煉瓦造りの平屋の玄関扉を俺は開いた。

 煉瓦を敷いた床の真ん中で、がっしりした体躯の獣人があぐらをかいている。

 筋肉質な体を覆う赤茶と黒色の体毛がまだらな模様を描いている。

 獣人は目を閉じて、精神を集中させているようだった。

 その右手首と右足首には鎖付きの枷がはめられている。

 太い鎖は先が床下に埋め込まれていた。

 部屋の数少ない家具である机と椅子は隅によけてあった。


「飯の時間にはまだ早いんじゃねぇのか?」


 囚われの獣人ことイツラはまぶたを開いた。

 俺の姿を見つけて驚くと、すぐにその面に笑みを浮かべる。


「お前、シロガネか! ご無沙汰じゃねぇか!」

「お久しぶりです、イツラさん」


 俺は荷物を壁際に置いて、救聖装光を解除した。

 彼の対面に腰を下ろして、あぐらをかく。

 イツラは自身の太ももに肘を置くと、拳にあごを乗せた。

 気だるそうに息を吐く。


「こんな狭い部屋に二か月も閉じ込められて、いい加減腐っちまうぜ。おいシロガネ。なんか面白い話でも聞かせろよ」

「……良い話と悪い話。どちらから聞きたいですか」


 すると、イツラはにやりと笑った。


「当然、悪い方からだ」

「……落ち着いて聞いてくださいね」


 俺は深呼吸をして心を鎮めようとした。

 だが気持ちとは裏腹に心臓が早くなるばかりだ。

 二度目だがやはり来るものがある。


「つい先日、チコモストで獣人族の皆さんと戦いました」

「……それで?」


 イツラは真顔で聞き返してくる。


「ウィツィさんとアカマピさんを討ちました」


 イツラはそのままの表情で、俺から目を離さなかった。

 俺はじっと耐える。

 沈黙の時間がやけに長く感じられた。

 ふとイツラはため息をつく。


「どうもいまいち実感が湧かねぇなぁ。お前が生きてるってことは本当の話なんだろうけどよ」


 困ったように右手で頭をかくと、手首の枷に繋がった鎖が音を鳴らした。


「あのバカみたいに強い兄貴と親父がやられたなんて信じらんねぇよ。自分の目で確かめるまでは何とも言えねぇな。で、良い話の方は?」


 思ったよりも軽い反応に、俺は内心ほっとしていた。

 捕虜になってからずっと、イツラはここで監禁されていた。

 もちろんその間、外部からの情報は遮断されている。

 嘆き憤る以前にピンと来ないのかもしれない。


 それにしても怒られなかったから安心するなんて俺は卑怯な奴だ。

 でも今は悩んでいる暇はない。

 暗い渦に沈みそうな気持ちを振り払って、俺は話を続ける。


「貴方をこの監獄から出します」

「へぇ?」


 イツラは上半身を前に出して、顔を寄せてきた。


「それはオレを処刑するって意味か?」

「違います。貴方の強さを俺に貸してほしいんです」

「……もっと詳しく話せよ」


 イツラはにやにやと笑う。

 獣人族の本能が戦いの匂いを嗅ぎつけたのだろうか。

 俺は現在の状況を彼に説明した。

 トラネウス軍がエルトゥラン王城を制圧したこと。

 そして今からそこに向かおうとしていることを伝えた。


「もし必要なら、俺は占拠された城に乗り込むつもりでいます。敵が何百人いようと、力尽くでもティアナートを救い出す。その時に背中を預けられる強力な仲間が欲しいんです。貴方にこんなことを頼むのは、筋違いな話だとは思うのですが……」

「ふーん。面白い話じゃねぇか」


 イツラは腕を組んで、口元から牙を覗かせた。


「で、それに協力すればオレを釈放するってことか?」

「約束します。コヨルゥさんからも貴方を早く帰すよう言われていますし」

「姉貴がねぇ……」


 口うるさい姉の顔を思い出したのか、イツラは顔をしかめた。


「まぁいい上等だ。ちょっくら付き合ってやるよ。運動不足だしな」

「ありがとうございます」


 さっそく俺は腰を上げ、煉瓦平屋の外で待つピリオを呼びこんだ。

 イツラの枷を外すよう頼むと、小太りの責任者は渋い顔をした。


「お言葉ですが救世主様。さすがにそれは致しかねます……」


 彼はこのサルハドン監獄の管理責任者だ。

 上の決定なしに捕虜を解放して、後から問題になるとまずいのだろう。

 そう察した俺は、彼が欲しがっているだろう言葉を口にする。


「陛下にもドナン将軍にも俺が了解を取ります。責任は全て俺にある。貴方が非を責められることはないと約束します」


 ピリオの目をじっと見つめる。

 彼は眉根に深くしわを寄せて、額に浮かんだ汗を拭った。


「貴方ほどの御方がそこまでおっしゃるのでしたら……」


 渋々といった様子で古びた鍵を差し出してくる。

 実行するなら自分の手でやれという意味だろう。

 俺はお礼を言い、枷の鍵を受け取った。

 

「イツラさん」


 呼びかけると、獣人族の王子は枷のついた右手と右足を前に出した。

 俺はまず右手首の枷に鍵を差し込んだ。

 錆びているせいかうまく回せない。

 枷を左手で掴んで固定できればいいのだが、それはないものねだりだ。

 救聖装光をまとえば左手は動くが、その分きっと体の症状も進んでいく。

 左手を使わない生活に積極的に慣れていかないといけないのだ。


「おいシロガネ」


 四苦八苦する俺に、イツラは苛立った様子で言ってきた。


「お前ちょっと不用心すぎやしねぇか? オレがその気だったら、お前は今ごろ絞首刑だぜ?」


 枷についた太い鎖を揺らしてくる。

 なんだそんなことかと俺は言い返す。


「そんなつまらないことはしないでしょ貴方は」

「んだと?」

「そんな勝ち方で納得できるんですか?」


 襲いかかるのなら、いくらでもタイミングがあったのだ。

 そうしなかったのはイツラが決闘を重んじる獣人族の戦士だからだ。

 それをわかっているから俺は無防備を晒しているのである。


 ようやく手首の枷が外れた。

 顔を上げると、イツラは満足そうに口角を上げていた。


「言うようになったじゃねぇか……!」

「現地でたっぷり勉強させてもらいましたから」


 笑みを返し、次に足首の枷も外してやる。

 およそ二か月ぶりに自由となったイツラはまず腕と足をぶらぶらさせた。

 筋肉の柔軟性や関節の可動域を確かめているようだ。

 俺はピリオに鍵を返す。


「むちゃなお願いを聞いていただいて、ありがとうございました」

「これもお国のためになるのでしたら……」


 次は勘弁してくれという顔でピリオは頬をかく。

 俺はアウレオラの合言葉を心で念じ、救聖装光を身にまとった。

 壁際に置いていた荷物を背負う。


「それじゃあイツラさん。行きましょうか」

「おうよ」


 俺はイツラを連れて、牢屋代わりの煉瓦平屋を出た。

 ピリオと衛兵たちに見送られて、俺たちはサルハドン監獄を後にした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 エルトゥラン王城近郊に到着した頃にはすっかり夜になっていた。

 王城を囲う城壁の上にぼんやりとした橙色の光が浮かんでいる。

 おそらく警邏の兵士が携えた角灯の明かりだろう。


「あそこに乗り込むんだな?」


 隣のイツラが聞いてくる。

 月が細い夜は本当に暗い。

 そばにいて辛うじて顔がわかる暗さだ。

 遠目では闇に紛れて認識できないだろう。


「先に寄りたいところがあるんです。まずは迂回して町に向かいます」

「しょうがねぇなぁ」


 イツラは舌打ちしたが、従ってくれるようだった。

 城の見張りに見つからないよう距離を取って草原を走り、町に向かう。

 石畳の敷かれた緩やかな坂を下り、俺たちは城下町の大通りに入った。

 通りに沿ってコンクリート造りの集合住宅が雑多に立ち並んでいる。

 街灯などない町は暗く静かだ。

 エルトゥランの町の人は夜になればすぐに眠る。

 ろうそく代もバカにならないので、庶民は夜更かしなどしないのだ。

 この時間に明るいのは酒場宿場くらいのものだろう。


 城下町の中心地である円形広場に明かりが動いていた。

 俺は遮るように腕を横に伸ばし、イツラに待ての合図をする。

 二人で建物の陰に隠れ、様子をうかがう。

 どうやら広場の外縁部を見張りがゆっくりと周回しているようだ。


 見回りの視界に入らないよう、俺たちは建物の裏路地を移動した。

 角灯の光の位置を気にして、陰から陰へささっと抜ける。

 円形広場をやや迂回する形で南に向かう通りに出た。

 念のため振り返って確認するが、角灯の明かりは遠い。

 気付かれてはいないだろう。


 立派な邸宅が並ぶ、寝静まった南通りを進む。

 途中で西に曲がって行くと、暗闇の向こうから海の囁きが聞こえてくる。

 少し坂を上った先の小高い場所に大きな木造の屋敷があった。

 旧アルメリア邸こと、今は救世主様のお屋敷である。


 前庭を抜けて、屋敷の玄関に到着した。

 呼び出し用の釣り鐘を、夜分なので少し弱めに鳴らす。

 闇の中しばし待つ。


 屋敷は静まり返っていた。

 もう一度、釣り鐘を鳴らしてみるが、応答がない。

 焦れたイツラが俺の腕を小突いてきた。


「何の用で来たか知らねぇけどよ。ぶち破った方が早いぜ?」

「俺の家なんです。もう少し待ってください」


 やむを得ないと思い、俺は玄関扉をどんどんと叩いた。

 大声で中に呼びかける。


「シロガネです! シトリさん、いませんか? シロガネです!」


 耳を澄まして待つが、それらしい物音は聞こえてこない。

 急に俺は不安になる。

 この屋敷は公には救世主様のお屋敷だ。

 トラネウス暗部は一度、俺を暗殺しようとした前科がある。

 屋敷に押し入って、シトリたちを襲った可能性も考慮すべきなのか。


「おいシロガネ。ちょっと来い」


 イツラが玄関から少し離れた壁際から手招きしてくる。

 なんだと近寄ると、彼は屋敷の廊下の窓を指さした。

 窓ガラスが割れている。もちろんイツラが割ったわけではない。


「どうすんだ?」

「……入りましょう。足下に気を付けて」


 俺は割れた窓から屋敷の中に乗り込む。

 屋敷の廊下は真っ暗だった。

 俺の後に続いてイツラも廊下に下りた。


「誰か探してんなら手分けしてやるか?」

「はぐれたら面倒なので、イツラさんはここで待っていてください。もし誰かいたら大声で知らせてください。手を出しちゃだめですよ」

「めんどくせぇなぁ」


 イツラは舌打ちして、壁に背を預けた。

 文句を言いつつも待っていてくれるようだ。


 視力よりも記憶力を頼りに探索を開始する。

 俺はまず、玄関からすぐの右側廊下の角部屋へと向かった。

 扉に手をやると、すんなりと開いた。

 中には誰もいないようだ。


 この部屋は応接間で、奥の書斎には隠し通路があるとギルタは言っていた。

 身を隠すならここだと思ったが外れのようだ。


 玄関正面の折り返し階段で二階に上がる。

 それから俺は屋敷の右側廊下を突き当たりまで進んだ。

 一番奥の部屋はシトリが私的に使っている部屋である。

 扉に手をかけると、抵抗があって開かない。

 中からかんぬきがかかっているようだ。

 耳を澄ますと、部屋の中で何者かが息を潜めている気配を感じた。


「シロガネです。シトリ、ただいま」


 明るく声をかける。

 しばしの静寂の後、かんぬきが外れる音がして、扉がそっと開かれる。


「ひっ!?」


 シトリが怯えて扉を閉めようとしたので、咄嗟に俺は手を差し込んだ。

 鎧を着たままだったので、兵士か賊かと勘違いしたのだろう。


「俺だよ! ちょっと待って」


 俺は救聖装光を解除する。

 白い閃光が弾けた一瞬の後、俺はいつもの作務衣の自分に戻っていた。

 シトリは腰が抜けたみたいに床に尻もちをついている。

 俺は膝をついて彼女と目線を合わせた。


「ただいま、シトリ」

「本物? 本当に本物のシロガネ?」

「もちろん。急いで帰ってきたんだ」


 右の手を差し伸べると、シトリは俺の服の袖を掴んでうつむいた。


「遅いよ……なんで大事な時にいてくれなかったの?」


 その泣きそうな声に、俺は金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。


「ごめん……」


 空気が重くのしかかる。

 彼女の気持ちに寄り添いたくはあった。

 だがまずは事情を聞かせてもらわないといけない。

 それがわからないと俺も余裕がないんだ。

 俺は努めていつもの調子で話しかける。


「エルトゥランで何が起こったのか教えてほしいんだ。下に一人、仲間を連れてきてる。一緒に来て話を聞かせてほしい」


 しかし、シトリはうなだれたまま動かない。

 俺は右手を彼女の左肩に添えた。


「頼むよ。まだ少しでも取り返しがつくならやらなきゃいけないんだ。その為に俺はむちゃして帰ってきたんだから」

「シロガネ……」


 シトリは指で目元を拭うと、俺の胸をそっと押しのけた。

 すくっと立ち上がると、俺に背を向けて部屋の奥に歩いていく。

 そして机の上に置いた燭台のろうそくに火を灯した。

 淡い光が、地味な使用人服に身を包んだ彼女の姿を浮かび上がらせる。


「ごめんね。あんたが急に帰ってきたから八つ当たりしちゃった」


 シトリは少しやつれた顔をしていたが、目には光が戻っていた。


「行きましょ」


 二人で部屋を出る。

 燭台を持ったシトリが早足で歩くので、俺はその後に続いた。

 玄関へと続く折り返しの階段を下りていく。


「ひゃ!?」


 突然、シトリが悲鳴を上げて足を滑らせる。

 すんでの所で俺は彼女の体を支えた。

 明かりに照らされた玄関には、傍目には凶悪な獣人の姿があった。


「お待たせしました、イツラさん」

「思ったより早かったな」


 俺はシトリを立たせて、目の前の獣人イツラを紹介した。

 シトリは腰が引けていたが、危険がないことは理解してくれたようだった。


「座って話をしましょうか」


 三人で食堂に足を運ぶ。

 玄関から廊下を左側に進んだ先の大部屋がそうだ。

 縦に長い食卓に置かれた燭台の明かりが食堂をほのかに照らす。

 シトリは調理場で火を起こし、いつものお茶をいれてくれた。

 卓上の明かりを囲んで、俺たちは椅子に腰を下ろした。

 イツラの対面に俺が、俺の隣にシトリが座った。


 まずは温かいお茶で一服する。

 木製ジョッキになみなみと入ったお茶を、イツラは念入りに息を吹きかけて冷まそうとした。熱いのは苦手なんだろうか。

 ずずずと音を立てて、イツラはようやくお茶を口にした。


「……なかなか趣味がいいじゃねぇか。ありがとよ」


 お気に召したようだ。

 野花や薬草を乾燥させて作った、シトリの故郷のお茶である。

 癖のある風味がかえって彼の舌に合ったのかもしれない。


 一息ついたところで、俺はシトリに話を促した。

 彼女はこくりと頷いて、事の次第を語り始めた。


「王女様はトラネウスの追っ手に捕まった。ベルメッタとかいう付き人の女の人も一緒に。逃げる時間を稼ごうとしてギルタも……」

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