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42話『君を想い千里を駆ける(2)』

 日が昇るにつれて、荒野の気温も上がっていく。

 脱水症状に陥っているのか頭が痛くなってきた。

 抑えめのペースで走っていると、ようやく大きな集落を見つけた。

 敷地を囲う日干し煉瓦の壁はまるで防壁だ。

 その防壁の周囲には堀まで掘ってある。

 ここは以前、コヨルゥが拠点にしていたあの集落だ。


 集落の防壁の東側には堀を渡す丸太の橋がある。

 俺は藁にも縋る思いで集落の中に駆け込んだ。

 ここには井戸があったはずなのだ。


「あった……!」


 木桶を放り込んで、水をすくい上げる。

 桶の中で透明の水がたぷたぷと波打つ。

 顔から突っ込みたくなるが早まってはいけない。

 生水のうかつな摂取は下手をすれば命にかかわる。

 順番だ。順番にやらないとだ。


「頭だけ……頭だけ……」


 頭部を覆う兜の部分だけ、俺は救聖装光を解除した。

 手で水をすくって顔を洗う。


「ふぅーい……」


 砂漠状態の肌に気持ち良く水がしみる。

 頬をなでる風が熱気を拭い去ってくれた。


 俺は木桶に水を汲みなおし、近くの空き家に入った。

 中はもぬけの殻だが、家なので当然かまどがある。

 周りも調べてみる。


 鍋と木の匙、それに火打石を見つけた。

 食糧や金目の物以外の、替えの効く物は放置されているのではと思ったのだ。

 たっぷりと水を注いだ鍋をかまどに設置する。

 そこではたと気付く。


 かまどに残っているのは灰だけで、燃料になる炭や薪が見当たらない。

 仕方ないので外に探しに出る。

 集落をうろついていると、一角にある飼育小屋が目に留まった。

 小走りで向かう。


 家畜はいないが、乾いた牧草がたんまり残っていた。

 腕で抱えて持っていく。

 これだけあれば火を使うのに足りるだろう。


 さっそく空き家に戻って、かまどに火を起こした。

 鍋が煮立ったら、砕いた堅パンと干し果物を投入する。

 木の匙で混ぜながら、具材が柔らかくなるまでぐつぐつ煮込む。

 即席パンがゆの完成だ。


 火を消して、パンがゆの鍋を食卓に持っていく。

 そろそろ体も落ち着いただろうと、俺は救聖装光を解除した。


「……うん」


 だるさはあるが、普通に起きていられる。

 意識を持っていかれるほどではない。

 とにかくもう我慢の限界だ

 俺は匙を口に運んだ。


「んー……」


 率直な感想としては、味が薄い。

 せめて塩か砂糖があればもう少しましにできたのだが。

 それでも病院食みたいなものと思えば、今の俺には御馳走だった。


 はふはふしながらパンがゆを貪る。

 慣れてくれば、ほんのりとした甘みが健康的で悪くない。

 鍋に口をつけて最後の一滴まで飲み干す。

 胃袋が満たされて、体がぽかぽかしてきた。


「ごちそうさま」


 感謝の気持ちとして、桶に残った水で鍋と匙を洗うことにする。

 片腕で洗い物をするのは本当に大変だ。

 左手でものを固定するという行為の利便性をまざまざと思い知らされる。

 途中、何度かいらいらしながらも洗い物を済ませた。

 元あった場所に道具を戻して、俺は空き家を出た。


 青空に向かって腕を伸ばし、あくびをする。

 だいぶ体力を回復できた。

 気を取り直して出発するとしよう。


「アウレオラ」


 救聖装光を身にまとい、俺は集落を後にした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 国境のサビオラ砦を目指して、チコモストの荒野を南に向かって走る。

 決して無理はしない。

 ペースを維持することが結局は一番の近道になるからだ。


 一時間、二時間と地面を蹴って進む。

 見通しはいいが、景観があまり変わらないので感動も薄れてきた。

 こういう時は珍妙なことを考え始めるものだ。


 ふと思う。

 俺は今、ティアナートの危機に駆けつけるため走っている。

 自分にとって彼女はどういう存在なのだろうか。


 信頼はしてもらえているように思う。

 でなければ俺みたいな得体の知れない男をそばには置かないし、シトリの一件のような身勝手なわがままを許したりもしないはずだ。


 では彼女との間に深い絆があるのかというと、正直言ってわからない。

 俺とティアナートは愛し合う男女ではないのだ。

 強いて言えば姫と騎士だろうが、忠義心で結ばれているわけでもない。


 俺はただ、大切な誰かの為に命を投げ出せる男になりたいだけなんだ。

 初めてエルトゥランに来たあの日、俺は夕焼け空の下で彼女の涙を見た。

 その涙には命を懸ける価値があるように思えた。

 その決心だけで俺はこんなにも必死になっているんだ。


 蒼穹を舞う鳥の影がすっと横切る。

 高く昇った太陽が燦々と大地を照らしていた。

 銀色の俺は地べたを汗して走っている。


 命を懸ける、か。

 俺はあらためて自分に問いかける。

 まるで美談のようにほざいているけど、本当にそうだろうか。

 実態はもっと醜悪ではないのか。


 シロガネヒカルは我が身かわいさに幼馴染を突き放した意気地なしだ。

 過去は変えられない。

 その十字架の重さに心が押し潰されそうになる時がある。

 だから苦境に身を置く自分に酔っているんだ。

 苦しめば苦しむほど、困難に立ち向かう己がヒロイックな存在に感じられて、胸にぽっかりと空いた穴が満たされた気になるからだ。


 とは言え俺は、自分が気持ち良くなるためだけに動いているわけじゃない。

 困っている人を見れば心配になるし、手を差し伸べたくもなる。

 それはシンプルな衝動だ。

 父さんや爺ちゃんから受け継いだ慈愛、義憤の精神が発するものなんだ。


 何が正しいとかいう問題じゃない。

 光も闇もそのどちらもが俺なんだ。

 自分は聖人君子ではないが、餓鬼道に堕ちたつもりもない。

 白と黒が混じり合っているのが人間だ。

 大切なのはそれをごまかさず、認められるかどうかだろう。


 太陽の高さから考えて、もうじき昼になる。

 サビオラ砦はまだ見えてこない。

 涼風が吹く荒野を淡々と走り続ける。


 我ながらバカな奴だなと思う。

 素直なバカになれない面倒臭いバカだ。

 もっと単純に生きられれば人生は楽しいはずなのだ。


『お姫様かわいいヤッター! ピンチがどうした。ご褒美デートのチャンスだ! 格好いいところを見せてお近づきになってやるぜ!』


 たとえばそんな風に、年頃男子らしいバカをやれたらなんて思う。

 想像すると妙に気恥ずかしくて、俺は自嘲気味に頬を吊り上げた。


 ろくでもない思考を繰り返しながら、ひたすら走り続ける。

 視界の西側に険しいシバレイ山脈が見えてきた。

 次第に地面にも緑の色合いが増してくる。

 あともう少しだ。


 昼過ぎの一番暖かい時間に、俺はサビオラ砦に到着した。

 シバレイ山脈の麓から東の海岸まで、コンクリートの大防壁が続いている。

 これがエルトゥランとチコモストを隔てる国境線だ。

 見上げるほど高い大防壁と一体化したサビオラ砦は、遠い昔にエルトゥランの民が、獣人族の侵略を防ぐために築いたものである。


 砦の分厚い門扉はしっかりと閉ざされていた。

 城壁の上の足場から、見張りの兵士が大きな声で呼び掛けてくる。


「何者か! 所属と名を名乗られよ!」

「シロガネです! ドナン将軍より緊急の特命を帯びて参りました! 開門を願います!」


 見張り兵はぎょっとすると、すぐに近くの同僚を呼び寄せた。

 短く言葉を交わしたかと思うと、同僚の兵士が慌てた様子で走っていく。


「しばしお待ちを!」


 見張り兵はそう言うと、姿勢を正して右の手の平を左胸に当てた。

 この動作はエルトゥラン式の敬礼である。


 俺は遠く東側に見える水平線を眺めながら待つことにした。

 防壁東端の海岸線は反り返った険しい崖になっている。

 この崖下では時折、関所破りを企てた土左衛門が上がるそうだ。

 その多くは獣人だが、まれに国外逃亡を図った重罪人も見つかるらしい。


 すっかり呼吸も整い、待ちくたびれた頃、不意に砦の門扉が軋んだ。

 分厚い扉がゆっくりと動いて、開かれていく。

 その先の砦の広場には百人単位の兵士が整列していた。

 全員が踵を合わせて直立し、左胸に右手を当てている。

 仰々しい出迎えに驚いていると、最前列の老齢の将校が前に出てきた。


「サビオラ砦を任されております、ンディオ=ブイ将軍であります。救世主様の御帰還を皆でお待ちしておりました」


 短く切った髪は真っ白で、頬は骨ばっている。

 背の高さは百七十五センチくらいだろうか。

 背筋はぴんと伸びており、体付きも若い兵士に負けない厚みがある。

 老いを感じさせない目力の持ち主だった。


「我ら砦の守備隊はどう動くべきかわからずおります。どうか下知をいただきたい」

「その前にエルトゥランが今どういう状況なのかを教えてください。知っている限りでかまいませんから」


 ンディオは憂いを帯びた表情で語ってくれた。

 リシュリーの書簡を携えた急使が砦に駆け込んできたことを受け、ンディオは王城へと救援に向かうべく、出撃の用意を急いだ。

 だがいざ砦を出ようという時、また別の急使がやってきたのだという。


『トラネウス軍はエルトゥラン王城の制圧を完了した。全てのエルトゥラン兵は新たなる王に恭順するように』


 渡された書簡はトラネウス王国の国王アイネオスからのものだった。

 しかもその書簡にはエルトゥラン国王の印章が押されていたのだという。

 これにはンディオたちの間に動揺が走った。

 それは即ち、エルトゥラン王国の統治者である王女ティアナートが降伏したか、身柄を捕縛されたことを意味していたからだ。


 協議の末、出撃はいったん取り止め。

 ンディオは王城に偵察兵を送り、様子をうかがうことにした。

 偵察の結果、トラネウス軍が王城を制圧したのは事実であった。

 宰相であるリシュリーは幽閉され、城内の兵は家に帰された。

 今ではトラネウス兵がエルトゥラン王城を完全に占有しているとのことだ。


「ティアナートさんの状況はわかりますか?」


 尋ねると、ンディオは渋い顔で首を横に振った。


「城にいた味方の話では、城が陥落する前にどこかへお離れになったと。しかしトラネウスの者は幽閉したと言っており、真偽のほどは……」


 確たる情報はないということか。

 それでも最悪の知らせではないだけよしとしよう。


「わかりました。では俺から皆さんにドナン将軍の考えを伝えます」


 砦の兵士たちは背筋を伸ばした。


「俺たちは獣人族の王アカマピを討ちました。ドナン将軍は今、チノチ族と休戦協定を結ぶべく動いています。それが済み次第、迅速に帰国する予定です。それまでこのサビオラ砦が健在ならば勝てる。そう考えています」


 水を打ったように皆が息を止めた。

 隣の者と顔を見合わせ、にわかに色めき立つ。

 俺はドナンがよくやるように、勢いをつけて握り拳を掲げた。


「皆さんは仲間が戻るまでこの砦を守ってください。俺たちはあの強い獣人族にも勝てたんです。騙し討ちをするような卑怯者に屈する必要なんかない!」


 思わず言葉に力が入ってしまう。

 しかし滲み出た生の感情だからこそ、皆にも伝わったのだろう。


「うおおおぉぉぉぉー!!」


 兵士たちは拳を振り上げた。

 それは現状の不安を吹き飛ばしたいという気持ちの表れでもあっただろう。


「トラネウスなんぞに負けるものか!」

「俺たちは強い! エルトゥラン万歳!」


 怒りに燃える兵士たちで砦の広場は沸き立った。

 俺はンディオのそばに近寄る。


「自分はエルトゥラン王城を目指します。砦のことは頼みます」

「承知いたしました。粉骨砕身努めます」


 老将軍と握手を交わす。

 熱を取り戻したサビオラ砦を後にして、俺は再び走り出した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 エルトゥラン国内に入ってから、野原に緑が増えた。

 低木があちらこちらに生え、よく伸びた雑草が地面を覆っている。

 走り続ける間に日は傾き、青い空は赤く塗り替えられる。

 俺は王城へ向かう道すがら、サルハドン監獄に立ち寄ることにした。


 サルハドン監獄に立ち寄った理由は二つある。

 第一はティアナートがいる可能性があると踏んだからだ。

 サルハドン監獄はその性質上、堅牢な建物だ。

 王城の近郊で立て籠もるのに向いた施設はここが一番だ。


 また同時に逆の可能性を潰す目的もあった。

 ティアナートが収監されている可能性と、刑を執行される可能性である。

 身分の高い者や重要な囚人はサルハドン監獄に収監されるのが常である。

 考えたくないことだからこそ不安を払拭しておきたかった。

 もう一つの用事はそれらを確かめてからでいい。


 サルハドン監獄の周囲は高いコンクリートの壁で覆われている。

 壁の北側にある分厚い木製扉の前に衛兵が二人で立っていた。

 身に着けているのは膝上まで丈がある鎖帷子と頬当て付きの兜だ。

 エルトゥラン軍の標準装備である。

 俺は駆け寄って、彼らに声をかけた。

 すると衛兵は慌てた様子で姿勢を正し、右手を自身の左胸に添えた。


「きゅ、救世主様であらせられますか!?」

「お勤めご苦労様です。中に入れていただけますか?」

「ははっ!」


 衛兵は壁に空いた小窓で内側とやり取りをする。

 内側と外側、四人の兵士が重たい扉をせーので動かした。

 すると監獄の名にそぐわない、緑の庭園が正面に見えてくる。

 俺は門を通って中に入り、衛兵の一人に尋ねた。


「ここの責任者の方に会いたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」

「すぐに呼んでまいります!」


 衛兵は素早く一礼すると、庭園の向こうに建つ本館へと駆けていった。

 残った三人の衛兵が門扉を閉める。


「……」


 そばに一人残った衛兵の青年がちらちらと視線を向けてくる。

 ただ待っているのもなんなので、俺は話しかけてみることにした。


「どうかしましたか?」

「いえ、その……大丈夫なんでしょうか、僕たちの国は……」


 監獄の衛兵は一定期間、住み込みで仕事をする。

 王城の異変を耳で聞いていても目では見ていない。

 俺が外から来たので、不安が口をついて出てしまったのだろう。


「家族のことが心配で……すみません……」

「大丈夫ですよ」


 俺は意識して明るく振る舞う。


「アイネオスは『自分こそが新しい王だ』と気取っています。王は民に慕われてこそ王です。トラネウス兵の横暴を許せば民衆の反感を買うだけです。つまり彼はエルトゥランの人々を無下にできないということです」

「そ、そうですよね……!」


 衛兵の青年はほっとしたように胸をなでおろした。

 これも救世主の務めかと思って、ティアナートが答えそうな言葉を並べたのだがなかなかに気を使う。とはいえ的外れな話でもないはずだ。


 アイネオスは老獪な王だ。

 エルトゥラン王国を我がものとするためには、国民感情にも相当に気を使わなければならないことを理解しているだろう。

 エルトゥランで起こった一年前の反乱を当然、彼は知っているのだから。


 正面の庭園を通る道から男が二人、駆けてきた。

 一人は先程の衛兵だから、もう一人の小太りの男が責任者だろう。

 恰幅のよいお腹を揺らして、息を切らせてやってくる。


「ようこそお出でくださいました救世主様。私がサルハドン監獄の管理責任者のピリオ=ピエストです」


 人のよさそうな丸い顔をしている。

 年齢はおそらく四十代。

 身長は百七十センチに少し届かないくらいか。


「本日はどういったご用件で?」

「率直にお聞きします。ティアナートさんはこちらにいらっしゃいますか?」

「陛下……ですか?」


 ピリオは眉をひそめた。


「いえ、こちらにはお出でになられておりません。そのご様子ですと、陛下の安否は不明なのですね」


 そう言って、彼は眉尻を下げた。

 後ろにいる衛兵も沈痛な面持ちをしている。

 彼らが隠し事をしているようには見えなかった。


「わかりました。ありがとうございます。それとあと一つお願いがあります。イツラ=テパステクトリに面会させてください」

「え? ええ、承知いたしました」


 俺たちは庭木を横目に、東の離れに早足で向かった。

 離れに建つ煉瓦造りの平屋は、重要な囚人を閉じ込める高級な牢屋である。

 逃亡防止のため、窓には太い鉄格子がはめられていた。


 ピリオは番をしていた衛兵に扉の錠前を開けさせた。

 それから問うような視線を俺を向けてくる。


「話は俺が一人でします。外で待っていてください」


 小太りの責任者にそう告げて、俺は煉瓦平屋の扉に手をかけた。

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