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41話『君を想い千里を駆ける(1)』

 リシュリーからの手紙は文字が走り書きで乱れている。

 几帳面な彼らしくないそれは、切羽詰まった状況を伝えるに十分だった。


 手紙によれば、事が起こったのは今から五日前の深夜。

 日付が変わるかどうかの、空が闇の帳に覆われていた時刻だったという。

 まるで湧き出たかのように現れた軍隊がエルトゥラン王城に殺到した。

 敵兵士が身に着けていた装備からトラネウス兵と推察される。

 おそらく事前にエルトゥラン国内に兵を紛れ込ませていたのだろう。

 常備軍の大半を遠征に出したエルトゥラン王城に残された戦力は乏しい。


『私は城に残り防衛に努めますが、長くは持たないでしょう。留守を任されながらこの不始末、詫びようがありません。陛下が無事に城をお離れになられたことを祈るばかりです』


 文章はそこで途切れている。

 俺は手紙をドナンに返すと、右の手で左胸を押さえた。

 心臓が動きは早くしている。


「ここに書かれている内容は本当だと思いますか?」


 声を抑えて尋ねると、ドナンは手紙を机の上に広げた。

 紙面の隅に押された朱印を指さす。


「この印は宰相であるリシュリーが公文書に押す印章です。少なくともその点は間違いありません」


 仮にこの手紙を偽物とするなら、印章を盗むか強奪したことになる。

 そうやって偽手紙を作ったとしても、そもそも俺たちの所まで手紙を届けるには、急使に決死のチコモスト横断をさせなければならない。

 謀略だと考えるには不確定要素が絡みすぎる。


「ドナンさんは軍を預かる総大将として、これからどう動きますか?」


 ドナンは苦渋に満ちた表情で、白髪交じりの頭髪をかきあげた。


「このことを獣人族に悟られては手の平を返されかねません。可能な限り早急に休戦協定を取りまとめるしかない。慌てふためいて逃げ帰ればそれこそ背中を刺される。サビオラ砦に敵の手が回る前に戻れれば勝機はあるはずです」


 王城はすでに落ちている。

 そう仮定して、奪還のために最適な行動を取るということだろう。

 ドナンの考えは間違っていないと思う。

 早さは大切だが、焦りは失敗を引き寄せるものなのだ。


「わかりました。後のことはドナンさんに任せます」


 言いながら俺は席を立った。


「シロガネ殿?」

「俺はティアナートさんを助けに行きます。今から全力で走れば、三日もあれば城まで帰れる」


 俺の答えにドナンは唖然とした。


「しょ、正気ですか? それはあまりにも……」

「できますよ。救世主なんだから」


 俺は意識してにっこりと笑った。


「三日で着くとして、敵の攻撃が五日前なら合わせて八日。まだ城で頑張ってくれているかもしれない。試してみる価値はあると思うんです」

「しかし……」

「ドナンさん」


 俺は真剣な目で彼の目を見つめた。

 俺は自棄になっていないし、ふざけてもいない。

 それが自分にできる最適の行動だろうと、大まじめに考えているんだ。


「今はお互いできることをやりましょう。エルトゥランで待っています」


 ドナンは何か言い返そうとするも、それを飲み込んだ。

 覚悟を決めたように頷き、にっと笑ってくれた。


「御武運を」


 俺は総大将の幕舎を出て、自分の天幕に走った。

 夕焼け空に炊煙がくゆる。

 宿営用天幕の前で、オグたちが地べたに座って談笑していた。

 すでに食事を終えたのか、空の木皿が足元に置いてある。

 俺が戻ってきたのに気付いて、オグは手を上げた。


「おぅシロガネ。お疲れさん」


 そして、中身がまるまる残った皿を指で示してくる。

 今日の夕飯は根菜のスープのようだ。


「お前の分も確保しといたぞ。腹減ってるだろ」

「あぁうん、ありがとう……」


 一秒でも早く出発したいが、フルマラソンどころではない距離を行くのだ。

 エネルギーを取っておかないと体が動かなくなる気がする。

 迷っている時間の方がむだだろうと、俺は地面に腰を下ろした。


「いただきます」


 左手が使えないことで困ることの一つが食事だ。

 片方の手で皿をもって、もう片方で匙を使うということができないのだ。

 時間が惜しいので、行儀は悪いが右手で木皿を持って口元に持っていく。

 口いっぱいに具材を含んで、猛然と噛み潰してスープを胃に流し込んだ。


「ごちそうさま。オグ、悪いんだけど食器返しておいてくれる?」

「お、おう。別にいいけど……」

「ありがとね」


 俺は自分の天幕に潜り込み、荷物の詰まった背負い袋を肩にかける。

 金属槍を掴んで、また外に這い出した。


「どうしたんだよ、シロガネ?」


 なんだなんだと十人隊の皆も視線を向けてくる。


「ちょっと特別な任務で、すぐに行かないといけないんだ」

「おいおい! 親父の奴、人使いが荒すぎんだろ」


 オグは立ち上がって俺の肩を掴んだ。

 心配そうな顔で見てくる。


「お前さ、体の具合よくないんだろ? 無理して一人で背負い込むなよ。ここには何百人って仲間がいるんだ。そうだろ?」


 サムニーもムルミロもレティも他の皆も、オグに同意する表情をしていた。

 ここにいるのは同じ国を想う仲間なのだ。

 その気持ちに温かさを感じて、俺は頬を緩めた。


「わかってる。みんなと一緒だからここまで戦ってこられたんだ。俺一人で何でもできるなんて自惚れちゃいないよ。ただちょっとだけ、今回は俺向きの仕事ってだけ。心配しなくても、みんなにも同じくらい頑張ってもらうことになるから」


 俺は皆に同意を求める。 

 オグはやれやれと肩をすくめた。


「お前ってなんだかんだ頑固だよな。まぁいいけどさ。あんま無理すんなよほんと」


 ぽんと俺の腰を押してくる。

 彼らが帰る場所を守るためにも、俺は今行かないといけない。

 心にやる気の炎が燃え上がるのを感じた。


「じゃあ、いってきます」

「気ぃつけてなー」


 仲間の声援を背中に浴びて、俺は陣の外へと向かった。

 陣中の兵士たちは一日の仕事を終え、明日に備えてくつろいでいる。

 出入り口の見張り番と言葉を交わして、俺は陣の外に出た。


 まずはアスカニオたちがいる砦を目指そう。

 俺は周囲を見渡し、方角を確認した。

 山と湖の位置から考えて、向かうべき方角はあちらか。

 俺は首に下げた銀細工のペンダントを握り、合言葉を心で念じた。


 ――アウレオラ。


 閃光と共に透明結晶から飛び出した光の粒子が俺の全身を包み込む。

 光は鎧の輪郭を取ると、銀色に煌めく装甲に変わった。


「よしっ!」


 気合を入れて、俺は荒野を駆け出した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 夕日が沈むと空は漆黒の闇で覆われた。

 一昨日が新月だったので、月が姿を隠しており一段と暗い。

 だが代わりに星が綺麗に見えた。

 この地方の星の見方はベルメッタに頼んで勉強させてもらった。

 星を見れば方角がわかる。だから夜でも迷うことはない。


 闇夜の荒野を俺は一人で走り続ける。

 息が上がらないよう一定のペースでただただ走る。

 耳に届くのは地面を蹴る足音と己の息遣い、あとは心臓の音くらいだ。


 救聖装光をまとっているおかげなのか疲れを感じない。

 広大な大地を自由に駆ける解放感にはむしろ昂ぶりすら感じていた。

 ばねのように地面を跳ね、躍動する筋肉に心も弾む。

 俺自身が風になる感覚だった。


 走る。走る。走る。

 戦闘以外の用途で救聖装光の力を使うのは気持ちが良かった。

 たとえば包丁がそうであるように、道具は使いようなのだ。

 おいしい料理を作るためにも、人を刺すことにも使える。

 救聖装光の力もきっと、もっといい使い方があるはずなんだ。

 いつかそんな風に使える日が来ればと思う。


 一時間、二時間、止まることなく走る。

 ティアナートはどうしているのだろう。

 リシュリーは彼女を逃がしたと書いていたが、無事でいるだろうか。

 どこに逃げたのか。逃げたとしても何日、身を隠していられるのか。

 それも襲撃者であるトラネウス兵の数によるのだが。


 考えていると腹の底から怒りが煮えたぎってくる。

 俺たちが血を流して必死の思いで戦っている間に、トラネウスの国王様は『いつ背中から襲いかかってやろうか』とほくそ笑んでいたわけだ。

 でもそういうものか。

 悪意のある人間というのは、おぞましいからこそ仮面を被るんだ。

 今度会ったら鼻っ柱をへし折ってやると心に誓った。


 三時間、四時間、終わりの見えない暗闇を走り続ける。

 いつからか音が聞こえなくなっていた。

 視界の暗さも相まって、次第に思考が薄れていく。

 余計な体力を消耗しないよう、感覚が省エネ化しているのだろう。

 無心と化して俺は荒野を駆けた。


 五時間、六時間。

 口の中が乾いて、舌を動かしても泡すら出ない。

 意識が朦朧としている。

 なかば勝手に体が動いているような状態だった。

 痛みはないが、足の甲や足首、膝、股の関節が熱を持っているように感じる。


 目を閉じたら、走りながら眠れやしないだろうか。

 まぶたを下ろしてみると、頭の重さがわずかに和らいだ気がした。

 五感から得られる情報量は視覚が随一だという。

 まだまだ先は長いのだから、少しでも楽ができるならそうしたい。


 光のない世界をひた走る。

 何だか本当に眠たくなってきた。

 まるで夢の中みたいに体の感覚がとろけていきそうで……


 ――その瞬間はまさに突然だった。


 足先への衝撃で意識が鮮明に覚醒する。

 何かに蹴つまずいた俺は咄嗟に槍と荷物を投げ捨てた。

 かろうじて体を丸めて、地面をごろごろと転がる。


 耳を澄ますが、風の音しかしない。

 とりあえず周囲に生き物の気配はしなかった。

 出っ張った石か何かにつまずいたのだろう。


「……ふーぅ」


 地面に体を打ちつけたが、ケガというほどではない。

 俺は仰向けになって、胸を上下させた。

 調子に乗るからこんな目に合う。

 まぁ仕方がない。これも機会だと思って休憩を取ろう。

 俺は胸に手を当てて、救聖装光を解除した。


「あ――」


 途端に平衡感覚がなくなり、無重力下のように頭がぐるぐる回る。

 しまったと思った時には遅かった。

 渦に飲み込まれるように俺の意識は薄れていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 眩しさを感じて、俺は右手をかざした。

 まぶたを薄く開くと、紺色の空に夜明けの太陽が輝いていた。


「っ!?」


 慌てて跳ね起きようとするも、体の痛みに怯む。

 頭が重いし、全身の筋肉が悲鳴を上げている。

 乾ききった喉では唸り声すら出せやしない。


 どうにかこうにか上半身を起こす。

 周りを見回すと、少し離れた地面に獣人が倒れていた。

 遠くにも横たわる影が一つ、二つ、多数。

 野ざらしのまま放置された獣人の遺体だった。

 俺は自分の現在地を把握した。

 アカマピと決戦した場所まで戻ってきていたのだ。


 のっそりと立ち上がって、槍と背負い袋を拾いに行く。

 盗まれていなくて良かった。

 俺は安堵の息を吐き、地面に腰を下ろしてあぐらをかいた。

 とりあえず水が飲みたいと思い、背負い袋を開く。


「あー……」


 果実酒の瓶が割れて、中身が溢れてしまっている。

 俺はげんなりしながら荷物を背負い袋の中から出した。

 貴重な水分は着替えが飲み干してしまったようだ。

 絞れば出ないかなと服を右手で握ってみる。

 わずかだが水滴で口内を濡らすことができた。


 他の荷物はどうだろう。

 堅パンは無事のようだ。入れていた皮袋が少し湿っているくらいだ。

 干し果物も似たようなものか。

 確認ついでに、干し果物を一切れ口の中に放り込む。


 甘くてすごくおいしい。

 雀の涙ほどだが元気が出た。

 荷物を詰め直して、頑張って立ち上がる。


 さてどうしよう。水を探すか、道を急ぐか。

 一分ほど立ったまま頭を捻るも、考えるのが面倒になった。

 あるかないか不確かなものを探すことに時間を割くのは不毛だ。

 道中に出くわせば幸いくらいに思っておこう。


「……アウレオラ」


 救聖装光を身にまとう。

 あらためて思ったのだが、この鎧は解除した瞬間に堰が切れたようになる。

 着ている間は不思議な作用が働いて平気でいられるのだが、実際には限界をはるかに超えたダメージが肉体に蓄積しているのだ。

 だから解除した途端、それを脳が認識して耐えられなくなるのだろう。


 普通に考えれば、六時間以上ハイペースで走り続ければ人間は倒れる。

 倒れてしまったのは必要な休息だったと納得しよう。

 まだ取り返しはつくはずだ。


「さて……」


 移動を再開する。

 戦場跡には無数の骸が残されていた。

 風化して土に還るまできっとあのままなのだろう。

 冥福を祈りながら駆け抜けた。


 乾いた荒野を東へと走る。

 一時間もしない内に、遠くに砦の輪郭が浮かんできた。

 地平線までの距離は意外と短い。

 ぼやけていた情景はみるみる鮮明になり、土塁を城壁とする砦に到着した。


 跳ね橋のある南側に回る。

 吊られた橋桁のそばに建つやぐらの上に、見覚えのある人影を見つけた。

 俺は堀の前から呼びかける。


「アスカニオさん! 話したいことがあるんです。中に入れてくれませんか!」


 やぐらの上の若き勇将は口を閉ざしたまま、じっと俺を見下ろしていた。

 聞こえなかったのだろうか。俺はもう一度声を張り上げる。


「アスカニオさん! 俺です、シロガネです! 橋を下ろしてください!」


 するとアスカニオはおもむろに片手を上げた。

 わかってくれたのか。

 俺がほっと息を吐いた瞬間、土塁の上に兵士が一斉に姿を現した。

 その手には弓矢が握られている。

 俺は奥歯を噛みしめる。


「アスカニオさん! これはどういうことなんです!」

「橋は下ろしません。今すぐ立ち去っていただきたい!」


 やぐらの上から、アスカニオのはっきりとした声が返ってくる。

 この反応はつまりそういうことなのか。


「貴方は! 今エルトゥランで何が起こっているか知っているんですね! 貴方の父親が何をしたかわかっていて、俺の前に立っているんですね!?」


 大声で問うと、アスカニオは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「私とてこうなることは望んでいませんでした。ですがこれも王命なのです。どうかご容赦いただきたい!」


 その返事を聞いて、俺の胸に浮かんだのは寂しさだった。

 彼はトラネウス王国の嫡男なのだ。

 置かれた立場が違う以上、守るべき大切なものも違う。

 それは仕方のないことだ。


「十数える前に去ってください! でなければ貴方を撃ちます!」

「アスカニオさん!」


 こんなことになってしまったが、この遠征では彼の世話になった。

 その感謝の気持ちだけは伝えておきたい。


「お世話になりました! 俺は貴方のこと好きでしたよ!」


 手を振ってさよならする。

 アスカニオは呆気に取られたような顔をしていた。

 返事を待たず、俺は砦に背を向ける。

 立ち止まっている暇などないのだ。

 次の場所に向かって、俺は颯爽と駆け出した。

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