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40話『和平交渉』

 決戦に勝利した連合軍は砦に帰還し、夜を明かした。

 そして次の日は砦に留まり休息をとった。

 この間に負傷兵の治療や戦果の申告記帳も行われている。


 勝利の勢いに任せて、休まず追撃を続ける手もあった。

 だが総大将ドナンはその選択をしなかった。

 理由としては、地の利が相手にある土地での拙攻を避けたかったこと。

 対エルトゥラン強硬派のアカマピ大王討伐を達成したため、必要以上に獣人族を痛めつけて、恨みを買う必要はないだろうと判断したことが挙げられる。


 負傷者の数も無視できない。

 ケガ人の治療は夜通し行われたが、日が昇っても終わらなかったくらいだ。

 大勝したのは間違いないが、多くの犠牲を出しての勝利でもあったのだ。


 負傷の話は俺にとっても他人事ではない。

 俺の体のことだが、切断されたはずの左前腕がくっついていた。

 なんとも奇怪な話である。

 ただしそれは本当に繋がっただけでしかない。


 切断された左前腕が燃え尽きた灰の色に変わっていたのだ。

 ティアナートの左腕と同じ症状が出ているものと思われた。

 肘から先の感覚がなく、強く押してもつまんでも何も感じない。

 力を込めようとしても、指や手首はぴくりともしなかった。


 また灰化した左前腕は人体本来の柔らかさを失っていた。

 触った印象は焼いて固くなった肉のようである。

 いちおう右手で掴めば、指や手首を無理やり曲げることはできるのだが、ぼろっと突然もげてしまいそうで不安で仕方がない。


 あと少しお下品な話だが、明らかに血が混じったであろうものが出た。

 内臓もかなりのダメージを受けているようだ。

 打ち込まれた腹がじくじくと痛む。

 それでも食事をおいしくいただけるあたり、別の意味でも体内に異常が起きているのを実感するが、そのことを考えたところでどうなるわけでもない。


 俺は自分の現状を、思っていたよりも冷静に受け入れていた。

 認識が追い付いていないだけかもしれないが、ともかく落ち着いている。

 なにしろあれだけの戦いをして生きているのだ。

 むしろこの程度の代償で済んだなら御の字だろう。

 片腕が使えない日常には戸惑ってばかりだが、嫌でも慣れていくしかない。


 ひとまずティアナートに倣って、俺は左手に手袋をはめることにした。

 今は有り合わせの、兵士用の分厚い茶色の皮手袋である。

 当事者になって、彼女の苦労をより深く理解できた気がした。

 できれば人目には晒したくない。

 怖がられるのは嫌だし、逆に気を使われるのもそれはそれで億劫だ。


 一日の休息を終えて、軍は次の動きに移る。

 ドナンは部隊を二つに分けることにした。

 砦に残る部隊と、中央チノチ地域へ向かう部隊とにだ。


 協議の末、砦にはアスカニオの騎兵隊が残ることとなった。

 軍議の場においてアスカニオは『敵の本拠地に乗り込む栄誉は主力であるエルトゥラン軍のものである』と残留を申し出たのだ。

 この言葉を受け、エルトゥラン軍の百人隊長らは『もっともな意見だ』『アスカニオ将軍は器が大きい』と賛同し、満場一致で決定と相成った。


 ドナン率いるエルトゥラン軍が砦を出た。

 兵士の数は千名足らずといったところで、重症を負った者は残していく。

 俺も残ることを勧められたが、無理を言わせてもらった。

 獣人族の王アカマピの首をはねた者として、この戦いの行く末を見届けるべきだと強く感じていたからだ。

 もっとも歩く元気はないので移動は馬だ。

 芦毛のあの子のお世話になることにした。

 ちなみにだが名前を『スイ』と名付けた。


 砦から北西へ行軍すること七日。

 冠のように雪をかぶった山脈が遠く北に見えてきた。

 獣人族がヌウア山脈と呼ぶこの山はチコモストの北端である。

 断崖絶壁のごとく聳えるこの白い山脈を越えた生者はいまだおらず、あの向こうにどのような景色が広がっているかは死後にしか知りえないのだという。


 ヌウア山脈の麓には雪解け水でできた大きな湖がある。

 周囲には草木が育ち、チコモストの地では珍しい緑の景色が見られる。

 チャルチウ湖と名付けられたこの湖はまさに救いのオアシスだ。

 かつてエルトゥランの地を追われ、チャルチウ湖に辿り着いた獣人族は、この素晴らしい水源を巡って争い、三つの大部族に別れたと言われている。

 その時、同族との争いに勝利したのがチノチ族であり、チャルチウ湖のそばで発展した巨大な町こそが彼らの暮らす水の都チノチトラなのである。


 日が傾き始めた頃、チノチトラの町を目視できる距離まで軍は到達した。

 町を囲う外壁の前には獣人軍が待ち構えていた。

 相手の兵数はおよそ千名といったところか。


 ドナンは進軍を停止させ、戦闘陣形を組むよう命じた。

 向こうが仕掛けてきた場合、応戦できるようにである。

 ドナンは百人隊長らに一通りの指示を出すと、俺のそばにやってきた。


「シロガネ殿。共に来ていただけますか?」

「はい」


 土埃を上げて整列する兵士たちを残して、馬に乗った二人だけで前に出る。

 あえて二人なのは『話をしよう』というアピールだ。

 俺たちは殲滅戦争をしに来たわけではない。

 大勢が決したなら速やかに幕を引くべきなのだ。

 だらだらと戦いを長引かせても誰のためにもならない。


 かっぽかっぽと蹄を鳴らして馬が歩く。

 吹き下ろしの山風が湿気をはらんで、俺の頬を冷たくなでた。


「シロガネ殿、鎧をまとわれた方が良い。どこから矢が飛んできてもおかしくないのです」


 隣を行くドナンが心配するように言ってくる。

 鎧兜に外套をまとったドナンに比べて、作務衣の俺は無防備だった。

 俺は少し躊躇するも、彼の言う通りだと胸元のペンダントを握った。

 合言葉を心で念じ、救聖装光を身にまとう。

 途端に体の痛みと倦怠感がすっと消えた。

 灰化した左腕に血と熱が流れる感覚がする。

 不思議なことに左手が動かせるようになった。


 まるで麻薬か何かだなと思う。

 生の苦しみをこんなにも簡単に消し去って、気持ち良くしてくれる。

 悪魔の力と呼ばれても仕方ない存在だと俺は苦笑いした。


 馬を進めることしばし。

 待ち構える獣人軍の中から一人が前に出てきた。

 長く垂れた髭を揺らしてこちらに走って来る。

 彼の姿は前の戦いで見た覚えがある。

 アカマピ配下の指揮官級獣人で、クァクァの名で呼ばれていただろうか。


 両軍がにらみ合う荒野の真ん中で、俺たちはクァクァと対面した。

 ドナンは馬上からクァクァに言葉を投げかける。


「私はエルトゥラン軍総大将ドナン=ダングリヌスである。貴殿は何者か?」


 クァクァは落ち着きのある細長の目をドナンに向けた。

 指先を伸ばした直立の姿勢で答えてくる。


「私の名はクァクァ。コヨルゥ様から伝言を預かっております」


 生きていたのかと俺は驚く。

 決戦の場にいなかったので、てっきりと思っていた。

 城壁集落での戦いの後、チノチトラに戻っていたというわけか。


「して、コヨルゥ殿はなんと?」

「休戦の話がしたいと。そちらの代表者を案内するよう命じられております」

「ほぅ……」


 ドナンは平静を装っているが、内心は胸をなで下ろしたことだろう。

 徹底抗戦に出られて泥沼になることだけは回避したかったのだ。

 これまでの印象から鑑みて、コヨルゥは獣人族の中では珍しく、武による思考を最優先としない人物だ。

 彼女が舵取りをしているなら話が早い。


「交渉の場を設けよう。場所は我々が今いるこの場所はいかがか? そちらが良ければすぐにでも設営をさせていただく」

「いえ、交渉の場はコヨルゥ様のお屋敷でお願いしたい」


 クァクァの返答に、ドナンは顔を強張らせる。

 長い髭の獣人は細長の目を俺に向けてきた。


「警戒なされるのもごもっともと承知しております。ですがコヨルゥ様は身動きが取れない状態でありますゆえ。どうかご理解いただきたい」


 ドナンは思いを巡らすようにあごをなでた。

 二つ返事で答えられないのは、もし罠だったらという疑念があるからだ。

 俺は馬を寄せ、ドナンの耳元に顔を近付けた。


「俺が一人で行って、話を聞いてきます」

「シロガネ殿……」


 ドナンは眉間にしわを寄せ、低く唸った。

 ようやくここまで漕ぎ着けたのだ。

 のこのこ乗り込んで総大将が捕まりでもしたら目も当てられない。

 ここで警戒するのは臆病ではない。慎重だ。


「俺一人ならどうとでもなります。任せてください」


 ドナンは目元を険しくして、重い息を吐いた。


「……お頼み申す」


 俺は頷いて答え、馬から降りた。

 もしも罠だった場合、身一つの方が逃げやすいと考えたからだ。

 芦毛の首元をなでてやると、スイはぶるるると鼻を鳴らした。

 手綱をドナンに預け、クァクァに歩み寄る。


「案内をお願いします」

「承知いたしました」


 クァクァの後に続いて、チノチトラの町へと向かう。

 荒野を歩く間、彼は一度も振り返らず、言葉も発さなかった。

 あの戦場にいた者として、俺に対して思うところもあるだろう。

 事務的に振る舞うことで、感情を抑え込んでいるのかもしれない。


 町のそばまで来ると、異様な空気に気付かされる。

 待ち構える獣人軍の戦士たちが俺をにらみつけていた。

 それは王を討たれた怒りであったり、本当にこいつがという疑いであったり、自分たちの住処に人間族がやってきた拒絶感も感じられた。


 千の視線を浴びながら、俺はチノチトラの町に足を踏み入れた。

 ぱっと見て、町並みはごちゃついた印象がした。

 日干し煉瓦の家が所狭しと立ち並び、建物は高さも大きさも違う。

 後から後から拡張していった結果、いびつに育った町なのだろう。


 クァクァに案内されるまま、町を奥へと進んでいく。

 表通りに獣人の姿はなく、町は静けさに包まれていた。

 家の窓や物陰から視線を感じるが、警戒してか顔を出してはこない。


 大通りを進むと、町の中心に広場があった。

 そこには切り出した石を積んでできた舞台があり、祭壇が置かれていた。

 真っ赤に塗られた石の祭壇には、皮を剥いだ顔面めいた模様が彫られている。

 祭壇の上には毛皮が敷かれ、野菜と果物が山のように積まれていた。

 その頂上には巨大な動物の頭蓋骨が被せてある。

 獣人族の儀式的なものなのだろう。


 祭壇の横を通り抜けて、さらに進む。

 大きな二階建ての建物の前に獣人が二人立っていた。

 その内の一人は見覚えがある。

 コヨルゥの部隊にいた男で、パイナルという名だったか。

 直立の姿勢でまっすぐ前を向いており、目を合わせてはこない。


 クァクァが無言で手を上げると、見張り二人は会釈をした。

 そばを通って建物の中に入る。

 その時、背後で小さな物音がした気がして、俺は振り返った。

 玄関越しに見えたパイナルは固く握った拳を震わせていた。


 階段で二階に上がる。

 いくつかある部屋の内、奥から三つ目の木の扉をクァクァは叩いた。


「人間族の使者をお連れしました」

「……入れ」


 扉を開けたクァクァに促されて、俺は部屋に入った。

 壁際に窓が一つあり、差し込んだ光が寝台を照らしている。

 コヨルゥは仰向けになり、胸元まで毛布をかぶっていた。

 彼女は目だけを動かし、こちらを見た。


「クァクァ……お前は下がれ……」


 力の入っていない小さな声だった。

 クァクァは一礼して部屋から出ていき、扉を閉めた。

 部屋には俺とコヨルゥの二人だけになる。


 俺は胸に手を当て、もう必要ないだろうと救聖装光を解除した。

 体を覆う銀色の装甲が光の粒子に還り、透明結晶に吸い込まれて消える。

 途端に左腕がぶらんと下がり、感覚がなくなったことに気付いた。


 俺は寝台のそばに歩み寄る。

 寝台に横たわるコヨルゥは覇気の抜けた顔をしていた。


「シロガネ……話をする前に一つだけ聞きたいことがある……」


 呼吸をするのも辛いのだろう。

 慢性的な痛みに晒されて、消耗した様子に見えた。


「お前が……弟を、父を殺したのか?」


 目を見て言われて、俺は心臓が跳ねる。

 つい目をそらしたくなるが、それは卑怯者のすることに思えた。

 この期に及んで俺が逃げ腰で言葉を濁そうものなら、ウィツィはきっと『決闘を侮辱するな』と叱咤するだろう。

 自分は恥じるような戦いはしていない。

 そう思い、気を強く持って答える。


「二人と決闘して、俺が殺しました」

「……そうか」


 コヨルゥは絞り出すように息を吐き出し、まぶたを閉じた。


「この体が動くなら、今すぐにでもお前の喉に食らいつくものを……」


 自嘲するように呟き、目じりに涙の粒を浮かべる。

 俺は何も言えず、奥歯を噛みしめた。


 開いた窓からひんやりとした風が入って来る。

 鳥の遠鳴が耳に届いた。

 ただただ重たく時間が流れる。

 涙の線が乾いた頃、コヨルゥは再び口を開いた。


「私はお前たちと休戦協定を結びたいと考えている」

「休戦を」

「こちらからの要求は一つ。チコモストから人間族の軍を撤退させることだ。それ以上は望まない。お前たちからも条件があるなら聞こう」


 先程よりもしっかりした調子でコヨルゥは言う。

 個人としての話は終わり、長として話を始めたということだろう。

 ならばと俺は言葉を返す。


「その前にコヨルゥさんの立場を確認させてください。貴方がアカマピさんの跡を継いだ……という認識で間違いないですか?」

「……暫定的ではあるが、私は父の代理として話をしている」

「テスコ族やトラクパ族は貴方の命令に従ってくれますか?」


 コヨルゥはしばし言い淀むと、ため息をついた。


「正直に話そう。父亡き今、彼らが従うはずがない。チコモストでは近い内に、どの部族が主導権を握るかで乱れる。お前たち人間族と戦っている暇などなくなるだろう」

「俺たちが邪魔になるから出ていってほしいと?」

「そう受け取ってもらっても構わない」

「兵を退くことで、俺たちに何の利益があるんですか?」


 俺はドナンに任されてここに来ている。

 はいそうですかで帰るわけにはいかないのである。

 チコモストから撤退するとなると、東部テスコ地域に建造した砦を放棄することになるし、そもそも出兵に莫大な費用がかかっているのだ。

 労力に見合った手土産を要求するのはわがままではないだろう。


「条件があるなら言え。そう言ったはずだ」


 コヨルゥは色のない表情で言ってくる。

 俺は浅学寡聞なりに頭を働かせ、言葉を紡ぐ。


「ではまず今回の出兵にかかった戦費に加え、相応の賠償を請求します。次に我が軍は中央チノチ地域から撤退します。ですが東部テスコ地域の砦はただちには放棄しません。ある程度の期間、一定の軍事力を駐留する許可を求めます。その上で貴国と我が国との間に不可侵条約を結びたいと考えます」

「ずいぶんと足元を見てくれるな」


 コヨルゥは小さく笑った。

 応じるように俺も微笑を浮かべる。


「言われるほど悪い条件ではないと思いますよ。賠償も一括ですぐにしろとは言ってませんし。テスコ地域の砦に残留することだって、チノチ族の利益になるはずです。内戦になった時にテスコ族が思い切って動けなくなるでしょう?」


 コヨルゥは口を閉じたまま、俺の目を見てくる。

 俺は嘘はついていないし、口先だけの言葉を並べたつもりもない。

 彼女はしばし思案した後、わずかに頷いた。


「いいだろう。だがそれなら今すぐイツラを返せ。これからのチノチ族を率いていくのは私ではない。弟がふさわしい」

「すぐに国元に伝えます。イツラさんを返せるか確約はできませんけど」


 するとコヨルゥは挑発的に唇の端を吊り上げた。


「私が動けない今、弟が先頭に立たなければ部族はまとまらない。よその獣人がエルトゥランを襲っても責任は取れないと言っておく」

「……それも伝えます」


 彼女の言葉は脅しというよりも釘刺しだろう。

 獣人族が内輪揉めしている方が人間族にとって都合が良い。

 そんな風に考えているなら間違いだと暗に告げているように思えた。


「話は以上だ。交渉に応じてくれたことを感謝する。以降、細かいやりとりはクァクァに任せる」


 コヨルゥは疲れた様子で息を吐き、まぶたを閉じた。


「……」

 

 とっとと帰るべきなのだろう。

 なのに俺は足を動かせずにいた。


 俺はコヨルゥの父親と弟を殺した。

 それは命を懸けた戦いの結果だ。

 アカマピもウィツィもそのことで俺を罵ったりはしないだろう。

 だが遺族である彼女の気持ちはどうだろうか。

 俺はコヨルゥに手をついて許しを請うべきなのだろうか。

 そんな思いが胸に渦巻いていた。


「……まだ何か言いたいことでもあるのか?」


 俺がその場に留まっていたためか、コヨルゥは怪訝な顔をした。


「その……」


 手をついて謝ったとして、いったい何が解決するのだろう。

 三年が経った今でも、俺は幼馴染の命を奪った存在を許していない。

 死者が生き返ることはない。失われたものは戻らない。

 憎しみの炎は簡単に消えるものではないのだ。


 俺がコヨルゥの立場なら『謝るくらいなら死ね』とでも言うだろう。

 でも俺はまだ死にたくない。生きたいから殺したんだ。

 腹を切って詫びることもできない人間が何を謝るのだろう。

 中途半端な謝罪など、自分の気持ちを楽にするための行為でしかない。

 許しを請うくらいなら初めから奪うなという話になる。


 俺はもう奪った側に立ってしまっているのだ。

 その事実は変えられない。

 コヨルゥはこの先、喪失感に苦しむたび俺への憎しみを募らせるだろう。


 だが俺だけが加害者で、彼女が完全な被害者というわけでもない。

 俺たちからすればアカマピはまぎれもなく侵略者だし、ウィツィもそうだ。

 夢のため、愛のため、未来のため、生きるため。

 それぞれが己の信じるもののために戦い、命を奪い合ったのだ。


 俺は気持ちを決めた。

 ここで俺が謝ったら、一緒に戦った仲間に失礼だ。

 友を殺されてよかったのか。エルトゥランを滅ぼされてよかったのかとなる。

 だから許しは請わない。


「……いえ、何でもありません」


 俺はコヨルゥに背を向け、部屋を後にした。

 足が鉛のように重く感じられた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 日が沈み、異国の空が赤焼けに染まる。

 エルトゥラン軍はチノチトラの町から数キロの地点に陣を張っていた。

 自陣に戻った俺はすぐに総大将の幕舎に向かった。


「シロガネです。入ります」


 幕をめくって中に入る。

 ドナンは机に肘をつき、険しい顔付きで手紙に目を通していた。

 俺に気付いて面を上げると、手紙をたたんで机の脇に置いた。


「シロガネ殿、お帰りをお待ちしておりました。お疲れのところでしょうが、獣人族はなんと?」


 俺は机を挟んだ対面の椅子に腰かけて、見たこと聞いたことを話した。

 ドナンは時折頷きながら、報告内容を紙に記した。


「承りました。ではその方向で事後処理を進めましょう」


 ドナンは筆を置くと、焦燥した様子でため息を吐いた。

 明らかに態度がおかしいと思い、俺は問いかける。


「何か問題でもありましたか?」


 ドナンは目を合わせず、脇に置いていた手紙を俺に差し出した。


「つい先程リシュリーから届いたものです」


 宰相殿が何を言ってきたのだろう。

 俺は紙面に目を落として、首を傾げた。

 内容が冗談にしか思えなくて、頭が理解を拒んだからだ。


「トラネウス王国の攻撃を受けて、エルトゥラン王城が陥落いたしました」


 ドナンは震える声でその事実を口にした。

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