04話『異国生活の始まり』
巨大な戦斧が振り下ろされる。
俺は体を動かすことができず、血塗れの刃に頭を砕かれ――
「うわぁぁー!!」
「きゃー!?」
陶器の割れる音がする。
目を見開いた俺の正面には灰色の天井があった。
心臓がばくばくと音を立てて暴れている。
「……え?」
何かがおかしいことに気付く。
俺は荒い呼吸をしながら、白いシーツの寝台から体を起こした。
四方をコンクリートの壁に囲まれた室内に俺はいた。
部屋の広さは十二畳くらいだろうか。
開いた窓から外の光が差し込んでおり、窓の近くには木製の机があった。
その机のそばで侍女服の少女が尻もちをついている。
コンクリートの床には割れた花瓶が散らばっていた。
「もーっ! びっくりしたじゃないですか~!」
少女の肩まで伸びた栗色の髪が揺れる。
ぷんぷんと睨んでくるが、さほど怒ってはいないのだろう。
その表情はすぐにかわいらしい笑顔に変わった。
彼女のことは覚えている。
王女ティアナートに仕える侍女で、ベルメッタの名で呼ばれていただろうか。
ベルメッタは床から立ち上がると、スカートのお尻を手で払った。
「ご気分はいかがですか。傷は痛みますか?」
言われて、俺は自分の体を見下ろす。
まるで入院患者が着るような、前開きの布服を着せられていた。
あばら骨の周りと左上腕に包帯を巻かれている。
おそるおそる指で触れてみるが、これという痛みはなかった。
「一週間ずぅっとお眠りだったんですよ。お目覚めになられてよかったです」
獣人族との戦いが終わった後、俺は気を失って倒れたらしい。
それで城の三階にあるこの部屋で看病を受けていたそうだ。
「すみません。ありがとうございました」
「どういたしまして。では陛下を呼んでまいりますね」
ベルメッタは割れた花瓶の破片を拾い集めて、鉛色のバケツに放り込んだ。
それを片手に、分厚い木の扉を開けて部屋を出ていく。
扉が閉じた後、俺はため息を吐いた。
寝台から足を下ろすと、床に触れた生の足裏がひんやりする。
「夢じゃ……ないんだな」
目覚める前に見ていたのは悪夢だが、現実とさして変わらない。
気付くと見覚えのない城の地下にいて、ものすごく綺麗な王女様と出会って、とんでもない悪霊を祓って、獣の顔をした恐ろしい相手と死ぬ思いをして戦っただなんて、過去の自分に言っても信じないだろう。
あらためて思い返してみても半信半疑な気分だ。
もう一度ため息をつくのと同時に、ごんごんと部屋の扉が叩かれた。
扉が軋んだ音を立てて、部屋の内側に押し開かれる。
きらきらと光る金色の髪と豊満な胸を揺らして、王女様が部屋に入ってきた。
身にまとった桃色のドレスは梅花のように鮮やかだ。
ドレスの袖は手首まで覆う長さがあり、肌をしっかりと隠している。
両方の手を純白の手袋が包んでいた。
彼女こそが、ここエルトゥラン王国の王女ティアナートである。
ベルメッタは部屋の扉を閉めると、かんぬきをかけた。
そのまま扉のそばで待機の姿勢を取る。
「シロガネ。具合はどうですか」
ティアナートは心配そうな表情を浮かべて、寝台に座る俺の前まで来た。
「特に痛いところとかはないです。少し体がだるいくらいで……」
「そうですか。それなら良いのですが」
ティアナートは何かを思案するように、わずかの間、視線を外した。
「救聖装光の力を使った影響が体にどのように表れるのか。現存する文献にも記述が少なく、わからないことが多いのです。ですから今後、不調を感じたらすぐに申し出なさい」
装着者に英雄の力を与える代わりに人の生命を吸う光の鎧。
それがエルトゥラン王国の秘法『救聖装光』だ。
俺が獣人と戦う時に着た銀色の全身鎧のことである。
そういえばあの結晶はどこにいったんだろう。
鎧が光になって消えた時に握ってた、あの――
「きらきらの石はどこですか? 鎧の本体っていうか……」
「心配せずともここにあります」
ティアナートが右手を開くと、銀細工のペンダントがあった。
しゃれた装飾の中心にクリスタルのような結晶体が収まっている。
この透明結晶こそが救聖装光の核なのだ。
「救世主である貴方に預けます。肌身離さず身に着けておきなさい」
おそるおそる銀細工を受け取る。
俺はペンダントの銀鎖を首に巻き、留め具を繋いだ。
胸元で結晶体がきらりと光る。
その様を見て、ティアナートは微笑んだ。
「獣人族の軍は我が国から撤退したようです。亡国の危機を乗り切ることができたのも、シロガネ、貴方のおかげです」
「良かった……」
俺は胸をなでおろす。
怖い思いをしてまで頑張った甲斐があるというものだ。
「あの、一つ聞いておきたいことがあるんですけど」
「なにか?」
「俺は元いた場所に帰ることはできるんですか?」
途端にティアナートの表情が険しくなる。
俺は慌てて、そうじゃないと否定した。
「帰らせろってわけじゃないんです。俺は貴方のそばにいるって決めましたから」
あの日の夕焼け空の下、俺はティアナートの手を取った。
彼女の救世主になると誓ったんだ。
その心に変わりはない。
たとえ帰れと言われても、居座るくらいのつもりだった。
「でもだからって、わざと聞かないでいるのは嘘くさいと思うんです」
「貴方は正直な人ですね」
ティアナートは笑みをこぼした。
だがすぐ神妙な面持ちに変わる。
「救世召喚された者が元の世界に還ったという話は聞いたことがありません。書物にもそういった記述は見当たりませんでした。最後に救世召喚の儀が行われた時期すら定かでないのです。ですから貴方の質問には、できるかどうかもわからないと答えるしかない。私も先日までは半信半疑だったくらいですから」
ティアナートは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
嘘をついているようには見えない。
隠さずに答えてくれたことを、俺は嬉しく思った。
「わかりました。ありがとうございます」
救世召喚の儀なるものがどういう超常現象を起こしたかはわからない。
だが現に俺がこのエルトゥランという見ず知らずの異国にいる以上、シロガネヒカルは日本の片田舎から突然失踪したことになる。
神隠しに遭ったとでもされているのだろうか。
あるいは土地神様の祟りにあったと思われているかもしれない。
父さんと爺ちゃんのことだけが気がかりだった。
だからせめて手紙の一つでも出せればと思ったのだ。
心配ばかりかけて俺は本当に出来の悪い子だ。
それでも父さんと爺ちゃんなら、きっとわかってくれると思う。
決めたなら最後までやれと言ってくれるはずだ。
そんな俺の態度にティアナートは安心したようだった。
「もし気になるのなら城の書庫への立ち入りを許可します。貴方自身の目で確かめるといい」
「そうします」
「ところでシロガネ」
ティアナートがじろじろと見てくる。
何事かと俺は身構えた。
「本日の夕方、晩餐会を行います。具合がいいのなら貴方も出席なさい」
「え、あっはい。わかりました」
「よろしい」
ティアナートは右手で俺の肩にそっと触れると、踵を返した。
「ベルメッタ。シロガネの支度は貴方に任せます」
「かしこまりました」
ベルメッタに送られて、ティアナートは部屋を出ていった。
一人残された俺は白いシーツの寝台に手をついて、はあと息を吐いた。
よくわからないまま承諾してしまった。
晩餐会というと、上流階級の皆様がお食事するあれだろうか。
一度だけ爺ちゃんに連れられて、歌手のディナーショウなるものに行ったことがあるが、そういうのとは違うのだろうか。
そんな風にぼんやり思いを巡らせていると、ベルメッタが部屋に戻ってきた。
「晩餐会の衣装を選びに町の仕立て屋に参りましょう。前に着ていらしたお召し物はそちらにございますので」
机の上に見慣れた作務衣が綺麗にたたまれていた。
その隣には数珠が置いてある。
俺がこの城の地下で目覚めた時に身に着けていたものだ。
このたった二つの日用品しか自分が十七年間、日本の片隅の田舎寺で暮らしていた証はないんだなと思うと、どこか寂しさと心細さを覚えた。
「私は馬車の用意をしてまいります」
ぺこりと頭を下げて、ベルメッタはまた部屋を出ていった。
「……さて」
支度をするとしよう。
作務衣に袖を通すと、馴染みのない不思議な香りがした。
石鹸に似ているが、材料が違うのか香りに少し癖があった。
「足は……」
部屋を見回すと、寝台の下にブーツのようなものが置いてあった。
これを履けばいいのだろうか。
靴は茶褐色のなめし革製で、くるぶしが隠れる深さがあった。
紐で締め付けを調整できるようになっている。
着替えを終えて窓から外を覗くと、青い空にちぎれた雲が浮かんでいた。
薄着でも暑さを感じるくらいの、昼下がりの夏の午後である。
城から南西に坂を下っていくと、大通りに沿って建物が並んでいた。
その大通りを西へとまっすぐ進んだ先には港があった。
水平線まで広がる蒼い海に舟がたゆたっている。
風景を眺めていると、何となく誇らしい気持ちになった。
恩を着せるつもりはさらさらないが、やはり達成感は大切だ。
戦いに勝てたからこうして綺麗な景色を眺められる。
あの町を歩いてみたい。
浮ついた気持ちで待っていると、ふと廊下を走る音がした。
それからすぐに部屋の扉を叩く音がする。
「入ってよろしいでしょうか~?」
どうぞと促すと、ベルメッタは扉をそっと開いた。
申し訳なさそうに言ってくる。
「あのぉ、城の馬車が全て出払っているようでして……」
「別にいいですよ。歩いていきましょう」
「承知いたしました。では日傘をお持ちしますか?」
「えっ?」
日傘なんて人生で一度も使ったことがない。
王女に仕える侍女として、そういうものの用意もするのか。
妙なことに感心しながら、ともあれ不要だとお断りする。
「それでは参りましょう」
俺はベルメッタと一緒に部屋を出た。
赤色のカーペットが敷かれた廊下をまず北に歩く。
城の三階は居住用の部屋がほとんどだった。
西側廊下の部屋はかつて王の親族が暮らしていたそうだ。
だが今は一番北の角部屋を除いて空室になっているらしい。
俺が寝ていたのは西側廊下の南の角部屋だ。
「先程のお部屋はシロガネ様の好きにして良いと仰せつかっています」
「住んでいいってことですか?」
「はい。もしお気に召されないようでしたら、町に屋敷を用意いたします」
俺は貧乏寺育ちの一人息子だ。
隙間風の吹かない部屋に文句などない。
「あの部屋でお世話になります」
するとベルメッタは嬉しそうに笑んだ。
「陛下もお喜びになると思います」
「どうしてですか?」
「陛下は南側廊下の西の角部屋にお住いです」
ベルメッタが呼びに行ってすぐにティアナートは部屋にやって来た。
目と鼻の先にいたというわけだ。
「私は東側廊下の南の角部屋を与えられています。シロガネ様のお部屋からちょうど向かいになりますね。御用の時は何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
東側廊下の部屋は一部の使用人が寝泊まりをしているそうだ。
ベルメッタは王女専属の侍女として個室を与えられている。
当然のことだがこれは特別な待遇だ。
西側廊下の北の角部屋だけは扉に錠がかかっていた。
貴重な書物を保管する書庫として使われているらしい。
基本的には国王の許可がなければ立ち入り禁止とのことだ。
三階の北側廊下に部屋はない。
コンクリートの壁面には等身大の立派な絵画が並べて飾られていた。
歴代の王族と思われる人物の肖像が描かれている。
「ティアナートさんの絵もあるんですか?」
俺が尋ねると、ベルメッタは急に立ち止まった。
「焼かれました」
「えっ?」
壁に向けられたベルメッタの眼差しは暗いものだった。
「一年ほど前に起きた反乱で、先代の絵は焼かれてしまいました。幼い頃の陛下とご家族の姿が描かれていました」
「……ティアナートさんの家族は」
「お亡くなりになりました。陛下だけを残して……」
ベルメッタの握った拳が震えていた。
その顔からは血の気が引いている。
「私も……陛下がいてくださらなかったら……」
「すみません」
うかつに立ち入ったことを聞いてしまった。
申し訳ない気持ちになって俺は謝った。
ベルメッタは首を左右に振ると、ぎこちなくにぱっと笑った。
「暗い話をしちゃいましたね。行きましょう」
若干の気まずさを感じながら、俺たちは階段を下りた。
下りてすぐ正面、二階の南側は玉座の間になっていた。
今は無人で静かだ。
玉座というと王様がいつも座っていて、脇には大臣がいて、民衆がひざまずいて懇願をしているイメージだが、そういうことは滅多にないらしい。
主に儀礼的な行事に使われる場所とのことだ。
たとえば外から来た要人を出迎える際に挨拶の場として使用されたり、功績を上げた者に勲章を授与する時に使われるそうだ。
重い空気を変えるためにか、ベルメッタは丁寧に説明してくれた。
へぇーと俺は感嘆する。
会話の流れに乗ったのもあるが、初めての知識に素直になるほどと思った。
二階東側の大部屋に使用人の皆さんが忙しそうに出入りしている。
晩餐会の用意をしているのだろう。
「そういえば、晩餐会にはどんな方が来られるんですか?」
「本日の主賓はトラネウス王国の国王アイネオス様ですね」
「よその国の王様ですか?」
ベルメッタは『う~ん』と少し考え込んだ。
それから身振り手振りで説明してくれる。
「トラネウス王国は私たちのいるエルトゥラン王国の南隣に位置する国です。遠い昔、両国は一つの大きな国だったそうです。ですが後継者争いで揉めに揉めて二つの国に別れてしまいまして。今は……表向きはそれなりに友好な関係にありますね」
「表向き?」
ベルメッタは周りをきょろきょろと見回した。
それから俺の耳元に口を寄せてくる。
「本当は早く帰ってほしいんですよ~。この間の獣人族との戦いの時、トラネウス王国に助けを求めたんです。藁にも縋る思いだったのでそれは仕方がなかったんですけど。トラネウスの方は戦いが終わった『後』に援軍として到着されまして。でも用は済んだのでとっとと帰ってくださいとは言えないじゃないですか。今日の晩餐会はそういう会なんです」
彼女の表情を見る限り、本当に面倒なのだろう。
しかし遅れたとはいえ一応は助けに来てくれたのに薄情な気がする。
そんな俺の心を読んだかのように、ベルメッタは言葉を続けた。
「陛下はアイネオス王のことが好きじゃないんですよ。正直に言うと私も嫌いです」
「えっ、何でですか?」
聞き返すと、ベルメッタは『しまった』という感じで口元を抑えた。
「それ以上は、私の口から適当なことは言えませんので……」
ごまかすように微笑むベルメッタに、俺は無言で頷いた。
知りたければティアナートから直接聞けということだろう。
気を取り直して、折り返し階段を下りる。
城の一階、玄関広間に出た。
この場所には見覚えがある。
戦いの時に感じた殺伐とした雰囲気はどこへやら。
今や城での業務に追われる人たちの日常の騒がしさがあった。
「えーと?」
地下室への階段が見当たらない。
上り階段の近くにあったと思ったのだが。
「普段は隠しているんです。よその人に入られても困りますから」
言われてみると、それらしい箇所に絨毯が敷かれていた。
念入りに石像が上に置かれている。
「賢明だと思います」
儀式的な空間への無断侵入はやっかいなのだ。
犯罪的な意味でも心霊的な意味でもだ。
こういうのはどこの国でも変わらないなと思う。
城の外に出ると、太陽のまぶしさに目がくらんだ。
コンクリートでみっしりと造られた城内はどうしても薄暗さがある。
窓の少なさもあって、入ってくる光量が足りないのだ。
見上げるほど高い城壁が城の広い敷地を囲っていた。
矢が刺さってでこぼこだった城前広場は綺麗に整地されている。
満載の荷馬車のそばでやり取りをしているのは商人と城の役人だろうか。
本物の馬は間近で見ると大きくて迫力があるものだ。
横目にそんなことを思いながら、俺たちは城門をくぐった。
青く茂る夏の野原にさらさらと流れる風が気持ち良い。
地面に敷かれた石畳の道は二手に分かれていた。
一つは緑が広がる北へと伸びている。
南西へとなだらかに下る坂道は城下町へと続いていた。
「こちらです」
石畳の坂道をてこてこと下って、俺たちは町を目指した。