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36話『ただの人間にできること』

「ゲホッ! ガハッゴホッ!」


 咳き込んだ拍子に意識が覚醒した。

 がさがさに乾いた喉がひどく痛む。

 口を半開きにしたまま、俺はまぶたを開いた。


「……」


 どうやら俺は宿営用の天幕の中で寝ていたようだった。

 体がひどく怠い。全身の筋肉が固まっている。

 とにかく何か飲んで、喉を潤したい。

 俺は体にかかった毛布をのけて、上半身を起こした。


「……んぁ?」


 左右両方の腕に添え木のようなものがくくり付けてある。

 なんだろう。悪戯にしては奇妙だ。

 とりあえず邪魔なので外してしまう。


 それにしても自分の状況がわからない。

 コヨルゥを道連れに塔から身を投げて、その後はどうしたんだっけか。

 頭の中がぼんやりしていて、どうにも記憶が曖昧だ。


 ともあれまずは水分をと思い、俺は天幕から這い出した。

 澄んだ青空から降り注ぐ陽の光に目が眩んだ。

 くらっとする。


「シロガネ!?」


 駆け寄ってきたのはオグだ。

 地面に膝をついて、俺の顔を覗き込んでくる。


「目ぇ覚めたんだな! てか動いて大丈夫なのか。あんま無理すんなよ?」

「なんかさ、飲むものない?」

「お、おう。ちょっと待ってろ」


 言うが早いかオグは走っていく。

 俺はその場であぐらをかいて猫背になった。

 ぼーっとしながら待つ。

 風が涼しくて気持ちいい。


 どこからか料理のにおいが漂ってきた。

 ちょうど昼食時なのだろう。

 しばらくして、オグが両手に木の深皿を持って戻ってきた。

 十人隊の皆も一緒だ。


「おっ、シロガネ君じゃないの」

「元気になったんですね!」


 兄貴分のムルミロと新兵のレティが声をかけてくる。

 ベテランのサムニーも俺の顔を見て、にこっと笑った。

 みんなして地べたに腰を下ろす。


 楽しい昼食の時間だ。

 今日は芋と根菜と干し肉のスープのようだ。

 オグは自分の皿を地面に置くと、湯気を昇らせるスープの深皿を俺の前に差し出して、具材を木の匙ですくって近付けてきた。


「え? なに?」


 口を開けろと言わんばかりの動作に俺は困惑する。

 どうしてかオグはおかしそうに笑った。


「食わせてやるから遠慮すんなって。お前いま腕が動かせないだろ?」

「なんでさ?」


 冗談を言っていると思い、俺は笑いながら手を振って拒絶した。

 するとオグだけでなく、サムニーたちまで驚き顔になった。


「シロガネ君。腕、本当に何ともないのか?」

「ええ、普通に動かせますけど。どういうことなんですか?」


 みんなが不審がって顔を見合わせる。

 反応を見る限り、俺を騙しているわけではなさそうだ。


「まぁとりあえず、食べながら話そうぜ」


 オグからスープの深皿を受け取る。

 香辛料の香りに、胃袋が早くよこせと唸り声を上げる。

 俺は匙で汁と芋をすくい、口に運んだ。


 おいしすぎる。衝撃が脳天を突き抜けた。

 特別なものは何も入っていない、よくあるスープのはずなのだ。

 汗を流す兵士の為に、塩味のきいたスープが乾いた身体に染み渡る。

 具材を噛みしめる度に滋養が口の内に溢れ出る感じがした。


 そこからはもう辛抱堪らない。一心不乱に食に挑む。

 胃の中が温かさで満たされて、俺は呆けた顔で息を吐いた。

 皆から呆気に取られた目で見られていることに、ようやく気付く。


「あっごめん。話、聞いてなかった」


 そんな俺に対して、オグは嬉しそうに笑った。


「けっこう心配してたんだけど、それだけ食べられたら安心だな」

「ありがとう」


 皆はまだ食べている途中だが、色々と尋ねてみる。

 曰く、俺がアスカニオの騎兵隊と出撃したのは七日前だという。

 コヨルゥ軍との戦闘で俺は重傷を負い、意識不明となった。

 その翌日、騎兵隊が味方の拠点に帰還。

 つい先ほど意識が戻るまで、俺はずっと寝たきりだったとのことだ。


「そんなに寝てた?」

「おぉ、一週間ずーっと寝てたぜ。真っ青を通り越して土気色の顔してさ。あんまり起きないから不安になって、息しているか何度も確かめたからな」


 オグは耳に手を当てる仕草で再現してくる。

 うんうんとレティが相槌を打つ。


「生きてるのが不思議な大ケガだって、お医者さんが言ってましたよ。腕は両方とも折れてて、ぱんぱんに腫れてましたし。あばら骨もばきばきで、全身あざだらけで……」


 思い出して顔を青くするほど酷かったのか。

 どれどれと服をめくってみるが、体にあざなどない。

 少しだるさは感じる程度でどこにも痛みはなかった。


 考えてみるとおかしな気がする。

 塔から身を投げたのだからケガをしたのは確かだろう。

 となると俺は死にかけの重傷を負って、それを一週間で治したことになる。

 そんなに早くケガが治る人間などいない。


「……」


 左胸に手を当ててみるが、ちゃんと動いている。

 心臓の鼓動に合わせて体に血液が流れるのがわかる。


 そういえばエルトゥラン王城で初めて戦った後もこんな風に寝込んだ。

 あの時も目が覚めるとケガが治っていた気がする。

 当然だが俺個人にそんな化け物じみた治癒能力はない。

 俺は寺生まれでニンジャ見習いだが、基本はただの人間なのだ。


 そうなると考えつくのはやはり救聖装光だ。

 救聖装光には人体の治癒力を高める作用があるのかもしれない。

 身体能力を向上させる力があるのだから不思議ではない。

 戦うための鎧としてはこれ以上ない素晴らしい効能だが……


 俺は首にかけた銀細工のペンダントを指でつまんだ。

 装飾の中心に収められた透明結晶が陽光できらきらと輝いている。

 その輝きが美しすぎて、今の俺には不気味に感じられた。


『力を与える代わりに、この鎧は人の生命を吸います』


 ティアナートはそう言っていた。

 救聖装光に頼りきっていると、いつか重い代償を支払う日が来るのだろう。

 でも、そうだとしても今更止まることなんかできない。

 生きて戦い続けるためにはこの力が必要なんだ。


 もしかすると過去の救世主も俺と同じだったのかもしれない。

 自分の意志を貫くために救聖装光に生命を吸われ続けて、そして。

 エルトゥランに現存するどの文献にも、救世主が元いた世界に帰ったという記述が存在しないのは、そういった意味合いがあるのではと思った。


「どうしたシロガネ? やっぱ調子悪いのか?」


 オグの声にハッとする。

 黙って考え込んだせいで、心配させてしまったようだ。


「いや、なんでもない」


 俺はにっこりと笑顔を作った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 夕日がチコモストの空を赤く染めている。

 俺はドナンと共にやぐらの上にいた。

 やぐらは木材を高く組んだもので、陣を囲うように造られた土塁の四隅と、出入り口である跳ね橋のそばにそれぞれ建てられている。

 耐火性を考慮して、柱の表面には土が塗りつけてあった。


「どうです? それなりに格好がついたでしょう」


 やぐらの上から拠点を見下ろしてドナンが言う。

 土塁は城壁として相応しい高さになっており、堀も十分な深さだ。

 傾斜も険しく、面も綺麗にならしてある。

 これはもう砦を名乗っていいだろう。


「驚きました。短期間でこんなに立派なものができるんですね」

「土木建築はエルトゥラン軍のお家芸ですからな。新兵には必ず叩き込みます。武芸だけが戦いではありませんので」


 オグもそうだが、ドナンは第一印象よりも器用な人だなと思う。

 もっと豪快に槍を振り回していそうな印象だったが、実像はまるで違う。

 気配りに長けていて、人に指示を与えて使うのがうまい。

 兵糧や物資の管理、工事の進捗といった裏方仕事の取りまとめもこなす。

 そのうえ土木構造物や建築物の図面まで自分で引けるのだ。


「ドナンさんって本当に多芸な人ですよね」

「褒めても何も出ませんぞ」


 ドナンは高笑いする。

 俺は微笑みを返して、ふたたび砦を眺めた。


「力を合わせるって本当に凄いことです。一人じゃできないことも、みんなでならできるようになる。でもそれもちゃんとした人が指揮してこそです。ドナンさんは幅広い分野に通じていて、さすが国一番の将軍だと思います」


 ドナンは誇らしげに拳で自分の胸を叩いた。


「自分で言うのも何ですが、ダングリヌス家はそういう家ですので。兵の束ねる将は槍が強いのは当然のこと。軍事にまつわるあらゆる知識を持っていなければならなりません。私も父から厳しく叩き込まれました」

「戦いが終わってエルトゥランに戻ったら、俺も色々と教わりたいです」

「歓迎いたしますぞ。オグも喜ぶでしょう。シロガネ殿という良い競争相手ができて、あいつも楽しそうだ。最近は勉強にもやる気を出していて、私としても嬉しい限りです」


 ドナンは顔をほころばせる。

 オグが気のいい奴なのも、この父親がいたからだろう。


「うん?」


 ドナンの視線につられて、俺も荒野に目を凝らす。

 土埃を巻き上げて、この砦に向かってくる一団を見つけた。

 偵察に出ていたアスカニオの騎兵隊だろうか。

 馬を疾く駆けさせており、やけに慌ただしい。


「参りましょう」


 ドナンは歴戦の猛者の顔付きに戻っていた。

 やぐらを下りて、跳ね橋のところまで迎えに行く。


 門番の兵士が跳ね橋を固定する縄を緩め、橋桁を下ろす。

 馬を降りたアスカニオが、俺たちの姿を見つけて駆け寄ってきた。


「シロガネ殿!? 具合はもうよろしいので?」


 幽霊でも見るような目で尋ねてくる。


「はい。ご迷惑をおかけしました」

「あ、いえ。それは全くかまわないのですが……」


 アスカニオは同じ戦場にいた一人だ。

 俺の負傷の酷さを知っているからこその動揺だろう。


「慌ててのお帰りでしたが、何かありましたか?」


 ドナンが口を挟むと、アスカニオは真剣な面持ちで答えた。


「チノチ族の本隊がこちらに向かっています」

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