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35話『共感と共存の遠さ(2)』

 ――アウレオラ。


 刹那に閃光が白く弾ける。

 光の粒子が肌にまとわりつき、俺の体は銀色に輝く装甲で包まれた。

 途端にためらいの気持ちが消えて、闘争心に塗り潰される。

 俺を未熟な見習いから戦士に変えてくれる鎧、救聖装光だ。


 一瞬の白色から視界が戻るのと、コヨルゥが卓を蹴り上げたのは同時だった。

 俺は槍を振り下ろし、木製の卓をたたき割る。

 砕けた木の破片の向こうに、椅子から身をひるがえしたコヨルゥが見えた。

 背後の窓からひらりと家の外へと飛び出していく。

 逃がすものかと俺も窓に跳んだ。


 窓から村長宅の裏に出ると、目の前には物置小屋があった。

 鈴の音にひかれて右手側に顔を向けると、逃げるコヨルゥの背が見えた。

 即座に俺は腹帯のクナイを抜き、手首を効かせて投擲する。


「ぐっ!?」


 羽で飾られた胸当ての背中に突き刺さる。

 コヨルゥは体勢を崩して、前のめりに地面に倒れた。

 すかさず俺は駆け寄り、槍を握った右腕を引き絞る。

 必殺の突きを放とうとしたその瞬間、俺は背後に気配を感じた。

 反射的に振り返ると、門番の獣人パイナルが手斧を振りかぶっていた。

 騒ぎに気付いて追って来たのだろう。

 投げつけられた手斧を俺は槍で打ち払った。


「キサマァー!!」


 パイナルが怒気で面を歪めて向かって来る。

 それと同時に俺の背後から甲高い笛の音がした。

 向き直ると、駆け出すコヨルゥの背中が見えた。

 すかさずクナイに手の伸ばすが間に合わない。

 コヨルゥは村長宅の裏の角を曲がり、建物の陰に消える。

 慌てて俺も地面を蹴り、後を追って角を曲がる。

 村長宅と隣家との隙間を走り、先にコヨルゥが表通りに出た。

 入れ違いに、もう一人いた門番の獣人が向かって来る。


「止まれッ!」


 獣人が斧を振りかぶるが、恐れず俺は突っ込んだ。

 斧の刃よりも速く、俺の飛び膝蹴りが獣人の腹に突き刺さる。

 獣人の体をはね飛ばして、俺は村長宅の表に出た。

 そこで見たのは見張り塔の方へと走っていくコヨルゥと、逆にこちらへ向かってくる獣人戦士たちだった。


「者共集え! 銀鎧の敵将を捕らえろ!」


 コヨルゥが声を上げる。

 ぱっと見ただけでも獣人が二十人は目に入る

 コヨルゥの軍が駐留しているのだから、ここには敵兵が四百人いるはずだ。

 もたもたしていたら数に潰される。


 俺は助走をつけて、目の前の家に向かって跳んだ。

 日干し煉瓦の家壁を蹴り上がり、屋上の縁を掴んで上る。

 屋根の上を走って、隣の家へと跳ぶ。跳ぶ。跳ぶ。

 道を走るコヨルゥとの距離が縮まってきた。

 俺は槍を握る右手の感触を確かめると、いざ屋根の上から飛びかかった。


 コヨルゥの反応の速さはタイミングの偶然か、はたまた勘の良さか。

 彼女が振り向きざまに放ったのは俺のクナイだった。

 即座に俺は意識を飛翔物に集中させる。

 鋭く飛んできたクナイをあわや鼻先で、左手で掴んで止めた。

 防ぎはしたがその分、次の動作が遅れる。

 紙一重で槍は空を貫き、コヨルゥは地面に飛び込むように避けていた。

 逃がすものかと俺は着地してすぐ追撃をかけようとするが――


「コヨルゥ様!」


 機先を制するように、眼前の地面に手斧が突き刺さる。

 続いてパイナルが間に割って入るように着地した。

 屋根の上から追ってきていたのだろう。


「ナンダテメー!」

「ヤッチマエー!」

「ブッコロセー!」


 付近にいた獣人戦士たちが怒声を上げて、どっと迫ってくる。

 わずかの間にコヨルゥの周りは獣人だらけになった。

 まずい、このままだと囲まれて終わりだ。

 咄嗟に俺はコヨルゥに背を向け、地面を蹴った。

 低い姿勢で獣人たちの隙間を抜け、集落の十字路を南側に向かう。


 先程、屋根の上から見た印象では、獣人が集中しているのは二か所だ。

 集落の中央である見張り塔の周辺がまず一つ。

 もう一つが跳ね橋のある防壁東側だ。

 一番手薄に見えたのが俺が選んだ南側になる。


「ちょっとごめん!」


 俺は槍を振り回して、馬を閉じ込める囲い柵を壊した。

 突然のことに馬たちが驚いて騒ぎ出す。


「さぁ行って!」


 手綱を引いて促してやると、興奮した馬は囲いを出て走り出した。

 すると我も我もと馬が飛び出していく。

 その内の芦毛の一頭に俺は飛び乗った。

 突然のことに馬が暴れるが、俺は必死にしがみついて手綱を掴んだ。


「大丈夫、落ち着いて! 少しだけ付き合って!」


 馬上で何とか態勢を立て直すと、不思議と馬も暴れるのをやめてくれた。

 輸送隊の馬だ。人を乗せる訓練をしっかり積んでいたのだろう。

 気持ちが通じた気がして俺は頬が緩んだ。


 馬群が土埃を巻き上げて走る。

 怒涛の勢いを前に、さすがの獣人たちも慌てて飛び退くしかなかった。

 十字路の中央に建つ見張り塔が近付いてきた。

 前を行く馬たちが見張り塔を基点に左右に別れる。


「右に曲がって!」


 俺はドナンやアスカニオと同乗した時を思い浮かべ、うろ覚えでまねをする。

 手綱を引いて合図してやると、馬は東の道に向きを変えてくれた。


「よーし、いい子!」


 俺は馬の首元をなでた。

 およそ半数になった馬たちが防壁の跳ね橋に向かって走る。

 集落の出入り口だけあって集まった獣人の数が多い。


「何だあっ!?」

「止まれ! 止まれ!」


 彼らは防衛の用意をしていたため、状況を把握できていなかった。

 暴走する馬の群れに驚くと、戸惑ったまま防壁の上に退避した。

 壁の内側が段になっており、上がれるようになっているのだ。


 行き止まりの跳ね橋を前にして、馬がいななきを上げて止まる。

 俺はさっと降りるや、橋桁を固定する縄を槍で切断した。

 丸太でできた橋桁がぐらりと傾き、堀をまたいでどすんと落ちる。


「何してんだテメェ!」


 腰に下げた斧を抜いて、獣人たちが防壁の上から飛び降りてくる。

 もちろん彼らの相手をするつもりはない。

 俺は橋を渡って、外の荒野へと駆け出した。


「待てオラァ!」


 上半身だけ振り返ると、怒声を上げて獣人たちが追いかけてきている。

 防壁の上で弓を構えている者もいるが、誤射を恐れてか撃ってこない。

 どさくさに紛れて馬たちも橋を渡る。

 その後ろからはコヨルゥの命令を受けた獣人たちも走ってきていた。


「逃がすな! 捕まえろ!」


 いったい何人いるのか、ぱっと見では数えきれない。

 俺一人を相手にずいぶん大袈裟なことだ。

 だがこれは逆に好都合かもしれない。このまま引きつけて――


「――えっ?」


 見張り塔の屋上に人影を認識した時にはもう遅かった。

 飛来する矢が瞳に映るも、身をよじる間もなく一撃が俺の背中を捉えた。

 衝撃に息が止まり、足がもつれて地面を転がる。

 土の上に這いつくばった俺は痛みに咳き込んだ。

 背中に手を伸ばすと、矢尻が装甲を食い破っている。

 だが先端が背中の肉に刺さった程度だ。致命傷ではない。

 体を貫かれずに済んだのは距離が遠かったおかげだろう。


「クタバリャー!」


 追いついてきた獣人が斧を振りかぶる。

 俺は歯を食いしばって痛みを我慢し、凶刃を槍で受けた。

 相手の腹を蹴り飛ばし、急いで体勢を整える。

 次に仕掛けてきた獣人を槍で薙ぎ払う。

 つぶれたような悲鳴を上げて、獣人は地面に転がった。

 間髪入れず、さらに獣人二人が飛びかかって来る。

 俺は鋭く槍を突き出し、一人の右肩を抉った。

 もう一人の斧を身をそらして避け、その鼻面に拳を叩きこむ。

 鮮血の飛沫が荒野を赤く染めた。


 傷口を押さえて呻く獣人たちに、後続の獣人たちは顔色を変えた。

 それは怒るでも慄くでもない、冷徹な狩人のようだった。

 誰が合図したわけでもないのにすっと左右に別れる。


 取り囲む気だ。

 俺は即座に後ろに駆け出そうとする。

 だがその瞬間、見張り塔から空気を切り裂いて矢が飛来した。

 辛うじて身をかわすが、体勢を崩して足を滑らせてしまう。

 隙ありと獣人たちが手斧を投擲してくる。

 俺は咄嗟に身をかがめ、飛んでくる斧を槍で防ぐしかなかった。

 その間にも左右に別れた獣人たちが素早く回り込んでくる。

 なんと息の合った連携か。

 わずか十数秒の間に、ぐるりと輪の形に囲まれてしまった。


 俺は顔をしかめるがもう遅い。

 包囲が完了したためか、獣人たちはいったん攻撃の手を止めた。 

 それぞれの手に握られた斧の刃が夕日を反射してぎらついている。


 心臓がひりつく。

 イツラはコヨルゥの恐ろしさを語っていたが、その意味を理解できた。

 個の強さではない。集団だからこその強さなのだ。


 それにしてもこの状況、初めてウィツィと戦ったあの日を思い出す。

 落ち着け。弱気になるな。

 絶体絶命だが、まだあの時ほどは追いつめられていない。

 希望は必ずやって来る。

 俺は兜の下で無理して笑みを作り、立ち上がって槍を構えた。


 さて、どうくる。

 敵の動きに気を張っていると、ふと一人の獣人が前に出てきた。 

 顔立ちと体毛の模様から判断して、この男はパイナルか。

 槍の間合いに入らないよう距離を空けて、パイナルは俺の前に立った。


「武器を捨てて、ひざまずけ。従うなら殺しはしない」

「……ずいぶん優しいんですね」

「余計な口を叩くな!」


 パイナルは腕を突き出し、斧の刃を見せつけてくる。


「コヨルゥ様からは、抵抗するなら手段は問わないと言われている。二度は言わない。武器を捨てろ」


 俺は言葉の裏を考えていた。

 殺さず、わざわざ捕まえる意味はなんだろう。

 コヨルゥは俺とイツラで人質交換でも狙っているのだろうか。


 ふと思う。

 仮に俺が捕虜になったとして、ティアナートはどうするだろう。

 きっと彼女なら私情を挟まず、統治者として冷静に対処するはずだ。

 卑下するわけではないが、俺個人に大した価値などないのだ。

 どちらかと言うと、救聖装光を奪われることの方が問題だろう。

 由緒正しき建国の秘宝を失ったとあれば、統治者としてのティアナートの立場を揺るがす特大の不祥事にすらなり得る。


 俺は自嘲する。

 結局、答えは一つしかないのだ。

 俺がティアナートの救世主でいるためにも、手を差し伸べたシトリたちの生活を守るためにも、そして何より俺自身が自分を貫き通すためにも。


「早くしろ! 死にたいのか!?」

「……寝ぼけたこと言わないでくださいよ」


 俺はため息を吐いた。

 死にたい人間なんていない。

 また死ほど恐ろしいものもない。

 でも、だ。

 死にたくないからという理由で大切なものを手放したら、そのあとどれだけ後悔するのか、どれだけ自分を殺したくなるのか、俺はもう知っているんだ。


 心の奥底から抑えきれない激情が沸々と煮えたぎってくる。

 興奮物質が弾けたみたいに脳みそが熱くなってきた。

 熱が背筋を通って四肢に伝わり、指の先にまで力がこもる。

 俺は槍の底で地面をがんっと叩いた。


「自分かわいさに命乞いなんかしたら、俺の心が死ぬんだよ! 二度と逃げないって誓ったから、俺はここにいるんだ!」


 パイナルは意外そうに感嘆の息を漏らすと、口の端を吊り上げた。


「良いだろう。ならば戦士として死ね!」


 獣の足が荒野の土を蹴る。

 俺はパイナルの顔に向かって、力を抜いて槍を突き出した。

 穂先が斧の振り上げで打ち払われる。

 それでいい。

 そのタイミングに合わせて、俺も突っ込む。

 一気に間合いが詰まり、パイナルは斧は振り下ろすことができなかった。

 俺はパイナルに抱きつき、胴体を力の限り締め上げる。


「ぐおぉっ!?」


 パイナルの口から圧迫された肺の空気が漏れる。

 腕に力を込めながら、俺は周囲に目を走らせていた。

 包囲していた獣人たちが一斉に向かってくる。

 一か八かやるしかない。

 俺はパイナルを抱えたまま、自身も回転しながら振り回した。


「ゼィヤァー!!」


 迫りくる獣人たちにパイナルを放り投げる。

 飛んできた重量に押し潰されて、巻き込まれた獣人が倒れる。

 開けた空間めがけて俺は弾けるように動いた。

 阻止しようと獣人たちがわっと集まる。


 俺は目を見開いて、集中力を研ぎ澄ました。

 左前方の獣人にクナイを左手で投擲して妨害し、右前方の獣人の斧撃を槍で受け流す。掴もうと伸びてきた腕をすかし、ぎりぎりの隙間を駆け抜ける。


 危機一髪、俺は囲みを突破した。

 脚力を爆発させて、追ってくる獣人たちを一気に引き離す。

 見張り塔から超高速の矢が飛んでくるが、もう種が割れている。

 見てから槍ではじいた。


 向かう先の荒野に土埃が巻き上がっていた。 

 アスカニオの騎兵隊だ。

 さすが勇将。判断が早い。


 焦った獣人たちが斧を投げてくる。

 しかし疾走する俺の背には届かず、足跡に突き刺さるだけだった。


「アスカニオさん!」


 先頭を走るアスカニオの馬の正面から、俺は棒高跳びのように跳躍した。

 空中で宙返り一回ひねりし、彼の後ろに乗馬する。


「おおっ!?」


 突然の飛び乗りに馬が暴れるが、アスカニオはすぐに収めてみせた。

 さすがの腕前である。


「シロガネ殿! どういう状況なのですか!?」

「ここでケリをつけます! 集落に突っ込んでください!」

「信じていいんですね!?」


 三百の騎兵が乾いた大地を揺らして進撃する。

 一塊になったそれは巨大な杭のようなものだ。

 俺を追いかけていた獣人たちは、逆に追われる形となった。

 追いつかれた者から騎馬の圧倒的パワーにはね飛ばされる。

 倒れた者は後続馬に容赦なく踏み潰された。


 追っ手の獣人たちを蹴散らした騎兵隊は城塞集落へと進路を取った。

 縄の切れた跳ね橋は降りたままだ。


「第二隊、前へ! 投擲!」


 アスカニオは片腕を上げ、手ぶりで指示を出した。

 騎兵隊の右翼百騎が跳ね橋へと斜め方向から進行する。

 本隊はいったん迂回して、跳ね橋の正面に位置を取った。


 先行する第二隊は、跳ね橋のある東側防壁と平行に馬を駆けさせた。

 壁から身を乗り出して弓を構える獣人たちに手槍を投げつける。

 放たれた矢と手槍とが交差し、互いの身に降り注ぐ。

 騎手の数名が落馬するも、多数の獣人射手を壁の向こうに落とした。


「突撃ぃー!!」


 機を逃さず、アスカニオ率いる騎兵隊が跳ね橋へと押し寄せた。

 壁際に残った獣人と建物の屋上の射手が矢を放ってくる。

 それにも恐れず、騎兵隊は集落の中へとなだれ込んだ。


 騎兵の突撃を防ぐにはそれなりの用意がいる。

 障害物で道を塞ぐのが一番だが、配置する時間など与えていない。

 もう一つは兵を密集させ、肉の壁とすることだ。

 見張り塔の手前にそれがあった。

 建物と建物に挟まれた通りを埋め尽くすように獣人が隊列を作っている。

 百人を超えているだろう層の厚さだ。

 最前列の獣人は大きな木の盾を構えている。


「突っ込みますよ!?」

「行ってください! 敵将は俺がやります!」


 アスカニオは槍を掲げ、前方の敵へと振りかざした。


「突貫!」


 アスカニオを先頭とした二百の騎兵がそのままの速度で衝突する。 

 盾ごと獣人を押し崩すが、分厚い壁の全て突き破るには至らなかった。

 獣人の隊列の最後まであと少しというところで馬が体を傾かせる。


「後は任せてください!」


 俺は馬の背から飛び出した。

 密集して動けない獣人の肩を足場にもうひと跳び。

 分厚い獣人の壁を飛び越える。


「ま、待てオラァ!」


 俺は振り返りもせず、見張り塔に駆け込んだ。

 一階は倉庫としても使われているようで、弓や矢筒等が並んでいる。

 内壁に沿って螺旋階段があり、反時計回りで上へと続いていた。

 ぶつけないよう槍を左手に持ち替え、俺は階段を駆け上がる。

 ちらりと階下を覗くと、獣人が塔の中に入って来るのが見えた。

 俺は階段を上り切り、光の差す屋上に飛び出す。


「えっ!?」


 慌てて見回すが誰の姿もない。

 屋上には身を隠す柱も障害物もない。

 塔の縁に沿って、腰の高さまである立ち上がり壁があるだけだ。


 俺はさっと血の気が引くのを感じた。

 コヨルゥはすでに逃げていたのか。

 いや、でも俺はぎりぎりまで塔を注視していた。

 俺が馬から離れるまで、塔の上には指示を出す者がいたはずだ。

 出入り口は一つしかないのに、どうやって――


 困惑と焦りに気を取られた瞬間、後方から鈴の音がした。

 咄嗟に振り返るも、跳び蹴りの姿勢のコヨルゥが目の前にいた。

 胸に直撃をもらって押し飛ばされ、立ち上がり壁に腰をぶつける。

 息つく暇なく、斧を振りかぶったコヨルゥが襲いかかって来る。

 振り下ろされる刃を、俺は槍の柄で受けようとした。

 だが命中の直前、彼女の手が斧からすっと離れる。

 斧を弾くも、前に出した槍の柄の下から潜り込まれ、両手で首を掴まれる。

 ぐいっと押されて俺は上半身がのけ反り、壁から外にはみ出した。


「ぐっ……」


 俺は左手で壁の縁を掴んで堪える。

 この腕力、さすがはあの兄弟のお姉さんだ。

 何とか耐えているが、このままでは見張り塔から突き落とされてしまう。

 目と鼻の先のコヨルゥの表情は怒るでも猛るでもなく、冷徹だった。


「シロガネ、お前は本当に危険な奴だ」


 見下ろした塔の高さに、背筋に冷たいものが走る。

 落ちればきっと骨が砕け、肉も内臓も潰れておしまいだ。

 それに下には獣人がうじゃうじゃといる。

 身動きひとつ取れないまま人生が終わるだろう。


「相手を憎むでもなく、戦いを楽しんでもいない。お前のような奴が一番危険だ。生かしてはおけない」


 体重をかけて押される。

 俺は槍を手放し、右手も壁に引っかけて辛うじて踏ん張った。

 だがこの体勢はまずい。体重をかけられる分、相手が有利だ。


「そんなの貴方だって同じでしょう!」

「だからだ」

「うっ……くっ……」


 だめだ。このまま耐えているだけじゃどうにもならない。

 古人曰く、生中に生あらず死中に生ありだ。

 こうなったら覚悟を決めるしかない。

 おびえる心臓の鼓動を感じながら、俺は胸いっぱいに息を吸い込んだ。


 ――行け!


 俺は壁を掴む手を離した。

 腕をコヨルゥの背に回すと同時に、自分から思い切り後ろに跳ぶ。


「なっ!?」


 壁を越えて、二人で一塊になって塔の上から身を投げた。

 重力加速度を体に受けながら、一緒に縦に回転しながら落ちていく。

 コヨルゥは俺を突き放そうとするがもう遅い。

 俺の両腕は彼女の背中で完全に固定されていた。


「お前は――!」


 あっという間に地面が迫ってくる。

 ドンッと鈍く重たい音が辺りに響いた。


「あ……くぁ……」


 体を強く打ちつけた衝撃でうまく息ができない。

 目を開けているはずなのに目の前が真っ暗だ。

 腕がしびれて感覚が消えている。

 発作を起こしたかのように胃が痙攣し、俺は兜の中で嘔吐した。


「コヨルゥ様!!」


 獣人の叫び声と足音が聞こえる。

 俺は指先一つも動かせなかった。

 頭の中がぐるぐる渦巻いていて、すさまじく気持ちが悪い。


 甲高い笛の音が集落に響き渡る。

 獣人が口々に何かを叫んでいるが、聞き取れない。

 さすがに飛び降りは無理をし過ぎたかな……

 喧噪の中、混濁する俺の意識はぷつりと途絶えた。

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