34話『共感と共存の遠さ(1)』
拠点築造を妨害に来る獣人たちは深夜に太鼓を鳴らしにやって来る。
彼らの目的は兵士の安眠を妨害し、体力を消耗させることだ。
隠密活動をする都合上、敵の妨害部隊は少人数だ。
そして明かりを使わない。
俺はそれを逆手に取った。
救聖装光をまとった俺なら音で相手の位置がわかる。
逆に相手は太鼓の音で聴覚を、夜の闇で視覚を塞がれている。
彼らを捕まえるのはそう難しいことではなかった。
深夜の内に獣人二人を捕らえ、尋問係に引き渡した。
夜が明けて、日が昇る。
逃げてきた輸送隊の兵士が陣に辿り着いたのは午前中だった。
疲れているところかわいそうだが、ただちに聞き取りが行われた。
捕虜の獣人と兵士の言とを擦り合わせ、敵の貯蔵庫の場所を推測する。
早めの食事を取って、アスカニオの騎兵隊三百騎が出撃した。
俺も同行し、アスカニオの馬に同乗させてもらった。
騎手は皆、袖無しの板金鎧を上に着込み、前腕には手甲を装備していた。
馬上用の槍の他に、投擲槍の入った筒を背中に袈裟かけている。
俺も戦いに備え、クナイを十二本差した帯を腹に巻いていた。
もちろんミスミス姉弟に作ってもらった金属槍も持っていく。
チコモストの涼風を肌に受けて、騎馬が乾いた大地を駆ける。
貯蔵庫と思しき大きな集落を見つけたのは夕暮れ時だった。
茜色の太陽が空を焼いている。
開けた荒野の上で、アスカニオは部隊に待機命令を出した。
馬上から大集落を遠くに眺める。
集落の敷地を囲うように日干し煉瓦の防壁があった。
防壁の外周には堀が掘られている。
壁の内にある集落はかなりの広さで、煉瓦造りの家屋が並んでいた。
集落の中央に建つ見張り塔の屋上には獣人の姿があった。
明らかに他の集落とは規模も守りの意識も違う。
城塞都市を思わせるつくりだった。
「……手強い」
アスカニオは険しい目つきで集落を見ていた。
「籠城されると落とせそうにない。戦うなら野戦に持ち込まねば。もちろん敵の数にもよりますが……」
今ここにある戦力は騎兵三百騎のみだ。
当然ながら攻城戦には向かない。
相手の指揮官がコヨルゥなら、こちらの土俵には乗ってくれないだろう。
もっとも彼女が今あの集落にいる確証はないのだが。
「会って確かめてきます」
「は?」
アスカニオは戸惑いの表情を浮かべた。
言葉足らずだったかと思い、俺は付け足す。
「コヨルゥさんへの手紙を渡しに来た使者というていで、集落を訪ねてきます。ついでに中の様子も見てきますよ」
アスカニオはしばしの間、眉根を寄せて考え込んだ。
「確かに偵察は必要ですが、大丈夫なのですか?」
「以前コヨルゥさんが訪ねてきた時、俺たちは手出しをせず帰しました。逆の状況で騙し討ちをしては精神的に負けを認めたことになる。なんて考えてくれないかなと思うのは楽観的でしょうか?」
アスカニオは苦笑いした。
口で否定はしないにしても、賛成できないという感じだろうか。
「もし騒ぎになったとしても、それはそれで利用すればいいんです。俺が中で暴れている内に、アスカニオさんは集落に火でもつけてください。判断を丸投げして申し訳ないですけど、どう転ぶかわからないので」
「それは構いませんが……」
俺は馬からひょいと降りた。
重たい金属槍の柄をよいしょと肩にのせる。
「それじゃあ行ってきます」
「……お気を付けて」
どこか不安そうな様子のアスカニオと騎兵隊を残して、俺は駆け出した。
わずかに雑草の生えた荒野を走っていく。
見通しがいいので心配ないだろうが、周囲には警戒しておく。
突然、獣人が矢を射かけてくるかもしれないからだ。
城塞のような集落のそばまで来た。
防壁の東側に丸太で作られた跳ね橋がある。
どうやら出入り口はそこだけのようだ。
俺が近付くと、跳ね橋の両脇の壁に獣人が二人上ってきた。
どちらも手に弓を携えている。
「止まれ! 何をしに来た!」
獣人の一人が吠えるように言ってくる。
俺は懐から封書を取り出して、二人に見せた。
「シロガネが返事を持って来たと、コヨルゥさんに伝えてください」
「むっ! 伝える!」
獣人の一人が壁の上から飛び降りると、集落の奥へと走っていった。
残ったもう一人は無言で俺のことをじっと見下ろしてくる。
顔付きは厳つく、体毛の赤茶と黒のまだら模様が猛々しい。
しかし目を合わせてみると、つぶらな瞳をしているようにも思えた。
俺は微笑みを浮かべて、話しかけてみることにした。
「自分はシロガネヒカルと申します。貴方のお名前は?」
「……パイナルだ」
仕方なくといった表情だが、意外にも答えてくれた。
思い返してみると、ウィツィもイツラもコヨルゥもまず名乗ってきた。
名乗らないのは失礼。そんな礼儀作法が獣人族にはあるのかもしれない。
「パイナルさんはどこの部族の方なんですか? やっぱりここ、テスコの方ですか?」
「俺たちは誇り高きチノチ族の戦士だ。他の奴らと一緒にするな」
ぎろりとにらんでくる。
怒らせてしまったかと思い、俺は軽く頭を下げる。
「ではパイナルさんは、コヨルゥさんに従って東に来たんですね」
「そうだ」
「と言うことは、ここにいるのはチノチ族の軍なんですね。テスコ族の方々はどこに消えたんですか? 自分たちが暮らす土地なのに、他の部族に任せきりなんですか?」
疑問を口にすると、パイナルは鼻で笑った。
「テスコ族は臆病者だ。相手が弱ければ戦い、強ければ逃げる。俺たちとお前たちが潰し合うのを眺めているのだ」
パイナルは気に入らないようだが、一概に卑怯とは言い切れないと思う。
戦乱の世では死んだら負けなのだ。
未来を創っていけるのは生き残った者だけなのだから。
「まぁそれでも、トラクパの奴らよりはマシかもしれん」
パイナルは癪だと言わんばかりに面を歪める。
トラクパというのはチコモスト西部に住むトラクパ族のことだろう。
西部地域でも何か問題が発生しているのかもしれない。
報告に走った見張りの獣人が戻ってきた。
パイナルは壁の上から飛び降りる。
丸太作りの橋桁が下りてきて、堀の上に渡された。
「入れ!」
俺は橋を渡り、集落の中に足を踏み入れた。
するとパイナルたちは橋桁に繋がった縄を引いて、跳ね橋を上げ戻した。
しっかりと地面に打ち込まれた杭に太い縄を巻き付けて、また固定する。
「来い!」
獣人の後に続いて、道を西へと歩く。
パイナルは俺の後ろについたので、二人に挟まれる形となった。
乾いた土の地面を踏み鳴らしながら集落の奥へと進む。
辺りを見回すと、日干し煉瓦でできた家が建ち並んでいた。
一角の畑では何か作物を育てているようだ。
水は井戸から得ているのか。
防衛機能が備わっているものの、基本のつくりは村そのものだった。
見張り塔は集落のちょうど真ん中に建っていた。
下から見上げるとかなりの高さだとわかる。
エルトゥラン王城の城壁くらい高い。
見張り塔を中心に、集落を十文字に区切る道が伸びている。
獣人たちがあちらこちらで慌ただしく動いていた。
見張りがアスカニオの騎兵隊に気付いて、防衛準備を急いでいるのだろう。
ふと南側の道の先に目が留まる。
囲い柵の中で多数の馬が所狭しと息を吐いていた。
そばには馬で引くのにちょうどいい荷台が並んでいる。
あれはもしや輸送隊から奪った荷馬車ではなかろうか。
見張り塔を通り過ぎて、西側に進んだ突き当たりに大きな家があった。
村長が住むならここだろうという立派な建物だ。
木製の玄関扉は開けっ放しになっている。
パイナルたちは玄関の両脇に立ち、家の壁を背に直立した。
自分たちは立ち入らないということだろう。
俺は一人で家の中に踏み込んだ。
「お邪魔します」
飾り気のない玄関を抜けると、廊下を挟んで正面に大部屋があった。
簡素な木製の卓の向こうに、コヨルゥが一人で椅子に腰掛けていた。
背後の壁にはやや大きめの窓があり、部屋に夕暮れの光が差し込んでいる。
俺の顔を見て彼女は微笑んだ。
「よく来たなシロガネ。座るといい」
対面の席を勧めてくる。
俺は手に持っていた槍を迷いながらも床に置いて、席に着いた。
「お前が来たということは、進展があったということだな?」
「エルトゥラン王国王女より返事が届いています」
俺は懐にしまっていた封書を差し出した。
封書には封蝋が施されており、エルトゥラン国王の印章が押捺されている。
コヨルゥはそれを開封すると、さっそく書面に目を落とした。
しばし無言で文字を追って、ふと嘲るように笑った。
「足下を見られたものだ」
「何が書いてあるんですか?」
「読んでみるか?」
すっと書状を返してくる。
俺は受け取って、目を通してみた。
「イツラ=テパステクトリの引き渡しの条件として以下を要求する。チコモスト東部テスコ地域の割譲。及び同地域の支配権の承認を求める」
「交渉する気はない……と受け取っていいな?」
コヨルゥは確認を取るようにこちらを見た。
俺は首を横に振る。
「応じてもらえるなら、イツラさんはちゃんと解放されると思いますよ。言葉にしたことは実行する。彼女はそういう人です」
「こんな条件、呑めると思うか?」
コヨルゥは呆れた様子で首を傾けた。
無理難題を押し付けているのは俺にもわかる。
ティアナートがこの場にいれば『選ぶのはあなた方の自由です。家族の命を軽いと思えるなら蹴ればいい』とでも返すのだろう。
だがそれは弁舌達者な彼女だからできることであって、俺なんかが下手にまねをすると事故を起こしかねない。なので話の切り口を変えることにする。
「ところでなんですけど、コヨルゥさんに決定権はあるんですか? もしないならこの手紙、アカマピさんに渡していただきたいのですが」
再び手紙を返そうとすると、コヨルゥは手の平を見せて拒否した。
「そのような条件、父が呑むわけがない。負けて捕虜となった身内を救う為に土地を切り売りしようなどと。上に立つ者として思案することすら許されないだろう」
「そうだとしても、説得してもらわないと困るんです」
ここは押すべきところだと思い、俺は彼女の目を強く見つめた。
「貴方は家族を大切に思う人だ。説得できるのは貴方しかいないんです」
「その話なら――」
「俺は貴方たちと殺し合いがしたくて来たんじゃないんです。ティアナートだって、獣人族を滅ぼそうとまでは考えていない。貴方の御父上が引いてくれないから、やるしかなくなったんです」
俺は彼女の言葉を遮ってまくし立てた。
先日、使者として陣に訪ねてきたコヨルゥは『それが父の夢だからだ』と、アカマピ大王のエルトゥラン侵略を肯定した。
その時、俺はその言葉を否定できなかった。
その姿勢に少なからず共感を覚えたからだ。
だがその後、輸送隊が襲われて味方に被害が出た。
仲間が死んでいる以上、いつまでも決断を先送りすることはできない。
俺はティアナートの救世主として、敵を排除しなければならないのだ。
「どう言われようと無理なものは無理だ」
「どうしてもですか?」
「意志を通したいなら、言葉ではなく力で示すしかない。それがこの国の……獣人族の掟だ」
力で示せ、か。
俺は肺の中の空気をゆっくりと残さず吐き出した。
獣人族にとっては強さこそがルールなんだ。
よそ者がそれを野蛮と決めつけるのは、それこそ野蛮な考え方だろう。
郷に入れば郷に従えと言う。
言葉ではなく暴力で語るのが獣人族の文化なら、その流儀を尊重しよう。
俺は息を吸い、心を決めた。
「コヨルゥさん。俺は貴方とは仲良くなれると思っているんです」
コヨルゥは何かに勘付いたように目元を険しくした。
俺は手紙をたたんで元に戻し、テーブルの上にそっと置いた。
椅子を後ろに引き、床に置いていた槍を掴んで席を立つ。
「だから貴方に決闘を申し込みます」
俺は服の上から胸元のペンダントを握り、合言葉を念じて唱えた。