33話『拠点築造』
予定から二日遅れて、連合軍は拠点の築造予定地に到着した。
遅れた理由はもちろんコヨルゥ軍による妨害のためだ。
しかしそれもあくまで時間稼ぎ。受けた被害は少なかった。
チコモスト東部、テスコの地は大部分が平らな荒野だ。
兵を隠せる山や森が少ない。
見通しが利くため、致命的な奇襲を受けなかったのだ。
その上こちらの戦力はコヨルゥ軍の三倍以上だ。
向こうもそれがわかっているから妨害に徹したのだろう。
予定地に到着した俺たちはまず広めに陣を張った。
この陣を基礎として拠点を造る。
陣から少し離れたところには川があり、これにより水源を確保した。
川の近くには小さな林もあり、伐採による木材の入手が可能である。
この地で具体的に何をするかというと土木工事である。
拠点築造の構想はこうだ。
まずは陣の外周に堀を掘る。
もちろんこれは敵の侵入を防ぐためだ。
堀に水を引ければ最上だが、さすがにそこまでは無理なので空堀である。
堀を掘って出た土は土塁として再利用する。
堀のすぐ内側に土を盛り、土塁とするのだ。
外から来た敵はまず堀の底へと下りる。
そこから堀の深さと土塁の高さが合わさった土壁を見上げることになる。
これはもう城壁と呼んで差し支えない。
堀と土塁。この二つがあればそれはもう砦なのだ。
木材はこれらの造成を補強するのに用いる。
土塁の上に木材を打ち込んで柵をつくり、さらに乗り越えにくくする。
後々余裕ができれば、堀の底にも尖らせた杭を打ち込みたいところだ。
城壁の次はやぐらだ。
やぐらとは木材を高く組んで作る建造物である。
高台の上から周囲を展望したり、射手が攻撃を行うのだ。
これを土塁のそばに建てる。高さは地の利だ。
また陣の出入り口には堀を渡す橋も必要だ。
これには跳ね橋を用いる。
縄紐で繋いだ橋桁を上げ下げする仕組みだ。
橋を跳ね上げることで中と外とを隔絶できる。
敵の侵入を防ぐと同時に、味方は安心感を得られるというわけだ。
「以上が拠点築造の大まかな予定だ。何か質問のある者は?」
幕舎に集めた百人隊長たちに向かって、ドナンは言った。
皆静かに頷き、異議を唱える者はいなかった。
「工事の現場監督はゴブリック百人隊長に一任する。では各員、さっそく作業にかかってくれ」
隊長たちが幕舎から出ていく。
彼らを見送った後、アスカニオはドナンの前に立った。
「私は騎兵百騎を連れて、周辺の探索に当たろうかと思います」
「いいでしょう。よろしく頼みます」
辺りの地形はどうなっているのか。
人の住む集落はあるのか。
より詳細な調査に向かうとのことだ。
興味が湧いて、俺は手を上げた。
「迷惑でなければ、俺も連れて行ってくれませんか?」
「シロガネ殿をですか?」
「まだ一人では馬に乗れませんが、いざという時は馬より速く走れます。足手まといにはならないつもりです」
アスカニオは返す言葉に迷った末、ドナンの顔を見た。
ドナンは俺の顔をまじまじと見て、またアスカニオの方に顔を戻した。
「お任せしても?」
「……承りました」
アスカニオはドナンに一礼して、俺に同行を促した。
一緒に幕舎を出る。
アスカニオは配下のトラネウス騎兵を集めた。
エルトゥラン兵は鎖帷子が基本だが、トラネウスの兵士は胴鎧を着込む。
袖無しの板金鎧で胴体を守り、前腕には金属製の手甲を身に着けていた。
騎乗中に落とさないように、兜はあごの下で紐をくくる形だ。
馬上戦闘用の槍を持ち、投擲槍を詰めた筒を背中に袈裟掛けていた。
アスカニオ率いる騎兵百騎が陣を出る。
残る騎兵は拠点にて警戒の任に当たる。
拠点の防衛は主に騎兵に任せて、歩兵は工事に専念するのだ。
俺はアスカニオの馬に同乗させてもらった。
俺は後ろから彼の腰に腕を回している形である。
川は陣から東に行ったところにあった。
川の幅は四メートルくらいだろうか。
水質はやや茶色に濁っている。
川の水は北から南東の方角へ、ざぶざぶと流れていた。
人の住む集落は水場の近くにあることが多い。
騎兵隊は川に沿って北上することにした。
かっぽかっぽと蹄の音が荒野に響く。
馬に揺られながら、俺はアスカニオの後頭部に話しかけた。
「もし敵が来たら、邪魔にならないよう俺はすぐ飛び降りますから」
「いえ、それはやめていただきたい」
「どうしてですか?」
アスカニオは遠く地平線を見ているようだった。
「私が隊の先頭を走るのです。飛び降りると後続に轢かれます。貴方だけでなく、後ろの部下まで巻き込まれてしまう」
ぐぅの音も出ない正論で諭される。
「それに後ろに一人乗せたくらいで騎乗に支障などありません。ご心配なく」
アスカニオの言葉には確固たる自信を感じられた。
騎手としての誇りがあるのだろう。
「わかりました。馬上のことはお任せします」
しばらく行くと、川の近くに集落を見つけた。
日干し煉瓦で造られた建物が点在している。
集落の中は静寂に包まれていた。
騎兵隊が近付いても誰一人として姿を見せない。
アスカニオは騎兵隊に待機を命じた。
彼が馬を降りたので、俺もそうする。
二人で集落の中を歩く。
柵で囲まれた空き地があるが、家畜でも飼っていたのだろうか。
木箱に乾いた餌が残っている。
畑には掘り返した跡があった。
俺たちは集落の奥まで来て、立ち止って周りを見回す。
耳を澄ましても風の声が聞こえるだけだ。
生活の痕跡はあるのだが、今は人っ子一人いない。
「俺たちが来たから、家を捨てて逃げたんでしょうか?」
「それもあるとは思うのですが……」
アスカニオは引っ掛かることがあるようだ。
一番大きな家屋に目星を付けて、家探しを行った。
やはり獣人の姿はない。
がらんとした日干し煉瓦の家の中で、アスカニオは鼻先を指でなでた。
「移動をしたのは最近ですね。ですが慌ててというわけではない。部屋は荒らされていないのに貴金属や食料が綺麗になくなっている。事前に避難勧告があったのかもしれません」
「コヨルゥさんが手を回したんでしょうか?」
「可能性はあります。あるいはここのまとめ役が聡い人物だったか……」
この場所で得られるものはもうないだろう。
俺たちは騎兵隊の元に戻り、探索を再開することにした。
拠点から遠ざかりすぎないよう、騎兵隊は荒野をぐるりと移動した。
拠点から北東に集落を一つ。北にも一つ見つけた。
調査するが最初の集落と同様に獣人の姿はない。
がらんとした空き家だけが残されていた。
陣に帰還した頃には空が赤みがかっていた。
陣の外周の地面に溝ができている。
まだまだ堀とは呼べない浅さだが、工事が進んでいるのが感じられた。
数百人単位のマンパワーはだてじゃないなと思う。
俺はアスカニオと共にドナンの元に報告に向かった。
幕舎の中に入ると、ドナンが椅子に腰かけ、机に向かっていた。
机の上にあるのは資材等の保有量を記した報告書のようだ。
「ご苦労様でした。首尾はいかがでしたか?」
「集落をいくつか回りましたが、住民はすでに避難していました。どこももぬけの殻で、食糧などの調達は難しそうです」
ふむ、とドナンは自分のあごをなでた。
「少々当てが外れましたな」
「折を見て、大きめの村を探してもいいとは思いますが……」
「今はまだ慌てなくてもよいでしょう。ですがもしもの時の用意だけはしておきたい。引き続き、調査を進めていただきたい」
その後さらに細かい情報を伝え、報告は終了した。
俺は自分の天幕に帰り、オグたちと夕食を取った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は過ぎて真夜中。
皆が寝静まった頃、突然、太鼓の音が鳴り響いた。
俺は飛び起きて、槍を掴んで外に出る。
同様に寝起きの兵士たちが天幕から出てきた。
違和感のある重低音が陣の外、四方から響いてくる。
味方の使う陣太鼓とはやや音が違う。
今夜の敵は太鼓を抱えてやってきたのか。
「ったく! 人が機嫌よく寝てたってのによ!」
文句を言いながらオグが天幕から這い出してきた。
十人隊の皆も集まって来る。
「シロガネ! 敵はどっから来てんだ!?」
「まだ見えない」
闇の向こうに目を凝らすが、近付いてくる人影はない。
少ししてムルミロがたいまつを持ってきた。
「はいよ、お待たせ」
炎に照らされて、わずかに視界が広がる。
いつ敵が来てもいいように、俺たちは槍を構えながら待った。
太鼓の音は変わらず続いている。
しかし獣人戦士は一向に姿を現さない。
「…………」
十分ほどして、太鼓の音は鳴りやんだ。
結局この夜、獣人たちが陣を攻めてくることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
真夜中の太鼓は夜襲に見せかけた妨害だった。
連日続く嫌がらせに兵士たちは苛立ちを募らせている。
とは言え、敵が強攻策を取ってこないおかげで工事は順調に進んでいた。
堀や土塁はだいぶ形になってきている。
妨害活動は少人数の部隊によるものと思われた。
コヨルゥ本人は姿をくらましている。
彼女の動きが掴めないのは不安要素だった。
アスカニオは調査を兼ねて偵察を繰り返しているが、発見できていない。
イツラの件について、ティアナートから返答の手紙が届いていた。
渡しに行きたいのだが、コヨルゥの居場所がわからなくて困っている。
連合軍が拠点築造工事を始めて十二日目。
急使の男が馬を走らせて、慌てた様子で陣に駆け込んできた。
男の髪は乱れ、衣服は土にまみれていた。
火急の案件とのことで総大将の幕舎に通される。
中には俺、ドナン、アスカニオで集まっていた。
急使の男はドナンの前で膝をつくと、険しい顔で報告する。
「獣人族の襲撃を受け、輸送中の物資を奪われました!」
「なんと!?」
急使の話によると、輸送隊が襲撃を受けたのは昨日。
ここに向かう途中、待ち受けていた獣人軍に襲われたのだという。
敵の数はおよそ四百。
抵抗するも歯が立たず、食糧と資材を奪われてしまったそうだ。
逃げ延びた兵士たちは明日こちらに到着する予定とのことだ。
まとまった人数で統制された獣人の部隊。
もしかしてと思い、俺は尋ねる。
「襲ってきた獣人族の指揮官はどんな人でしたか? たとえば羽で飾った胸当てをしていたとか、鈴の音が聞こえたとか」
急使はぶんぶんと頭を縦に振った。
「そうです! 救世主様のおっしゃる獣人を見かけました!」
俺はドナンとアスカニオの顔を見た。
苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ご苦労だった。まずは治療を受け、体を休めるといい」
ドナンに促されて、急使の男は幕舎から去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、アスカニオは口を開いた。
「やられましたね」
「狙っていたということでしょうな。周辺の住民を移動させたのといい、我々を飢えさせたいのか……」
ドナンは思案するようにあごをなでる。
「しかし獣人族らしからぬ消極的な策だ。我々の拠点築造をみすみす見逃すつもりのように思える。アスカニオ殿、チコモスト中央の動向はいかがか?」
「チノチ族の本隊がこちらに向かっている様子はないですね。動きが遅い。楽観的な見方はしたくありませんが、何か問題が起きたのかもしれません」
獣人族の国は統一された国家ではなく、部族の連合体である。
チコモスト中央部のチノチ族が他の部族を力で抑えつけている形だ。
二度の敗戦で大王の求心力が衰えている可能性があるのだろうか。
たとえばそれぞれの部族が自分たちの勢力を温存するために兵を出し渋っていて、大軍を動員するのに手間取っているとか。
あるいは頼れぬ王など不要とばかりに抗争が起きているのかもしれない。
「どうあれ時間があるなら、むだにしたくない。さて、この猶予にどのような一手を打つかですが……」
「コヨルゥさんの部隊をどうにかしましょう」
発言すると、二人は俺の顔を見てきた。
その目が詳細を促しているように感じたので、俺は言葉を続ける。
「今の内に彼女の部隊を撃退しておいた方がいいですよね。補給物資の輸送の問題もありますし。いざ相手の本隊が出て来た時に背中を取られても困ります」
「その考えはもっともですが……」
ドナンは悩ましげに眉根を寄せた。
「仕掛けようにも敵の位置が掴めておりませぬ。兵の動かしようがありませんぞ」
「コヨルゥさんの部隊を探さなくてもいいと思います。探すのは奪われた物資の行き先です」
「ほぅ?」
ぴんと来たのか、ドナンは目を大きく開いた。
アスカニオも興味深そうに頷いている。
「奪われたものはどこかにまとめて持ち込まれたはずです。かなりの量ですから、そこらの小さな集落に運んだとは考えにくい。物資を蓄えておける規模の基地があると思うんです」
「敵の貯蔵庫を狙おうと言うわけですな?」
ドナンの問いかけに、俺は頷く。
「コヨルゥさんは部隊に四百を超す兵を抱えています。それだけの人数を動かすには兵糧が絶対に必要です」
ドナンはふむふむと頷く。
「アスカニオ殿はどう思われる?」
「兵糧を失えば、むしろ相手の方が兵を退かざるを得なくなる。返しの一手としては気が利いているかもしれません」
アスカニオはにやりと笑った。
「逃げてくる輸送隊の兵を迎え次第、私は探索に出るとしましょう」
「お任せいたす」
ドナンの承諾を得ると、アスカニオは俺に視線を向けてきた。
「シロガネ殿もご一緒されますか?」
「その前に、陣に妨害に来る獣人を捕まえたいと考えているんです。コヨルゥさんの動きや貯蔵庫の場所を聞き出そうと思って。出立までに間に合えばお供させてください」
「承知しました」
今後の方針は決まった。
さて解散かと、三人が互いに顔を合わせる。
ふとあることを思いついて俺は口を開いた。
「あの、お二人に一つお聞きしたいんですけど……」
「何でしょう?」
「前にコヨルゥさんが陣に来た時に捕まえておけば良かった。そんな風に考えたりしますか?」
するとドナンは困ったように苦笑した。
「今の状況を考えればそうでしょうなぁ。策謀を得意とする敵将ならばなおのこと。捕らえれば部隊を壊滅させたに等しい戦果を得られるわけですから」
アスカニオも同意するように頷いた。
「もしあの場に父かライムンドがいれば、まず捕らえようとしたでしょうね」
二人の言葉に俺は申し訳なくなり、首を垂れる。
「すみません。そこまで頭が回らなくて」
「なぜシロガネ殿が謝られるのです?」
「コヨルゥさんと話が終わった時、ドナンさんが目配せをくれたでしょう? あれってそういう意味だったのかなと後で思ったんです」
ドナンは両方の手の平を見せて、首を横に振った。
「思わせぶりなことをしてしまいましたか。申し訳ない。まさか敵将自ら訪ねてくるとは思いませんでしたので」
「準備をしていなかった時点で我々の負けです。誰の責任でもありませんよ」
そう言ってアスカニオは小さく笑った。
「それに個人的にはそういう盤外の戦いは好きではない。獣人族の気質を考えれば、長い目で見て良い対応だと思います」
「同感です。使者として来た者に手を出すのは邪道でしょう」
軽い調子でドナンも笑う。
和やかに変わった場の空気に俺も自然と微笑む。
彼らは正々堂々を良しとする武人なのだ。
そんなところが好ましいし、だからこそ素直に付き合える。
「では! 今度こそ奴らをぎゃふんと言わせてやりましょうぞ!」
ドナンは拳をぐっと握った。
俺とアスカニオも同じように、顔の前で拳を握る。
そして乾杯の代わりに拳をぶつけ合った。