03話『誰かの為に身を血に染めて』
光の粒子が俺の体を包み込む。
温かい何かが肌に吸い付く感触がした。
光は鎧の形を取り、さらに銀色に煌めく装甲に変わる。
あっという間の出来事だった。
目の前の玉座から、乾いた血の色をした鎧が消えている。
代わりに俺は銀色の全身鎧を身にまとっていた。
頭から指の先、足の先まで全てが煌めく装甲で覆われている。
鎧の表面は硬いが、内側は粘体に包まれているような柔らかさがあった。
それに軽い。重そうな全身鎧なのに服を着ているのとさほど変わらない。
「これが救聖装光……」
神経の回路にそって気が迸るのがわかる。
全身を巡る血液が煮えたぎるように熱くなるのを感じた。
かつてないほどに五感が研ぎ澄まされていく。
力を込めれば何でも握り潰せそうな万能感があった。
今ならどんな化け物が相手でも勝てる気がする。
「シロガネ。貴方に一つ忠告をしておきます」
俺はティアナートの方に向き直る。
彼女は何かを心配するような顔をしていた。
「決して力に飲まれないように。良き心を忘れた時、救聖装光は貴方の魂を焼きます」
ティアナートは経験者だ。
それが脅しではないことは彼女の灰色の左腕が証明している。
俺は湧き上がる高揚感を抑えるように無言で頷いた。
「では参りましょう」
俺たちは地下の儀式の間から階段を上り、城の玄関広間に出た。
するとその場にいた兵士が『あっ』と声を上げた。
周囲の視線が次々と自分に集まってくる。
戸惑う俺の肩にそっと触れて、ティアナートは前に出た。
「エルトゥランの誇り高き兵士たちよ! 近くの者は我が声を聞け! 遠くの者には伝えよ!」
一斉に靴音が鳴り、兵士たちが直立の姿勢を取る。
それから流れるように右の手の平を左胸に当てた。
誰もが期待に目を輝かせてティアナートを見る。
「これより救世主様がご出陣なされる! 英雄の戦いをその目に焼け付けておけ!」
――うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!
城を揺らすほどの歓喜の叫びだった。
中には泣いてる人までいる。
藁にも縋る思いで頑張って戦って、その時を待っていたのだろう。
「今日という日は我が国の歴史の新たな一行となる! 各員いっそう奮闘せよ! 生き残って未来を掴め!」
兵士たちが慌ただしく動き出した。
どの顔も生き生きとしていて、活力でみなぎっている。
先程までの悲痛な雰囲気は一気に吹き飛んだようだった。
「責任が重いな……」
俺はつい半笑いする。
だが悪い気はしなかった。
自分への期待感が彼らを勇気づけたのだ。
今はその事実を前向きにとらえたい。
「ベルメッタはケガ人の手当てに回りなさい。シロガネは私と共に」
「はい! でもその前に!」
ベルメッタは近くの兵士から槍を受け取ると、俺に渡してきた。
一本目の槍は長さが二メートル五十センチくらいだろうか。
柄の部分は木材でできており、穂先に金属製の刃がついている。
もう一本の槍は柄が短く、細い作りの槍だった。
先端が矢のように尖っている。投げる用途のものなのだろう。
「ありがとうございます」
「私も頑張りますから、救世主様も頑張ってくださいね」
ぐっと拳を握ったベルメッタに見送られて城を出る。
俺はティアナートと共に再び広場を西へと走った。
西側城壁の内側壁面の階段を上り、城壁の上の足場に出る。
茜色の空の下は殺戮の歌で満ちていた。
「コロセェェェッ!!」
「落とせ! 落とせ!」
城壁の立ち上がり壁の際で兵士たちが獣人戦士と戦っていた。
なんとか壁を越えられずに抑えている。
しかし敵は次から次に城壁に鉤縄をかけて登ってくるのだ。
地表からはそれを援護する矢も飛んできている。
落ち着いて戦場を観察すると状況が見えてきた。
獣人の攻撃は城門のある北側城壁に集中していた。
次に敵が多いのが西側だ。
南側は城壁からすぐに急傾斜があり、その下には森が広がっている。
そのため部隊を展開し辛いのか敵が少ない。
東側は城壁が山と半ば一体化していた。
山は傾斜がきつく、山肌には尖った岩が飛び出している。
こちらも部隊を向かわせるのは困難と判断されたのか獣人の姿はない。
戦う兵士たちの顔には疲れの色が浮かんでいた。
対する獣人戦士たちはまだまだ元気で、何より遥かに数が多い。
ティアナートが言うように兵力の差が致命的なのだ。
確かにこれはもう落城寸前に思える。
どうすればこの状況を覆すことができるのだろうか。
「シロガネ。向こうを御覧なさい」
ティアナートが北北西の方角を指さす。
城から少し離れたところに小高い丘があった。
緑が茂るその丘に三つの人影が見える。
ぐっと目を凝らすと眼球が熱くなるのがわかった。
これも救聖装光の力なのだろうか。
遠い場所なのに今の俺にははっきりと見える。
獣人が三人、城攻めの様子を眺めているようだった。
特に目を引くのが真ん中の獣人だ。
とんでもなく巨大な両刃斧の柄を肩に担いで、威風堂々と立っている。
柄の長さはその獣人の背丈と同じほどあり、その先にある斧刃の部分も幅広で大きく、人の上半身がまるまる隠れてしまうほどだった。
しかもこの斧、どうやら柄の部分まで金属でできているようだ。
とんでもない重量だろうに、当人は平然とした顔をしている。
両脇に従えている二人は片手持ちの手斧を腰に下げていた。
片方の手には丸い盾を持っている。
見たところ、大将とその護衛といったところか。
「大将首を取って来いと?」
俺が問うと、ティアナートは頷いた。
「獣人族は個の強さを絶対の正義とする力の部族です。将を討てば戦意を砕くことも可能なはずです」
不思議なくらい気持ちが昂ってきた。
俺は投擲用の槍を右手に握り直すと、腕を後ろに引いて構えた。
俺の爺ちゃんは竹槍で爆撃機を落としたことのあるニンジャだ。
槍の扱い方は叩き込まれている。
目標は巨大戦斧の獣人の将。
人間の筋力ではおよそ届きそうにない距離だが、今の俺ならきっと届く。
夕陽を反射して煌めく銀色の鎧がその力を与えてくれていた。
俺は助走をつけて、渾身の勢いで腕を振り抜いた。
「いっけぇーっ!!」
投げた槍が風を貫いて飛んでいく。
自分でも驚くほどの稲妻めいた投擲だ。
やったか――確信した刹那だった。
すんでの所で獣人の将は体を仰け反らせ、大きな斧刃の側面で頭を守った。
弾かれた槍が草むらに突き刺さる。
獣人の将はこちらに気付いたのか、起き上がるなり何かを叫んだ。
だがこの距離では互いに声が届かない。
俺は返事のかわりにもう一本の槍を高く掲げた。
これは挑発であると同時に宣戦布告である。
お前も男なら後ろで見ていないで勝負しろという意味だ。
「行ってきます」
俺はティアナートの顔を見て言った。
なぜだろう。本当に何となくなのだが。
戻ってくる場所を確認したかったのかもしれない。
ティアナートの表情は硬いままだったが、頷いてくれた。
「救世主の力、存分に見せつけてやりなさい」
「はい!」
俺は城壁の上の足場を北方向へと駆け出した。
「通ります!」
うわっと味方の兵士が驚く。
全身鎧が突然そばを走り抜けていったのだ。
そりゃあびっくりする。
俺は城壁の上を駆けて、城門のある北側へと向かう。
そちらが敵の攻勢のもっとも激しい場所だ。
城壁は飛び降り自殺ができるほどの高さがある。
かまわず俺はコンクリートの床を蹴り、勢いのまま城壁の上から跳んだ。
「――――!!」
眼下には、城門に殺到する獣人戦士の群れがあった。
その後ろには城壁の登攀を援護する弓部隊が列をなしている。
俺はそんな獣人戦士たちの頭上をはるかに飛び越えていた。
あっという間に地面が迫る。
着地の態勢を取るべく、俺は槍を空中に放り投げた。
足先が地面に触れた瞬間、俺は体を捻りながら倒れ込む。
衝撃を全身に分散させるように草の上を転がった。
ニンジャの着地だ。
この高さからの挑戦は初めてだったがなんとか成功できた。
「よしっ!」
落ちてきた槍を掴んで、俺はまた駆け出した。
後ろから獣人戦士が追ってきている。
城門に殺到していた内の一部だろう。
少しでも城攻めの数が減るなら望むところだ。
ただし彼らの相手している暇はない。
俺は全力で地面を蹴って走った。
緑の野原を風を切って駆ける。
後ろの獣人戦士との距離がぐんぐん開いていく。
これも救聖装光の影響なのだろうか。
筋肉が物凄い力を発揮しているのを感じる。
今の俺はきっと騎馬よりも速く走っているだろう。
目標の小高い丘から三人が向かってきていた。
大戦斧の獣人の将が先頭で、その後ろを二人が追っている。
願ったり叶ったりだ。
俺が取るべき戦法は一撃必殺。多勢に捕まる前にやれるか。
次の瞬間、獣人の将が何かを振りかぶった。
俺は咄嗟に斜めに飛ぶ。
獣人の将が放った投擲槍はまるで弾丸のように鎧の肩をかすめた。
その衝撃で俺は体勢を崩して派手に草の上を転がった
「つぅぅ……」
うめき声が漏れた。
痛みはあるが、大ケガというほどではない。
この救聖装光という鎧は不思議なもので、装甲の内側はとても柔らかい。
それがクッションになってくれたおかげでケガをせずに済んだ。
飛び降りの時といい、本来なら骨が折れていてもおかしくないのだ。
それでいて外側は硬い。でなければ今ので肩を貫かれていただろう。
起き上がった頃には、獣人戦士たちに追いつかれてしまっていた。
ざっと三十人の獣人が手斧と丸盾を手に俺を取り囲む。
罵倒なのか奇声なのかわからない大声で威嚇してくる。
俺の背中を冷や汗が伝った。
彼らは人を殺すことに抵抗を持っていない。
隙を見せれば、その手に握った凶器をためらいなく振るってくるだろう。
その後に残るのは血生臭い死体だけだ。
うかつに動けずにいると、大戦斧の獣人が囲いから前に出てきた。
「俺の名はウィツィ=テパステクトリ。獣人族の王アカマピの息子だ」
落ち着いた調子の、だがドスの効いた声だった。
この獣人が敵の大将だろう。
首から肩にかけて盛り上がった筋肉。
分厚い胸筋と割れた腹筋。
太く逞しい腕に、発達した太ももとふくらはぎ。
男の俺でも見惚れてしまいそうな神話的肉体美だった。
背の高さも二メートル近くはあるだろう。
面と向かい合っただけで、後ろに下がりたくなる迫力があった。
「銀鎧の戦士。お前の名を聞かせな」
その眼光に押されそうになる。
いまさら怯むんじゃない。
命乞いをする選択肢なんてないんだ。
俺は精一杯、虚勢を張ることにした。
「シロガネヒカル。寺生まれのニンジャ見習いです」
ウィツィと名乗った獣人の将は訝しげに首を傾げた。
おそらく俺が口にした単語の意味がわからなかったのだろう。
ふと俺は疑問に思う。
この場所が俺のいた日本じゃないのなら、なぜ言葉が通じているのだろう。
いや、今は余計な事を考えられる状況じゃない。
そういうのは生き残ってからだ。
「さっき俺を狙ってくれたのはお前か?」
「……そうです」
「人間族にも活きのいい戦士がいるみたいで嬉しいぜ。どうにもうまくいきすぎて、ちょっとばかり退屈だったんでな」
俺は戸惑いを感じていた。
この会話の意味は何なのだろう。
友達になってくれるわけでもないだろうに。
ふと俺は、周りの獣人たちが離れていくのに気付く。
なぜだろうと思った瞬間――
「――っ!?」
突然、獣人の将ウィツィが動いた。
縦に振り下ろされる大戦斧を俺は体を捻って避ける。
だがすぐさま横薙ぎの一撃が来る。
受ければ槍の柄ごと斬られると思い、咄嗟に俺は前に出た。
斧の刃ではなく柄の部分を槍で受け止める。
柄と柄を押し付け合う形となった。
「いいねぇ!」
ウィツィの笑った口から鋭い牙が覗いた。
獲物を狩る捕食者の顔である。
周りの獣人たちはこの大戦斧に巻き込まれないために距離を取ったのだ。
「ぐぐっ……!」
それにしてもこの獣人、凄まじい剛力の持ち主だ。
人間離れした獣人族の身体能力に戦慄を覚える。
だめだ、押し負ける。
俺は逆に力を抜いて、押されるまま後ろに飛んだ。
斧の刃が鎧の胸をなでたが斬り裂かれてはいない。
「ズャアァー!!」
ウィツィが大戦斧を振り回して迫ってきた。
俺は後ろに下がりながらそれを避ける。
斧を振るわれる度に重たい風切音が鳴る。
まともにくらえば真っ二つだ。
警戒していたが、周りの獣人は手を出してこないようだ。
遠巻きに俺たちの戦いを眺めている。
囃し立てるような騒ぎ方はむしろ観戦しているというべきだろうか。
「逃げてんじゃねぇぞ!」
ウィツィは大きく踏み込んで大戦斧を横に払った。
刃が鎧の胸を掠めて、金属が擦れる音がした。
敵は間合いを詰めてきている。
ウィツィが戦斧を大きく振りかぶった。
――ここだ!
俺は鋭く槍を突き出す。
反射的に仰け反ったウィツィの胸部正中を穂先が抉った。
裂けた傷口に赤い血がにじむ。
すかさず俺は攻勢に出た。
「ウォォッ!?」
連続で突きを繰り出す俺に、一転してウィツィは防戦一方となる。
斧を振り回すよりも、槍で突く方が直線で速い。
集中して俺は一気に攻め立てる。
短く鋭く連続で突きを仕掛ける。
頭、のど、心臓、肺、肝臓、膀胱、どこでも刺されば致命傷だ。
じりじりと後ろに下がるウィツィに容赦なく突きを繰り出し続ける。
息が苦しい。心臓が痛い。
だがここは我慢比べだ。
攻撃のたびに穂先は獣人の胸や腕を削っていた。
相手の方がきついはずなんだ。
手を止めたらやり返される。
このまま押し切るしかない。
渾身の踏み込み突きがウィツィの右肩の肉を抉った。
獣の顔が歪み、右手から大戦斧がこぼれ落ちる。
今しかない。トドメの一撃を放つべく俺は大胆に飛び込んだ。
「がっ?!」
その時、側頭部に重い衝撃を受けて、俺は受け身も取れず草の上に倒れた。
視界が回り、頭がぐわんぐわんする。
目の前がチカチカし、強烈な痛みに吐き気がこみ上げてくる。
いったい何が起こったのか。
俺は定まらない焦点で、草の地面に転がった『手斧』を見つけた。
周囲にいた獣人戦士の誰かが投げたのだろう。
救聖装光の兜が頑丈で命拾いした。
当たり方が悪ければ頭蓋骨をかち割られていただろう。
周りが手を出さないだなんて希望的観測だろうに、迂闊だった。
「てめぇーっ!!」
ウィツィの叫び声がする。
まずい、すぐに立ち上がらないとやられる。
俺は槍を支えに、震える体を強引に起こした。
膝立ちになった俺が見たのは、体毛を逆立てたウィツィの後ろ姿だった。
「えっ……?」
ウィツィの足元に、真っ二つにされた獣人戦士が倒れていた。
血だまりに内臓物がこぼれ出している。
「決闘の邪魔をするなっ! この恥さらしが!」
凄まじい怒りだった。
ウィツィの剣幕に周囲の獣人戦士たちも恐れおののいている。
タイミングを考えると、あの手斧はウィツィを助けるための加勢に思えた。
それなのにこの反応は、助けられたこと自体への怒りなのか。
もしくは獣人族には戦いに関する独特なしきたりがあるのかもしれない。
牙をむき出しにして憤怒の顔をしたウィツィがこちらに向き直る。
「すまなかったな。仕切り直しといこうぜ……!」
血の滴る大戦斧を両手に握り直し、ゆっくりと近づいてくる。
右肩のケガを気にしている様子だが、重傷とまではいかないようだった。
俺はなんとか立ち上がり、槍の先をウィツィに向けた。
頭が痛い。胃が空でなければ吐いていた。
立てたのは、極度の興奮状態で脳がおかしくなっているおかげだろう。
あと一歩で間合いに入るという距離で、俺とウィツィは向かい合う。
お互い、呼吸をするたびに肩が大きく揺れた。
夕陽が空を赤くに染めている。
そろそろ日が沈むのだろう。
城の方は大丈夫だろうか。
ふとティアナートの顔が脳裏に浮かんだ。
だめだ、集中しないと。
今の俺にできるのは彼女との約束を守ること。
すなわち目の前にいる敵将を倒すことだけだ。
「それじゃあいくぜぇ、シロガネェ!」
戦斧ごと大きく体を捻ったウィツィが横薙ぎを放つ。
予想以上に伸びてきた刃の軌道に俺は反応が遅れた。
「ぐっ!?」
戦斧をくらった左上腕に痛みが走る。
削り取られた鎧の金属片と共に血飛沫が舞った。
大丈夫だ、骨までは達していない。
俺は距離を取りつつ槍を構え直す。
「ヅァァァァ!!」
ウィツィは雄叫びを上げながら、大戦斧を水平方向に振り回す。
間一髪で後ろに跳んで避け、俺は気付いた。
ウィツィは斧の柄の端を持って射程距離を延ばしていた。
だから斧刃が届いたのだ。
単純だがそれゆえに有効だ。
執拗に横薙ぎを繰り返されて近寄れない。
あれほど巨大な斧を振り回してどうして体が泳がないのか。
ウィツィの体力が人間の比じゃないことがよくわかる。
どうにかしてもう一度、隙を見出さないといけない。
俺は小走りでウィツィを中心に円を描くように回る。
斧を避けながら、槍を短く突き出して牽制する。
「しゃらくせぇ!」
全力の大戦斧の振り回しを、俺は後ろに跳んで回避する。
だが対応が読まれていたのか、ウィツィはさらに大きく踏み込んできた。
返しの一撃がくる。後退が間に合わない。
横薙ぎの一閃をすれすれで地面に飛び込んで避ける。
だが俺が立ち上がるより早く、ウィツィは捻った体で戦斧を構えていた。
「終わりだァーッ!!」
俺は草の上に落ちていて『もの』を掴んで地面を蹴った。
今しかない。最後の瞬間に賭けて、敵に突っ込む。
必殺の横薙ぎが来る。
回避不能の斧刃に対し、俺は槍を地面に突き立てた。
もちろんこんなもので攻撃は止められない。
槍の柄が両断され、大戦斧が鎧の脇にぶつかる。
「ぐっ――!」
しかし槍で防いだ分だけ時間が生まれていた。
斧刃が脇腹の装甲へと斬り込むも、あばら骨に到達するより僅かに早く、俺の体は前へと抜けていた。
ウィツィに肉薄し、俺は拾った手斧を残った力で振り下ろす。
「なん……だと……?」
手応えあり。
ウィツィの手からすっぽ抜けた大戦斧が草の上を滑る。
手斧はウィツィの左肩に食い込み、鎖骨を断っていた。
獣の顔を驚愕に固まらせて、ウィツィは膝から崩れ落ちた。
勝負あった。
俺は今度こそトドメを刺そうとして、周囲から殺到する足音に気付いた。
「ワカァァァァ!!」
獣人戦士たちが一斉に向かってきていた。
こっちはもう息も絶え絶えだ。
咄嗟に体がついてこない。
獣人戦士の体当たりをまともにくらって吹っ飛ばされる。
俺はぶざまに草むらを転がった。
疲労と痛みがこのまま寝ていろと意識を泥沼に沈めようとしてくる。
ふざけるな。こんなところで死んでたまるか。
俺はあの日の情けない自分に決別するんだ。
誰かを守れる男になるんだ。
そう誓ったはずだろうが。
俺は再度、立ち上がるべく指を地面に食い込ませる。
その時、甲高い笛の音が響いた。
立て続けに三度繰り返される。
何の合図だと顔を上げると、背を向けて走る獣人戦士の群れが見えた。
ぐったりしたウィツィを背負った獣人もいる。
「……逃げた?」
城の方に顔を向けると、獣人たちが雪崩打つように城壁から離れていく。
一目散の逃走だった。
俺は途端に気が抜けた。
横腹が痛いし頭も痛い。
なにより全身に物凄い倦怠感がのしかかってきていた。
ふと俺の脳裏に不穏な考えがよぎる。
もしかしてこれが鎧に生命を吸われる感覚なのだろうか。
「ええと……どうやって脱いだら……?」
体を包む銀色の鎧に触れると、俺の意思に反応したかのように装甲が光った。
弾けるようなまぶしさに俺はまぶたを閉じる。
視界に色が戻った時には鎧が消えていた。
代わりに右手の中に、ちょうど握れるくらいの大きさの結晶があった。
透き通った結晶体が夕日できらきらと輝いている。
これが救聖装光の本体なのだろう。
不思議とそんな実感があった。
「シロガネーッ!!」
聞き覚えのある少女の声がした。
開いた城門からティアナートが走ってくる姿が見えた。
何人かの兵士が慌てた様子で王女様を追いかけている。
安堵の息が漏れた。
頑張った甲斐があった。
俺は約束を守れたんだなと思った。
鉛のような体をむりやり立たせて、俺は彼女の方へふらふらと歩いた。
太陽がもうすぐ沈む。
茜色の空に影が差してきていた。
静かになっていく野原の上で、俺はティアナートと向かい合った。
「すみません。敵の大将に逃げられてしまって……」
ティアナートは首を横に振った。
その表情からは硬さが消えていた。
「城を守り切れた。それが私たちの勝利です。シロガネ、本当によくやってくれました」
ティアナートが歩み寄ってくる。
せっかくのドレスが土と血で汚れていた。
俺の目の前で立ち止まると、ティアナートはうなだれた。
「……私は信じていませんでした」
彼女の視線の先にあるのは自身の左腕だった。
袖の下に隠されているのは、今はもう動かない灰色の腕である。
「この世界には救いの神などいない。救世主なんているはずがないと。やぶれかぶれで行った救世召喚の儀で現れた貴方を見た時もそうです。こんな頼りなさそうな男子に何ができるのかと思っていました」
俺は苦笑する。
彼女たちは生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだ。
出てきたのがこんな半人前の男なら、誰だってそう思うだろう。
「ですが今は違います」
ティアナートは右の腕を伸ばして、手のひらを俺の左胸にそっと当てた。
手のひらを通して彼女の温度を感じる。じんわりと温かい。
「シロガネ。私は貴方を信じます。血を流して、命を懸けて戦ってくれた貴方を信じます」
彼女は微笑みながら、一筋の涙を流した。
――心を奪われた。
その涙はきっと、我慢して我慢して誰にも見せられなかったものなんだろう。
ようやく彼女の心を見せてもらえた気がした。
「もう一度だけ言います。シロガネ、貴方は私の救世主となりなさい。私の隣に立って、私が歩む茨の道をそばで支えるのです」
俺は少しだけ考える。
この王女様はわりと身勝手でわがままな人だ。
初対面の俺に戦って死ねと言った人だ。
だけど自分の国を守ろうと必死なのはわかる。
誰かの後ろではなく、毅然と前に立って歩ける人だ。
俺は自然と笑っていた。
気持ちはとっくに決まっている。
もう二度と過ちは繰り返さない。
掴んだ手は絶対に離さない。
そう覚悟したからこそ、俺は体を張って戦ったんだ。
「……誓います」
俺は自分の右手を、ティアナートの右手の上に重ねた。