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28話『教えてベルメッタ先生』

 開いた窓から朝日が差し込んでくる。

 俺は自分の部屋で机に向かっていた。

 隣に立つ、栗色の髪をした少女はベルメッタだ。

 ティアナートが最も信頼する侍女で、俺の教育係もしてくれている。

 机の上に広げた地図は授業資料だ。

 エリッサ神国の女王がこの国に表敬訪問に来ることが決まったため、失礼のないよう予習をしておけとのお達しなのだ。


「今日はエリッサ神国について勉強します。ではシロガネ君。エリッサ神国は地図のどこにありますか?」


 ベルメッタは授業の時だけ、俺のことを君付けで呼ぶ。

 今の時間は先生と生徒だからだ。

 逆に普段は俺を様付けで呼び、自分のことは呼び捨てにせよと言う。

 俺が王女の庇護する客人で、自分が使用人だからである。

 場面に合わせた役割、上下関係にきっちりしたその振る舞いは、彼女が生まれ育った宰相の家で培われたものなんだろう。


「ええと……」


 俺は地図の上に指をすべらせる。

 エルトゥラン王国とエリッサ神国を繋ぐ道筋は二つあった。

 まずは陸路の場合だ。

 エルトゥラン王城から南南西に道を行き、隣国のトラネウス王国に入る。

 それからトラネウス王国領内を縦断して、半島南端の港町へ。

 そこから南へと海を渡った対岸がエリッサ神国である。


 海路を選んでデニズ海を渡る場合、無視できない面倒な要素が存在する。

 エルトゥラン城下町の港から南へ進み、エリッサ神国の港とを直線で結ぶと、途中のトラネウス王国近海に異種族の住む厄介な島があるのだ。

 魚人族が拠点とするヌラージ島である。

 このヌラージ島の近海では魚人による海賊行為が横行していた。

 彼女らは金品食糧を奪うのみならず人攫いまでする。


「エルトゥラン王国はエリッサ神国とあまり関係が深くありません。安定した航路がないことはその理由の一つでしょう。また両国の間にはトラネウス王国が存在しています。良くも悪くもトラネウスが緩衝材になっているというわけですね」


 今回の女王訪問に関しても、エリッサ神国が本当に用があるのは親交の深いトラネウス王国だろうと考えられている。

 エルトゥランに来るのは『ついで』なのだ。

 しかしだからと言って、相手を無下に扱うのは浅慮である。

 国と国との関係はいつ何をきっかけに変化するかわからない。

 負担にならない程度にいい顔をしておくのも大切だ。


「さて、エリッサ神国を知る上で避けて通れない要点があります。それがエリッサの巫女を頂点とするエリッサ教団です」


 エリッサ神国はエリッサ教を国教とする宗教国家である。

 統治機構は存在するが、重要な決定にはエリッサ教団へのお伺いが必要だ。

 国の王位もエリッサ教団により決定される。

 通例として、教団の象徴であるエリッサの巫女が王位に就く。

 なおそのエリッサの巫女は、教団が神の啓示を受けて選出する仕組みだ。


「今度お越しになる女王様もエリッサの巫女というわけですよね」


 俺が言うと、ベルメッタ先生はにこりと微笑んだ。


「その通りです。ではエリッサの巫女についてもう少し勉強してみましょう」


 エリッサ教の教典には次のような伝説が記されている。

 エリッサ神国が今ある大地はかつて荒れ果てた不毛の地であったという。

 人々は動物を狩り暮らしていたが、常に飢えに苦しんでいた。

 さてある時、村の女性が水汲みに出かけると、川のそばに一人の老人が座っておったそうな。

 女性が水瓶を川に浸すと、老人が声をかけたきた。


「心優しい人よ。食べ物を分けてください。腹が減って動けないのです」


 偶然にも女性は川に来る途中、木になった果実を見つけていた。

 女性は手に入れた果実を惜しいと思いながらも老人に差し出した。

 老人は果実を食べると、残った種を女性に返してきた。


「この種を砕いて飲み込めば、汝は子宝に恵まれるだろう」


 ともあれ試してみたところ、女性は懐妊した。

 女性は生まれてきた娘にエリッサと名付けた。

 エリッサには幼い頃から不思議な力があったという。

 どこからか種を見つけてきては、それを地面に植える。

 彼女が植えた種は必ず芽吹き、見る見るうちに大きく育ったそうだ。

 エリッサが種を植えるたび大地には緑が増えていった。

 こうして緑豊かな国が誕生し、エリッサは人の姿を借りて豊穣をもたらした女神として今なお讃えられているというわけだ。


「以上が教典の語るエリッサの伝説です。エリッサは多産豊穣の女神としてエリッサ神国で祀られています。エリッサの巫女とはエリッサ女神の意思を伝える代弁者。神に代わって自分たちを導いてくれる存在というわけですね」


 王はいかなる根拠をもって国民を支配するのか。

 エリッサ神国では神の代理人であることを権威の根拠としているわけだ。

 こんなお題を高校の歴史の授業でも習った気がする。

 今なら暗記科目と思わず、真剣に勉強しただろうにと思う。


「エリッサの巫女って、実際に神様の声が聞こえたりするんですか?」


 質問すると、ベルメッタは珍しく冷笑した。


「神様がこの世に本当にいるのなら、聞こえるのかもしれませんね」


 かけらも思っていないようだ。

 それにしても授業中のベルメッタは本当に別人みたいになる。

 普段の彼女と違ってどこか大人っぽさを感じる。

 この切り替えっぷり、大した役者だと思う。


「エルトゥランではどんな宗教が信仰されているんですか?」


 俺が思い付きを口にすると、ベルメッタはぱたんと教本を閉じた。


「エリッサ教のように特定の神を信奉する教えはありませんね。漁師なら海の神。絵描きなら芸術の神。兵士なら戦の神。縁のある神を個々人が敬うといった形でしょうか」


 ゆるい多神教のような感じなのだろう。

 俺としてもその方が馴染みがあって楽だ。


「それではここでシロガネ君に問題です」


 ベルメッタは人差し指をぴんと立てた。


「エルトゥラン王国で最も信仰されている存在は何でしょう?」

「えー……」


 人間は基本的に現世利益を好む。

 来世に幸せを望むのはすでに満ち足りた金持ちか、今生に絶望した貧困者だ。

 さておき、この国には拝むだけで万事を解決してくれる万能神はいない。

 となるとなんだろう。

 エルトゥラン王国の主な産業は農業、林業、鉱業あたりだ。

 豊穣の地を奪ったと建国史にあるだけあって、実り豊かな土地なのだ。

 ただし経済的には隣のトラネウス王国に一歩も二歩も遅れている。


「豊作の神様……とかですか?」

「神ではありません」

「じゃあそれなら」


 城下町の中央広場に石像が作られるくらいお馴染みのあれだろう。

 おそらくとは思っていたが、初手では言いにくかったのだ。


「救世主」


 俺の答えに、ベルメッタはにっこりと笑った。


「そうですね。エルトゥラン王国建国の父である救世主様です。救世主様の血を引くことがエルトゥラン王家の正当性の根拠なんですね。神の力ではなく、人の手で興された国である。そこがエリッサ神国とエルトゥラン王国の一番の違いです」

「なるほど」


 同じ人間でも場所が違えば共同体の形も違う。

 その違いを学ぶことが歴史なのだろうと思った。

 ベルメッタはぱんぱんと手を叩く。


「今日の授業はこれでおしまいです。お疲れさまでした」

「ありがとうございました」


 ベルメッタは机の上の教材をまとめると、ふろしきで丁寧に包んだ。

 それから持ち運び用の革の鞄にしまう。


「シロガネ様。この後のご予定はお決まりですか?」


 授業が終わったので、ベルメッタは教師から侍女に戻ったようだ。

 声の調子や顔付きまでかわいらしく変わったように感じる。

 俺も彼女に合わせて、いつもの態度に戻すことにした。


「町でお菓子を探そうと思ってたんだけど、どこかいい店はあるかな?」

「それでしたらですね~」


 王室御用達のお店を教えてもらった。

 ベルメッタはよいしょと鞄を腕に抱える。


「そう言えばさ、エリッサ神国の女王様ってどんな人なの?」

「お若い方ですよ。陛下と同い年の十八歳ですね」

「へぇー。じゃあその人も相当な才女なんだな」


 ベルメッタは少しの間、言い淀んだ。

 失礼のない適切な言葉を探すように視線を泳がせる。


「エリッサの気候のように快活な方ですよ。初対面だと少し戸惑われるかもしれませんけど……」


 含みを感じる言い方である。

 ベルメッタはぺこりと一礼し、部屋を出ていった。

 俺は窓から外の青さを眺めながら、伸びをしながらあくびした。

 少し休憩したらストレッチをして、外に出かけるとしよう。

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