26話『デニズ海の戦い(2)』
長尺の弓をいとも容易く扱う発達した剛腕。
赤茶と黒の体毛に覆われた体はどうだと言わんばかりの筋肉だ。
背の高さは百九十センチを超えているだろう。
獲物を見つけて喜ぶその目はウィツィと雰囲気が似ていた。
この獣人が大将首に違いない。
だとしたら俺がやることは一つだ。
「あとは任せます!」
兵士たちに声をかけ、俺は船の縁に足をかける。
相手の船までの距離は七、八メートルほどか。
俺はためらいなく跳んだ。
長弓の獣人は矢を弦にかける途中だった。
飛び込みからの槍の振り下ろしを、その獣人は船上を転がるように避けた。
俺は敵の船の船尾に着地するや、回転しながら金属槍を振るう。
はじかれた獣人たちが海に落ちて水飛沫を上げた。
「ンダッラー!?」
飛び出そうとした獣人戦士たちを、弓の獣人は腕で遮った。
「お前らはとっとと船を落としてこい! こいつはオレがやる!」
船の獣人たちは彼の指示に素直に従った。
海に飛び込み、孤立した王国船に取りつこうとする者と、獣人船の船首側から石と矢で攻撃する者とに別れる。
獣人船の船尾で、俺は長弓の獣人と一対一で向かい合った。
「銀色の鎧……お前だな? シロガネとかいう人間は」
長弓の獣人は見開いた猛獣の瞳に俺の姿を映した。
問われたなら名乗るべきだろう。
「シロガネヒカルです。俺のこと、ご存じなんですね」
「オレの名はイツラ=テパステクトリ。兄貴が世話になったよなぁ!」
長弓の獣人が吠える。
兄貴というのはおそらくウィツィのことだろう。
彼もまた、獣人族の王アカマピの息子というわけか。
イツラは長弓を置くと、腰に下げた二本の両刃斧をそれぞれの手に握った。
「ウィツィさんはお元気ですか?」
尋ねると、イツラはハッと笑った。
「おぉ元気よ。あんなに機嫌のいい兄貴は久しぶりだぜ。さっさとケガを治して、またお前とヤリあいたいってよ」
呆れるような困惑するような気分になる。
普通の人間なら死んでもおかしくない重傷を負わせたはずなのだ。
価値観の隔たりが果てしないなと思う。
「いちおう聞いておきますけど、戦いをやめて軍を退いてくれませんか?」
「はぁあ!?」
イツラは片方の眉を吊り上げて面を歪めた。
「兄貴に勝った奴がいるっていうから、わざわざ出向いてきたんだろうが! それとも何か? オレじゃあ相手にもならねえってか!?」
イツラは苛立った様子で手に持った斧をぶらぶらと揺らした。
話し合いには応じてくれそうにない。
俺は獣人船四艘に囲まれた王国船をちらりと見る。
自分が離れたためか、戦闘が再開していた。
甲板の上で一塊になって槍を出す兵士らに、獣人が斧を振りかざしている。
もたもたしていると味方に被害が増える。
ここは戦場だ。俺が傷つくだけでは済まされない。
本当なら話してわかってもらいたいが、それが許される状況じゃない。
俺は構えた槍の先をイツラに向けた。
「退いてもらえないなら、貴方を首をいただきます」
「上等! そうこないとなぁ!」
イツラは牙をむきだしにして嬉しそうに笑った。
「兄貴にゃ悪いが、その首いただくぜ!」
言い終わる間もなく襲い掛かってきた。
動きが速い。
振り下ろされる二つの斧を俺は金属槍の柄で受け止める。
力比べになると思ったが、イツラはその時には跳んでいた。
両足で鎧の胸を蹴られ、俺は足元をばたつかせる。
踏みとどまった時にはイツラが迫ってきていた。
苦し紛れに突き出した槍を、イツラは斧刃の側面を重ねて受け止める。
獣の顔がにやりと笑い、その足が槍の柄を蹴り上げた。
槍が縦回転しながら宙に舞う。
ばんざいした俺の胴体をかみ砕こうと、左右から斧が迫る。
「くっ――!」
あわや俺は後ろに倒れ込むようにして斧刃をブリッジ回避する。
手をついた腕の力をばねに両足で前蹴りを放つ。
イツラは腹に蹴りを受け、押されるように後退した。
自由落下した槍が俺の手に戻り、互いに武器を構えて見合う形になる。
イツラは顔がにやつくのを止められないようだった。
「やるじゃねえか! お前ほんとに人間かよ?」
うきうきした様子で言ってくる。
正反対に俺は呼吸を深くし、集中力を高めていた。
腕力はウィツィほどではないが、身のこなしは彼の方が上かもしれない。
少しでも気を抜けば殺られる。
「その首ねじ切って、ツラ拝ませてもらうぜ!」
イツラの獣の足が甲板を蹴る。
その瞬間を待っていたと、俺は槍を鋭く突き出した。
足の裏が床を離れた回避不能のタイミングだったはずだが、イツラは驚異的な反応速度で体をねじった。
槍の穂先が獣人の胸筋を裂いたが浅い。
間合いに潜り込まれる。
辛うじて一歩下がると、逆袈裟の斧撃が鎧の表面を削った。
反撃に槍を振り下ろすも、イツラは二本の斧を交差させて防いだ。
俺は強引に押し潰そうとするが、イツラは力で対抗してくる。
「痛いじゃねぇか……!」
言葉とは裏腹にイツラの表情には余裕が感じられた。
体毛に覆われた胸板に赤い血がじんわりと滲んでいる。
「けどよっ!」
槍が空を切ると同時に、イツラの姿が逆さに映る。
イツラは槍を受け流しながら、その場で側方宙返りしたのだ。
着地の足元を刈りにいくが、読まれていたのか素早く跳び避けられる。
二文字の水平斬りが鎧の胸を直撃する。
「づぁっ!?」
斧の刃が銀色の装甲を切り裂き、胸骨をなでていった。
俺は大きく後ろに飛び退き、槍を構え直す。
斬られた胸に血が滲み、じんじんと痛む。
鎧がなければ致命傷だった。
イツラは両手の斧をぶらぶらさせながら、ゆっくりと近付いてくる。
俺は息を荒くしながら、じりじりとすり足で後ろに下がった。
「どうした人間。兄貴に勝ったのはまぐれか?」
船尾の縁まで追いつめられる。
縁の向こうにあるのは広大な青い海だ。
もう後がない。
そう思った瞬間、不思議と俺は気持ちが落ち着いた。
いや、気付かされたというべきだろうか。
兜の中で頬を吊り上げて笑う。
「まぐれですよ。勝てたのは運が良かっただけです」
俺は構えを解き、握った槍の柄を肩にかけた。
大きく息を吐いて脱力する。
無防備な俺の行動に、イツラは目元を険しくした。
「何のつもりだ。いまさらやめようってんじゃないだろうな」
「反省したんですよ。一丁前に救世主面して勝とうとしていた自分に」
「あぁ?」
「この槍、作ってもらったばかりなんですよ。いい槍でしょ。貴方みたいな強い人と戦えるのも、この槍と鎧の力があってこそです。道具が凄いのであって、俺自身は未熟な半端者なんです」
「……何が言いたいんだ、お前は」
イツラは右の斧を上段に、左の斧を中段に構えた。
警戒した表情から察するに、俺の態度の真意がわからないのだろう。
不気味なものを前に身構えているようだった。
「俺は俺らしく、ニンジャ見習いとして戦うってことです」
俺は左手を後ろに回し、鎧の腰の部分に触れた。
鎧の装甲を『部分解除』する。
腰に巻いた帯のクナイを掴み、また鎧を元に戻す。
「あっ!」
唐突に俺は声を上げ、右方向に顔をそらした。
反応のいいイツラの目が一瞬そちらに向いた。
その隙をついてクナイを投擲し、同時に床を蹴る。
「おまっ――」
イツラは反射的にか、斧を重ねてクナイを弾いた。
その時には俺はもう間合いに入っている。
振り下ろした槍の柄が、イツラが防ぐより先に彼の左肩をとらえた。
手応えあり。肩の骨を叩き割った。
「ニャロゥ!!」
間髪入れずイツラがとった行動は捨て身だった。
痛みに顔を歪めながらも斧を捨て、俺の胴にタックルしてきた。
その勢いのまま身を投げるように跳ぶ。
背中から倒れていく俺の体は船の縁を越えていた。
一緒になって海に落ちる。
ぼこぼこと泡を立て、蒼い深みに沈んでいく。
至近距離でイツラが口からゴボゴボと空気の塊を吐き出している。
何を叫んだのか理解する間もなく、俺は鎧の腹を蹴られた。
俺を突き落として、自分だけ海面に出るつもりか。
確かにこちらは金属槍に全身鎧と重そうな装備している。
海に落とせば沈むと考えるのが普通かもしれない。
「けどっ!」
残念だが俺はニンジャ見習いだ。
修行の一環で武者大鎧を着て、海に沈められたことだってある。
泳ぎには自信があるんだ。
俺はしっかりと水をかいて、頭上を行く獣の脚を追いかける。
海面まであと少しの所で俺はイツラの足を掴んだ。
「ガボッ!?」
息を吸おうとした瞬間を邪魔してしまっただろうか。
イツラは明らかに動揺して、振り払おうと足をばたつかせた。
その隙に俺は彼の背中に回って組みついた。
さぁもう一度ダイビングを楽しもうじゃないか。
再び、二人一緒になって海の底に沈んでいく。
イツラは抱き着く俺を引きはがそうとするが、力が弱い。
左肩を負傷したため、力を入れられないのだろう。
その間にも水面は遠ざかっていく。
しだいに届く光が減り、周囲が薄暗くなっていく。
これ以上、沈むのはまずいと思ったのか、イツラは全身を振り回してきた。
だが海の中では焦った方が負ける。
俺は心を静かにして、しがみつき続けた。
イツラが救いを求めるように、遠く輝く海面に腕を伸ばす。
「ゴボバッ!?」
空気の代わりに吸い込んだ海水でイツラは反射的にせき込んだ。
苦しそうに胸を押さえるがどうにもならない。
ほどなくして彼の体から力が抜けた。
「……」
俺は溺れた獣人を脇に抱えて上昇を始めた。
正直なところ俺も限界が近い。
だが慌ててはいけない。
空いた片腕と足でしっかりと水をつかまえて泳ぐ。
「ぶはぁっ!!」
海面から顔を出す。
イツラと戦っている間に戦況が動いていたようだ。
孤立していた王国船の近くに味方の船の姿があった。
獣人の船に矢を浴びせている。
総指揮官のイツラが場を離れたことで、状況が好転したのだろう。
俺は敵の目を避けて、こそこそと王国船の船尾まで泳いだ。
味方の兵士に槍を振ってアピールする。
気付いてくれた兵士が縄を下ろしてくれた。
俺は兵士が受け取れるようにぽいっと金属槍を放り投げる。
予想外の重さだったのか、兵士は槍と一緒に倒れた。
俺はイツラを抱えながら縄で船に上がった。
「救世主様! ご無事でしたか!」
「ちょっと待ってて」
気を失ったイツラを後ろから抱えて、みぞおちをぐっと押してやる。
イツラは口からごぼっと水を吐いた。
「な、何をされているのですか?」
「応急手当です」
兵士は『なぜそんなことを』とでも言いたげな顔をしていた。
それはそうだろう。
俺が手当てしているのは敵の指揮官なのだ。
「わかっています。でも今は俺を信じてください」
水を吐ききったのか、イツラはせき込んだ。
弱いながら息をしている。
意識は戻っていないようだが、俺はほっと一安心した。
命は取り返しがつかないのだ。
殺さずに済むのなら殺したくない。
俺は救世主になりたいのであって、人殺しになりたいわけじゃないんだ。
もちろんそれが自分のわがままなのはわかっている。
だから仲間を傷付けようとする相手には手段をためらわないつもりだ。
中途半端かもしれないけど、できる限り俺はそうありたい。
俺はぐったりしたイツラを縄で拘束する。
米俵を担ぐようにイツラの身柄を肩に担いだ。
兵士から槍を受け取って、俺は甲板の方へと向かう。
獣人戦士たちは船首の方に集まっていた。
王国兵士たちは乱戦を避けるため、密集して針鼠の陣形になっている。
それを突破できず自然と偏りができた形だろう。
俺はしっかりと息を吸い、精一杯の大声で勝ち名乗りを上げた。
「獣人族の将イツラ=テパステクトリ討ち取ったりぃー!!」
海が割れたように味方の兵士が道を開けてくれる。
俺の肩に担がれた獣人族の王子の姿に獣人たちはざわついた。
俺は高らかに槍を掲げた。
「イツラはこのシロガネが討ち取った! 慈悲の心にて言う。獣人たちよ、今すぐこの場を去れ!」
俺は獣人たちの反応を待つ。
するとどこからか短く繰り返す笛の音が聞こえた。
それに呼応するように甲高い笛の音が響いた。
立て続けに三度繰り返される。
それを合図に船上の獣人たちは海に飛び込んだ。
今の笛の音には覚えがある。
獣人族が戦闘中の連絡に使っている音信号だ。
獣人たちは自らの船に戻ると、一心不乱に櫂を漕ぎ始めた。
エルトゥランから遠ざかる方向へと船が逃げていく。
そんな敵の後ろ姿に、兵士たちは勝ちどきを上げた。
波打つ水面には矢や割れた船の材木が浮かんでいる。
何とか生き延びられたことに、俺はほっと胸をなでおろした。
潮水がしみて、傷口がずきずきと痛みを訴えていた。