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24話『人助けの責任』

 大鳥が翼を広げて蒼穹を飛んでいく。

 エルトゥランの城下町は今日もにぎやかだ。

 俺は大通りのパン屋さんに立ち寄り、いつかと同じパンを購入した。

 紙袋を胸に抱えて、戦士像のある円形広場を南に進む。

 途中で道を西に曲がり、遠くに海を望んで石畳の坂を上っていく。

 その先の小高い場所にあるのがアルメリア家の屋敷だ。

 落ち葉で雑然とした前庭を通り抜け、ぼろぼろの屋敷に到着した。

 窓は割れ、両開きの玄関扉は片方が外れて地面に倒れている。


「こんにちはー! シロガネです! お邪魔しまーす!」


 玄関から大声を響かせる。

 たぶん届いただろうと思い、勝手に家に上がらせてもらう。

 玄関正面の折り返し階段を上って二階へ。

 板張りの廊下を建物の右手側に進み、一番奥の部屋へと向かう。

 そこは以前シトリに案内された部屋である。


「……?」


 奥から一つ手前の部屋を通り過ぎたところで、俺は足を止めた。

 音を立てないよう気を付けながら、壁に背を沿わせて廊下を少し戻る。

 腕だけを伸ばして、手前の部屋の扉をそっと押し開いた。


 すぐには何も起こらない。

 俺は壁際に身を寄せて、息を止めて静かに待った。

 しばらくすると部屋から女性がそーっと顔を出してくる。

 ベリーショットの髪型をした背の高い女性だ。

 黙って眺めていた俺に気付いて、ギルタは慌てて飛びすさる。


「こんにちは」


 先手を取って挨拶すると、ギルタは顔をしかめた。

 彼女の右手が腰の後ろにあるのは、咄嗟に短剣に手をかけたからだろう。


「お前か。どういうつもりだ?」

「この部屋に誰か隠れているような気がしたので」

「……目ざとい奴だ」


 ギルタは右腕を下ろし、臨戦態勢を解いてくれた。


「お前一人で来たのか?」

「そうです。シトリさんはいますか?」


 ギルタは怪しむように、俺が腕に抱えた紙袋を見てくる。

 パンの袋の口を開けてやると、彼女は脱力したように半笑いした。


「お前はとびきりのお人よしだったな。こっちだ」


 俺はギルタの後に続いて階段を下り、玄関まで戻ってきた。

 階段を正面に見て、すぐ右の角部屋の扉をギルタは拳で叩いた。


「私だ。開けてくれ」


 少しして角部屋の扉が開かれる。

 黒い喪服に身を包んだ少女が姿を見せた。

 手足は痩せて骨張っており、不安を覚えてしまうほど細い。

 肩まで伸びたざんばらの黒髪にはてかりがあった。

 喪服の少女は俺の顔を見るなり、びくりと身構えた。


「こんにちは、シトリさん」

「……ちわ」


 シトリは緊張しているようだった。

 俺はパンの入った紙袋を彼女に差し出す。


「よかったらどうぞ」


 シトリはおそるおそる紙袋を受け取ると、中身を確認した。

 おそらく反射的にその頬が緩む。

 だがすぐ疑いの眼差しを向けてきた。


「あんた、怒ってないの?」

「なんでですか?」

「なんでって……あんたに酷いことしたから……」


 そのことを気にしていたのか。

 彼女は俺に毒を飲ませ、身柄を刺客に引き渡した。

 普通に考えれば復讐を恐れもするか。


「悪いと思ってくれているなら、それで十分です」

「……ごめんなさい」


 シトリは申し訳なさそうに頭を下げた。

 俺は心が温まるのを感じた。

 彼女は根っからの悪人ではない。

 今は少し心身が弱っている人なんだ。


「お二人に聞いてほしい話があります」


 長くなるかもしれないと言うと、シトリはお茶をいれに炊事場に行った。

 待っている間にギルタはこの角部屋について教えてくれた。


 今でこそ家具の一つも残っていない空部屋だが、かつては応接間として使われていたそうだ。部屋の奥にある扉の先は書斎となっている。

 この屋敷を建てたシトリの父バエト=アルメリアは、奥の書斎を仕事部屋として日常的に使用していたそうだ。

 警戒心の強いバエトはいざという時のため脱出路を設けていた。

 その入り口が書斎に隠されているらしい。

 もし俺が兵隊を引き連れて自分たちを拘束しに来るようなら、シトリだけはそこから逃がそうとギルタは考えていたんだそうな。


「そんなこと俺に教えていいんですか?」

「お前が本物の変人だとわかったからな。念のために備えていたが余計な心配だった」


 ギルタはそう言って、軽い笑みを浮かべる。

 多少なりとも心を許してもらえたのかなと感じた。


「お待たせー」


 シトリが木製ジョッキ三つを器用に抱えて持ってきた。

 器になみなみと入ったお茶が湯気を立ち昇らせている。

 シトリを迎え入れた後、ギルタは応接間の扉を閉めて、かんぬきをかけた。


 板張りの床に三人であぐらをかいて座る。

 真ん中にパンの紙袋を広げた。

 本日のお品書きはバゲットとミートパイとジャムパンだ。

 ちょっとしたパーティのような奇妙な構図になる。

 シトリはさっそくミートパイに手を伸ばし、かぶりついた。


「んで、話ってなに?」


 口をいっぱいにして、もごもごしながら言う。

 お行儀が悪いが、おいしそうに食べてくれているので良しとしよう。


「お二人に提案があります。いったん最後まで聞いてください」


 俺は二人の処遇に関する案を話した。

 聞いている間、ギルタは俺の目をじっと見ていた。

 シトリはパンを手に持ったまま、途中からうつむいていた。


「シトリさんは今のままこの家に住んでもらって大丈夫です。町に出て、後ろ指さされることも減ると思います。ギルタさんも好きな時にこの家に帰ってくればいい。ただその代わり、厄介な仕事を押し付けることになってしまって。その点は大見得を切っておいて申し訳ないのですが……」


 シトリは三角座りになって、膝の間に顔をうずめている。

 ギルタはそんな義妹をちらりと見て、またこちらに視線を戻した。


「プレシドの息子がそう言ったのか?」

「えっ、あっはい。リシュリーさんとも相談しました」


 ギルタは何かを考えるように視線を外した。


「破格の条件だな。断る理由がない」

「じゃあ」


 前のめりになる俺に、ギルタは手の平を見せて制してくる。


「ただし一つだけ、私からも条件がある」

「なんでしょうか?」

「私はプレシドの息子を信用できない。プレシドは私たちの父を追い込んだ諸悪の根源の一人だからだ」


 途端に俺は不安に駆られる。

 こじれて絡まった糸はどうやっても解けないのか。

 しかしギルタの表情は落ち着いていた。


「リシュリーもティアナートも、私には信じられない。だがシロガネ。お前のことは信じてもいいように思える」

「えっ……」


 不意打ちの言葉に俺は胸を打たれた。

 ギルタは喪服の少女の肩にそっと手を乗せた。

 シトリが顔を上げる。


「それでいいか、シトリ?」


 不安そうな面持ちのシトリに、ギルタは優しく問いかける。

 シトリは俺とギルタの顔を見比べると、意を決したように頷いた。


「ギルタがそう言うなら、あたしも信じる。シロガネは他の人とは違うと思うし」


 ギルタがシトリの肩をなでる。

 慈愛に満ちたその様子は、まさに家族の身を案じるものだった。

 そのあとギルタは俺の目をまっすぐに見てきた。


「いざという時はお前がシトリを守ってやってくれ。それだけが私の願いだ」


 俺は姿勢を正して、返事をした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 城に帰る途中、戦士像のある中央広場が妙に騒々しかった。

 町の人たちがやけに険しい顔で話し込んでいる。

 耳を澄ませながら歩いていると、不穏な単語が聞き取れた。

 要約するとこうなる。


「海の向こうから獣人族が船に乗って攻めてくる!」


 王城がウィツィの襲撃を受けてから、まだ一か月も経っていない。

 住民もあの日の恐怖を忘れていないだろう。

 あの凄惨な殺し合いがまた起こってしまうのか。

 考えただけで身も心も重くなる。


「……行こう」


 俺は石畳を蹴って、町の大通りを走った。

 城門まで戻ってくると、すでに門番の兵士がそわそわしていた。

 城内の役人や使用人もどこか落ち着かない様子だ。

 そんな皆を横目に俺は階段を三階まで駆け上がる。

 廊下を南に進んで、王女の執務室の扉を叩いた。

 少しして扉がそっと開き、顔を出したベルメッタと目が合う。


「どうぞお入りください」

「失礼します」


 すでに円卓には王女、将軍、宰相が集まっていた。

 俺の入室に気付いて三人が振り返る。

 ティアナートに促されて、俺は席に着いた。


「皆さんが集まっているってことは、町の噂は本当なんですね」


 ティアナートは真剣な顔付きで頷いた。

 手元には書状が広げられている。

 不出来な和紙のようなそれには見覚えがあった。


「鱗人族から知らせが届きました。獣人族が渡海の許可を求めてきたので、それを認めたとのことです。近い内に戦闘となるでしょう」


 鱗人族の王クルガラの言葉によれば、獣人族の王アカマピはエルトゥランを祖先の土地であるとし、取り戻すことを目的としている。

 そのためエルトゥランに住む人間を駆逐するつもりだという。

 それが本当なら和解は極めて困難だ。戦いは避けられない。


「どう戦うつもりなんです?」

「獣人族にエルトゥランの土は踏ませません。海上で迎え撃ちます」


 ティアナートはやる気のようだ。

 円卓の上には海図も広げてある。

 船で戦うのだろう。


「次の戦いは可能な限り、圧倒的に勝利しなければなりません。シロガネ、なぜだかわかりますか?」


 ティアナートは試すような視線を送ってきた。

 鱗人族とデニズ海の歴史を思い返せば、答えはおそらくこうだ。


「エルトゥラン王国と獣人族との争いは陸戦が常でした。次の戦いは両国の歴史上、初めての大掛かりな海戦になるからです」


 ティアナートは満足そうに頷いた。


「海では人間に敵わない。獣人族に苦手意識を植え付けてやるのです。それが最上の抑止力となる」


 それから日が暮れるまで対応策が練られた。

 解散後、俺は急いで城の外に出た。

 暗くなった城の敷地を走って、東側城壁のすぐそばに建つ鍛冶場に向かう。


 煉瓦造りの建物は両開きの引き戸が開きっぱなしになっていた。

 赤く燃える炉のそばに、黄色の全身つなぎを着た二人を見つける。

 背丈が子供ほどなのは彼らが地人族という種族だからだ。

 いつも被っているバケツのような鉄仮面が足元に置かれていた。


「お邪魔します!」


 声を張って呼びかけると、二人は振り返ってくれた。

 もじゃもじゃくせ毛の気の強そうな方が姉のミスミス。

 もこもこ髪で優しい目をしているのが弟のマウラだ。


「よぉシロガネ。なんかあれなんだって?」

「獣人族が攻めてくるみたいです。それで頼んでいた槍なんですけど」


 ミスミスは得意げな顔で、わしわしと頭をかいた。


「マウラ! 見せてやれ!」


 マウラは作業台に置かれていた一本の槍を大事そうに両手で持ち上げた。

 慎重な足取りで運んでくる。


「重たいから気を付けてくださいね」


 受け取ると想像以上の重量に腕を持っていかれる。

 咄嗟に槍を抱え込まなければ床に落とすところだった。

 そんな俺を見て、ミスミスは満足そうに頬を吊り上げる。


「どうよこの重さ。先っぽから尻まで金属製の本気仕様だ。おかげで普通の人間には到底使いこなせない問題作になったけどな」


 槍の長さは二メートルと五十センチくらいか。

 基本的な形はこの国で使われている量産型の槍とほとんど同じだ。

 でもこれは普通の槍を束で抱えたくらいの重量がある。

 槍の表面には波紋のような模様が浮かんでいた。

 色合いは灰色に近い銀で鈍い光沢がある。


 俺は試しに、誰もいない入り口の方に穂先を向けてみた。

 構えているだけで腕が震える。

 大の男でも油断すれば腰が抜ける重さだった。

 生身ではとても扱えないが、獣人族を相手するにはむしろ心強い。


「これは凄そうですね……!」

「世界最強を目指して作ったんだからな。実際凄いぜー!」


 ミスミスは腰に手を当てて胸を張った。

 それだけの自信作ということだろう。


「ありがとうございます。ミスミスさん、マウラさん。さっそく次の戦いに持っていきます」

「おぅ。帰ったら使い心地とか聞かせろよな」

「ケガをしないように気を付けてくださいね」


 二人にお礼を言って、俺は重たい槍を抱えて鍛冶場を後にした。

 自分の為にものを作ってもらえるのはすごく嬉しいことだなと思った。


 部屋に戻ると、窓の外はすっかり薄暗くなっていた。

 ろうそくに火をともし、新品の槍を大切に保管する。

 それから俺は寝台の上で坐禅を組むことにした。

 戦いを意識したことで心が乱れているのを感じたからだ。


 あの獣人族の将ウィツィは出てくるのだろうか。

 あの日の戦いは本当に恐ろしかった。

 死ぬことの恐怖。そして殺すことの恐怖があった。


「……それでも」


 戦わなければ守れないなら、逃げるわけにはいかない。

 俺は今日、守るものを増やした。

 ティアナートの期待に応えるためにも、シトリとギルタの新しい生活を守るためにも、俺は救世主として戦うしかないんだ。


 それが俺の役割。

 それが俺の責任。

 それに応えることが、俺がここにいる存在価値なんだ。


 痛みを恐れるな。

 恐怖に震えるな。

 大丈夫、うまくやれる。


 俺は強い男だ。

 俺は勇敢な戦士だ。

 俺はティアナートの救世主なんだ。


 鼓舞の言葉を繰り返して、心を闘志で塗り直していく。

 折れないように、揺るがないように、何度も何度も自分を奮い立たせる。

 そうして夜は更けていった。

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