02話『聖きを救う光の装い』
「生け贄って……どういう意味ですか?」
冷たい石床の地下広間にろうそくの灯が一つだけ浮かんでいる。
そんな薄闇の中で、俺は恐る恐るティアナートに聞き返した。
まさかそんなロイヤルジョークがあるわけではないだろう。
「我が国エルトゥランに伝わる秘宝『救聖装光』です」
ティアナートの視線の先にあるのは玉座に鎮座した『鎧』だった。
乾いてどす黒くなった血の色をしている。
「救聖装光は身にまとった者に英雄の力を与えます。伝承によれば、救世主は鎧の力をもって全ての敵対者を打ち破った。そうしてこの地にエルトゥラン王国を建国したのです」
ですが、と彼女は俺の方に向き直る。
「力を与える代わりに、この鎧は人の生命を吸います。生命を吸い尽くされた者に待つのは当然……」
ティアナートは口を閉ざした。
そこまで言われれば俺にだって続きはわかる。
「俺にそれを着て、死ねと?」
「そうです」
ティアナートははっきりと言いきった。
悪びれる様子もない彼女の態度に、さすがに俺もカチンと来る。
何が秘宝だ。こういうものは呪具と呼ぶんだ。
あんな怨霊が憑いていたくらいだ。ろくなものじゃない。
「さっきの人たちも、騙してそれを着せて殺したんですか」
「何の話です?」
「俺がさっき祓った怨霊です! 見えなかったなんて言わせませんよ!」
「彼らは反逆者です。王殺しの大罪を犯したゆえ、私が首をはねたのです」
ティアナートさえいなければと怨霊は言っていた。
反乱に失敗して処刑されて化けて出たというわけか。
筋は通るかもしれないが、俺にはその真偽を確かめようがない。
不信感が顔に出ていたのだろう。ティアナートは表情に苛立ちを見せた。
「ともかく。今は悠長に話をしている時間などないのです。シロガネ。救聖装光を身にまとい戦場に立ちなさい」
「冗談じゃない」
即座に俺は否定した。
「何で俺がそんなむちゃしなきゃいけないんですか。そんなに凄い秘宝なら自分で着ればいいでしょう」
「愚か者っ!!」
ティアナートは目を見開いて声を張り上げた。
それから右の手袋を口でくわえて脱ぎ、石床に吐き捨てる。
ぎこちない動きで左の手袋も脱ぎ捨て、左の袖をまくり上げた。
ティアナートの左腕は……
見間違いかと俺はまばたきしたが、彼女の腕の『色』は変わらなかった。
「国を背負う王女たる私が、試さなかったとなぜ思う!」
ティアナートの左腕は『灰色』だった。
露わになった肌は燃え尽きた灰のような色をしている。
左腕だけがおかしい。
彼女の右手も、顔も首も健康的な普通の色なのだ。
「私は過去に一度、この救聖装光を身にまとったことがあります。その代償がこの腕です」
違和感はあったのだ。
ティアナートは俺に触れる時、常に右手を使っていた。
左腕を少しも動かしていなかったのだ。
「大丈夫なんですか、その腕……」
我ながらデリカシーのない質問だと思う。
しかし聞かずにはいられなかった。
ティアナートは自嘲するように微笑し、視線を自らの左腕に落とした。
「左の肩から先は指一本動かせないし、感覚もない。気味が悪いだろうから、肌を晒す服を着られるはずもない。ベルメッタがいなければ、一人で着替えることすらままならない」
ティアナートの声から初めて弱弱しさを感じた。
石の床に捨てられた純白の手袋を侍女のベルメッタが拾い上げた。
慣れた手つきでティアナートの指に手袋を通していく。
どんな言葉をかければいいのか、俺にはわからなかった。
ティアナートがため息を吐く。
「話がそれましたね。ですがこれは私が禁を破って救聖装光の力を振るったため。その報いを受けただけのことです」
ベルメッタはてきぱきとティアナートの身なりを整え直した。
桃色のドレスを着て、純白の手袋をした王女様に元通りだ。
お礼を言われてベルメッタはにこりと笑った。
「ただの人間ではだめなのです。救聖装光の力を正しく扱えるのは救世主のみ。それも良き心を持つ者でなくてはならない。ですから私は藁にも縋る思いで救世召喚の儀を行ったのです」
「でもだからって」
「よってシロガネ。貴方には義務がある。私の救世主として死ぬまで戦う義務が」
「そんなのむちゃくちゃだ」
俺は首を左右に振った。
腕がそんな風になったことは同情するし気の毒だと思う。
でもだからといって納得はできない。
生命を吸われる鎧を着て、死ぬまで戦う義務ってなんだ。
こっちの都合をまるで無視している。
言われるまま彼女に従う理由なんて俺にはないのだ。
「俺には無理です。家に帰してください」
「なぜです?」
「死ねって言われたんですよ!? 嫌に決まってるでしょ!」
「嘘ですね」
「なにが!」
すると、ティアナートは射貫くような鋭い目で俺の瞳を見た。
「貴方は『見捨てられない』人間だからです」
「――っ!?」
俺は心臓を鷲掴みにされたみたいに息ができなくなる。
石床に靴の音を響かせて、ティアナートが距離を詰めて来た。
彼女の右手が俺の左腕に触れた。
「貴方は先程、あの面妖な化け物から私たちを助けた。それはなぜです?」
「それは別に……咄嗟のことだったから」
「だからです」
ティアナートが俺の腕を強く握った。
「ついてきなさい!」
駆け出したティアナートに引っ張られて、俺も行くしかなかった。
薄暗い広間から石の階段を駆け上る。
光が差し込んでくるのが見えた。
地下階段から城の玄関広間に出ると、途端に熱気と騒がしさに包まれた。
「石だ! もっと石を持ってこい!」
「正面がきつい! 兵は北に集まれっ!」
「ケガ人は奥に運べ! 手当てを受けさせろ!」
怒声を張り上げて慌ただしく城の外に走っていく者もいれば、仲間の肩を借りてよろよろと戻ってくる者もいる。
男たちは皆、頬当てのついた兜を被っていた。
上に着込んだ鎖帷子は裾が太ももまで覆っている。
おそらく彼らはこの城の兵士なのだろう。
城の出入り口である両開きの分厚い扉が内向きに開け放たれている。
俺はティアナートに引っ張られて、そこから城の外に出た。
城の正面にある土の広場に出ると、頭上には夕焼け空があった。
見上げるほど高さのあるコンクリートの城壁が城の敷地を囲っている。
武器を抱えた兵士が城壁の内側壁面に作られた階段を駆け上っていく。
城壁の向こうからは矢が降ってきていた。
まるで剣山のように広場の地面に突き刺さっている。
城の正面、北側城壁にある城門の前に多数の兵士が集まっていた。
城門の落とし格子の隙間から槍を突き出して、外の敵に応戦している。
断じてここは通さぬと兵士たちは必死だった。
俺は息が詰まりそうだった。
兵士たちの鬼気迫る表情と悲壮な叫びに、嫌でも意識せざるを得ない。
この場所は俺が暮らしていた平和な日本の片田舎ではないのだ。
ティアナートに連れられて西側の城壁に向かう。
行くなと心臓が悲鳴を上げていた。
北側ほどではないが、西の城壁の向こうから矢が飛んできている。
当たれば容易く体を貫かれて、血が噴き出すだろう。
それがもしも頭なら頭蓋骨を砕かれて、矢尻が脳みそを抉るはずだ。
想像しただけでも寒気がするほどの凶器の雨が降ってきているのだ。
にもかかわらずティアナートは恐れることなく、俺の腕を引いて走った。
城壁の内側壁面の階段を駆け上って、俺たちは城壁の上の足場に出る。
「うっ……」
真っ先に目に入ったのは、割られた兜と血を流して横たわる兵士だった。
目を見開いて、口を開けたまま動かない。
横たわるその人のそばで、兵士が必死の形相で城壁の下に石を落としていた。
地上から矢を放ってくる敵に、弓で応戦する兵士もいる。
「オアアアァァ!!」
異形の敵が雄叫びを上げて、城壁にかけた鉤縄を登ってくるのが見える。
それは見たことのない化け物だった。
体の輪郭は人間とほとんど同じなのに頭が獣なのだ。
あれはトラか、ヒョウか、ジャガーか。
厳密にはわからないが、ともかく獰猛な猫科を彷彿とさせた。
頭から足まで、肌が濃い体毛に覆われている。
毛の色は赤茶と黒が混じり合い、体毛がまだら模様を描いている。
上半身は何も身に着けておらず、筋肉が鎧とでも言いたげな屈強さだ。
膝上まで長さのある腰巻はたくさんの羽で飾りつけられている。
鉤縄で城壁を登る獣人戦士が手斧を投げつけた。
顔面に斧が刺さった兵士がコンクリートの床にどさりと倒れる。
「突き落とせ! 絶対に登らせるな!!」
城壁の上の足場の、立ち上がり壁の際で兵士が槍を突き出す。
獣人戦士の悲鳴が遠ざかっていった。
俺は足が震えていた。
目に映る全てが信じられなかった。
血を噴き出して、悲鳴を上げて、人が死んでいく。
城の兵士も、獣の顔をした戦士も、お互いに必死だ。
目の前の相手を殺さないと、自分が殺されてしまうのだ。
そんな残虐な戦場にどうして俺なんかが立っているんだろう。
こんな光景は見ていられない。
嫌だ。逃げたい。夢なら早く覚めてくれ。
「シネェェエエ!!」
気付くと、城壁を登った獣人戦士が俺に飛びかかってきていた。
振りかぶった斧が夕陽にきらめく。
だめだ、体が動いてくれない。
「あぶねぇっ!!」
横から突き飛ばされて俺は城壁の上の足場を転がった。
俺を庇った兵士が鎖帷子の背中を斧で斬られる。
兵士は顔を歪めながらも反撃の槍を繰り出した。
腹を貫かれた獣人戦士は槍の柄を掴んで引き抜こうとするが、ふと糸が切れたように崩れ落ちた。
「ぜぇ……はぁ……」
倒れた獣人からぐいっと槍と引き抜いた拍子に兵士がふらつく。
俺は慌てて彼の背中を支えた。
「大丈夫ですか!?」
「おっとぉ……わりぃな」
兵士の顔は若く、まだ俺と変わらないくらいの年齢に見えた。
彼は痛みに耐えながらも、へへっと笑った。
「まだまだやれますよ……!」
戦っている味方の元へと駆けていく。
その後ろ姿に手を伸ばそうとして、俺は赤く染まった自分の手に気付いた。
彼の背中を支えた時に傷口に触れていたのだろう。
死を意識させる血の色に目を奪われる。
手の震えを止められない。
「シロガネ!」
ティアナートの声に俺は我に返った。
彼女は怯えた様子もなく、背筋を伸ばして凛として立っていた。
「シロガネ、私は貴方に問います。貴方がいま戦わなければ彼らは死にます。貴方がためらっている間に人が死ぬのです。貴方は彼らを見捨てられるのですか?」
俺は顔を強張らせて奥歯を噛みしめる。
やめてくれ。見捨てるだなんて、胸が苦しくなる言葉を使わないでくれ。
俺はまだ十七歳の高校生男子でしかないんだ。
こんな悲惨な状況を見せつけられて……
「俺にどうしろって言うんだよっ!」
「戦いなさい」
「無理だっ! こんなの俺なんかじゃどうしようもない!」
泣き出しそうな自分に、俺は握り拳を震わせるしかなかった。
どうしようもない死の怖さに。
今この瞬間、命が奪われていく光景の恐ろしさに。
でもそれ以上に『また』逃げだそうとしている自分の不甲斐なさにだ。
俺の答えに、ティアナートは哀しそうな目をする。
俺を目をそらすしかなかった。
「……残念です」
呟くなりティアナートは踵を返した。
城壁の内側壁面の階段を駆け下りていく彼女の背中を、俺は慌てて追った。
「どこに行くんですか!?」
「臆病者に用はありません。どこか部屋の隅で震えていなさい!」
ちょっと待ってくれ。
何でそこまで言われなくちゃいけないんだ。
わけのわからない場所に勝手に喚び出しておいて、理不尽じゃないか。
来た道を逆に走り、城壁から広場へ、そして城内へ。
さらに地下への階段を駆け下りる。
「どうするつもりなんですか!」
「私が救聖装光を使って戦います」
「それができないから俺にやらせようとしたんでしょ!?」
「貴方がやらないなら私がやるしかないでしょう!」
「言ってることがおかしいだろ!?」
薄暗い地下室の玉座の前で、燭台を片手にベルメッタが待っていた。
俺はティアナートを追い越して、玉座の鎧の前に回り込んだ。
ティアナートは肩をはずませながら、俺をにらみつけてくる。
「どきなさい」
「質問に答えろよ!」
俺も息を切らせながら、ティアナートの肩を掴んだ。
「貴方は! 自分じゃ無理だってわかってるんだろ!? だから俺なんかを儀式か何かで呼び出したんだろ!?」
振り払おうとしてか、ティアナートは右手で俺の腕を掴んできた。
だが俺は力を弱めない。
ひんやりとした地下室に乱れた呼吸の音が響く。
「救聖装光を再び身にまとえば、私は灰の塵になって死ぬでしょう」
「だったらなんで!」
「今この城にはわずかな兵しか残っていません。このままでは敵の攻撃を凌ぎきれない。援軍が来るまで城は持たない!」
痛いほど強く、ティアナートは俺の腕を握っていた。
「獣人族は苛烈です。町は略奪され、民は殺され、奴隷となるでしょう。もちろん私は首を落とされる。それではこの国の未来を創れなくなる。ならば私は国を率いる王女として最後まで戦って死にます!」
彼女の瞳には悲痛なまでの決意があった。
俺は言葉に詰まった。
本物の戦争を知らずに生きてきた俺に何が言える。
どんな言葉も綺麗事にしかならないじゃないか。
こんな時、爺ちゃんならどうするんだろう。
戦争に行って、戦って帰ってきた爺ちゃんなら何か言えるのだろうか。
俺はふと思い出す。
歴史の授業で宿題が出たんだ。戦争の話を聞いてきなさいって。
爺ちゃんは当時のことを地獄だったとしか言わなかった。
でも俺の頭に手を置いて、こんな風にも話してくれた。
『もちろん戦争などしないに越したことはない。だがヒカルよ。よく覚えておくのだ。平和というのは本当に不安定なものなのだ。望む望まないにかかわらず、争いに巻き込まれてしまう時もある。だからもし、お前にそんな日が来てしまったら……』
――自分のできることを精一杯して生きなさい。
俺はゆっくりと息を吸って、深く呼吸をした。
目を閉じて気持ちを落ち着かせる。
脳裏に亡き幼馴染の顔が浮かんだ。
あの日、俺は伸ばした手を自分から離してしまった。
あれからずっと夢に見る。
あの時の恐怖は今も胸の奥に巣食ったままだ。
だから俺は誓ったんだ。
もう二度と後悔はしない。掴んだ手は絶対に離さないって。
王女様は、俺にその覚悟をしろっていうんだな。
貴方には、俺にその覚悟をさせる覚悟があるんだよな。
「……鎧の使い方を教えてください」
「えっ……」
俺の腕を握るティアナートの手が緩んだ。
「俺がやります。やれるだけ、やってみます」
ティアナートは弱弱しくも顔をほころばせた。
「感謝します、シロガネ」
ティアナートに促されて、俺は玉座の『鎧』の前に立った。
人の形をしたその全身鎧は乾いた血のようなどす黒い色をしていた。
「救聖装光に手を当てて、合言葉を念じて唱えなさい。『アウレオラ』と」
俺は頷いて、黒い鎧に腕を伸ばした。
右の手の平が鎧の胸に当たる。
――アウレオラ!
心で唱えた瞬間、手で触れた鎧の装甲が熱く脈打った気がした。
鎧が白く輝き、光が爆発する。