19話『独善の理由』
朝日を浴びながら、荷馬車はエルトゥランの町へと向かった。
無精ひげの中年の男が御者として馬の手綱を握っている。
荷台には俺とギルタ、それとフード付き外套をまとった少年が乗っていた。
青い空の下、がたごとと荷馬車が揺れる。
昨夜は皮袋の中身だったと思えば不思議なものだ。
「ねぇお兄さん。飴ちゃん食べる?」
フードの少年がかわいらしい巾着を差し出してきた。
少年は肌が白く、女の子と見紛うような顔立ちをしている。
しかし何より珍しいのはフードで隠された真っ白な髪だ。
老人の白髪とは違い、艶のある白い髪が上質の絹のように輝いている。
年齢は俺と同じか少し下くらいだろう。
「ありがとうございます。いただきます」
巾着の中からいびつな形をした茶色い塊をつまむ。
口に入れると砂糖の甘みとほんのりとした辛みを感じた。
ニッキやシナモンのような味わいがする。
「おいしい?」
問いかけに頷くと、白い髪の少年はにっこりと笑った。
「僕ね、飴玉作りが趣味なんだ。小さい子に飴ちゃんをあげるのが好きでね。これも自信作なんだけど、あんまり反応が良くなくって」
「俺は好きですけど、辛味があるので子供は苦手かもしれないですね」
「そっかぁ」
少年は余った飴玉で膨らんだ巾着を手の平に乗せて眺めている。
「その巾着。すごくかわいいですよね」
話を振ると、少年は満面の笑みを浮かべた。
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりである。
「この間、飴玉持って行ったらね。教会の子がお礼にってくれたんだ。僕ほんとに嬉しかったなぁ」
「へぇー、羨ましいですね」
白い髪の少年は楽しそうに話してくれた。
トラネウス王国では身寄りのない子供を教会で面倒見ているという。
最低限の衣食住はあるが、お菓子を出すほどの余裕はない。
なので彼は自ら飴玉を作って振る舞いに行くんだそうな。
なぜ飴玉なのかというと比較的、日持ちするお菓子だかららしい。
「そういえば自己紹介をしていませんでした。自分はシロガネヒカルと申します。貴方は?」
白い髪の少年は笑顔を面に張り付けたまま『うーん』と首を捻った。
「飴玉お兄ちゃんで」
「えっ?」
「僕にも事情があるから。それ以上は聞かないでね」
「あっはい」
俺の返事に満足したのか、自称飴玉お兄ちゃんの少年は陽気な笑顔に戻った。
飴玉を一つ口に放り込み、巾着を懐にしまう。
もしかすると教会の子供にそう呼ばれているのかもしれない。
しかしよくよく考えると奇妙な少年である。
ギルタの話によれば彼はトラネウス暗部の同僚で、彼女の監視役だという。
こんなにもかわいらしい少年が裏では暗い仕事をしている。
俺にはどうにも想像ができなかった。
野原の中、国道として整備された石畳の道を荷馬車が行く。
ギルタは三角座りをして、膝に顔をくっつけていた。
どうやら寝ているらしい。
白い髪の少年は道中ずっと喋っていた。
飴玉の作り方や、最近食べておいしかった料理の話。
ギルタに算数を教えてもらったこと。彼女が実は花が好きなこと。
御者の中年の男がエリッサ教徒なこと等々、多くの話を聞かせてくれた。
御者の無精ひげの男は慣れているのか、少年に話を振られても『んー』とか『そうなー』と適当にあしらっていた。
ちなみにこの中年の男も最後まで名前は教えてくれなかった。
曰く『おっさんはおっさんだよ』とのことだ。
エルトゥランの町外れに着いた頃には昼になっていた。
そこでギルタたちと別れて、俺は城に戻ることにした。
ギルタとはまた明日、シトリの屋敷で落ち合う予定だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
城の三階南側。真ん中の大部屋は王女陛下の執務室である。
仕事机のティアナートの前で俺は直立していた。
ベルメッタはいつものように扉のそばに控えている。
「外泊をするなら、せめてベルメッタに言付けてから行くべきでしたね?」
第一声からお小言をいただく羽目となった。
事情はともかく心配をかけたのは確かだろう。
俺は素直に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。無断外泊するつもりはなかったんですけど……」
「貴方のことですから、止むに止まれぬ事情があったのでしょう」
俺はこれまでのことを話した。
シトリ=アルメリアと出会ったこと。
ギルタ=マリージャに命を狙われたこと。
今回の件でギルタらに指示を与えたのは、トラネウス王国の宰相ライムンド=マザランと思われることを伝えた。
「なるほど、ライムンドですか。こういうことだけは手が早い」
ティアナートは苛立った様子で息を吐いた。
「ティアナートさんは、ライムンドという方をご存知なんですか?」
「ライムンド=マザランはアイネオスの片腕と呼ばれている人物です。何度か顔を合わせたことがありますが、いけ好かない男です。トラネウス暗部を取り仕切っていることは知っていましたが……」
気が収まらないのか、ティアナートは指でとんとんと机を叩いている。
「まったく、晩餐会で紹介して間もないというのに。シロガネ、貴方はよほどアイネオスに気に入られたようですね」
「気に入られたから暗殺されるんですか?」
「それだけ評価されているということです。無能はおだてて有能には冷たく。他国の人間へのおもてなしの基本です」
そういうことをまじめに言えるのは、ある種の帝王学なのだろう。
「いい勉強になりましたね。今後は気を付けることです」
「冗談じゃないですよ」
げんなりする俺を見て、ティアナートは笑うのだった。
無事だったから笑い事で済んでいるわけで、それはいいのだが。
「それで? 賊はもう処分したのですか?」
「そのことなんですけど……」
俺は姿勢を正して、ひと呼吸した。
いざ彼女を前にするとためらいの気持ちが生まれた。
だが黙っていても始まらない。そう思って口を開く。
「ギルタさんとシトリさんを一緒に暮らせるようにしてあげられませんか?」
ティアナートは不思議そうに首を傾げた。
「言葉の意味がわかりません」
「実際に話をしてみて、邪悪な人たちではないと感じました。二人が静かに暮らせるように手配してあげたいと思ったんです」
「……それで?」
疑問形で返されて俺は戸惑う。
「ええと……?」
「漠然としていて何が言いたいのかわからないと言っているのです。具体的に私に何をさせたいのかを言いなさい」
「それは……」
具体的にとなると何が必要なんだろう。
彼女たちを罪に問わないこと。
住む場所はシトリの屋敷があるが、補修が必要だろう。
金銭的な補助も必要になるのだろうか。
いまさら考え込む俺をよそに、ティアナートは侍女を手招きした。
「ベルメッタ。リシュリーを呼んできて」
「かしこまりました」
ベルメッタが執務室を出ていく。
ティアナートは椅子の背もたれに体を預けて、息を吐いた。
「シロガネ。貴方の正直さは美徳で好ましいものです。ですがもう少し政治を学んだ方がいい」
「はい……」
まるで子供のようにたしなめられて、俺は顔が赤くなる。
慣れてしまっていたが、目の前の人は一国の統治者なのだ。
己の未熟な振る舞いを恥じないといけない。
「考えが足りていませんでした。申し訳ありません」
「いえ、それは今後気を付けてくれればいい。それより私が興味があるのは、貴方にそうさせた動機です」
ティアナートは仕事机に右腕を置き、身を乗り出してきた。
「私がその二人に対して、どういった感情を抱いているのか。貴方には想像がついているはずです。にもかかわらず私に嘆願してきた。それはなぜです?」
「……助けたいと思ったからです」
すると、ティアナートは射貫くような目で俺を見てきた。
「本当にそれだけですか?」
俺は咄嗟に言葉を返せなかった。
シトリやギルタの助けになりたいという気持ちは本当だ。
だがその気持ちに混じった不純物を彼女は見抜いたのだろう。
黙秘するのは卑怯だと思えた。
俺は彼女の心の傷跡を引っかくような願いを口にしたのだ。
それなのに自分は傷付きたくないというのは虫が良すぎるだろう。
それは救世主どうこうではなく、男として情けない。
だから、胸の奥が痛いけれど、俺は答えなくてはならない。
「……罪悪感があるのかもしれません」
ティアナートは意外そうに目を丸くした。
「何に対してです?」
「三年前に亡くなった幼馴染にです」
彼女は俺の目をじっと見てきた。
ぜひ聞かせろという意思表示だろう。
「シトリさんの姿がどこか幼馴染にだぶって見えて。だから彼女を助けることで、心を軽くしたかったのかもしれません」
ティアナートが望むのなら、隠さずに話すべきなんだろう。
もしも幼馴染が生きていたら、きっと俺は今の俺じゃなかった。
こんな風に誰かの救世主になろうだなんて思わなかったはずなんだから。
「少しだけ……情けない昔話をします」