17話『救世主暗殺指令』
意識が戻って初めに感じたのは、がたごととした揺れだった。
横たえた体に響いてくる。
目を開けても真っ暗で、俺はしばらく状況が飲み込めなかった。
変な夢でも見ているのかと思った。
揺れはおそらく車輪が地面を転がる振動だろう。
馬の蹄の音も聞こえる。
俺は今、荷馬車に乗せられているんだと思う。
確信が持てないのは目隠しをされているからだ。
そのうえ足首を縄で縛られ、手首も背中の後ろで縛られている。
指で探った感じだと、大きな皮袋の中に入れられているように思えた。
拉致されたのか。
考えたくないが、シトリに一服盛られたのだろう。
しかし彼女が犯罪行為の首謀者をやれるほどの人物とは思えない。
そもそも何が目的で拉致されたのかもわからないのだ。
せめてもの救いは身ぐるみを剥がされなかったことだ。
胸元にペンダントの感触がある。
救聖装光を奪われなかったことは最大の幸運だ。
ただ、この拘束状態で鎧を発動させた場合どうなるのか。
縄の上から装甲に覆われてしまい、動けないままにならないだろうか。
不安を抱えたまま、うかつに切り札を使いたくない。
ともかくとりあえずは現状把握が先だ。
聴覚を頼りに自分の周囲の構造を立体的にイメージする。
どう動くにしろ、敵の数を把握しておきたい。
「…………」
喋ってくれればわかりやすいのだが、楽はさせてもらえない。
それでもヒントはある。
揺れる荷馬車に乗っていれば、つい体を動かしてしまうものだ。
音の鳴り方、鳴った場所でなんとなく想像ができる。
おそらく荷台にいるのは二人だ。
進行方向に対して荷台の空間を縦長長方形と仮定した場合、右上の角に一人。右側の真ん中にもう一人。皮袋の俺は左側に転がされている。
それに加えて馬の手綱を握る御者もいるはずだから、敵は三人か。
予想が外れていなければ、全力で逃げに徹すればいけると思う。
となると問題は手足を縛る縄だ。
ニンジャの嗜みとして腹巻きにクナイを数本、仕込んである。
背中で縛られた手をどうにかできさえすれば……
「ついたぞー」
突然の声に心臓が跳ねる。
目覚めていることを悟られないよう身動きを控える。
馬の鳴き声が聞こえたかと思うと荷馬車が止まった。
どうする。動くなら今か。
いや、現状では一か八かになる。
それなら慌てずに相手の出方をうかがおう。
切り札を切るのは最後でいい。
俺は皮袋に入れられたまま運ばれた。
ざく、ざくと土を踏む音がする。
扉の軋む音がしたかと思うと、ふいに俺は放り投げられた。
平らな床に体を打ちつけ、声が漏れそうになるが辛うじて耐えた。
「袋から出してやれ」
「はいよ」
乱暴に皮袋から引きずり出される。
もう少し手心を加えてほしいものだ。
「あとは私がやる。お前たちは外で見張りを頼む」
「りょーかい」
足音が遠ざかり、扉の閉まる音がした。
そのあと目隠しをはぎ取られる。
俺が転がされたのは木造の小さなあばら屋の中だった。
板張りの床に置かれた角灯の火が薄暗い室内をぼんやりと照らしている。
壁に一つだけある窓穴は木の板で塞いであった。
ガラス張りの角灯のそばで、古びた木椅子に女性が足を組んで座っている。
服装は町でよく見かける簡素な長袖と長ズボンだった。
服の上からでも胸の立派な膨らみが確認できる。
年齢は二十台半ばといったところか。
年頃の女性としては手がごつい。
その眼光の鋭さはきっと戦いを知っている人のものだ。
ベリーショートの髪形も掴まれないための実戦的配慮かもしれない。
女性は俺を見下ろして、口を開いた。
「さて、お喋りをする前に前提の確認する。エルトゥランの救世主様というのはお前のことだな?」
俺は身をよじらせて、三角座りの態勢になった。
正面の女性を見上げる。
背が高くて迫力のある女性だ。
「初めまして。シロガネヒカルと申します。貴方は?」
女性はわずかの間、呆気に取られた顔をした。
それから鼻で笑う。
「たいした余裕だな。それとも危機感が足りないだけか?」
女性は腰帯の背中側の鞘から短剣を抜いた。
刃が分厚い。サバイバルと対人用を兼ねているのだろう。
賊や人攫いの類にしてはしっかりしすぎている印象を受けた。
「お名前。教えていただけないんですか?」
「質問しているのは私だ。命が惜しければ素直に答えることだ」
女性は足を組むのをやめると前屈みになって、俺の膝に左手を乗せた。
逆手に握った短剣の切っ先を俺の額に近付けてくる。
無言で見つめ合う。
絶体絶命の状態だが、取り乱すほどの絶望は感じなかった。
獣人や鱗人と対した時のような未知への恐怖がないからだろう。
同じ人間だからという安心感もある。
「どう呼んでいいかわからないと、お話しできないじゃないですか」
「……なるほど」
女性は椅子から立ち上がると、短剣を腰帯の鞘に戻した。
かと思った次の瞬間、彼女の右足が俺の側頭部を蹴りつけてきた。
床に倒れた俺の背中をさらに容赦なく何度も蹴ってくる。
その度、俺はうめき声を漏らすしかない。
靴が肉にめり込む痛みに吐き気が込み上げてくる。
「減らず口はその辺にしておけ。尋問を拷問に変えられたくはないだろう?」
女性は落ち着いた口調で言うと、再び椅子に腰を下ろした。
人を好き放題に蹴ってくれて、涼しい顔をしている。
この人は暴力も仕事の一つと割り切れる人なんだろう。
「もう一度聞くぞ。お前が救世主だな?」
「……そうらしいですね。威張れるほど立派じゃないですけど」
「よし、いい子だ。上下関係は理解できたな?」
女性は微笑んで、また足を組んだ。
わかっていて拉致しただろうに、嫌なやり方をするものだ。
「では質問だ。救聖装光はどこにある?」
「救聖装光……?」
それが俺を拉致した目的か。
つまりこの人は救聖装光がペンダントの透明結晶だと知らないわけだ。
わかっているならとっくに奪われているはずだからだ。
見たことがなければ、結晶から出た光が鎧になるなんて思うわけがない。
「まさか救世主様が知らないとは言うまい?」
「……知っています」
「詳細な保管場所を聞こう」
俺がいま考えているのは、この人に指示を出した黒幕が何者なのかだ。
救聖装光が実在することを知っていて、それを奪いたがっている勢力とは。
黙り込む俺の髪の毛を女性が掴んできた。
ぐいっと引っ張り上げてくる。
「どうした。もっとかわいがってほしいのか?」
むりやりな頭皮の痛みに涙が出そうになる。
従わないと本当に酷い目に遭うだろう。
この人はやる人だ。
「い、言います。城の地下です」
「地下? 儀式の間のことか?」
「そうです。隠すなら身近で、簡単に入れない場所が一番ですから……」
「ほぅ……」
女性は息のかかる距離まで顔を近付けてきた。
痛みに顔を歪める俺の目をじっと見てくる。
かつて救聖装光が儀式の間に保管されていたことは事実だ。
だから半分は嘘じゃない。大事なことを黙っているだけだ。
「では確認しよう」
女性は俺の髪を離して立ち上がると、右手で腰の短剣を抜いた。
「その話が本当か嘘かは、お前の悲鳴が教えてくれる」
「……その前に一つ聞かせてくれませんか」
俺は後退りしながら体を起こして、うさぎ跳びの姿勢になった。
「貴方はシトリさんと親しい人ですね?」
「……」
女性は無言のまま、ゆっくり距離を詰めてくる。
逆に『誰だそいつ?』という反応を見せなかったことが答えだろう。
だがもうそんなことを考えている余裕はなくなったみたいだ。
女性の蹴り上げに合わせ、俺は足首を縛られたまま後方に跳んだ。
腰の後ろに手首を縛られたまま宙返りし、何とか着地して踏みとどまる。
「余計な抵抗はしない方が楽だぞ?」
「じゃあまず、その物騒なものをしまって――」
言ってる途中で女性が突っ込んできた。
心臓への突きがくる。
今しかない。俺は体をひねって縄で縛られた手首を短剣にぶつけた。
「つぅ!」
左腕を少し切られたが、縄のほとんどを切断できた。
俺はごろごろと床に転がりながら、縄から手を強引に引き抜いた。
作務衣の中に手を突っ込み、腹巻きに仕込んでいたクナイを投げつける。
追撃の動作に移っていた女性の不意を突けたのか、咄嗟に身を守ろうとした彼女の左腕にクナイが刺さった。
その隙に俺はもう一本のクナイで足首の縄を断つ。
互いに左腕から血を滴らせて、向かい合うことになった。
大きな人だと思っていたが俺より背が高い。
ざっと百八十センチはありそうだ。
女性は腕に刺さったクナイを投げ捨てると、右手の短剣をこちらに向けた。
ようやく手足が自由になった俺は右半身を前にクナイを構える。
「……まったく。とんだくそったれだ」
女性は自嘲するように呟いた。
俺は相手の動きを警戒しながら、左腕の傷を確かめる。
この出血の具合なら大きな血管は傷付いていない。すぐに止まる。
「お前を甘く見ていたよ。身体検査を怠るべきではなかった」
「剣を収めてください。俺は刃物ではなく言葉を交わしたい」
「あの女に尻尾を振る犬と仲良くするつもりはない」
言うが早いか女性は踏み込み突きを放ってきた。
クナイで短剣をどうにか受け流すが、彼女はすぐさま腕を引き戻し、次の突きを繰り出してくる。
むだのない短く鋭い突きに押されて反撃する暇がない。
俺はアウトボクサーのように距離をとろうとするが、女性は扉の前を遮るように回り込んでくる。どうあっても逃がしてはくれないみたいだ。
「貴方ほどの腕前なら、もっと立派な仕事ができるはずです。どうしてこんなことをしているんですか」
「黙れ……!」
女性は苛立ちの表情で短剣を持つ右腕を深く引いた。
モーションが大きい。
彼女の右突きを俺は左腕で外に受け流し、空いた腹に右拳を打ち込んだ。
確かな肉の手ごたえがあり、女性の顔がゆがむ。
反撃の左フックを俺は後ろに跳んで避けた。
「お前は……! 私をばかにしているのか!?」
「何がですか?」
「なぜその剣を使わなかった!」
女性は俺が右手に握ったクナイを指さした。
必殺のタイミングだった。
だからこそ俺の行動を侮辱だと感じたのだろう。
「刃物で刺したら人は死ぬんです」
「当たり前だ!」
「だったらどうして命を大切にしないんですか」
「……不愉快だ。さすがは救世主様だ」
女性は短剣の切っ先を俺に向け、怒りの形相でにらみつけてきた。
じりじりと間合いを詰めてくる。
この人は戦い慣れしている。
しっかりと訓練を積んだ人なんだろう。
戦場で『殺す殺さない』なんて疑問を持ったら自分が死ぬ。
だから彼女の思考はこの世界ではきっと正しい。
でも俺はそれが気に入らないんだ。
俺は力を抜いて、クナイを前に構えた。
救聖装光を使えば彼女には負けないだろう。
でもそれではだめだ。
救聖装光の秘密を明かしたくないというのがまず一つ。
そしてなにより救世主の力で屈服させても、この人はきっと納得しない。
俺自身の力で打ち負かさないとだめだ。
「お前はここで始末する」
女性が床を蹴った。
短剣を両手で握り、腰だめに構えて突っ込んでくる。
ぎょっとして俺は横に飛んだ。
何とか避けられたが、とんでもないことをしてくる人だ。
極道映画の鉄砲玉めいたその突撃は半端じゃなく危険だ。
体重を乗せた突進は小手先では受け流せない。
自分の命を顧みないなら、もっとも確実な攻撃なのだ。
「貴方は何がそんなに憎いんです!?」
「お前のような正義面した偽善者だ!」
女性は眉を吊り上げて突撃してくる。
紙一重、短剣が服を掠めた。
反撃するだけなら簡単だ。相手は隙だらけなんだから。
でもその場合、こちらも殺す気じゃないと止められない。
そうしない為には――
俺は意を決して、特攻してくる女性の足元めがけてクナイを投擲した。
身をひるがえした彼女に避けられる。
――ガシャンと角灯のガラスが割れる音と共に、明かりが消えた。
咄嗟に俺は『ダン!』と強く床を踏んだ。
真っ暗になった部屋の中で、彼女は反射的に短剣を横に薙いだ。
しめたと俺は跳躍し、その腕に組みつく。
手首を掴み、腕に足を絡めて両膝で挟み込む。
「ぐぅ!?」
俺の体重で女性は床に膝をついた。
右腕に関節技が完全に入った。
爺ちゃんから習った対人ニンジャ柔術技の一つである。
「お願いですから抵抗をやめてください」
「ふざけるな……!」
女性は体をねじって技から抜けようとする。
ならばと俺は容赦なく力を込めた。
「があぁっ!!」
肩の骨が外れる嫌な音が暗闇に響いた。
短剣が手を離れて床に落ちる。
俺は右腕をそっと床に置いてやり、痛みに息を荒くする彼女の背に跨った。
左の肩と腕に手を添える。
「降参してください。必要以上に傷付けたくない」
「……殺せ」
女性は投げやりに言葉を吐き捨てた。
「絶対に嫌です」
「……お前らなんぞに辱められてたまるか」
「――っ!?」
刹那に走った悪寒に、俺は女性の口に手を突っ込んだ。
「づぅ!」
女性の歯が指に食い込む。
間一髪。危うく舌をかみ切られるところだった。
その瞬間、俺は沸騰したかのように頭に血が上るのを感じた。
「だから何で勝手に死のうとするんだよ! こんなに生きてくれって頼んでるのに!」
「おまぇ……?」
「外した肩の骨を直します! 動かないでくださいよ!」
俺は彼女の右肩を確認して、腕をしっかり持って骨をぐっと押し込んだ。
女性が苦悶の声を漏らす。
「しばらくは痛みが続くかもしれません。十日ほど安静にしていてください。そうすれば綺麗に治りますから」
俺は火打ち石を使って、割れた角灯のろうそくに火を付け直した。
真っ暗だった部屋が橙色に染まる。
床に落ちたクナイを回収し、念のため短剣も押収させてもらう。
観念してくれたのか、女性はうつ伏せのまま動かなかった。
このまま放っておくのはやや気が咎める。
部屋の隅に使い古されたムシロが落ちていたので、それを丸めて枕にした。
「楽な姿勢になったほうがいいです。体は動かせますか?」
女性は顔を歪めながら体を起こした。
手を貸そうとすると、彼女は俺を無視して、這うように壁際に移動した。
左手を右腕に添えながら、壁に背中を預ける。
俺は彼女の前で膝をついた。
「大丈夫ですか?」
「お前がやったんだろうが……」
女性はぐったりとした様子で、目だけを俺に向けた。
その目からはすっかり闘志が消えている。
「そりゃあ抵抗しますよ。俺だって死にたくないんですから」
「だったらどうして私を殺さない?」
「人が死ぬところなんて見たくないんですよ。だって死んだら終わりで、こうやって話すこともできなくなるんですよ?」
女性は眉間にしわを寄せ、困惑の表情を浮かべた。
「お前、頭がおかしいんじゃないのか?」
「同じことをシトリさんにも言われました」
すると女性はふっと笑った。
「確かにそんなことを言ってたな。とびきりの変人だと」
「そんなつもりはないんですけどね……」
苦笑いする。
俺は人を殺す機会なんてない平和な国で生まれ育った。
環境が違うのだから、価値観が違うのは当然のことだろう。
俺は腰を下ろして、彼女の前であぐらをかいた。
「少し話をしませんか。貴方のことが知りたいんです」
「とんだ物好きだな、お前は」
女性はため息をついた。
それから少しの間、彼女はぼんやりと床板を眺めていた。
ふと何かを決めたように、俺に視線を戻してくる。
「私の名前はギルタ=マリージャ。祖国の裏切者マグウ=マリージャの娘だ」