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16話『偽善者と甘い罠』

 町の大通りの歩道沿いにはコンクリート造りの集合住宅が立ち並んでいた。

 その一階をお店にしている建物がちらほらある。

 今日も商品台を歩道にはみ出させて、店頭でおばさんが声を上げていた。

 気の弱そうな旅行者を捕まえて押しの強い商いをしている。

 よくある微笑ましい光景だ。


 俺は黒い喪服の少女シトリと石畳の大通りを歩いていた。

 どうしてか彼女は隣に並ぼうとしなかった。

 わざわざ三歩下がって歩くのは淑女的な振る舞いなのだろうか。

 そういう風習がエルトゥランにあるとは聞いたことがないが。


 パンの焼けるおいしそうなにおいが漂ってきた。

 うなぎ屋はまず煙を食わせるというが、パン屋も負けていないと思う。


「シトリさん。この先のパン屋さんに寄りましょう」


 提案すると、シトリはなぜか俺から顔をそむけた。

 そっぽを向いたまま、こくこくと頷く。

 わかりにくい反応だが、パン屋に賛成と受け取っていいのだろうか。


「こんにちはー」


 開けっ放しの入り口からパン屋に入る。

 ちょうど店主のおじさんがバゲットでいっぱいのパンかごを、店の真ん中に位置する商品台に並べているところだった。

 焼き立てのパンから熱気がゆらゆらと立ち昇っている。


「いらっしゃい。いいところに来たねー」


 パンかごのそばに焼き立てを示す札が添えられる。

 商品台には他にジャムパンやミートパイもあった。

 食欲をそそる素敵な香りに包まれて、俺は胃袋がときめくのを感じた。

 世の中には色んな職業があるが、パン屋さんは特に尊敬している。

 この幸福感に並ぶものはそうそうない気がするのだ。


「……あれ?」


 パン屋の中にシトリの姿がない。

 不思議に思って外に出ると、彼女は店から少し離れた歩道にいた。

 集合住宅の外壁に背を預けて、うつむきがちに佇んでいる。


「どうしたんですか? 一緒にパンを見ましょうよ」


 近付いて声をかけると、シトリは首を横に振った。

 その意味するところがわからない。


「パンは嫌いでしたか? もしそうなら別のところに……」

「あんたにまかせるから」


 シトリは抑えた声で早口で言った。

 彼女はいったい何をそんなに警戒しているのだろう。

 気になったが、その話をするのは食べながらでもいいか。

 そう思い、俺は店内に戻った。

 パン屋のおじさんに不思議な目で見られたが、そこは笑ってごまかした。


 どのパンにしようか目移りしてしまう。

 いつもならじっくり吟味するところだが、人を待たせるのは良くない。

 第一印象を信じて、バゲットとジャムパンとミートパイを二つずつ買った。


「ありがとうございましたー」


 外に出ると、シトリは壁の方を向いて所在なさげにしていた。

 反対側の歩道で老夫婦がシトリの方を見て何かを話している。

 買い物帰りのおばさんが忌避の目で彼女を見て、通り過ぎていった。


 もしかしてシトリは周りの目を気にしているのだろうか。

 目立つ服装だから見られるのは当然だが、それを嫌がる感じではない。

 何かそれ以上の理由を抱えている気がする。


「お待たせしました。どこで食べますか」


 声をかけると、シトリは周りを気にするように、また首を横に振った。

 気持ちを汲み取ってあげたいが、俺はこの子のことをまだ知らないのだ。

 だから言葉で聞くしかない。


「広場の長椅子よりは、人気のないところの方がいいですか?」


 闇色のヴェール越しに見えたシトリの表情はまるで、うまく意思疎通ができなくて苛立つ子供のように感じられた。

 こちらをキッとにらむと、突然シトリは駆け出した。


「あっ、待ってください!」


 大通りを西方向へと駆ける彼女を追って、俺も走った。

 パンを落とさないよう紙袋を両腕で抱える。

 戦士像のある中央広場までいくと、シトリは南の道を進んだ。


 広場の南側は貴族やお金持ちの一軒家が多く建つ区域だった。

 この国では数が少ない木造の屋敷も見られる。

 ここエルトゥランの城下町では、コンクリートによる施工の方がコストが安くつくため、木造の建築物は一種のステータスとなっているのだ。


 ご立派な庭付き邸宅を横目に、整備された石畳の道を走る。

 途中で西に曲がって、海を正面に道を進む。

 少し坂を上った小高い場所にある木造の屋敷の前でシトリは足を止めた。 

 明らかに周りと違う雰囲気に俺は息をのむ。


 その屋敷は外壁の木材のところどころが割れて穴があいていた。

 ボヤでもあったのか、黒くすすけている部分もある。

 廊下の窓は割れており、まるで幽霊屋敷のような廃れ具合だった。

 屋敷の前庭もろくに手入れをされておらず、雑草がぼうぼうに伸びている。

 落ちた花弁と枯れ葉が地面に雑然と積もっていた。

 庭の真ん中には砕かれた石像が無惨に転がっている。


「シトリさん。ここは……?」


 喪服の少女は頭部を覆っていたヴェールを脱いだ。

 肩まで伸びた黒髪はざんばらで、てかりがあった。

 シトリは気怠げに首を傾けて、ため息をつく。


「あたしの家はこういう家なの。わかるよね?」


 この屋敷の惨状はおそらく人の手によるものだ。

 彼女の家族の誰かがよほど強い恨みを買ったのだろう。

 そのため、彼女と接点を持つと憎しみの対象に加わりかねない。

 だから町中で俺が話しかけるのを嫌がったということだろうか。

 察することはできるが、こちらとしては行動は変わらない。

 俺が今やりたいことは彼女とパンを食べることなのだ。


「シトリさんの家なんですね。じゃあ中でゆっくり食べましょうか」

「はぁあ!?」


 シトリは目を見開いて、乱暴に俺の服を掴んできた。


「あんたさぁ! なんなの!?」

「自分は新参者だから、この国の事情には詳しくないんです。言いにくいのはわかりますが、言葉にしてくれないとわかりません」


 シトリは心底呆れたという様子でため息をついた。

 嫌がられているのはわかるが、ここで中途半端に退いてどうする。


「だから一緒にパンを食べながら、お話ししましょう」

「……好きにすれば」


 シトリは俺の服から手を離すと、屋敷へと歩いていった。

 俺はその後をついていく。


 両開きの玄関扉は片方が外れて地面に倒れていた。

 しっかりとした分厚い木の扉だ。

 これだけでもいいお値段がするだろうに、もったいないことだ。


 屋敷の中は思ったよりも綺麗だった。

 別にどろどろになった生ごみが散乱しているわけでもない。

 板張りの廊下に割れたガラスと石が散らばっている程度だ。

 がらんとした空き家のようである。

 割れ窓の都合で常に換気されており、むしろ空気は綺麗なくらいだ。


「金目のものは全部、国に没収されたから。

 はした金にしかならないものも泥棒に持ってかれた」


 シトリは独り言のように言った。

 振り向いてくれなかったので表情はわからない。


 玄関正面の折り返し階段で二階に上る。

 木造の建物は特有の雰囲気があって好きだ。

 建物の右手側に廊下を進み、俺たちは一番奥の部屋に入った。


 部屋の床も壁も木目が浮かんだおしゃれな仕上がりになっていた。

 色合いは薄茶色を基調としており落ち着きがある。

 奥の壁には窓があったが、上から板を張り付けて蓋をしてあった。

 室内は家具がないため妙に広く感じられる。

 部屋の隅に毛布が一枚と、衣服が雑に詰まった大きな皮袋が置かれていた。


「てきとうに座って」


 シトリは脱いだヴェールを皮袋に放り込んで、毛布の上に腰を下ろした。

 やや背中を丸くして、あぐらをかく。

 スカートの外に出た素足にどきりとするが、痩せすぎのモデルさんじみた細さにすぐさま不安感が上回った。


 シトリと向かい合う位置で、俺はあぐらをかいた。

 パンの入った紙袋を間に置く。


「いちおう二つずつ買いましたけど、気にせず好きなものを食べてください」

「いただきます……!」


 シトリは一番大きなバゲットを掴むと、がぶっとかじりついた。

 真剣な顔付きで、口をいっぱいにしてもぐもぐする。

 女の子がものを食べる姿には原始的な美しさがあると思った。


 俺はミートパイを食べることにした。

 噛みしめると口の中に肉エキスが広がる。

 このパン屋さんのパイは皮の厚さがちょうどいいのだ。

 肉の旨味にパイ生地が負けない塩梅が素晴らしい。


 シトリは勢いよくバゲットを半分平らげた。

 胃が満たされて落ち着いたのか、ようやく顔を合わせてくれた。


「あんたさ、お茶とか飲む?」

「いただきます」

「じゃあ、お茶沸かしてくる」


 シトリは食べかけのパンを毛布に置いて、足取り軽く部屋から出て行った。

 俺はのんびりミートパイを食べながら待つとする。


 食べ終わると手持ち無沙汰になった。

 何もない部屋なので、きょろきょろするのも限界がある。

 毛布や服入れの皮袋はプライベートなものなのでお触り厳禁だろう。


 俺は立ち上がって廊下に出た。

 階段の方を見やるがシトリの姿はない。

 お茶の用意をするのだから炊事場に行ったのだろう。

 時間潰しに割れた窓から外の景色を眺める。


 屋敷が高台にあるおかげで青い海がよく見える。

 吹いてくる風に潮の香りを感じた。

 あの風の向こう側に鱗人族の島があるように、この世界にはまだ俺の知らない場所があって、そこには違う人たちが生活をしているのだろう。


 そんな風にぼーっとしていると、シトリが戻ってきた。

 どこかで見たような木製ジョッキを両手に持っている。

 俺たちは部屋に戻り、また同じように腰を下ろした。


「はいどうぞ」

「ありがとうございます」


 木製ジョッキになみなみと入ったお茶が湯気を昇らせている。

 息を吹いて冷まし、口に含むと香ばしい風味が広がった。

 薬草の香りと花の香りが混ざって感じられる。

 エルトゥランのお城では飲んだことのないお茶だった。


「この味と香り。初めてです」

「こっちでは出回ってないから」


 シトリはジョッキに口をつけて、ずずずっとお茶をすすった。

 ふと彼女の頬が緩む。


「ここから東の山を越えた先の小さな村がお父さんの生まれ故郷でさ。山に生えてる花とか薬草を乾燥させて、お茶の代わりにしてるんだって。茶葉は大事な売り物だから、自分たちは口にできないからって」

「へぇー」


 この味が彼女の家の味なのか。

 風味はタンポポ茶やゴーヤ茶あたりに似ている気がする。

 癖は強いが体によさそうな味わいだ。


「少し聞いてもいいですか?」

「なにを」

「シトリさんはこの家に一人でお住まいなんですか?」

「だったらなに?」


 まだ半分残っているバゲットをかじりながらシトリは答える。

 ここまで来たんだ。踏み込んで聞いてみよう。


「ご家族はいらっしゃらないんですか……?」

「みんな死んだ」


 シトリはあっけらかんとした調子で言い、お茶をすすった。


「お父さんは反乱の首謀者として殺された。お兄も危険分子の息子だからって捕まって殺された。許嫁だった男の子も殺された。色んな事がありすぎて、お母さんも首吊って死んじゃった」


 俺は彼女の言葉をすぐには理解できなかった。

 頭の中で言葉を単語に分解して、ようやく内容の悲惨さに気付く。

 途端に口の中が砂漠になったように感じた。

 重たい舌でかろうじて返せた言葉はほとんど呟きだった。


「どうして……?」

「バエト=アルメリアって名前、聞いたことない? それがあたしの父親」


 およそ一年前、この国で起こった反乱の首謀者の名前だった。

 つまりはティアナートとベルメッタの家族を殺した者たちの首魁。

 裏ではトラネウス王国の支援を受けていたと噂の簒奪者。

 最期はティアナートに首をはねられたんだったか。


「あんなバカなことしなきゃよかったのに」


 シトリは背後の床に手をつき、何かを想うように天井を見上げた。


「お金とか権力なんかなくたってさ。みんなで田舎に帰って、お茶でも作って暮らしていけば良かったんだよ」


 寂しそうな表情だった。

 俺はかける言葉が浮かばず、ごまかすようにお茶を飲んだ。


 俺はティアナートやベルメッタの気持ちを知っている。

 彼女たちはこの子の父親に家族を奪われた被害者だ。

 そしておそらく他にももっともっと多くの人を巻き込んだはずだ。

 その復讐心がこの家に向けられたことは想像できる。

 でも目の前にいるこの少女にどれほどの罪があるのだろう。

 家族が犯した罪で、人目を避ける暮らしをしないといけないのだろうか。


「何であんたがそんな顔するわけ?」


 シトリは不思議そうに聞いてくる。


「他人事でしょ。同情でもしてくれてるの?」

「……しちゃいけませんか?」

「ふーん……」


 シトリはまたバゲットに噛みついた。

 もぐもぐしながら笑みを浮かべる。


「あんたって変人だよね」

「そんな風に見えますか?」

「うん、なんか違うもん。ほんとに救世主様なのかもって思った」

「えっ――」


 俺はふいに視界が傾くのを感じた。

 気付くと俺の体は床に倒れていた。

 平衡感覚がなくなって頭がぐるぐる回る。

 手足に力が入らない。

 これはまさか……毒?


「ごめんね。てっきりあの女に命令されて、何か探りに来たのかと思ってさ」

「シトリさん……どうして……」

「ありがとうシロガネ。パンおいしかった」


 部屋から出ていくシトリを目で追うことしかできない。

 視界が暗転し、意識が遠ざかっていく――

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