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15話『喪服の少女』

 町の大通りを東に抜けると、道は二手に分かれていた。

 北東へと緩やかに上っていく石畳の坂道は王城へと続いている。

 南東へと続く舗装されていない土の道はまだ歩いたことがなかった。


 黒い喪服を着た少女は南東の道を進んだ。

 不審に思われないよう距離をあけて、俺は後をつける。

 土の道は林の中へと伸びていた。

 風に吹かれた枝葉が涼やかに揺れる。


 林を奥へと歩いていくと、煉瓦の壁で囲まれた場所が見えてきた。

 喪服の少女は柵門を開けて、敷地の中へと入っていく。

 どうやらここが町の共同墓地のようだ。


 墓地の場所がわかったのはいいが、さてどうしたものか。

 つけてきたと怪しまれない内に帰るべきか。

 でもここまで来たなら用件を済ませばいい気がする。

 そもそも墓地は公共の場所だ。

 自分も墓参りに来ただけですという態度でいれば問題ないだろう。


 出入り口の柵を押し開けて、俺も墓地に入った。

 門から正面、墓地の南側に大きな墓石を見つけた。

 目立ちようから考えて、あれが王家の墓だろう。

 少女は王家の墓に花を手向けていた。


 墓地は静謐だった。

 俺と喪服の少女を除いて他に人影は見当たらない。


 俺の足音に気付いたのだろうか、ふと喪服の少女が振り返った。

 俺が会釈をすると、彼女は避けるように墓に向き直った。

 とりあえず挨拶してみる。


「こんにちは。今日はいい天気ですね」

「……」

「ここに来るのは初めてなのですが、こちらが王様のお墓なんでしょうか?」


 濃い闇色のヴェールを被った顔を伏せていて、目を合わせてくれない。

 まぁそれは仕方ない。

 見ず知らずの男に声をかけられれば、まず警戒するのが自然だ。


 俺は墓のそばに置かれた墓誌に目をやった。

 歴代の王や王妃の名前が没年月日と共に刻んである。

 新しく彫られた『バニパル=ニンアンナ』がティアナートの父だろう。

 隣に記された『カイ=キシャル』は母親の名前だろうか。

 どうやらここが正解らしい。

 エルトゥラン王家の墓、つまりティアナートのご両親が眠る場所だ。


 ブオナ島での体験は俺に一つの発想を与えてくれた。

 ティアナートは反乱によって家族を失い、復讐を心に誓った。

 でももし家族の霊を呼び出すことができたなら、その言葉を聞かせられたなら、彼女の心を晴らすことができるのではと考えたのだ。


 晩餐会の夜、ティアナートは『復讐などやめろと言いますか?』と言った。

 俺は止めなかった。

 人にはそれぞれの事情がある。

 それこそヘドロのように心にこびりついた想いがあるのだ。

 それは他人が否定するものではない。

 でも俺個人の感情の話をするなら、目の前で誰かが死ぬのを見たくない。

 できることなら彼女にも、人を殺すことなんて考えてほしくなかった。

 だから自分にできることがあるならやりたいんだ。

 人の死を拠り所とするのではなく、その先にある生に思いを馳せる。

 余計なお世話だろうけど、彼女にはそうあってほしかった。 


「……なんで?」


 声にハッとする。

 隣にいた喪服の少女が俺を見ていた。


「なんでそんな思い詰めた顔してんの?」


 手の届く距離で顔を向けてくれたので、ヴェール越しに表情が見えた。

 つり目がちで気が強そうな顔立ちをしている。

 身長は百六十センチに届かないくらいだろうか。

 年齢は俺と同じくらいに思えた。


「自分にもっと力があったら、もっと簡単に人を救えるのかなって……」

「ふーん」


 ちぐはぐな雰囲気のする少女だった。

 身なりは清淑なのだが、どこか粗野な印象を受ける。


「自分はシロガネヒカルと申します。貴方は?」


 尋ねると、少女はまた顔をそむけた。


「すみません。なれなれしかったですか?」

「あんたさ、この国の人じゃないの?」


 どういう意味だろう。

 この少女、実は国民なら誰でも知っている有名人なんだろうか。


「この国には最近来たばかりなんです」

「そう」


 続く言葉を待つが、少女は黙ったままだ。

 どう反応を返せばいいんだろう。

 考えてもわからないので、ひとまず先にやるべきことをやることにする。


 俺はおへその下に両手を当てて呼吸と気を整えた。

 王家の墓を正面に見据え、感覚を研ぎ澄ます。

 霊魂の波長チャンネルを探す。


 風に吹かれて林がさざめく。

 黒い鳥がバサバサと羽を鳴らして木の枝にとまった。


 だめだ。何も見えないし感じない。

 このお墓には誰も残っていない。

 いや、霊が現世に留まっていないのは本来良いことなのだ。

 そう何度もうまくいくわけがないか。

 すっかり気持ちをくじかれて、俺はため息をついた。


「それじゃあ、自分は帰ります」


 喪服の少女に会釈をして、俺は墓に背を向けた。

 なんだか疲れがどっと出た。

 今日はもう城に戻って休もう。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 城に帰ると、ティアナートはリシュリーら事務方を集めて会議をしていた。

 鱗人族との会談がうまくいったからといって、それで終わりではない。

 むしろ城の役人からすればここからがお仕事だ。

 担当部署の設立、対応のマニュアル化、法令の整備、国民への周知。

 外の仕事の次は内の仕事があるのだ。


 王女陛下を待つ間に、俺は鍛冶場のミスミス姉弟にお土産を渡しにいった。

 ブオナ島で採れた果物だ。

 二人とも甘いものは好きなようで、とても喜んでもらえた。


 お返しというわけではないが、姉弟からはクナイを受け取った。

 先に完成させてくれていたらしい。

 消耗品だと言っておいたので、ひとまず十二本を用意してくれた。

 減ってきたら作るから、その時はまた来いと言われる。

 なお、槍の方はまだ少し時間がかかるとのことだ。


 ティアナートと顔を合わせたのは夕食時だった。

 食堂に行こうと部屋を出た時、たまたま廊下で出くわしたのだ。


「しばらく休暇を与えるので、ゆっくりと体を休めなさい。出歩く時はベルメッタに一言告げてから行くように」


 彼女もさすがにお疲れなのか、すぐ寝室に入っていった。

 俺は軽めの夕食を済ませて、その日は早く床に就いた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 次の日、雨の滴る音に目を覚ました。

 久しぶりに自分の寝台で眠れて体がすっきりした気がする。

 朝食をとろうと食堂に行くと、実際にはもう昼食の時間だった。

 そのあとベルメッタに傘を用意してもらい、再び俺は墓地に出かけた。


 雨がぱらぱらと傘を叩く。

 どんよりとした灰色の曇の下、俺は石畳の坂道を下っていく。

 分かれ道を南東に進み、林の中の共同墓地に着いた。


 雨の墓地はまた雰囲気が違う。

 濡れた墓石の薄暗い色合いに肌寒さを感じる。

 王家の墓の前で、俺は傘をたたんで足元に置いた。

 手に数珠をひっかけて姿勢を正す。


 再挑戦だ。

 霊との交信はコンディションの影響を受けやすい。

 俺自身の体調もそうだし、月齢や時間帯、天候にも左右される。

 だから諦めずに挑戦する価値があるはずだ。

 今日は墓地に俺一人なので、人目を気にせず集中してやれる。


「御霊招来念心仏口……我が声に耳を傾けたまえ……」


 念仏を唱える。

 ほんの少しでいいんだ。

 大切に想う人の一言があれば人は変われる。


 念仏を唱え続けてどのくらい時間がたっただろうか。

 濡れた髪から雫が滴る。

 たっぷりと雨を吸った服が体を芯まで冷やしていく。

 だめだ。何も引っかからない。

 俺は大きくため息をついて、頭を振って雫を飛ばした。


「あぁー! 無理っ!」


 気持ちを切り替えたくて大声を出す。

 残念だが今回はここまでだ。

 またいつか巡りのいい日に挑戦しよう。

 俺は数珠を作務衣の懐にしまった。

 傘を拾って振り返ろうとして――


「うわっ!?」

「ひゃ!」


 まさか後ろに人がいたと思わず足を滑らせてしまう。

 俺は水たまりに尻もちをついた。


 そこにいたのは黒い喪服を着た、昨日の少女だった。

 手に持った黒い傘は所々に破れた跡があり、糸で縫い合わせてあった。

 突然のことに少女も驚いた表情で俺の顔を見ていた。

 よくわからない状況だが、とりあえず俺は挨拶することにした。


「……こんにちは」

「は、はぁ……」


 少女は戸惑い気味に会釈を返してくれた。

 おそるおそる白いハンカチを差し出してくる。


「えと、使う?」

「あ、ありがとうございます」


 俺がハンカチを受け取ると、少女は逃げるように去っていった。

 俺は傘を拾って立ち上がり、白いハンカチを見つめた。

 花柄の刺繍が施されている。

 生地の感触には高級感があった。

 あの少女、実はどこかのご令嬢なのかもしれない。


 それにしてもこのハンカチ。

 受け取ったはいいが使うのがためらわれる。

 もうすでに服も体もびしょ濡れで、どうにもならないのだ。


「ん?」


 ふと気配を感じて周りを見回すが、墓地にいるのは俺だけだ。

 少女が帰ってきたわけでもない。

 墓地を囲う煉瓦の壁の向こうから誰かが覗いていたのだろうか。

 一瞬、誰かに見られた気がしたのだが。


「……帰ろう」


 寒くて体が震えてきた。

 懐にハンカチをしまい、風邪を引かないうちに城に戻るとする。

 ともあれ彼女の好意だけ、ありがたく受け取ったことにしよう。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌日。空模様は曇りだが雨は降っていなかった。

 俺は三度、共同墓地に向かった。

 とはいえ今日は目的が違う。

 喪服の少女にハンカチを返すためだ。


 林の道を歩いていくと、煉瓦造りの壁が見えてくる。

 墓参りを終えた子連れのご婦人が柵門を開けて出てきた。

 会釈をしてすれ違い、共同墓地に入る。


 王家の墓の前には誰もいない。

 はてと見渡すと、墓地の北東の片隅に人影を見つけた。

 黒い喪服に闇色のヴェール。あの子だろう。


 横から歩いて近寄ると、彼女はこちらに気付いて振り向いた。

 俺の姿を確認して、また目をそらす。

 それでも以前ほど避けられている感じはしなかった。


「こんにちは」

「……ちは」


 横目でこちらをうかがうように、喪服の少女は挨拶を返してくれた。

 俺は白いハンカチを差し出す。


「昨日はありがとうございました」

「……そう」


 少女はハンカチをしまうと、そばの墓石に視線を落とした。

 つられて目を向けた俺は、その奇妙な墓石に眉根を寄せた。

 墓石はところどころが欠けてしまっている。

 何かにぶつかるか殴られるかして、欠けた跡のように見える。

 気になるが、なぜかと彼女に問うのは不躾すぎるか。

 どんな事情があるかわからないのだ。


「熱心に来られているようですが、ご家族のお墓参りですか?」

「だったら何なの?」


 食い気味の反応に虚をつかれる。

 少女は苛立った目で俺を見てきた。


「あんたさ、なんでいちいち話しかけてくるわけ?」

「えっ?」

「嫌な思いをしたくなかったら、あたしなんかにかまわない方がいいよ」

「――っ!!」


 少女の言葉が俺の胸に刺さった。

 動悸か発作のように心臓が跳ね、息が詰まる。


『嫌な思いをしたくなかったら、もうあたしにはかまわないで』


 幼馴染もそう言って俺を遠ざけようとした。

 あたしは生贄の家の子どもなんだから関わらないほうがいいと。

 生まれた場所が違えばきっと普通の子だったのに。

 俺がもっと強ければ助けられたはずなのに。


 忘れられない苦い記憶が胸を締め付ける。

 そんな俺の沈黙を肯定と受け取ったのだろうか。

 喪服の少女は俺のそばをすり抜け、足早に離れていこうとする。


「待って!!」


 気付くと俺は地面を蹴って、少女の腕を掴んでいた。


「いやっ!」


 振り払おうとするが、まったく力を感じなかった。

 掴んだ腕も骨ばっていて細い。


「ちょっと! 離してよ!」


 少女が苛立った様子でにらんでくる。

 だがすでに俺の意識は別の心配に移っていた。


「おなか空いてませんか?」

「はぁ?」

「ちゃんとご飯食べてますか?」

「あんたには関係ないでしょ。いいから離してって!」

「一緒にご飯を食べに行きましょう」

「はぁぁ?」


 少女に『何を言ってるんだこいつ』という顔をされてしまう。


「きもいんだけど。もしかしてあんた、エリッサ教徒かなにか? あたし神様とか信じてないから。勧誘とかならやめてくれる?」


 その名称は初耳だが、宗教団体の人と思われているのだろうか。

 俺は寺生まれなので一応は仏教徒だが、それは別に今は関係ないはずだ。


「勧誘ではないです。その腕の痩せ具合、栄養失調だと思います。ですからご飯を食べに行きましょう」

「それが胡散臭いって言ってんの。親切装った詐欺師の手口でしょ。言っとくけど、あたしの家もうお金とか残ってないから」


 昔はお金持ちだったということだろうか。

 なんとなくだが、何かを奪われる体験をした人のように感じる。


「なら友達になりましょう」

「はぁ?」

「友達に食事をごちそうするのは珍しいことじゃないですよね?」

「ぜったい嘘。あれでしょ、なんか毒とか入れるつもりでしょ。拉致して非合法なとこにでも売りさばくつもりなんでしょ」


 さすがに苦笑いしそうになる。

 想像力が豊かというか、それだけ警戒心の強い子なんだろう。

 俺は意識して笑顔を作った。


「そんなことしませんよ」

「じゃあどうしてよ。あたしにご飯食べさせて、あんたに何の得があるわけ?」

「……似てる気がするんです」

「はぁ?」


 少女は不信感でいっぱいの眼差しを向けてくる。

 俺は胸にせり上がってきた切なさをぐっと飲みこんだ。


「貴方が少しだけ、死んだ幼馴染に似ている気がするから」

「えっ……」

「だから助けたくなったんです。余計なお世話かもですけど」


 俺は握っていた彼女の腕を離した。

 これ以上は押しつけがましいと思ったからだ。

 少女は解放された腕を逆の手でなでた。

 あらためて俺の頭から足の先まで値踏みするように見てくる。


「それ、てきとーな嘘じゃなくて?」

「そんな質の悪い嘘、冗談でも言いたくないです」

「……そっか」


 少女の目元から険しさが薄れた気がした。


「あんた、名前なんて言ったっけ?」

「シロガネヒカルです」

「あたしはシトリ。ほんとにただでご飯食べさせてくれるの? 後から何か要求されても絶対に払わないけど」


 ここまで頑なだと逆に微笑ましく思えてくる。


「その代わり、あまり高いものは無理ですよ」

「……わかった」

「それじゃあ町の方に行きましょう」

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