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14話『仕事終わりは男風呂』

 快晴の空の下、船がエルトゥラン城下町の港に着いた。

 コンクリートで舗装された船着き場の周りに町民たちが集まってくる。

 しっかりしたお出迎えというわけではなく、野次馬のような感じだ。

 ティアナートが甲板に姿を見せると、民がわっと歓声を上げた。

 そんな彼らに手を振って応えながら、王女陛下は船を降りていった。


 渡し板をぞろぞろと下りていく兵士たちに交じって、俺も船を降りる。

 踏みしめた地面の感触に安堵の息が漏れた。

 無事に帰ってこられたんだなと実感する。


 出発する前はどうなることかと思ったが、成果ありと言えるだろう。

 エルトゥラン王国は鱗人族との間に友好的な関係を結んだ。

 ここから情勢がどう動くのか。

 エルトゥランの北に位置する獣人族の国チコモスト。

 ティアナートが怨敵と見ている、南に接するトラネウス王国。

 特にこの二つの国の動向が気になるところだ。


 さて、国に戻ったら真っ先にやろうと考えていたことが一つある。

 お墓参りだ。

 ティアナートの家族のお墓に参って試したいことがあるのだ。

 そのために場所を尋ねたいのだが。


「おーい、シロガネ!」


 声をかけてきたのはオグだった。

 部下の十人隊の皆さんも揃っている。

 下船した時点で乗組員の仕事は終了だ。

 後片付けはまた別の兵士の受け持ちである。


「お前も行くだろ。一緒に行こうぜ」

「行くってどこに?」

「とりあえず風呂に決まってんだろ?」


 オグは服の脇の部分をくんくんと匂って、うっと顔をしかめる。

 俺も作務衣の襟を匂ってみたが、熟成された香りが鼻をついた。

 真夏の暑い時期に四日間、同じ服で過ごせば当然こうなる。

 オグの言う通り、まずはこれをどうにかしないと駄目だろう。

 ティアナートを探すのはそれからでもいいか。


「行こう」


 俺たちは連れ立って、城下町の公衆浴場へと向かった。

 町中から青い空へと立ち昇る細い煙が目印だ。

 風呂の湯を沸かすための、薪が燃えるにおいが風に乗って漂ってくる。

 大通りを中央広場まで歩き、筋を北に入ってすぐの場所に浴場はあった。


 宮殿と見間違うような、コンクリート造りの立派な建物である。

 エルトゥランの城下町で一番大きな施設がここだ。

 ちなみにこの浴場、先代の国王様ことティアナートの父バニパルの時代に再建されたらしく、彼の名前を取ってバニパル浴場と呼ばれている。


 ほとんどの家には風呂がないので、町のみんなが浴場を利用しに来る。

 なので必然的に顔見知りと会うし、ついでに世間話もする。

 施設内には風呂とは別にゆったりと休める場所もあり、人によっては一日中この浴場で過ごす者もいるくらいだ。

 国営で管理も行き届いているし、入場料さえ払えば何をするのも自由。

 だらだらと昼寝をしていてもいいし、遊戯盤を持ち込んで遊んでいても咎められない。まさに住民の憩いの場というわけだ。


 浴場前の歩道で飲食物を立ち売りする商人が声を上げている。

 彼らの呼び込みをすり抜けて、俺たちはバニパル浴場に入場した。

 受付で利用料を払う。

 ついでに俺は手拭いを一枚購入した。

 男性用の脱衣所に入ると、中は汗臭い男たちで賑わっていた。


「お~、けっこう多いな今日は」


 オグはそう言いながら、さっそく服を脱ぎだした。

 同じ船に乗っていた兵士の顔がちらほら見られる。

 俺もさっさと服を脱ぎ、それを浴場の洗濯サービスに預けた。

 風呂から上がる頃には綺麗になっているという寸法だ。

 もちろんすぐには乾かないが、あの匂いで歩き回るよりはましだろう。


 手拭いを肩に引っ掛けて風呂場に向かう。

 風呂場はコンクリート造りで、神殿を思わせるしゃれた柱が並んでいた。

 壁は明るいクリーム色に塗られており、風景画が描かれている壁もあった。


 みっしりした建物の中なのに明るいのは天井に工夫があるためだ。

 見上げるとコンクリートの天井に正方形のガラス窓が多数備え付けてある。

 そこから太陽光を取り入れているというわけだ。

 また風呂場の熱が逃げないように、窓は二重ガラスとなっている。


 メインとなる大風呂はプールのように広い。

 浴槽には獅子の顔を模したオブジェの口からお湯が流れる遊び心まである。

 他にも熱湯風呂に水風呂、蒸し風呂や薬草風呂なんてのもある。


 さっそく大風呂に飛び込みたい衝動に駆られるが、ここは我慢だ。

 俺は桶に湯をすくって、まず頭から一浴びした。

 もう一度すくって、手拭いで体に溜まった汚れをこすり落とす。

 ざばぁーっと流して、さらにもう一杯。

 お湯をためた桶に頭を突っ込んで洗う。

 シャワーなんて便利なものはないので、これが一番手っ取り早いのだ。

 四日分の垢を落としきって、ようやく大風呂につかる。


「はぁぁぁ……」


 湯の中に溶けてしまいそうな気持ち良さに声が漏れる。

 呆けた顔でぐんにょりしていると、オグとレティが大風呂にやってきた。

 ざぶんざぶんと湯に入って、それぞれが吐息を漏らす。


「ふー……たまらねぇなぁ……」


 つんつんの短髪をかきあげてオグが呟く。

 新兵さんのレティもうんうんと頷いている。

 鍛練が好きなだけあって、オグはいい体をしているなと思う。

 レティも線の細い人かと思っていたが、脱ぐと意外にご立派だった。


「早いねぇ~君たち」


 ムルミロがお酒のなみなみと入った木製ジョッキを片手にやって来た。

 普段はお調子者の兄貴分だが、さすがは古参の兵士。

 ほどよく脂肪を残した実戦的な肉体美である。

 ジョッキを両手にやって来たおじさんはサムニーだ。

 お腹はずんぐりとしているが、断じて中年太りではない。

 プロレスラーのような動ける巨体である。

 サムニーはどぼんと風呂に入ると、ジョッキの一つを俺に差し出してきた。


「シロガネ君もやるかい?」

「ええと……お心遣いはありがたいのですが……」


 やんわりと断らせていただく。

 アルコールの話をすると、ここは日本と違って蛇口をひねれば水が飲める世界ではないので、飲まざるを得ない時は飲む。先の船旅などはまさにそうだ。

 とは言え今のところ好んで飲みたいわけじゃない。

 お城暮らしだとお茶が一番口に会う気がする。

 日によっては家畜のミルクや野菜果物のジュースを飲んだりもするが、それもその日の食堂のラインナップ次第だ。


「坊主と同じで酒は得意じゃなかったかな。それじゃあ仕方ない」


 サムニーはぐびぐびとジョッキを呷った。

 あっという間に空になったジョッキを縁に置いて、満足そうにげふっとする。

 それからもう一つの残ったジョッキでムルミロと乾杯した。

 お酒が大好きなんだなぁと思わせる笑顔だ。


 湯気と一緒に気まで抜けていきそうだ。

 のんびりとお湯に浸かっていると、ふとオグがそばに寄ってきた。


「なぁシロガネ。その高そうな首飾りだけど」


 俺は首に下げた、銀細工で装飾された透明結晶をつまんだ。


「ティアナートさんから、肌身離さず持っておくようにって」

「へぇー、王女様から」


 オグはなにやら含みを感じる笑みを浮かべた。

 すすーっとレティが寄ってくる。


「シロガネさんと陛下ってさ、ずばりそういう関係なの?」


 好奇心を隠さずに聞いてくる。


「何のことですか?」

「何ってそりゃあさぁ……」


 オグとレティは『ねえ』と頷き合う。

 ムルミロが面白いものを嗅ぎつけた顔で近付いてきた。


「俺たち下っ端兵士の間でも噂の的なんだよねぇ。あの気の強い王女陛下をどうやって虜にしたのかって。シロガネ君、そこんとこどうなのよ?」

「どうと言われましても……」


 俺としては苦笑するしかない。

 まぁ聞きたくなる気持ちはわかる。

 自分のような馬の骨が突然、国の統治者から重用されればそりゃ怪しい。

 貴人に異性が取り入って国を乱す例は歴史にごまんとある。

 そういう目で見られるのも当然だろうから、そこに怒りは感じない。


 それに俺も十七歳の年頃男子なのだから煩悩を抱かないではない。

 お世辞抜きにティアナートは魅力的な女性だ。

 金色の長い髪は艶があって綺麗で、そのうえ胸も豊満だ。

 何か武道の心得があるのか、立ち振る舞いにも凛々しさがある。

 ふとした瞬間どきりとしてしまうことだってある。


 それでもその、なんと言えばいいんだろう。

 今の俺が彼女をそういう目で見るのはだめな気がするのだ。

 俺は彼女を『救いたい』という気持ちでそばにいることを選んだ。

 もしも彼女を救えなかったら、きっと俺は二度と誰も救えない。

 どうしようもない男に成り下がる。

 そんな強迫観念が胸に巣くっていて、浅はかな下心をかき消してしまうのだ。


「そういうのはないと思いますよ。初めて会った日に、私の為に戦って死ねと言われたくらいですから」

「あぁ……」


 ムルミロは頬を引きつらせて半笑いした。


「さすが陛下と言うか、うん」

「ですね……」


 レティが同意する。

 オグとサムニーも納得しているようだった。

 彼らの様子にふと俺は疑問に思う。


「皆さんの目から見て、ティアナートさんってどんな人なんですか?」


 人というのは見る角度によって別人に見えたりする。

 この国で生まれ育った人から見て、彼女はどう映っているのだろう。

 オグは自身のあごを指でつまんで唸った。


「まぁ、気合の入った人ではあるよな」

「と言うと?」

「いやほら。この前の獣人族に城を攻められた時とかもさ。普通の姫様なら即行逃げるなり、びびって部屋に閉じこもるもんだろ。ああいう時に同じ場所にいて、声をかけてくれるってのはさ。戦ってる身としてはやっぱ効くよ。奮い立つっていうかさ」


 わかるわかるとレティが頷く。


「反乱を鎮圧した時の話も凄いよね。占拠された城に一人で乗り込んで、ばったばったと敵をなぎ倒して。親玉の首をはねてきたって聞いたし」

「昔、王様に頼まれて親父が稽古をつけに行ってたこともあるしな。そういうとこ、口だけじゃない感じがして好感度高いぜ」


 若者二人の話に、へぇーと俺は相槌を打つ。

 次にムルミロに視線をやると『自分の番?』と己を指さした。

 俺は頷いて彼に促す。


「そうだねぇ。陛下に代替わりしてから待遇は良くなったかな。くれるものをちゃんとくれるから、兵士としてもやる気が出るよねぇ」

「先代のバニパル王は財政改革に熱心な人でな。その煽りで軍事関連の予算が絞られていて、まぁ色々とな」


 サムニーは難しい顔で言い淀んだ。

 長く軍にいる二人には思うところがあるのだろう。

 お金がらみの問題は尾を引く。

 人の生活に直接的な影響を与えるからだ。


「それが一年前に反乱が起きた理由なんですか?」

「どうだろうな。火種の一つではあっただろうが……どうしてマグウ将軍まで反乱に加担したかは、俺が知りたいくらいだ」


 サムニーは当時の事情を語ってくれた。

 サムニーとムルミロは昔からドナンの下で働いていた。

 今でこそドナンは国一番の大将軍だが、当時は二番手だったそうだ。

 バニパル王時代の軍の総大将はマグウ=マリージャという人物だった。

 滅私奉公の人で面倒見も良く、兵士から尊敬されていた。

 同僚であるドナンからも、国王であるバニパルからも信頼が厚かった。

 反乱が半ば成功しかけたのは彼の裏切りがあったためと言われている。

 それだけ実力と影響力を持つ人物だったのだろう。


 反乱鎮圧後の調査によると、マグウは反乱のもう一人の首謀者であるバエト=アルメリアから賄賂を受け取っていたらしい。

 バエトは国に仕える役人で、一時は次期宰相候補と目されていた人物だ。

 バニパル王の内政改革によって悪事が露見することを恐れたバエトが、反乱を計画したと巷では言われている。

 ただかつてから悪い噂のあったバエトはともかく、品行方正で知られていたマグウ将軍がそんなことをするはずがない、と考えている人は今でも多いそうだ。


「ま、死人に口なし。いまさら真相は知りようのない話だ」


 サムニーは喋り疲れたのか、ため息をついた。

 酒の入ったジョッキを呷る。


 初めてエルトゥランに来た日、俺は鎧に憑いた怨霊を祓った。

 いま思うとあれはバエトやマグウたちだったのかもしれない。

 お祓いした霊を再び呼び出すのは俺には不可能だ。

 反乱の経緯は気になるが、こればかりはどうしようもない。


「シロガネさぁ。このあと予定ある?」


 ぽかぽか赤くなった顔でオグが言う。


「ん、どうして?」

「もし暇ならウチ来るか? 飯でもごちそうするぜ」

「ほんとに?」


 行くよと喉まで出かかるも、俺は思いとどまった。

 行き先も告げず、このまま勝手に行動していていいのだろうか。

 いったん城に戻ったほうがいい気がする。

 ティアナートのそばにいることは救世主の一番のお仕事なのだ。


「ごめん。一度お城に戻って、ティアナートさんのところに行かないと」


 申し訳なく言うと、オグはははっと笑った。


「お前も大変だな。じゃあ今日は素直に休むか。また今度な」

「ありがとう」


 その後は各人の自由ということになった。

 レティはまだ風呂を堪能し足りないようで、蒸し風呂に向かった。

 サムニーは休憩室で昼寝するらしい。

 オグとムルミロは家に帰るそうだ。


 そんな流れで解散となる。

 バニパル浴場の入り口で別れ、俺は中央広場の方へと歩き出した。

 洗濯してもらった作務衣はまだ湿っているが、火照った体には悪くない。

 今日はいい天気だ。歩いているうちに乾くだろう。


 エルトゥランの城下町は今日もにぎやかだ。

 いい魚入ったよーと声の大きなおじさんが呼び込みをしている。

 小さな子供たちが駆けっこで俺を追い抜いていった。


「ん?」


 ふと視線を感じて俺は振り返る。

 誰かに見られた気がしたのだが、大通りにそれらしい人物はいない。

 通りに沿って建つ集合住宅を見上げるも、窓に怪しい人影はない。


 まぁいいかと歩き出す。

 東西南北の通りが交わる町の中央広場に出た。

 円形に広がった敷地の中心には全身鎧の戦士像が置かれている。

 像は左手に握った剣を天へと高く掲げていた。

 救聖装光の力で国を興したエルトゥランの初代国王様らしい。


 喉が渇いたので、屋台に立ち寄り果物ジュースを注文する。

 支払いの途中、視界の端に黒い人影が映った。

 この暑い中、長袖の黒い喪服を着た少女が大通りを東に歩いていく。

 闇色のヴェールに覆われていて顔はわからない。

 腕に小さな花束を抱えている。


「お客さん?」

「あっ、ありがとうございます」


 屋台のお兄さんから瓶を受け取る。

 その場でさっそく飲みながら、俺は黒衣の少女を目で追った。

 もしかすると今からお墓参りに行くのだろうか。

 墓地には王家の墓が一緒にあるかもしれない。

 俺は空き瓶を屋台のお兄さんに返した。


「ありあしたー」


 城の方向に向かっているのだから寄り道ではない。

 そう自分に言い聞かせて、俺は喪服の少女の後を追うことにした。

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