12話『月夜は照らす怨嗟の狼煙(2)』
宮殿を包む炎は一向に弱まる気配がない。
反乱鱗人たちが集まる宮殿の入り口へと向かって、俺は駆け出した。
足音に気付いたのか偶然なのか、反乱鱗人の一人がこちらに振り向いた。
ぎょっとして、石を握った腕を振りかぶってくる。
「わっ、ちょっと待った!?」
慌てて制止の声を上げるが、その鱗人は無視して投げてきた。
弧を描いて向かってきた拳大の石があわや足元に着弾する。
こんなものが頭に当たったら死んでしまう。
そのことにためらいを感じないほど気が立っているのか。
仲間の動きに気付いてか、さらに数人の反乱鱗人が振り向いた。
先ほど石を外した鱗人が『あいつを狙え』と仲間にけしかけている。
また石を投げてきた。
暴力を振るう相手には抵抗する。
俺は服の上から、胸元に隠していたペンダントの透明結晶を握った。
合言葉を念じて唱える。
――アウレオラ。
結晶から真っ白な光が溢れ、一瞬のうちに俺の体を包み込む。
光が晴れた時には、俺は銀色に輝く全身鎧を身にまとっていた。
救世主の力を与えてくれる鎧、救聖装光である。
俺の手はすでに投石を受け止めていた。
思い切り踏み込んで投げ返す。
放った石が弾丸めいて風を貫き、煽った反乱鱗人の腹にめり込んだ。
仲間を巻き込んで倒れるや、地面にうずくまって嘔吐した。
反乱鱗人たちにざわめきが広がる。
何十もの瞳がこちらに向いた。
だが恐怖はまるで感じない。
以前に救聖装光を身にまとった時もそうだった。
途端に全身に力がみなぎり、万能感で満たされるのだ。
何か危ない脳内物質でも出ているのではと思う。
再び駆け出した俺に、彼らは懲りずに石を投げてきた。
飛来する軌跡が見える。
正面に来た石を受け止めて、俺はまた全力で投げ返した。
剛速球が反乱鱗人の肩を捉えた。
石は割れたが骨も割れただろう。
鱗人は痛みに呻きながら地面に膝をついた。
「なっ、何なんだ、お前はっ!?」
反乱鱗人の一人が俺を指さして声を荒げる。
彼らの意識が完全にこちらに向いた。
その隙をクルガラたちは見逃さなかった。
「押し通れっ!!」
クルガラたち九人が反乱鱗人の包囲網に突進した。
不意を突かれた反乱鱗人が押し倒され、人の壁が崩れる。
だが敵の数が多い。抜けられるか。
すかさず俺は石を拾って投げた。
背中に死球を受けた反乱鱗人が目をむいて倒れる。
当たれば重傷の石弾が横から飛んで来れば誰だって不安になる。
その逡巡で援護は十分だった。
ガッリが巨体に任せて反乱鱗人を突き飛ばし、囲いを突破した。
なおも縋りつこうとする敵の首にクルガラの腕が伸びる。
剛腕に振り回された反乱鱗人が宙を舞った。
クルガラたちは囲みを抜けきった。
そのまま坂を下りて逃げるかと思いきや反転。
九人の戦士は横一列になり、拳を構えた。
反乱鱗人たちは動揺しつつも、ぞろぞろとまたひと塊になる。
数人が倒されたとはいえ、まだまだ四十人以上の多勢なのだ。
一触即発の両者の横手から俺は歩いて近寄る。
奇妙な三角形になった。
ちらちらと視線が向けられる。
彼らからすれば俺は突然現れた謎の乱入者なのだ。
困惑するのも当然だろう。
口を挟むなら今しかない。
「もうやめてください! 鱗人族同士でどうして争うんですか!」
反乱鱗人たちがぎろりとにらみつけてくる。
その目は『お前ごときに何がわかる』とでも言いたげだ。
こちらとしてはわからないから教えてほしいのだ。
クルガラは反乱鱗人たちに手の平を見せて、待ての動作をした。
俺の方へと顔を向けてくる。
「君は確か、シロガネという名だったな。人間である君がなぜこの場に割って入ろうとする」
「人を石打ちして焼こうなんて残酷の極みです。どんな理由があったとしても、そんなむごいことはしちゃいけない」
「ふざけるなっ!!」
反乱鱗人の先頭に立つ男が吠えた。
血走った目をかっと見開き、クルガラを指さした。
「親の仇を討つことの何がむごい!? この男の犯した罪を考えれば八つ裂きでも生ぬるい!」
親の仇。
俺が疑問の視線をクルガラに向けると、彼はしゃがれた声で笑った。
それがまた反乱鱗人の怒りを煽ってしまう。
「何がおかしい!?」
「お前がおかしなことを言うからだ、ソベクよ。我はただ、受け取ったものを返しただけではないか」
クルガラはにちゃりと笑い、尖った歯をのぞかせた。
「徒党を組んで一人を滅多打ちにし、喉を潰し、鱗を剥ぐ。全てお前たちの親が我にしてくれたことだ。もっとも奴らと違って、我は全てを一人で行ったぞ。血塗れのケガ人を海に打ち捨てたりはしなかった」
ソベクと呼ばれた先頭の鱗人はぎりっと面を歪めた。
「それこそが貴様の罪だ! 貴様は私たち家族の亡骸を焼いた挙句、あろうことか土に埋めた! 生命は大いなる海に還るものだ。貴様は死の尊厳を奪ったのだ!」
「あれは火葬と言って文明的な埋葬の仕方だ。遺体を焼却することで伝染病等の拡散を防ぐ衛生的なやり方なのだ」
「そうやって! わけのわからない言葉でごまかすつもりか!」
ソベクと同様に、後ろの反乱鱗人たちも憤怒の形相だ。
俺は現代日本人だから火葬には慣れている。
だが馴染みのない人からすれば、遺体を焼くという行為は故人を傷つける行為とも受け取れる。抵抗があっても不思議ではない。
葬儀のやり方というのはその土地の文化や死生観に基づいている。
それを急に変えようとするのは正論であっても難しい。
葬儀は故人の為ではなく、残った者の為という言葉もある。
彼らの怒りは理屈ではなく感情なのだ。
「すぐにわからずともよい。我々鱗人は学び始めたところなのだから」
「誰もそんなことは望んでいない!」
「その籠は役に立っているだろう?」
「――っ!」
ソベクはばつが悪い様子で、視線を腰元に落とした。
石が詰まった籠から慌てて手を引き抜いた反乱鱗人もいる。
「道具というのは便利なものだ。生活を豊かにしてくれる。その籠のおかげで魚を一匹獲るたびに浜に戻らずともよくなった。果実を腕いっぱいに抱えずとも多くの量を運べるようになった。もちろんお前たちのような使い方もできる」
クルガラは嬉しそうに笑った。
表情と口調から判断するに、皮肉ではないのだろう。
「文明とは素晴らしいものだ。我はそれをもっとお前たちに知ってほしい。閉ざされていたこの島が時間を取り戻した時、鱗人族は海の覇者になれる。我は心からそう信じているのだ……!」
まっすぐな眼差しだった。
この人も間違いなく王なのだ。
彼なりに一族の未来を考えているのだろう。
対するソベクは苦渋の表情を浮かべていた。
「貴様が陸から持ち帰った知識は確かに私たちの生活を変えた。そんなことはわかっている。だがそれでも……」
ソベクはちらりと後ろを見やった。
彼の背中には、反乱鱗人およそ五十人分の眼差しが注がれている。
「家族を殺された我らの痛みはどうなる!? 貴様がどう思っていようが、貴様のしたことは死者への冒涜なのだ! 彼らの無念を晴らさぬ限り、貴様を認めることなどできやしない!」
「……そうか」
クルガラは何かを察したように、ただ静かに頷いた。
脇に抱えていた丸めた絨毯をガッリに預ける。
ソベクは腰の籠から石を取り出すと、握って拳をつくった。
それから一歩前に出る。
「問答は終わりだ。貴様の首を供物とさせてもらう」
ソベクが拳を構える。
応じるようにクルガラもそうした。
だめだ。これはよくない流れだ。
俺は慌てて口を挟む。
「ま、待ってください」
「もう下がりたまえシロガネ。これは我々鱗人族の問題だ」
クルガラは振り向きもせずに言った。
宮殿を焼く炎の音が広場に響く。
闇夜の望月が煌々と、宴はまだかと見下ろしている。
反乱鱗人たちも、クルガラ側の鱗人も、二人の動きを待っていた。
轟音と共に宮殿の柱が崩れ落ちる。
それを合図にソベクが飛び掛かる。
クルガラも退かない。
互いに右腕を引き絞った。
殺し合いの再開だ。
――そんなことはさせちゃいけない!
咄嗟に両者の間に飛び込んだ俺は、二つの拳を外へと受け流した。
ソベクが目を吊り上げる。
「邪魔をするな人間! 貴様も殺されたいのか!」
「違います! 貴方たちの家族は本当にこんなこと望んでいるんですか!?」
「貴様も死者の魂を侮辱する気か!?」
「そうじゃない! 故人をそこまで大切に想えるなら、貴方こそちゃんと死者の声を聞くべきだ!」
「貴様ぁー!!」
ソベクは牙をむき出しにして、両手で俺の首を掴んできた。
締め上げられた首部分の装甲が嫌な音を立てる。
「だったらぁ! 殺された皆を生き返らせてみろ! ものを知らない部外者が首を突っ込むな!」
完全に逆鱗に触れてしまったようだ。
確かに自分の言葉は綺麗事だ。
でもそこで終わらせたくないし、つもりもない。
俺は寺生まれの男で、ティアナートの救世主になる男なんだ。
首を絞めてくるソベクの腕を、俺はがしっと掴んだ。
引きはがすためではない。
逆にもっと押し付けてやる。
「貴方の言う通り、死んだ人は決して生き返りません。でも故人の霊魂に想いが残されているのなら、汲み上げることはできます。俺にはその力がある。埋葬された場所に案内してください」
ソベクは不審そうに顔をしかめた。
腕の力がわずかに弱まったが、首絞めをやめたわけではない。
飛び入り参加のよそ者の言葉など信用できないのだろう。
だから俺は態度で示す。
――救聖装光を解除する。
一瞬の閃光の後、全身を包んでいた銀色の装甲が光の粒子にほどけた。
胸元のペンダントの透明結晶に吸い込まれて消える。
鎧が消えた拍子に、ソベクの手が俺の首にじかに触れた。
うぐっと息が詰まる。
「それでも納得がいかなかったら……あとは好きにすればいい……!」
俺は声を絞り出して、ソベクをにらみつける。
ソベクは唸るように息を吐くと、手を離してくれた。
でもそれは信用したからではなく、俺の行動に引いている感じだった。
こちらとしては、どう思われようと流れを変えられたならそれでいい。
「クルガラさんもいいですね?」
強引な同意を求めると、クルガラは半ば呆れた様子で頷いた。
ともかく一時休戦である。
鱗人たちは当惑しながらも、各々のリーダーに従うことにしたようだ。
ぞろぞろと移動を開始する。
クルガラの『お返し』によって亡くなった鱗人の埋葬場所に向かう。
燃え盛る宮殿の後ろに回り、広場からさらに山の坂を上る。
五分も歩かなかったと思う。
綺麗に草刈りされた場所に出ると、丸い形の石が等間隔に並んでいた。
それぞれの墓石に名前が刻んである。
不思議なほど清い雰囲気の空間だった。
地面から空へと抜ける、澄んだ空気の柱の中にいるような感じがした。
月の光が墓石に優しく降り注いでいる。
俺は墓石の前に立つと、作務衣の懐から数珠を取り出した。
呼吸を整え、気を整える。
指で印を結び、念仏を唱える。
念仏とは言の葉の旋律だ。
異種族の暮らす土地であっても、気持ちを込めた念仏は通じる。
想いは力なんだ。
「高きより見守りし御霊たちよ。現世に迷える者の為、霊験灼然現し給え」
そこに在るのは感じている。
それをほんの少しこちら側に寄せてやるのが俺のできることなんだ。
月の光、場所の神聖、集まった者たちの気持ち。
これだけ揃っていればきっとうまくいく。
「顕現!」
俺は腹の底から気を吐くように、空気を震わせた。
すると墓石から蜃気楼のようにうっすらと白いもやが浮かび上がる。
それは次第に輪郭を帯びていき、鱗人の形になった。
俺の後ろにいた鱗人たちがざわめく。
ソベクが慌てふためいて前に出てきた。
「ち、ちちうえ……?」
驚きや困惑、抑えきれない喜びの入り混じった表情をしていた。
先程までの切羽詰まった青年の姿ではない。
ソベクは恐る恐る腕を伸ばしたが、手が白いもやをすり抜けた。
びくっとして腕を引っ込める。
「どうしたソベク。情けない顔をしおって」
「父上!」
ソベクは目に涙を浮かべながら、地面に膝をついた。
ざざっと音を立てて、後ろの鱗人たちも同様の姿勢を取る。
クルガラだけは堂々と立ったままだ。
「上から見ていたぞ。ばかなことはやめて、さっさと謝って許してもらえ」
「し、しかし! 父上や皆様方の恨みを晴らさねばと……」
「今更そんなことどうだっていいわ。もう終わったことよ。それよりも若い衆がそんなむだなことに時間を浪費してどうする。暇なら遊んどらんで体を鍛えるなりせんか!」
ソベクは口を開けたまま、気が抜けてしまったようだ。
次に鱗人の幽霊はクルガラに顔を向けた。
「息子らが迷惑をかけたな。どうか許してやってくれ」
頭を下げる幽霊に、クルガラは驚きを隠せなかった。
「貴方の口から謝罪の言葉が聞ける日が来るとは思いもしませんでした」
「死んでバカが治ったのよ。立場と責任から解放されて、意地を張る必要もなくなったんでな。ずっと見ていたが島の暮らしは良くなった。お前のおかげだ」
クルガラは何かを思うように目を伏せた。
鱗人の幽霊は次に俺の方を向いた。
「そこの面妖な術を使う人間族の子よ。そなたにも感謝を」
「あっいえ……!」
自分にまで頭を下げられるとは思っていなくて慌てる。
鱗人の幽霊はふっと笑い、ソベクの肩に手を添えた。
「年寄りのことなど忘れて、若者は未来に生きろ。言いたいことはそれだけだ。達者でな!」
ふわっと白いもやが霧散して、鱗人の幽霊は消えた。
心残りがなくなって成仏したのだろう。
俺は安堵の息を吐いた。
死者は復讐など望んでいない……だなんて全部が全部そうじゃない。
復讐しろ、皆殺しにしろ、やらないなら祟るぞ、などと言う幽霊もいる。
生きている人間がそうなのだから、幽霊にも当然そういう者はいるのだ。
でも今回はそうならないだろうと信じていた。
これほど子孫に想われる故人ならきっと何か言ってくれる。
ソベクとクルガラの問答を通して、俺はそう感じていたのだ。
「さて……」
クルガラはソベクの前で、自らも地面に膝をついた。
「親父殿はああ言っていたが、お前はどうするのだ?」
ソベクはしばし視線をさまよわせ、首を横に振った。
「今は気持ちの整理がつきません。考える時間をいただきたい……」
「それがよかろう」
クルガラはソベクの肩にそっと手を乗せた。
「未来は一人でつくるものではない。お前たち全員の力が必要だ」
そう言って反乱鱗人たちを回し見る。
困惑する者、状況が呑み込めない者、神妙にしている者、反応は様々だ。
だが少なくともこれ以上、暴力沙汰を起こそうという者はいないようだった。
クルガラは立ち上がると、俺の方に向きを変えた。
「シロガネ。君は初めからこうなることがわかっていたのか?」
「絶対の確証があったわけではありませんが……」
「ならばなぜだ。今宵の出来事は人間族の君にとっては他人事だ。わざわざ危険を冒す必要などなかったはずだ」
言われて俺は考える。
後出しの理由は浮かびそうだが、しっかり考えて行動したわけではない。
目の前で誰かに死んでほしくなかった。
己の心の衝動がそうさせたのだ。
この気持ちを伝えるにはどうしたらいいだろう。
そうだな。こういう時は彼女の言葉を借りるのが一番か。
「俺はティアナートの救世主ですから」
クルガラは真顔のまま小首を傾げた。
俺の言葉の意味を考えているようだ。
もしかして今の俺、はたから見ると格好つけて滑った奴なのか。
首から上を赤くすると、クルガラはかすれた声で笑った。
「人間というのは実に興味深い」
右手を差し出してくる。
よくわからないが、理解してもらえたのだろうか。
俺たちは笑顔で握手を交わす。
澄んだ夜空に満月が輝いていた。