11話『月夜は照らす怨嗟の狼煙(1)』
真っ赤な夕日が水平線の向こう側に落ちていく。
海を渡る鳥はどこでその羽を休めるのだろう。
宮殿での会食を終えた俺たちは、島の桟橋に停泊する王国船に戻った。
本日は船で一夜を明かす予定だ。
明日の朝、あらためてクルガラと会談を行う。
エルトゥランに帰るのはそれからだ。
当然のことだが夜間は兵士が見張りをする。
乗船する兵士百名の内、十人隊二組が二時間交代で警戒に当たる。
時計もないのにどうやって時間を計るかというと、ろうそく一本が燃え尽きるのにおよそ一時間かかる寸法だ。
なので二本燃え尽きたら次の隊と交代するというわけだ。
船に戻ってから、ティアナートは船内の部屋に籠っている。
ドナンと今後の戦略を相談しているらしい。
俺は甲板の帆柱にもたれて座り、ぼんやりと空を眺めていた。
波の音に耳を傾けていると心が洗われる。
暇を見つけてはダベりに来るオグの相手をしているうちに日が沈んだ。
澄んだ夜空に望月が浮かぶ。
満月の夜は苦手だ。心が不安で押し潰されそうになる。
煌々と照る丸い月を見ていると、どうしても思い出してしまうのだ。
十四歳の七夕の前夜。
大切な幼馴染を救えなかった情けないあの日のことを。
恐怖に手を離した俺に、泣きながら微笑みかけてくれた彼女の最期を。
今でも胸が疼く。
「おーい、シロガネー」
短い髪をつんつん尖らせた若い兵士が槍を片手に甲板を歩いてきた。
ドナンの息子オグである。
俺と同い年だが、十人隊長として部下を持つ小隊長でもある。
「なに? またサボってんの?」
「ちげぇよ。見張りだよ見張り」
交代の兵士が船の中から出てきていた。
気付かない内にずいぶん時間が経っていたようだ。
「寝るなら中に戻れよ。でないと風邪ひくぜ」
「ありがとう。でも今はそういう気分じゃないんだ」
「ふーん。ならいいけどさ」
オグは眠そうにあくびしながら、持ち場に向かった。
俺も腕を伸ばしてあくびをする。
ずっと座っていたせいで体が硬くなっていた。
イチニッサンシとストレッチを始める。
その途中、ふとあることに気付いた。
ブオナ島の山の高い位置に何か、赤橙色の光が見える。
あの辺りにはクルガラの宮殿があったはずだ。
俺は小走りで船首にいき、オグの肩を叩いた。
「なぁオグ。あの明かり何だと思う?」
「ん~?」
俺が指さした方向に顔を向けて、オグは目を細めた。
「んー、たいまつとかじゃねーの?」
「なんで?」
「えっ、なんでって言われても。そういう風に見えるだろ?」
「そうじゃなくて。どうして鱗人族が火を使うんだって話」
クルガラが言ったように、鱗人族の生活はいまだ原始的なのだ。
彼は鱗人族の王として、どこからか持ち帰った人間族の文化を島に広めようとしているが、まだまだ定着したとは言えない段階だ。
鱗人族には家を建てて住む習慣がない。
ほとんどの鱗人は今も洞窟を住みかに生活している。
彼らは日没と共に眠りにつく。
火を明かりにして夜更かしする習慣などない。
オグは山中の明かりに目を向けたまま、あごを指で挟むようになでた。
「向こうの大将も警戒してるんじゃないか? 俺たちに船から降りるなって言うくらい慎重な奴なんだろ?」
「その可能性はあるかもしれないけど。でもそれなら、この船の周りに見張りを置いとかないとだろ?」
「まぁなぁ。じゃあ何なんだろうな、あれ」
俺たちはしばらくの間、宮殿付近の赤橙色の光源を眺めていた。
徐々にその光が大きく強くなっているように感じる。
じっと目を凝らすと、うっすらと煙が昇っているように見えた。
「もしかして火事なんじゃ?」
「報告してくる!」
オグは俺に槍を渡して、船内に駆け込んでいった。
少ししてドナンを連れて戻ってくる。
「むぅ……!」
ドナンは山の明かりを見るなり唸った。
やはりあれは炎だ。たいまつ一つでああはならない。
クルガラの宮殿に火の手が上がっているのだ。
俺はドナンに問いかける。
「どうします?」
「確認が必要でしょう。ですが大勢で押しかけるのは良くない。余計な誤解を招く行動は避けるべきでしょう」
俺たちをおびき寄せる策略ではないだろうが、用心に越したことはない。
そもそもここは異種族の住む、よその国なのだ。
善意でも首を突っ込み過ぎると嫌がられる可能性がある。
「だったら俺が偵察に行きます」
「シロガネ殿がですか?」
ドナンは目を丸くした。
「俺はニンジャ見習いですから、そういうのは得意です。それに宮殿までの道を知っている人じゃないとだめでしょう?」
ティアナートとベルメッタは論外だし、ドナンは兵の取りまとめ役だ。
消去法で俺しかいない。
「じゃあ俺も行くぜ」
オグが俺の肩に腕を回してきた。
「行動は二人でするのが最小単位だ。いいよな、親父?」
「お前もわかってきたようだな。いいだろう」
槍や兜、鎖帷子は音鳴りを避けるために置いていく。
見つかった時に武装はしていないと言い訳にもなる。
渡し板をかけて、俺とオグは船から桟橋に降りた。
念のため周囲の様子をうかがうが、鱗人が潜んでいる気配はない。
「先導するからついて来て」
「わかった。お前の指示通り動く」
桟橋からすぐの砂浜を走って抜ける。
山の麓に入ると途端に視界が闇に閉ざされた。
なにせ街灯一つない夜の山だ。
月明かりも枝葉に遮られて、あてにならない。
記憶力を頼りに、地面に足を取られない程度の小走りで山道を登る。
「待った! シロガネ待った!」
声に振り返ると、オグの姿がほとんど見えなくなっていた。
立ち止まって追いつくのを待つ。
オグが息を切らせてやってきた。
「ごめんごめん。大丈夫?」
「お前……なんでそんなに……速いんだよ……」
「爺ちゃんと修行で近所の山を駆け回ってたからかな」
「山の走り込みか……次から訓練に加えるかな……」
息が整うのを待って、再び出発する。
山の坂道を上っては折り返し、上っては折り返す。
小川にかかった木橋を越えた。
ここまで来ればあと少しだ。
ふとどこかから騒ぎ声が聞こえてくる。
すぐに俺は後ろに『待て』の合図をした。
オグにも聞こえていたようで、俺たちは頷きあった。
「ここからは慎重にいこう」
「だな」
走るのはやめて、山道を進む。
最後の折り返しを過ぎると、遠目に人影が見えた。
鱗人が二人、道に突っ立って何やら話をしているように思える。
暗い山中なのにどうして姿が見えたかというと、照らされているからだ。
鱗人のいる位置から坂を上がると宮殿の広場に出る。
広場の方から赤橙色めいた光が漏れてきているのだ。
「正面は避けよう。木の間から入って、宮殿の横に出る」
「了解」
山道から外れて、草をかき分けて進む。
斜面を這うように登ると、木々の隙間から明るさが溢れてきた。
広場の横手の藪で俺たちは足を止め、身を潜めた。
クルガラの宮殿が炎上している。
威容を誇った巨大建造物は今や恐ろしい火の山と化していた。
真夜中の闇に火の粉が美しく弾ける。
火の勢いは強いが、まだ焼け崩れるまでは至っていない。
幸いにして今日は風が静かだ。
宮殿が建つ広場には十分な余剰空間がある。
周辺の山林まで火の粉は飛んでいかないと願いたい。
万が一、延焼してしまったら大惨事を止める術はないだろう。
ごうごうと燃え盛る宮殿の前に鱗人たちが集まっていた。
かなりの人数だ。五十人はいるだろうか。
宮殿の入り口を半円の形に囲うようにして、何やら騒いでいる。
「こりゃあ綺麗に燃え尽きてくれるのを祈るしかないな。中の奴はちゃんと逃げられたのか?」
オグの呟きを聞いて、俺はクルガラの姿を探した。
だがすぐに違和感を覚える。
集まった鱗人たちは消火活動も救助活動もしていないように見えたのだ。
いや、むしろ、まさか。
俺は息をのむ。
鱗人たちが宮殿の入り口を囲っているのは、逃がさないためだ。
彼らの囲いの奥に、火を噴く宮殿を背にしたクルガラたちを見つけた。
クルガラは丸めた絨毯を脇に抱えていた。
そんな王を守る盾のように、巨体のガッリと八人の鱗人が並んでいる。
ガッリたちは全員が素手で、武器は持っていない。
足元には大粒の石が転がっており、一人の鱗人が血を流して倒れていた。
入り口を囲う集団の鱗人たちは腰に巻いた帯に籠をつけていた。
本来なら漁にでも使われそうな籠の中身は拳大の石だった。
容赦ない投石がクルガラたちを襲う。
手前の鱗人の一人は腕で顔を守ろうとしたが、腹に石を受けてひるんだ。
そのまま石の雨を全身に浴びて、地面に崩れ落ちる。
倒れてもなお追撃の石が投げつけられる。
めった打ちを受けた鱗人はぐったりして動かなくなった。
度を過ぎた仕打ちに、俺の喉の奥から苦い嫌悪感が湧いてくるのを感じた。
これは反乱だ。彼らはクルガラを亡き者にしようとしているのだ。
エルトゥランから船が来た日に事が起こるなんてタイミングが良すぎる。
おそらくこれは計画的なものだ。
人間族に罪をなすりつけることまで考えているのかもしれない。
俺は顔をしかめながら、オグの肩にそっと手を乗せた。
「オグ。先に戻ってこの火事のこと報告してくれる?」
「えっ、お前はどうすんだよ」
「どうにかする」
立ち上がろうとした俺の腕を、オグは慌てて引っ張った。
「ばかっお前。どうにかじゃねえよ。相手の数を考えろって! 偵察はもう十分だろ。余計なことに首を突っ込もうとすんな!」
オグの目は本気で俺の身を案じてくれていた。
その優しさを嬉しく思う。
「無理そうならすぐ逃げるから。だから先に戻ってて」
「いやいやいや! だからやめろって」
「あの程度の相手なら、何人いても救世主の敵じゃないよ」
俺は平然を装って嘘をついた。
戦いにおいて数は力だ。それに勝るものなどない。
クルガラとは同じ卓で食事を共にし、少しの言葉を交わした。
ただそれだけの相手だ。
命を懸けるほどの恩義も義理もない。
けれど今の俺にはティアナートから預かった救聖装光がある。
誰かを助けるための力がある。
自分が怖い思いをするだけでいいのなら、助けたい。
「頼むよ、オグ」
俺はまっすぐにオグの目を見る。
彼は困惑しきった表情をしていた。
「本気か? 本気で言ってんのか?」
「もちろん」
「こんなに止めてんだぞ? めっちゃ止めてんだぞ?」
「わかってる」
俺は目をそらさない。
オグは唸るように頭をかきむしった。
それから観念したかのように大きなため息をつく。
「なんでお前はそんなに頑固なんだよ……やばくなったらすぐ逃げろよ! 約束だからな、絶対だぞ!」
オグは腕を離してくれた。
俺は笑顔で応じて、茂みから飛び出した。