ムサシ、空母決戦に参戦ス!!
海軍総司令部は真珠湾を諦め、代わりに艦隊決戦を考案する事になった。
主にパイロットの技量と艦載機の性能を考慮して・・なのだが。
なを第一航空艦隊の司令は南雲では無く小澤治三郎中将であった。
山本は南雲にも打診したが、艦隊決戦と聞きビビッて辞退。
小澤に艦隊司令を任せる事になる。
第二航空艦隊は実史同様、山口多門少将。
武藤は布陣を聞き闘魂のある将である事に満足する。
武藤は第二航空艦隊の飛龍に配属。
部下は坂井、岩本、西澤の三羽カラスを筆頭に4個小隊を率いる事になった。
なを実史の如くG田実が艦隊に乗り込む事は・・無かった。
彼は零戦の設計を一少佐にひっくり返された事で出世街道から外れ、前線部隊の隊長へと零落れたのだ。
代わりに柴田武夫大佐がGの代わりに艦隊側近になり、武藤等を喜ばせた。
柴田は実戦理論では海軍髄一であり、前史の零戦開発でも速度や航続距離を第一としてたのだ。
Gの如く翼面荷重には拘らず、ひたすら性能アップに拘る。
空戦性能は確かに魅力的だが、絶対では無い。
技量でも何とか出来る。
だが速度や上昇性能、航続性能は訓練ではどうにも出来ない。
柴田の理論を武藤が実現した事で柴田は武藤を弟の如く信頼し可愛がった。
武藤中隊は飛龍戦闘隊となり、宮崎の富高や鹿児島の笠之原で猛訓練を実施。
艦隊パイロットとしても磨きを懸け、栄えある開戦の日を待つ。
実史の如くハルノートを突き付けた米国に帝國は怒りを覚え、12月10日を持って開戦を挑むと通達。
実史の如くだまし討ちや奇襲は成り立たなくなったのだ。
「武藤よ、貴様を信じ全搭乗員を信じてアメリカにタイマンを張ったぞ!!」
カラカラと笑いながら山本は飛龍艦橋で武藤と歓談してた。
敵は開戦必須を受け真珠湾を出航しトラック島奪還を宣言。
第一次トラック沖海戦の勃発が確定したのである。
次回、海戦の日