閑話 ある提督の最後
私の名はハズバンド・エドワード・キンメル。
栄えある栄光の合衆国海軍太平洋艦隊司令長官だ。
偉大なる大統領閣下の命令でJAPのサル退治としてパールハーバーを出撃。
経済速度で艦隊を率い、JAP艦隊を求めて彷徨ってた。
だが敵を中々発見出来ずに敵根拠地近くのトラック諸島沖まで来た。
時は1941年、12月10日。
パールを出航3日目だった。
クソJAPの偵察機(双発だったのでトラックから飛来したのだろう・・。)に発見され、
ファイターボーイズを発進させエアカバーを張ったのだが・・。
JAPのファイターが襲い掛かって来たのだ。
いや、最初はボンバーと思ってたよ。
爆撃して来たからね。
だがボンバーにしては凄い速度だった。
時速600km近くは出てたから。
まさかファイターだったとは・・。
我がボーイズも負けじと敵に襲い掛かった・・が。
敵のファイターは強かった・・。
我がボーイズは全てケツにカマを掘られ火を噴いて散って逝った。
大空の火の粉になり消えて逝くのは我がボーイズだらけ。
その後は・・・。
敵の攻撃機やボンバーが次々に来襲し、補助艦艇や空母が壊滅。
戦艦も舵を破壊され身動きが不自由になり・・。
トドメが敵艦隊の突入だった・・・。
ナガトが巡洋艦に見えるドデカイ戦艦を見たのが私の最後の記憶。
だって・・。
私は我が愛すべきアリゾナ号と共に私は・・海に帰って逝った・・から・・。
キンメルの最後でした。




