プレイ時間 00:00:00~00:29:40 ~初戦闘~
AM09:50
土曜日。
家族にはランチ込みで外出すると許可を取り、真佐江は町田さんとの待ち合わせ場所に向かった。
よく考えたら美緒が生まれてこの方、女友達と遊びに出かけたことがなかったことに気づき、真佐江は愕然とした。
平日は当然仕事が忙しく、土日は管理職の研修やら会議やらに追われ、スーツばかり来て出張三昧だったような気がする。
世界的感染症流行のおかげと言っては不謹慎かもしれないが、貴重な休日を没収され、本社のある東京へ強制的に招集され、中身のない毎回同じような話を延々聞かされ、懇親会までが業務だと監禁され、その上管理職ということを理由に休日出勤の賃金がまさかの0円変換という現象が社内から消失してくれた。
0円変換は継続中だが、常習的な休日出勤強要がなくなったことは本当にありがたかった。
丸一日休日を犠牲にしていたはずの出来事が、今は平日のテレビ会議90分で済んでいる。なんという生産性の向上。テレワーク万歳。まさに日本社会の夜明けだ。
「野々原さん、あんまり普段と変わらないですね」
待ち合わせた町田さんは真佐江を見た途端、真面目な顔でつぶやいた。
真佐江のオフィスカジュアルと比べて、町田さんは1日暴れるつもりなのかジーパンにTシャツというラフな格好だ。汗をかいたとき用に着替えまで持参したらしい。どえらい気合いの入りようだ。
(そういえば自分の服、最後に買ったのいつ以来かな……)
今日思いきってはいてみたフレアスカートも何年前に買ったものか不明だが、ウエストがかなりヤバイことになっている。
ブラウスはスーツの時に着るので何着も持っているが、完全オフの時に来ていく服はクローゼットの中から姿を消していた。
もうすぐ四十歳。
何を着たらいいのか分からなくなってしまって、結局オフィスファッションで固めてしまう。
小学生だった頃の娘はそんな自分の姿をカッコいいと褒めてくれていたが、中学生になり、ませてくるとつまらない格好だとダメ出しをしてくるようになった。
いまさら、この歳でどうおしゃれをすればいいのだろう。
どういう店で服を選べばいいのだろう。もうそれすらわからなくなっていた。
「あ、ここですここです」
町田さんが案内したのは全体的に黒いシックな建物だ。
「評判な割にあんまり混んでないんだね」
「オンライン予約徹底なんですって。感染症対策で。ちゃんと二人分予約しときましたからね」
町田さんは仕事もそつなくこなすし、こういう時の段取りも早くて的確だ。弱点と言えば現実の男と恋愛できない体質なところだろうか。
感染症対策なのか店員の対面応対はない。完全に電子データのみで管理されている。
ディスプレイで受付を済ませると、それぞれ個室の番号の書かれた感熱紙と、IDカードが出てきた。
2回目以降はこのIDカードで受付が簡略化されるらしい。
「なんだ。意外にそこまで人と接触しないで行けるんですね」
町田さんが拍子抜けしたように肩の力を抜く。
「じゃあ次はもう一人で来れるわね?」
真佐江はわざと意地悪っぽく言ってみた。
「はい。係長にはお手数をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした!」
町田さんもわざと敬礼しながら大げさな謝罪をする。
町田さんは一緒にいると気をつかわずにいられる。真佐江は誘いがあれば、また町田さんと出かけてみようと思い始めていた。
なんとなく店内はマンガ喫茶の個室を思わせる造りだが、入ってみるとしっかり防音処理がされているようで周りの音は聞こえない。
全面漆黒の個室には、小さな間接照明と一人掛け用のソファがあり、ヘッドセット、アームセット、レッグセットが揃えて置かれている。
いかにも羊皮紙っぽい紙に、装着の指示が記載されていた。
それらを装着しながら漆黒のソファに腰掛けると、自動でヘッドギアが起動したのか真っ白な世界へと一転する。
【はじめから】【つづきから】の選択肢が現れ、【はじめから】に視線を移すと【なまえを決めて下さい】と指示が現れる。
「すご。視線を関知して入力できるの!?」
思わず声が出た真佐江に機械音声が返事をする。
【音声認識も対応しています。声に出していただき、選択、入力も可能です】
(なにこれ。いったいどんだけ最新技術を駆使してんのよ……!
それとも今のゲームってこれが普通なの? 若い頃にこんなゲームあったらもう絶対通いつめてたかも……)
10代に戻った気分になり、わくわくしながら自分の分身をカスタマイズし、せっかく無料で選択可能ということなので勇者の、それも男性にしてみる。髪はアッシュにして、安直だけれど名前もついでにアッシュにした。
仕事柄と役職柄、髪の明るさ制限も厳しいため、いつか染めてみたいと思っていて結局染められずにいたヘアカラーだ。
設定を完了すると、本当にそこにいるような臨場感の世界が広がっている。
それっぽい王さまが豪華な椅子にふんぞり返って偉そうに講釈を垂れている。絨毯の厚さ、王様の声の聞こえ方、全てがリアルだったので真佐江は驚いた。
適当に聞き流しているとあんまり役に立たなそうなちゃっちい武器と、小銭を渡された。それらを持った感覚もリアルだった。
(じゃあ、さっそく……)
30分しかないので余計なことをせず、さっさと外に出てモンスター的なものと戦闘的なことをしてみよう。
勇者アッシュになった真佐江(39)は何の装備も整えず、一切町人と会話せずにフィールドに出てみた。
さっそく出てきたのはかわいらしいちっちゃいモンスターが三匹。
「わー、かわいい! なんか倒しちゃうのかわいそうだけど、そういうゲームだもんね! じゃあ別に恨みはないけど、やっつけちゃうぞ!」
などと、もたもたしている間に、先に攻撃された。
跳ねてきたモンスターが頭に体当たりしてくる。けっこう痛かった。
モンスターのターンなのか次々残りのモンスターも順番に体当たりをしてくる。
しかし、ものすごく重たく鈍い音が響き、小さな名前も知らないモンスター3体は一瞬でぶっ飛ばされていった。
ファンファーレが鳴り、レベルが上がる。
【勇者アッシュはレベルが上がった】
「わー、なんか、気持ちいいかも。久々にスカッとする。あー……なんか懐かしいな……」
少年のように表情を輝かせた勇者アッシュ=真佐江(39)は肩を回し、準備運動をしながら次のエンカウントに備えた。
それから勇者アッシュ=真佐江(39)の快進撃が続く。
「このクソ鈴木!! てめえ動きがノロいんだよ!! 倍速で動け!! だからいつまでも仕事が終わんねえんだよ!!」
ドゴォ!!
「田中!! どんだけクレームやれば対応覚えるんだよ!! いい加減仕事覚えろ!!」
ドス!! ドス!! ドス!!
「本田!! 社内で堂々と不倫してんじゃねえよ!! いつか写メって奥さんと本社に証拠同時送信してやるからな!! このゲス野郎が!!!」
ベギャキャギャギャ!!!
「加勢する!!」
そこへ一人の若者が颯爽と現れ、敵を一瞬で倒した。
「俺も佐藤という使えない部下にイライラしていた。君の戦い方に共感した。
良かったらこれを使うといい、ボロボロだぞ?」
男が手渡してくれたのは薬草だ。
「私の名は、ルーファウス・ストラビバリウス・ハウゼンバッハだ」
「お、助かる。俺は、アッシュだ」
すっかり男言葉が板についた勇者アッシュ=真佐江(39)は差し出された薬草をじっと眺め――、
「なあ、回復したいんだけど、これはどうやって使えばいいんだ?」
ルーファウスはアッシュの言葉が理解できず、数秒固まった。
「え、コマンドの開き方を知らないのかい? 武器は……、装備せずに戦っていたのか?」
「ああ、そっか忘れてた。普段武器なんか持ち歩く習慣がないからな。全然気づかなかったよ。ルー……えーと、まあいいや。ついでに武器の装備の仕方を教えてくれるか?」
「町で情報収集は…………してたらこんなことにはなってないか」
呆れながらもルーなんとかはアッシュにコマンドの開き方を教えてくれる。
コマンドを開くとなにやら【称号】という欄になにかが書かれていた。
【大きな愚痴の勇者】
(いや、ほっとけよ。なんだその称号。要らねーよ)
アッシュはその称号をスルーすることにした。
「いいことを教えてやろう勇者アッシュ、君は名前に4文字しか入力できなかったんだね?
じゃあどうして私はファミリーネームもミドルネームも持っているのか不思議だろう?
それはな、別途課金することでこのように格式高い名前にすることが可能となるのだよ。なぜ格調にこだわるのかって、ふっ、それはだな。このファーストネームのルーファウスに表れているとおり、私の現実世界での職業が……」
そこへ被せるようにどこからともかく落ち着いたトーンの声が響いた。
【勇者アッシュ様、転生時間の終了となりました。延長なさいますか?】
ルーファウスには聞こえていないようなので、声は真佐江にのみ語りかけているようだ。
空中に【終わる】【続ける】の文字が浮かぶ。
「いや、満足したし帰るわ。おい、ルーなんとかさん、俺もうタイム切れだから帰るわ!」
何か慌てたようなルーファウスの声も遠ざかり、アッシュの視界は白い光に包まれた――。
目を開けると真佐江は漆黒のブースの中で座っていた。
なかなかリアルな作りだった。今のゲームはここまで進化を遂げたのかと愕然とした。
【今までの冒険がセーブされました。このセーブカードは紛失しないよう大切に保管をお願いします。ご帰還をお待ち申し上げております】
カード挿入口から出てしたIDカードを財布にしまうと、真佐江はこの不思議なテーマパークを後にした。
町田さんは、きっと思い切り延長して遊び倒すのだろう。
まあ、仕事のストレス発散にはアリかもね。
真佐江は晴れ晴れとした気持ちで異世界体験の施設を後にし、ウィンドウショッピングをするため、駅ビルへと向かった。