プレイ時間 00:00:00 ~プロローグ~
1話あたり平均3000字から4000字です。
AM06:48 ~野々原家にて~
「ちょっとママ、今日お弁当って言ったじゃん、なんで作ってないの~?」
娘の美緒の悲鳴に、真佐江は朝の忙しさも重なり、険のある声で答えた。
「はあ!? そんなこと一言も聞いてないんだけど!!」
「え~、プリント出しといたじゃん! ランチサービスお休みの日なんだってば! 信じらんないんだけど!! 最悪~! どーしてくれんの!?」
洗面台でメイクをしている真佐江の隣に、ストレートアイロンを手に持った美緒が眉間にしわを寄せながら立った。
「出しとくだけじゃダメに決まってるでしょ!! 相手に伝わってはじめて情報共有がなされたというの! 報連相が大事だっていつも言ってんでしょ! せめて前日に情報が伝わっているのか確認しなさい!」
「うるっさいな~! 私ママの部下じゃないんですけど~! 自分がちゃんと見てなかったくせに私が悪いみたいに言わないでよね~! ママ超むかつく~」
娘とどなり合いながらも真佐江はメイクを終え、キッチンの冷凍庫から冷凍食品を次々に取り出し、レンジにかけていく。その音が聞こえたのか洗面所から美緒が文句を飛ばしてくる。
「えー!? もしかしてオール冷食にする気? 最悪~! 絶対友達に笑われるんですけど~!」
語尾が無駄に間延びする娘の甲高い非難の声が、朝の慌ただしさと相まって真佐江の神経を逆撫でする。思わず強い口調で返してしまった。
「ならコンビニでパンでも買いなさい!! 美緒が食べないならこれはママがお弁当に詰めて会社に持ってくから!!」
「……いい、今日はそれで我慢する。……ママの卵焼き食べるの楽しみにしてたのに……」
急にしんみりとした口調に変わり、真佐江は罪悪感で胸が苦しくなり心の中で叫んだ。
(ごめん美緒! ママだって、ちゃんと事前に分かってれば卵焼きに唐揚げに、デザートにフルーツだって入れたお弁当持たせてあげたかったよ!!)
せっかくなので冷凍食品を多めにチンして自分の分の弁当も作る。夫は適当にカップ麺でもすするだろうから放置だ。
お弁当を詰めながら時計に目を走らせる。
デジタルの時計はAM07:03を表示している。
真佐江の慌ただしい一日が始まろうとしていた。
PM00:38 ~真佐江の職場にて~
「野々原さん、最近できた『異世界体験』って行ったことあります?」
昼休憩で一緒になった町田さん(独身、36、自称二次元男子と婚約中)が、興奮気味に真佐江に尋ねてきた。
年も役職も真佐江の方が上だが、真佐江にオタクへの偏見がないこともあり、町田さんから妙に懐かれてしまって数年経つ。今では社内で打ち解けた関係を築けている数少ない友人だ。
「異世界? あ~……なんか娘がラノベで読んでたりするやつかな?
事故で死んだりするとなぜか異世界に転生して、前は全然冴えないキャラだったのに、なぜかご都合主義で最強になったり、貴重な能力を使えたり、異性にモテまくったりするやつね?」
「そうですそうです。詳しいですね、野々原さん。
そのラノベで流行ってる異世界転生モノの体験型アミューズメントが最近できたんですよ。
最新テクノロジーとかVRとか、よく分からないけど先端技術をめっちゃ駆使して本格的な異世界体験ができるんですって!
ほら、今どこも自粛ムードで旅行とか行けないじゃないですか。だから旅行気分が味わえるって、オタクじゃない人も行ってるみたいなんですよ」
どこで入手してきたのかチラシまで取り出し熱心に説明する。真佐江はなんとなくこの後の展開が読めてきた。
「へー、つまり体験型RPGってヤツ?」
中学生くらいまではゲームで遊ぶことはあったし、RPGも有名どころは一通り押さえた記憶がある。とはいっても少なくとも20年以上は余裕で経っている。
「そうなんです!! ちゃんと感染症対策もされてて、一人ずつ個室で仕切られてるんですって。でも仲間と一緒に行動するのとかも、すぐ隣にいるようなリアル感があるみたいですよ! 今の技術ってすごいですよね! ハマってる人が急増中らしいです!!」
「へー、そんなハイテク満載だと施設利用料が高そうだね」
「いえ! 普通に遊ぶ分にはそんなに高くないんですよ。ほら30分1500円、90分4000円、120分5000円。
フリータイムとか月額制もあるみたいですけど……ここにはのってませんね。
ただプレイを有利にするためのアイテム入手とかハイレベルな職業選択は別途課金制になっていて、それが高いみたいですね。
でもですね! 今はオープニングキャンペーン中でなんと『勇者』チョイス、ズバリ0円なり!」
まるで自分の手柄のようにドヤ顔でアピールしてくる町田さんに、そろそろ真佐江は本題に入れるように誘導してあげることにした。
「へえ、じゃあちょっと試すくらいならそんなにお金かからないで楽しめるってこと? ふーん」
「野々原さん、興味アリアリじゃないですか~?」
「うーん、そうだなあ」
あと一歩で落とせると町田さんは解釈したようで、手を合わせると頭を下げた。
「おばさん一人でガチで遊びに行くって思われたくないんです!
最初の受付まで一緒にいてください! そしたらもうあとは放置で構いませんので! お願いします! 初回の参加費奢るんで! 何卒ご配慮を! 野々原係長大明神様!!」
(本当に大げさなんだから……)
真佐江が苦笑して返事をしようとしたその時――、
「係長!! 助けてください!!」
慌ただしく若手の田中さん(独身、24、つきあって半年の彼氏あり)が休憩室に駆け込んでくる。
「係長! 助けてください! クレームです! お前じゃ話にならないって!」
真佐江は嫌な予感がした。
「田中さん、何したの?」
「ちゃんとマニュアル通りにしたんです! なのに全然納得してくれなくて」
「あなたの言い訳じゃなくて、状況を説明しなさい」
「私もよく分からないんですう! 繋がってるんでクレーマーから直接聞いてくださいぃぃ!」
当然のように子機の受話器を真佐江に差し出す。
「一回切ってからかけ直しなさいよあなた!! 相当クレーム食らってるのにまだ初期対応覚えてないの!?」
「ひどいぃぃ。頑張ってるのに、私……頑張ってるのにいい。パワハラでモラハラですう……!」
真佐江は悲鳴をあげ始めた胃を押さえつけ、受話器を引ったくる。
あんたのはハラハラっつうんだよ!! という怒りの声はなんとか表に出る前に押さえつける。
「町田さん、ひとまずあの件は改めて返事するから」
「係長、御愁傷様です……」
同情の視線を向ける町田さんを前にして、食べかけの弁当を片づけることもできず、早々に真佐江は謝罪のレパートリーを総動員してクレーム鎮圧作戦を開始した。
PM07:45 ~真佐江、社内にて~
田中さんのやらかしたクレーム処理に一時間ほど要し、言い訳ばかりの田中さんのクレーム報告書を修正するのにさらに一時間を要し、日中に発生したイレギュラーによる業務圧迫を30分の残業へ圧縮して処理した真佐江は退勤処理を済ませた。そして自販機の前で仁王立ちしたままミルクたっぷりの甘い缶コーヒーを一気にあおる。
イライラに牛乳。そんなCMが昔あった気がする。
ちなみに当の田中さんは定時で帰宅だ。田中さん曰く「私の彼~、私がご飯作ってあげないと~、すぐ機嫌がわるくなっちゃうから~、すぐに帰ってあげないとダメなんですう」なのだそうだ。
(もういっそDVでも受けてしまえ……)
闇の真佐江は心の中で呪いの言葉をささやく。
こういうドロドロした感情は、モンスターを退治したら晴れるのだろうか。
真佐江は携帯電話を取り出すと、町田さん宛てにメッセージを打ち始めた。
――昼の件は前向きに検討させてもらいます、と。