憲兵たちの仕事とある少女のこと
カラレス王国レイブラウン領レイブラウン邸。2人の王国憲兵の姿がそこにはあった。
「うわ……酷い現場ですね。遺体を片付けてもらっていてよかったです」
「床も壁も美味そうなご馳走も全部血まみれ。ダイニングで戦争すんのが最近の流行か?」
「嫌ですよ、そんな流行」
「俺もだ」
2人はレイブラウン邸のある一室にいる。大きなダイニングテーブル、並べられた椅子、豪華で美味しそうな料理、そして部屋中に撒き散らされた大量の血液。
楽しいディナーと凄惨な現場のギャップが言い表せられない恐怖を感じさせる。
先輩と思しき憲兵は、紙束をもう1人の憲兵に投げ渡す。
「事件の資料を読み上げてくれ。簡潔にな」
「はい。被害者は警備兵と傭兵が8名。メイドと執事が6人。そして、レイブラウン伯爵夫人とご息女のソフィ様とライラ様」
後輩憲兵は顔をしかめ、読み上げを続ける。
「警備兵と傭兵は庭や玄関先で首無しの遺体として発見。使用人と夫人、ご息女はダイニングの椅子に縛り付けられたまま、同じく首が切断されていました」
「生存者は?」
「次女のニーナ様だけです。その他、犯人に繋がりそうな証拠は残っていません」
後輩憲兵は資料をバックに片付けた。
「よし、ちゃんとわかりやすく報告できたな。情報の見落としもなかったし上出来だ」
「当たり前ですよ。もう新人ってわけじゃないんですから。というか、先輩もちゃんと資料読んでたんじゃないですか」
「まあな」
「……なんでわざわざ読ませたんですか?」
「後輩育てるのは先輩である俺の役目だ」
それにしても、と後輩憲兵は部屋を見渡した。
「犯人はどれだけレイブラウン伯爵に恨みを持っていたんでしょうね? やり口が残忍過ぎます」
「確かに。だが黒い噂も聞かないし、伯爵が狙われる理由は見当もつかん。でもまあ、犯人捜しは二の次だ。俺たちの本来の任務を忘れるな」
「はい。わかっています」
2人の目的。それは、この惨劇の夜から行方不明になっているこの家の主であるドーラン・レイブラウン伯爵の捜索だ。
もし彼も彼の家族同様に殺されていたとしたら、カラレス王国史の中でも最悪の事件の1つになるだろう。
「レイブラウン領憲兵が調べた限りでは、屋敷内にはいないようです」
「その情報だけ聞けば誘拐されたって考えるところだけどなあ……」
「誘拐目的だとしたら派手すぎます。こんな何人も殺しませんよ、普通は」
「それに怪しい馬や馬車の目撃証言も皆無。伯爵は太って……大柄だから、移動手段なしに誰にも見られず誘拐するのはほぼ不可能だ」
転移魔法という可能性もあるのだが、そんな超上級魔法を使える魔法師であれば、わざわざ犯罪者にならなくともいい暮らしができる。だからその可能性は極めて低い、というのが、2人の共通認識だった。
捜査は早速行き詰ったと思われた。
「身代金などの要求があったという報告もありません。やはりレイブラウン伯爵の殺害が目的だったと考えるのが妥当でしょうか」
「そうだな。だが、生きてようが死んでようがここから連れ出すのが難しいのは変わらん」
「……まだこの屋敷内にいるかもしれないということですか? でももう領憲兵たちが隈なく調べたはずです」
「いや……」
先輩憲兵は人差し指を立てて後輩に向き直る。
「1つだけ心当たりがある」
※
私はどうして生きているんだろう?
ニーナ・レイブラウンはそんなことを考えていた。
理由はわからない。ベッドから体を起こし、自分の両手を見つめていたら、ふと頭の中に浮かんできたのだ。
ニーナは自分の身に何が起こったかをはっきりとは覚えていない。ただ、深い孤独感と絶望感に胸を押し潰されそうになっていた。
コンコンコン
部屋の扉がノックされる。ニーナは何も返事をしなかったが、扉は開き、1組の男女が部屋に入ってきた。
「おはようございます、ニーナ様。ようやく目が覚めましたね」
「……貴女は? ここはどこですか?」
「私は魔法薬師のブルースです。こちらは王国憲兵のイエローストーンさん」
「初めまして、ニーナ・レイブラウン様」
魔法薬師は魔法薬を調合、そして処方する職業で、王国憲兵は王国内の治安維持に力を尽くす職業だ。両者とも社会的信用は高い。
ニーナは2人に顔を向けることなく尋ねた。
「……私はどうしてここに?」
「もしかして覚えていないのですか?」
「はい。記憶が途切れ途切れで……」
薬師の女性は僅かに表情を険しくした。記憶障害を起こすほどの酷い記憶だったことが想像できたからだ。
「誰かに襲われたことはぼんやりと覚えています」
「なんでもいいんです。覚えていることを何か教えてください」
「何か、ですか……」
憲兵にそう尋ねられたニーナは、俯いたままポツポツとその夜のことを語り始めた。
「あの晩、使用人が私の部屋に私を迎えに来ました。いつもディナーの時間まで本を読むのが日課だったので、お母様はいつも誰かを迎えに寄こしていたのです」
「ダイニングに入った途端、私は捕まりました。何が起こったかわからないまま椅子に縛られて、同じように縛られているお母様やお姉様を見て、やっと理解したのです。襲われたのだと」
「妹のライラも同じように捕まって縛り付けられていました。それからしばらくしてお父様が帰ってきました。その後のことははっきりとは覚えていません」
「ぼんやりと覚えているのは、妹の悲鳴とお父様の叫び声。耳鳴りと頭痛と吐き気が酷かったし、怖くて目をずっと瞑っていました」
薬師と憲兵は黙ってニーナの話を聞いていた。14歳の少女が体験した惨劇を想像して言葉を失ったと表現した方が正しいかもしれない。
話し終わったニーナの体は震えていた。
憲兵はゆっくりと口を開く。
「何か犯人に繋がる手掛かりになりそうなことは覚えていませんか?」
「……男の人でした。それと、お父様とは顔見知りだったみたいです」
「顔は直接見ていませんか?」
「もういいでしょう!」
ニーナに聞き取り調査をしようとする憲兵を薬師は止めた。
憲兵はハッとする。ニーナの体の震えは増しており、顔は死人のように真っ白になっていた。
「し、失礼しました。今日はもう結構です。お休みになってください」
「何かあればまた私から詰所に連絡をします」
「はい、先生。ではニーナ様、今日はお疲れの所ありがとうございました」
「いえ、あまり覚えてなくてごめんなさい。早く犯人を捕まえ……っっ!」
今日初めてニーナは2人に目をやった。
そして、ある物に視線が釘付けになった。それは、憲兵が腰に差していた、どこにでもあるような剣だ。
「いや……いやああああ!!」
ニーナは泣き叫びながらベッドから転がり落ちる。そして、部屋の隅まで這っていった。
「ニ、ニーナ様?」
「来ないで! 助けて! 誰か助けて!」
フラッシュバック。強いトラウマ体験を時間が経った後に思い出す現象だ。
安物でも剣は剣。家族の命を奪い去った凶器と重なってしまったのだ。
ニーナは壁を背にし、両手で顔を庇うようにしてうずくまってる。床には小さな水溜まりもできている。
「イエローストーンさん、私の助手を呼んできてくれませんか?」
「わ、わかりました」
憲兵は駆け足で部屋を出て行った。
薬師は薬の入った試験管をポーチから取り出し、ニーナに歩み寄った。
「殺さないで……いや……」
「ニーナ様、これを飲んでください。もう大丈夫です。ここは安全ですから」
「やめて……やめて……」
薬師は恐怖で我を忘れているニーナを見つめながら、言い表せないほどの憤怒を、正体もわからない殺人鬼に向けるのであった。
※
「隠し部屋、ですか」
「ああ。貴族の中には災害や犯罪から身を守る目的で地下室に頑丈な隠し部屋を作っている家がある」
2人の憲兵はレイブラウン邸の書斎で通路の捜索をしていた。
「レイブラウン領は災害が頻繁に起こるような土地じゃない。それに、さっきも言ったが、犯罪に巻き込まれるような噂もない」
「なるほど。だから領憲兵も見逃した可能性があるんですね」
「あくまで可能性があるってだけだがな」
「今の所、その可能性しか手掛かりがないんですけど」
2人は焦っていた。
彼らがこの豪邸に来てから、すでに2時間が経過している。隠し部屋という1つの可能性を見出したものの、レイブラウン伯爵本人も彼の行方の手掛かりも何も発見できていない。
書斎の捜索を始めてしばらくした頃、後輩憲兵が目当てのものを遂に見つけた。
カーペットの下にあった他とは形の違うタイル。それは簡単に剥がれるようになっており、剥がすと取っ手が姿を現した。
「先輩、来てください」
「見つけたか? でかした」
先輩憲兵はランプを取り出し、火を点けた。そして、剣を抜いた。
「開けろ。俺が先行する。お前は後からついてこい」
「わかりました」
「頭のイカれた殺人鬼がまだ潜んでるかもしれない。絶対に油断はするな」
「はい。じゃあ開けますよ」
後輩憲兵は険しい顔で取っ手に手をかける。
石と石の擦れる音と共に、地下へと続く階段が姿を現した。
先輩憲兵がランプと剣を構えながら下へ降りる。
「レイブラウン伯爵! いらっしゃいますか!?」
返事どころか物音ひとつせず、生き物の気配がない。
階段を降り切ると、奥には重そうな鉄の扉があった。取っ手と近くの壁は鎖で繋がれている。
「重そうな扉だな。おまけに鎖で開けられないようにしてやがる」
「どうしますか? チェーンカッターなんか持ってきてませんよ?」
「あれで何とかするしかないだろ」
そこには大きな斧が立てかけられていた。思い切り鎖に振り下ろせば、なんとか破壊できるだろう。
数回斧を振り下ろすと、ガキン、と音を立てて鎖は壊れた。
「よし、開けるぞ」
「……はい」
「鎖で閉じられていたんだ。お宝はあっても犯人はいない。心配そうにするな」
金属と石が擦れる重苦しい音が地下に響く。扉の先にはさらに薄暗い部屋が広がっていた。
「暗いな」
「先輩、ランプを……うっ」
ランプに照らされた地下室には目を背けたくなるような光景が広がっていた。
「うげ……なんだこれ」
「大量の虫の死骸?」
「見たことない虫だな。お前、知ってるか?」
「いえ、わかりません」
地下室の床いっぱいには大量の虫の死骸。数千はくだらないだろう。
2人の憲兵は、部屋の真ん中に死骸と交じって何かが落ちているのを発見した。
「先輩、死骸に埋まってるのって……」
「俺が見る。ちょっと待ってろ」
先輩憲兵は、足で虫の死骸の中に道を作りながら、その物体に近づいていく。
「……骨だ」
「骨?」
「ああ、恐らく人間のな」
「人間!?」
高価そうな服を身に纏った人骨だった。大きさから大人の人間だということがわかる。
「まさかその骨って……」
「決めつけるな。それは俺たちの仕事じゃないし、その権限もない」
「ですが、状況的に考えたらレイブラウン伯爵のご遺体としか考えられませんよ」
「俺たちには医学の知識はないし、レイブラウン伯爵の骨格の特徴も知らない。俺たちにできるのは、これを然るべき機関に受け渡すことだけだ」
憲兵はそう言うと、頭蓋骨を持ち上げた。髑髏の中からは、ボトボトと虫の死骸が零れ落ちる。
「先輩、これを使ってください」
「悪いな」
後輩憲兵は皮の袋を投げ渡した。骨は全て回収できそうだ。
骨を詰め終えた憲兵は、疲れた顔で言った。
「骨は全部入れた。ついでにこの虫の死骸も持っていこう。何かわかるかもしれないしな」
「はい」
「というか、お前も手伝えよ」
「すいません。虫、ダメなんです」
「……」
その後、2人が持ち帰った骨は、ドーラン・レイブラウンのものだと判明した。
レイブラウン一家殺害事件。カラレス王国史上最悪の事件の1つである。
しかし、これは悪夢の始まりにすぎなかった。
【カラレス王国】
人類が住む土地、通称人界の中で最大の国土を誇る王国。広いが故に王都と辺境の貧富の差が激しいことが社会問題となっている。
立法権や司法権は全て王族にあるが、権利の行使には議会や憲兵団の承認などが要るため、完全な独裁ではない。
魔法研究が盛んで、優れた魔法使いや魔法具の発明者が多い。