895 大脱走
「だいぶ風が収まってきたな、全く、いきなり気圧が低くなって耳がキンキンすんぞ、どっかの馬鹿共のせいでな」
「しかもほとんど吸い出されちゃったし、この馬鹿共、どうオトシマエを付けさせようかしら?」
「まぁ、生きたまま切り刻んで、死ぬ前に火を点けて燃やす感じかな、とりあえず気絶させておこう、オラァァァッ!」
『ギャァァァッ!』
高い高い魔王城の、かなり上層部に位置するこの部屋の窓が、いきなり開いてしまったのは恐ろしいこと。
そしてその現象自体よりも恐ろしい『物体』が、その窓から勢い良く、無数に飛び出して行ったのはさらに恐ろしいことだ。
あまりにも高いゆえ窓から外の様子を窺い知ることは出来ず、時折どこかから響いた悲鳴が、風に乗ってやって来る程度の情報である。
もちろん避難の方は進んでいるし、魔王の命令通りであれば、ここはもう人族だの魔族だの、勇者側だの魔王軍だのと言うことなく、恥じらいを棄てて人族に、王都の城門に助けを求めに行っている者が居る筈。
さもないとこの物体、そこら中を探し回った挙句、手近な『獲物』を捕食してしまう、それはつまり物体そのものが強化され、また場合によっては個体の限界サイズを迎え、分裂してしまうということ。
それは当初危惧していた事態、この世界が物体で埋め尽くされ、その他の生物は全てそれに吸収されてしまう、まさに『物体世界』をなってしまうという結末が、今はもう程近くまでやって来ているのだ。
そうなってしまえば女神も、諦めてこの世界のサービスを終了する以外に方法がないであろう。
間違ってその物体が進化し、宇宙進出を果たしたり、勝手に別世界へ転移してしまっては困るのだから……
「よしっ、俺達も一旦脱出しよう、魔王、外へ出るための扉があるんだろう? というか接続されているんだろう?」
「ええ、一旦戻らないとダメだけど、もうこの場は安全だし、すぐに行って外へ出るようにするわよ」
「偉そうだな相変わらず……で、ちなみにだ、ここ以外に物体の数が多い場所はどこかわかるか?」
「んっ、え~っと……うん、そうね……あと10ヶ所以上あるわ、最初に到達した場所で成長した物体が、そこの人間を喰らい尽くして移動したりしたみたい」
「もうこのお城の中に残っている魔族の方はお終いでしょうね、避難指示の対象になったか、自己判断で勝手に逃げ出した情けない方以外は物体の餌食かと思います」
「マリエル殿の見立てはまぁ正しいだろうな、むしろこの先、この魔王城内で成長した物体を、これ以上外に出さないことに尽力すべきだ」
「だな、魔王の間から魔王城全体へ、かなり防衛ラインが下がってしまったが……あとどこかの馬鹿共のせいで一部突破されてしまっているが……」
上手く気絶させ、部屋の隅に集積してあった残り3体、いた3匹の馬鹿共、後で重い責任を負う者として王都の広場で処刑してしまおう。
それと、皆で協力して窓を塞ぐ作業だ、何かが配達された際に、捨てずにそのままおいてあったと思しきダンボールを窓に当て、ついでにその周辺をガムテープでベタベタと貼り付ける。
最後のありがちな、ガラスを保護するときのようなクロスしたガムテープを、まるで職人のように華麗な技捌きで……貼ろうとしたところで強風が窓を襲う。
なんと、ダンボールの仮設窓は一気にベロッと剥がれ、また元の状態に戻ってしまったのである。
ダンボールではダメということか、もっと強力な、それこそ魔導結界のようなものが必要なようだ……
「おいっ、何とかしろよこれをお前! この魔王城の責任者だろう?」
「そんなこと言われても、そもそもトップがその巨大な城の中の窓ひとつに関与していると思ったのなら大間違いだわ、私は知らないし、そっちでどうにかしなさい、ほら早く、どうしてそんなことも出来ないのかしら?」
「……リリィ、軽くで良いから魔王の尻を抓ってやってくれ」
「わかりましたーっ、はいギュゥゥゥッと」
「ひゃぁぁぁっ! 痛い痛いっ! ギブッ! ごめんなさいっ! もう調子に乗りませんからっ!」
「ダメだな、リリィ、反対側の尻もいってやれ」
「ギュゥゥゥッ!」
「あぁぁぁっ! おっ、お許しをぉぉぉっ!」
魔王はこの期に及んで態度がデカい、そろそろ自分の立場というモノを認識しても良い頃なのだが、それが出来ないということは、頭が良いように見えてやはり馬鹿なのであろう。
もちろん何か秘策を隠し持っていないとも限らないし、この状況から一発逆転で俺達を撃退したり、自分だけでも逃走したりということが出来るのかも知れない。
だが走って逃げようが空から逃げようが、誰かがそれに追いつき、ひっ捕らえて引き摺ってくることが可能だ。
魔王は副魔王と違い、そこまで強い魔力やその他の力を有しているキャラではないのだから。
それにしてもだ、この場で魔王を絶対に逃がすわけにはいかない、王都に連れ帰って責任を取らせることが出来なくなる、いやいつかは捕らえるにしても、それが先延ばしになってしまうためだ。
そういうわけで、窓の封鎖に全く区参加しようともせず、単に調子に乗っていた魔王について、この辺りで拘束するなり何なりしておいた方が良いかも知れない……
「……なぁ精霊様、ちょっと良いか?」
「どうしたのかしら? 窓を塞ぐ妙案が出てきたの?」
「いやその話じゃなくてさ、魔王だよ魔王、そろそろ縛り上げておいた方が良いんじゃないのか?」
「う~ん、この後の脱出に際して、混乱している城内の敵の大軍団と遭遇する可能性があるわ、そのとき魔王が情けない姿だったら……ダメ元で突撃してくるかも、奪還を目指してね」
「もしもし? その前に魔王の奴、パンツもスカートも奪われたままなんだがそこは……」
「それは大丈夫なんじゃないかしら? 世の中には丸出しを是とするキャラも居るわけだし、きっと魔王もそういう趣味に目覚めたんだなということでカタが着くわ」
「いやはやそんないい加減な……」
適当なことを言い、現時点において魔王を縛り上げるのは良くないと主張する精霊様。
なぜか隣のユリナもそれを肯定しているのだが……ユリナは魔王がかわいそうだからそう言っているに違いないな。
とはいえ、仲間が2人も、そしてそのさらに隣ではサリナも精霊様の考えにつき肯定しているため、それと異なった行動を取るのはあまり良いとは言えないであろう。
ここはその通りにして、魔王軍の敗残兵、その大軍勢となったものと遭遇する可能性がなくなった時点で、王都から『魔王および副魔王引き回し凱旋セット』を取り寄せ、それに本人らを拘束してしまうのだ。
現状では副魔王の方は小さく、引き回しをするには少しアレな感じなのだが、それも時間が経過すれば元に戻るのだ。
それを待つ意味も込めて、魔王を『逮捕』するのはもうしばらく後にしておこう、今無駄な抵抗をされても困るからな……
「よいしょっ! これで完璧ねっ、分厚いテーブル板で塞いであげたわ」
「おぉ、あとは周囲に釘を打って、そう、ガムテープじゃなくて釘を使うだ、何でもガムテ補修でいけると思うな」
「そうなんですね、てっきりガムテがこの世界の最強補修キットだとばかり思っていましたよ」
「うむ、そもそもこの世界にガムテがある時点でどうかと思うんだがな……誰が持って来たんだろうか……」
ガムテの話はともかくとして、室内にあった巨大な、そして天板の分厚いテーブルを用い、大馬鹿者が急に開けたせいで突風に晒され、既に枠ごと失われてしまっていた窓の補修を行う。
釘を打ち、隙間には……やはりガムテ補修をしておこう、さすがにないとは思うが、魔王城内の物体が進化によって知性を獲得し、それがこの隙間から外へ……などということも考えられなくはないのだ。
もちろんその場合には、ここ以外の隙間からも物体が脱出してしまう可能性があるのだが、それについてはまぁ、戸締りをキッチリしておくようにと、城内に残った『犠牲者』共に伝達してそうさせてしまおう。
この先魔王城は大パニックに陥り、多くの魔族がこの中で、しばらくもしないうちに命を落とすのであろうが、それはもう避けようのないことであり、致し方ないと思っている。
残念なのはこの後王都の広場で執り行われるゴミ共の公開処刑が、その盛大さをかなり失ってしまうという点だ。
本来は生かしたまま、新鮮なまま持ち帰り、改めて焼き殺すなど残虐な方法で処刑する予定であった魔族が、あの物体によってあっという間に、苦しむ暇もなく死亡してしまうのはもったいないということである。
だがまぁ、これについてはここから修正を掛け、より多くの『生きたネタ』が魔王城から脱出するように取り計らう、というようなことをすべきであるとは思えない。
きっとその修正の過程で、新たに何かトラブルが生じてしまうのだ……しかも少しではない、さらに最悪の事態を招くような、そんな事件が起こってしまう予感だ……
「じゃあ窓の方は完了ね、このまま脱出しましょ、出来ることなら目立たないように、魔王が私達と居るってことがわからないように」
「だな、一応全員マントか何かを被って……っと、廊下に宝箱が落ちているな、中身は当然『正体隠蔽マント』だ、非常に都合が良い」
「そしたらこれを装備して……ちゃんと魔王の分とジェーンさんの分もあるのね……準備が良すぎる気がしなくもないわ、ねぇ勇者様、これについてはどう思うかしら?」
「ん? まぁ普通なんじゃねぇの? 俺達にとってごく都合の良い展開で話が先へ進む、これについてはどこもおかしなところはないし、当然であると言えそうだぞ」
「そう思うんなら別に良いけど……ま、サッサと装備してここを離れましょ」
『うぇ~いっ!』
こうして俺達は全てを諦め、この魔王城はもう例の物体に汚染されたまま、危険区域として放置することに決定、その場を離れて自分達の安全を確保するという決断をした。
やらかした馬鹿共、先程までは誉あるエリート魔法攻撃戦士として、今は単なるクズの死刑囚として生存した数匹のボケを、その辺に落ちていた鳶口で引っ掛けて引き摺り、先程ここへやって来た扉から、再び魔王の間へと戻ったのである……
※※※
「さてと、これからどうするかだが……なぁ魔王、お前がさっき設定した第二の行き先なんだが、魔王城全体で言うとどの部分に接続されているんだ?」
「さっきの場所? それは北側、裏口というか避難口というか、とにかくずっと階段が続いて、一番下から脱出することが出来る場所が存在しているのよ、この考え抜かれた設計の魔王城にはね」
「うん、それは知っているし、むしろちょっと壁を壊した部分もある」
「何ですってっ!? じゃあついこの間城内の壁が何者かによって破壊されて、雑巾を貼り付けて誤魔化してあったのは……」
「俺のカムフラージュだ、完璧だろう? 壁が雑巾ならもう雑巾掛けをしなくて良いんだからな、掃除が凄く効率化したはずだ」
「・・・・・・・・・・」
脱出ルートについて自慢げに語った魔王であったが、俺達はもう魔王城おそのルートを知っている。
ついでに脱走したということになっている『ネチネチ攻撃部隊』のトップも、俺達がブチ殺したことを……今は伝える必要がないか。
というか魔王の奴、勇者は真正面から、男気満載の一発勝負で来ると思っていたのであろうが、一度侵入を許しているということを知っている以上、そういう調査ぐらいはされている者だと気付いて欲しいところであった。
まぁ今更その話をしてもどうしようもないし、何かが解決に向かうわけでもない、今はともかくここから脱出することを考えて、例の扉が接続されているという非難口へと向かうのだ。
ということでもう一度、魔王の玉座の裏にある狭い階段を降りて、光る扉の手前まで辿り着く……と、玉座の裏が開いたままだ、これだとこの外へ繋がる扉に、あの物体がうっかり入って来ないとも限らない。
だがそれを閉じるには、玉座の後ろにあるレバーを捜査する必要があって……つまり、誰かがここに残ってそれをする役目を担わなくてはならない、そんなありがちな展開なのだ……
「……どうするよ?」
「……そうね……仕方ないわ、ここは責任者として私が残る、私がこの魔王城に残って、戸締りだの何だのをやってのけるわ」
「魔王! お前弱いんだから無理を……」
「いいえ勇者よ、艦長は船と運命を共にする、だったらこの魔王も、魔王城と運命を共にするしかないのよ……だからさよならっ!」
「魔王様待ってっ! あっ……行っちゃった……」
狭い階段、そう簡単に入れ替わりなど出来るわけもなく、最後尾から付いて来ていた魔王をとっさに追おうとしたマーサの手は届かない。
走り去った魔王の手によって、玉座の裏側の階段入口は完全に閉ざされてしまった、そして、この目の前の輝く扉を潜れば、もうここへ戻って来るのは容易なことではないのだ。
そもそも次に俺達がこの魔王城へ足を踏み入れるのは、きっと例の物体を全て消し去る算段が付いたタイミング、つまり相当先のこととなる。
もう魔王に会うことはないのか、俺達が再びここへ到達した際、奴は元気で出迎えてくれるのであろうか、そんなことを思ってしまう、敵であり、これから捕らえて王都を引き回そうとした相手であるにも拘らずだ。
魔王のことを真っ先に諦めた精霊様によって輝く扉が開かれ、俺達は魔王城の外へ、城下町どころではない完全な草原へと、瓶の中の副魔王、それにジェーンをつれただけの状態で出る。
ついこの間侵入に用いたのと同じようなダンボールが、城壁のゴミ集積所らしき場所に積み上げられているのが見えた。
ここは本当に最下層、地上であり、先程まで俺達が居た、魔王や大幹部らが生活しているような、美しい装飾と浮世離れした、価値の判別さえ一般人には難しい調度品が大量に置かれた場所とは、もうまるで違う空間へと来てしまったのである。
残念そうに耳をしょぼんとさせるマーサを励まし、ひとまずはここを離れ、確実に安全な場所まで移動しようと、そういうことに決まった。
そしてその移動中、ユリナが思い出したかのようにして、懐から何かの封書を取り出したのだが……これは魔王から与えられた手紙なのか……
「魔王様、一旦お部屋に戻られた際、私にこんなものを託してくれましたの、きっと悟っていたんですわ、あの状況を、自分だけは脱出することが出来ないという事実を……」
「で、ユリナに手紙を遺したってのか、どうする? ユリナが個人的に貰ったものなわけだし、ここで開くか後でコッソリ開くか、それは自分で判断して良いんだぞ」
「ええ、でもサリナも、それからマーサにも宛てたものだと思いますし、ご主人様へのコメント等もあるかも知れませんわ、だからこの場で開いて中身を読み上げますの」
「うむ、じゃあそうすると良い、マーサも聞いてやれよ」
「はーい……」
ユリナが預かっていた魔王の手紙、ユリナにだけ言葉を与えたものかとも思ったのだが、実際には最も信用出来る、というか紛失したり食べてしまったりしないであろうユリナに、他の魔族全員への言葉を記した手紙を授けた、そういう感じなのであろう。
かなり準備が良く、赤い蝋燭を垂らして閉じた上からスタンプが打ってある、貴族などがやりそうな綴じ方をした、しかし女子女子した可愛らしいデザインの封筒。
それをユリナが開くと、中からはたった1通きりの手紙と、小さな、本当に手提げ金庫にでも使うかのような鍵がひとつだけ。
もっと凄まじい、金箔を貼ったような紙に書かれた手紙が出てくると思ったのだが、書く際には急いでいたのであろうか、普通の真っ白な紙に、魔王が直筆したと思しき文字が……俺には読めない言葉で書かれていた。
この世界に来たのは魔王の方が俺よりも5年ほど先であったか、そのお陰で、というかやって来て早々に戦いを始めさせられた俺と比べて、魔王の方ではこの世界独特の、しかも魔族にしかわからないような程度の高い言語を習得する機会があったということか。
で、その内容について、いよいよそれを手に取った、託されていたユリナが読み上げる…・・・
「え~っと、『ユリナ、あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はその場には居ないのでしょう。もし目の前で読まれたら恥ずかしいので、私が居る場合には適当に誤魔化して破棄するように。それで、もちろんこの先を読むということは、私がその場に居ない、しかも離れてからそこそこの時間が経過しているものとして……』、まだまだ前置きが続きますの」
「どんだけ目の前で読まれたくねぇんだよ、ユリナ、そこは飛ばして本題の方を頼む、お前等に何を託して、俺にはどんなコメントがあるのか知りたいからな」
「はいですの、えっと、ここから……『たぶん私がカッコイイ感じで魔王城の中に取り残されたのでしょうけど、それはフェイクです、普通に別の出口から脱出して、私は逃げさせて貰います、またすぐにどこかで、一旦さようなら』……だそうですの」
「あいつ……逃げやがったのかぁぁぁっ!?」
「え? どういうことなの? 魔王様は大丈夫だったってこと?」
「そうなのよ、マーサ、魔王様は上手く演技をして、ちゃんと安全な所へ逃げたんだと思うわ、だから大丈夫」
「なぁ~んだ、なら良かったわ」
「良くねぇぇぇっ! ふざけやがってあの魔王めがっ! 絶対にとっ捕まえて痛い目に遭わせてくれるわっ!」
「まぁまぁ勇者様落ち着いて、その件は後にして、とにかく今は王都に帰ることとしましょ、たぶん色々なことが起こりすぎて凄く混乱していると思うわ」
まんまと逃げ出しやがった魔王、あの余裕はこの作戦を温めていたからであったというのか。
してやられたが、セラの言う通りこの件は後にして、まずは王都への報告を済ませるべきだ……




