982 物体の行き先
「おいっ、そんなに削っているようには思えないんだが、どうかしたのかコイツは?」
「確かに小さくなってます、そんなに攻撃が効いている感じとかないんですけど」
「うむ、カレンもそう思うか、てことはコイツ……」
「どこかにボディーの一部を逃がしている、そういうことになりそうだな」
「ジェシカちゃん、だとしたらどこへ逃がしているというのですか?」
「……ミラ殿が戦っている方は……増えていない、こっちではないな」
「あとミラ、そろそろヤバそうな感じだな、攻撃を避けられてしまっているぞ……」
俺達が戦っている小さい方の物体、それがどうも小さくなりすぎている感じと、それからミラが押さえ込んでいる方、そちらの優勢具合が目に付いてしまう状況。
どちらの物体も狙いはサリナのみであり、その放つ攻撃を読み取り、そして防御しつつボディーの一部を削り取るのは容易なのだが、それにしてもあまり芳しいとは言えない感じだ。
まずこの小さい方の、本来は削っていないはずの一部がどこへ行ってしまったのかということなのだが……この部屋には壁付近に魔力の障壁が張られ、もちろん天井にもそれがあり、通常はその外へ出ることが出来ない。
外へ出るにはその障壁の管理者である魔王か、或いは瓶の中に詰め込まれた副魔王辺りの許可が必要になるはず。
当然この物体にそんな許可は出されていないわけだし、それをスルーしてどうこうということなど可能なはずがない。
だとすればこの小さい方の物体は、俺達の知らないルートを用いてそのボディーの一部を、これまた俺達の知らない場所へとコッソリ移動させているということ。
だとすれば相当にヤバい状況だな、コイツを逃がさない、絶対にこの空間から出すべきではないという『基本』が、アッサリと破られてしまっていることになるではないか。
どこだ、どこにこの物体の一部が流出しているのだ……或いは俺達がそう感じていないというだけで、実は物体の消耗がかなり激しいもので……いや、さすがにそれはないな、敵のHPを削っている感じぐらいは、この未知なる敵が相手であっても俺達にはわかるはず……
「カレン、ちょっとアレだ、戦いながらですまないんだが、この物体がボディーをどこかに逃がしている可能性について気に掛けてくれ、ちょっとした変化とか、その行き先がわかりそうな何かを察知したら教えてくれれば良い」
「でもご主人様、私の目には何も見えないですよ、音は……周りがうるさくて聞こえないですね、足音とか、戦う音とか」
「そうか、カレンが全くわからないとなると……マーサはどうだ?」
「ん? ぜ~んぜん、それよりほら、そこチャンスよっ!」
「おっと、ナイス削り取りだぜっ! しかしカレンもマーサもコイツの異常な動きを把握出来ていないのか……後ろの連中は……言うまでもないな……」
「魔力的なアレでボディーをどこか別次元に逃がしているとか、そういう感じはありませんわよ」
「うむ、そういうことだな、つまり物理的にも魔法的にも、そういう感じのことはしていないということか……」
「そもそもこの物体、普通にそういうことを出来るような感じのアレじゃないわよ、知能とかなさそうだもの」
「それはセラちゃんに同意ね、どこかの世界に送られた異世界勇者と同等に知能が低い、いえ、皆無といった方が良いかしら」
「なんとっ、コイツと同程度の知能しか持たないような勇者が居るってのか……どこの世界か知らんが、そんな奴が派遣されて来たんじゃひとたまりもないな……」
『・・・・・・・・・・』
どういうわけか黙り込んでしまった仲間達と魔王と、それからなぜか敵の物体も一時的に沈黙した、お前は違うであろうと言ってやりたい。
しかしこの状況、俺が何か凄いことをしてしまったのか、歴史に名を残すような偉業を、無意識のうちに達成してしまったのかと不安になったが、特にそういうことではないらしいな。
皆単に黙っただけのようで、おそらくは特に意味もない、その静寂の前、最後に喋ったのがたまたま俺であったというだけのようだ。
そしてその一瞬の静かな時間が、仲間達のうち非常に耳の良い2人に対し、周囲の音を全て聞き取る時間を与えたのであった……
「ご主人様! 何か流れてますっ! チョロチョロッて!」
「うおっ⁉ ビックリしたな、カレン、隣でいきなり叫ぶもんじゃないぞ」
「だって、チョロチョロしているんです、聞こえてくるんですよ」
「……何が言いたいのかサッパリわからんのだが……マーサも同じことが言いたいんだな、うむ、別に言わなくて良いぞどうせ意味不明な解説だから」
カレンがわけのわからないことを言い、それにマーサがわけのわからない補足を入れようとしたところでストップを掛ける。
何を言ってもこの2人の説明ではまるでわからないはずだし、今ある情報だけでもう十分なのだ。
とりあえず、今の一瞬の静寂の中でカレンと、マーサに聞こえたのは謎の音、内科がチョロチョロと流れるような、そんな感じの音であるという。
誰かおもらしでもしているのか、そう思って攻撃にさらされているサリナ、幽霊などの怖い系に反応し、いつもおもらししがちなミラ、ルビア、ジェシカ、さらにはセラも念のため確認しておく。
だれも『状態異常:おもらし』にはなっていないようだ、そもそもそのような状況であれば、何かにビビッていたり、それ以外でもおもらししたことを隠すような仕草をしているはずだ。
ということはその『チョロチョロ音』の件は仲間ではないということか、すると可能性があるのは……魔王が犯人というわけでもないな。
魔王は既にパンツを自ら脱ぎ捨てているため、そしてスカートは精霊様に奪われてしまったため、そのようなことがあればすぐに判明する状態である。
一応周囲を見渡してみるものの、他にそういう感じのキャラは居ないし、これでこのチョロチョロ音の正体が誰かのおもらしであるという可能性は完全に消え去った。
考えられるのは他の要因、戦闘によって室内の、もちろん結界の中の何かが壊れ、そこから水漏れなどしているという可能性だが……
「おい魔王、ちょっと良いか?」
「何よ無能勇者、私に何か用?」
「誰が無能だボケ、天才勇者様を舐めるなよ……で、この部屋さ、どこか水漏れとかしてない? てかそういう可能性ってある?」
「……ないと思うわよ、水気ならそこのおかしな精霊とか、そのぐらいしか存在していないわ、雨も降っていないし、もし降っていたとしても魔王城はそんな気軽に水漏れするような構造じゃないわよ」
「そうか……じゃあ何なんだよ2人が聞いたというチョロチョロ音は……心霊現象かな?」
既に動き出した物体との戦いにより、今後再び静寂が訪れる可能性は極めて低く、その音の鳴る場所を今から突き止めるのは困難である。
先程までミラが1人で押さえていた『大きい方』の物体との戦いも、今ではマリエルとジェシカとが加勢し、こちらの『小さい方』との攻防もその分激しくなっているから、カレンやマーサをその音の正体の突き止めに専従させるわけにもいかない。
結局謎は謎のままか、まぁ、何かの要因でそんな音が聞こえたり聞こえなかったりということは良くあることではないか。
誰かが別の階層で大量の水を使って、それが流れる音が良い感じに響いてきただけなのかも知れないのだ。
つまりそこまで気にするほどのことでもないということであり、わざわざ指摘してくれたカレンには悪いが、ここは無視して先へ、この物体その1の完全討伐へと進むこととしよう……
「うぉぉぉりゃぁぁぁっ! 死ねやボケェェェィッ!」
「サリナちゃんを食べようとするなんて許せませんっ! やっつけますっ!」
「ねぇ、何かまた小さくなってないかしら……気のせいよね?」
「気のせいじゃないと思うが気にすんなマーサ、きっとどこか俺達のわからない、認識することが出来ない次元で消耗してんだ」
「それもそうよね、そりゃぁぁぁっ!」
当初と比べるとかなり弱体化してきた物体その1、その2の方、つまり例の馬鹿を取り込んで成長した大きい方についてはまだ何もダメージが入っていない状態であり、伸びる触腕状のものも弾くことが出来るだけで、切断には至っていないのだが、そちらは後回しで良い。
今はとにかく、マーサの全力の一撃であればそこそこのダメージが入り、サリナを喰らおうとして伸びる触腕状のものが、後方から放たれるセラの魔法や精霊様の攻撃、さらにリリィの尻尾を使った一撃でも削っていけるこちらとの戦いに注力するのだ。
コイツさえどうにかしてしまえば、完全に消滅させてしまえば、あとはもう、その2の方を一斉に襲って、同じようにダメージを、最初は微々たるものでも徐々に与えていくことが出来るのであるから。
と、もちろん油断はいけない、どんどん小さくなってしまっている物体は、表情こそないが本能的に、いやシステム的に『魔力の供給』を求め、防御を無視してその攻勢を強めているのだ。
その攻撃がターゲットであるサリナを取り込むことなどもはや不可能なのはわかるが、体のごく一部に触れられただけでもどうなってしまうかわからない。
サリナの高品質な魔力を少しでも吸収すれば、この変換効率の良い、先程の『ちょっと魔力が高いだけの雑魚上級魔族』を吸収しただけでもかなりの成長を見せた物体が、どのようなサイズにまで回復するか……いや、場合によってはさらに分裂が可能なサイズにまで巨大化してしまうかも知れないからな。
ということで守りの方はこれまで同様徹底的に、攻撃はカレンとマーサに任せて、俺は一歩下がった状態で戦うこととした。
この一であれば、万が一その2の方が、戦っている仲間を大きく飛び越えるような強攻撃を繰り出してきたりしても、俺が移動して対応してしまうことが可能なのだ……
「いけるぞっ、かなりいけているぞっ! このまま最後まで削り切るんだっ!」
「いえ、もうその必要はないです、この人……人じゃないですけど、とにかくコレ、もう勝手に萎んでいきますよ」
「……確かにそんな感じだな、だが蒸発しているような気はしなくて……どこに消えているんだろうな?」
「さぁ? わかんないけどもう放っておいて……ねぇっ! ちょっと見てよそのほらっ! 下の所!」
「下がどうしたって? この物体の下……流出してんじゃねぇかぁぁぁっ!」
「床に穴が空いていますね、あ、全部吸い込まれちゃった……」
「なんてこった、やべぇぞこれは……」
全てを察したのは前に居た俺とカレンとマーサの3人、その直後には他のメンバーも異変に気付く。
で、最初にこの光景を見たうちの2人が先程耳にしたというチョロチョロと流れるような音、その正体がわかってしまったのだ。
音はこの物体、攻撃によって受けたダメージで消滅する分よりも、遥かに高い割合で消滅していたと思われた物体の一部が、どういうわけか床に空いた穴から、階下へと零れ出してしまっている音であったということである。
つまり、俺達が最も危惧していた『物体を障壁の外へ逃がす』という行為が、知らない間にそこそこの勢いで行われていた、それが物体の極小化とともに明るみに出て……今、残った部分が全てその穴に吸い込まれてしまったのだ。
当初のサイズのうちどの程度が、その穴を伝って下へ、魔王城の下層へと送られてしまったのかはわからない、今となっては計測のしようがない。
だがそこまで少ない量ではないし、そもそも千切れた小さな破片であったとしても、それはそこらの雑魚魔族など簡単に吸収し、その魔力的な養分として取り込んでしまうほどに強力なものである。
もちろん流出分はそんな『破片』程度の量ではないわけだし、これは相当に厄介なことになっていそうな気がしなくもないのだが……
「……これは……魔王のせいだよなさすがに?」
「ちょっとっ! 床に穴が空いた事故じゃないのそんなのっ! どうしてそんなところまで私が責任を負わなくちゃならないわけ? 穴を空ける原因となった傷は誰が作ったのかわからないわよね?」
「いやだってよ、どう考えてもここは『部屋全体に』障壁が張られている場面じゃねぇかっ、それをサボりやがって、そのせいでこうなったんだ、お前マジで覚悟しとけよっ!」
「イィーッだ! 絶対に私のせいじゃないもんっ!」
「ガキかお前はっ!」
「主殿、魔王と喧嘩している暇ではないぞっ! こっちの大きい方、物体その2の方をまずどうにかしないとっ!」
「おっとそうだったそうだった、この件は一旦忘れよう、そしてもう思い出さないこととしよう、うんそうしようそうしよう」
「それはさすがにヤバいと思いますわよ……」
とんでもない事態を巻き起こしてしまったのは魔王、責任は全てこの部屋の防御を怠った魔王にある。
それは決定事項として、まず俺達は残りの敵、『物体その2(大きい方)』への対処をしなくてはならないのだ。
既に疲れ果てているミラとジェシカ、装備がそこまで重たいものではないマリエルはもう少し戦えそうだが、そもそもこちらについては防戦一方であり、敵がまだ完全な状態である。
それどころか、乱入したうぇ~いの馬鹿魔族を喰らったことによって、物体その1よりも遥かに高い防御力を持ったものなのだ。
きっとすぐには討伐することが出来ないであろう、その間も漏れ出した物体がこの魔王城の下層で暴れ、勢力を拡大していくことは確実。
魔族で魔王軍所属とはいえ、可愛い女の子キャラが犠牲にならないと良いのだが……今のうちに避難警報を出させておくべきか?
「魔王、ちょっとひとつ頼まれてくれ、いや命ずる」
「何を偉そうにしてんのよ? それで、この状況で私にどうしろというの? あんなのの餌になるのは絶対にイヤよ」
「そうじゃない、魔王の権限をもって、この魔王城内に居る『可愛い女の子』だけをどうにか脱出させるんだ、被害が出てからでは遅いからな」
「……可愛い女の子以外はどうするわけ? その連中がより一層被害に遭うだけだと思うんだけど」
「野郎の死など被害とは言わない、というか死んで当然だろう気持ち悪いおっさん魔族とか」
「なかなかに酷い発言ね、差別的でかつ自分もそのうちにおっさんの仲間入りするということを全く踏まえていないわ……でもとにかく、アレの勢力をこれ以上拡大させるのはダメね、わかったわ、ここは協力してあげる」
「協力してあげる、じゃねぇよ、服従しやがれこの敗者めがっ! 尻に一撃を喰らえっ!」
「ひにゃぁぁぁっ!」
パンツもスカートもないというのに、そのままの状態で油断し切っていた魔王、その尻に初めての一撃を喰らわせてやる。
同時にサッサと命令を遂行するよう脅しを掛け、そして俺の方は戦闘が継続していることをふと思い出して戦線に復帰した。
今度の敵にはまるでダメージが入らないようで、仲間達はそこそこに苦戦している様子だな。
俺はそこまで攻撃力も素早さも防御力も賢さも、あと魔力と体力も高くないため、サリナを守る側に注力しておこう。
今のところ魔法はまるで効いていないようだし、精霊様の攻撃もツルツルといった感じで弾かれ、まるで通っていない印象だ。
一方、物理攻撃は……マーサの攻撃のみ僅かに通っているな、ミラやカレン、ジェシカにマリエルの放つ攻撃は、魔法攻撃と同様に全くの無効……いや、少しずつではあるが、一撃の重いマリエルとジェシカのものも通り始めたか……
「クッ、かなり硬いな、いや柔らかいが、非常に硬いぞ、凄い防御力だ」
「ジェシカちゃん、意味不明になっていますよ、それだとまるで勇者様です」
「おいマリエル、俺のどこが意味不明なのか言ってみろ」
「色々ですね、というか『大半』と表現するのがベストかと……プププッ……」
「笑ってんじゃねぇっ! カンチョーを喰らえっ!」
「はうぁぁぁっ! 戦闘中にカンチョーはやめて下さいぃぃぃっ!」
「フンッ、悪は潰えたな」
「……あんた達、いつもこんな風にして遊びながら戦っているわけ?」
「いえ、遊んでいるのはご主人様だけですの、他は至って真面目でして」
「そうには見えないわねぇ……」
まさかの魔王如きに呆れられてしまったではないか、これまで俺達が受けてきた魔王軍からの攻撃や迎撃、それらが大変ふざけたものであったため、俺達も自然にふざけるようになってしまったというのに。
だがまぁ、俺達に実質敗北した今の魔王に何を言われても、特に悔しいとも何とも思うことはない。
もちろん今回のディスりについては、後程調子に乗った仲間達と共に罰してやるつもりだが、今はそれどころではないのだ。
徐々にダメージが入り始めた物体その2は、やはり物体その1と同様、どんどん防御を棄てて攻撃に、栄養補給の方に走り始める。
そうなると俺達防御組は大変だ、特に今は俺達側の攻撃が戦闘の主体となっているため、そこに本来防御を担うはずの人員が割かれ、俺の負担が増してしまっているのだ。
それでも俺は飛んでくる、そしてサリナを狙ってくる攻撃に対し、かなり良い感じで聖棒を当て、その触腕状の部分を討伐可能な千切れた破片に変えていく。
ユリナも、そして残った炎の力を限界まで振り絞ってそのサポートをこなすリリィも、かなり限界が近いようだが……ここでやはり、破片のひとつを取り逃してしまった。
蠢き、本体と同じ感じのまま攻撃を繰り出そうとする破片、こちらの攻撃の余波で吹っ飛びつつではあるが、その小さなボディーを限界まで伸ばして……そのまま床の穴に吸い込まれてしまったではないか。
やってしまった感を顔から滲み出させるユリナと、こんな状況に置かれているというのに、そして疲れ切っているというのにホールインワンを素直に喜ぶリリィ。
こんな現象が何度も続いてしまうようではアレだ、相当にやべぇことになってしまう。
とにかくそれを防ぎつつ、徐々に小型化している物体その2を消滅させなくてはならない……




