924 暴走中
「お~いっ、皆大丈夫か~っ?」
「あらっ、勇者様が帰って来たわよ」
「もう諦めて王都から逃げ出そうとか、そういうノリなんですわね」
「勇者様ならそんなことを考えてもおかしくありません、どうにか引き止めて戦うように促しましょう」
「いや、お前等もう丸聞こえなんだが……」
マトンから預かった魔法薬、というか魔導駆虫薬という感じのモノを、王都北門付近、外側で待機している仲間達に手渡すために走った俺とルビア、ジェシカの3人。
何か勘違いをされてしまっているようだが、とにかくそうではない、この勇者様たる俺様が戦線を放棄し、逃げ出すでも思ったのかと、王都内でくっついてきたダニやノミなどをピンピン飛ばしつつ主張してやる。
で、ようやく皆が俺達の行動の理由をわかってくれたところで、早速最大ダメージのマーサに対し、マトンから預かったクスリを使おうと試みるのだが……何やら瓶の蓋を開けた時点で拒否気味のようだな……
「どうしたマーサ、これを全身に振り掛けないと、そのままずっと痒い痒い言いながら、誰かが地道にそのノミとかを取ってくれるまで待たなくちゃなんだぞ」
「イヤよそんなのぉ~っ、でもそれ臭いし、あとあんたのその格好ちょっと恐いし、とにかくヤダ」
「ワガママな奴だな、マリエル、ちょっとマーサを押さえるんだ、ちなみに次はカレンだからな……って、カレンはどうした? 今まで居たと思ったんだが……」
「勇者様がその瓶の蓋を開けた3秒後に逃げ出したわよ、ほら、あそこの丘の影から様子を見ているわ」
「カレンもダメなのかよ、てかコレそんなに臭っせぇのか? バトルスーツを着ているとわからんのだが」
「え~っとね、とりあえずそれね、肥溜めを2万年間熟成したような、そんな感じの臭いがするわよ、とてもこの世のものとは思えないの」
「……マトンめ、なんてモノを渡しやがったんだ、これじゃあ……やっぱ他の皆もイヤだよな普通に」
全力で首を横に振る他の仲間達、さすがに肥溜めを2万年間熟成したような香りの魔法薬を、全身に振り掛け、さらに擦り込んで馴染ませるということはしたくないらしい。
だがコレを使わない限り、ひたすらに痒い時間が継続するのみであり、もちろん誰にもそれを解消してやることなど出来ないのである。
誰か、誰か1人でも勇気を出してこのヤバそうなクスリを用いてくれないか、そう思ったところで、これまで話に参加していなかった、というかその場に居なかった女が、遥か上空からこちらへ向かっているのがわかった……
「あらあら、皆こんな所に避難していたのね、あのね、一応黒雲みたいになったダニ、ノミ、シラミが落ち切ったから、それだけ報告しておくわ……で、何この臭い、誰が2万年間熟成された肥溜めに落ちたのかしら?」
「確保!」
『ウォォォッ!』
「えっ? ちょっとなっ、イヤァァァッ!」
副魔王による攻撃のメインである『黒雲』、それが消える、というか地面に落ちきるまでの間、高空でやり過ごしていたらしい精霊様はもちろんノーダメージ。
最初の段階で自分だけ逃走したのだ、他の仲間達が次々にやられていくということを知っていながら、何ら対策を取ることなく、保身に走ったどころか飛んだのである。
全員に飛び掛られ、取り押さえられた精霊様は、ジタバタと抵抗するが本気にはなれない。
ここで全員を弾き飛ばして逃げる、そこまでする程度にはヤバいことにならないであろうと踏んでいるのだ。
だがその精霊様の様子を見ていて何か気付くこと……ダニ、ノミ、シラミなどなどの影響を一切受けていないではないか。
最初の段階では飛んで逃げたためセーフであったろうが、今はその奴等に冒された仲間達のすぐ近くに居て、むしろそれと接触しているのだ。
当然無事で済むようなことはないし、いくら精霊様とて、元々の力でダニだのノミだのシラミだのを弾き返すなど不可能、というか、不可能だからこそ逃げ出したのである。
しかしその精霊様、現状では全てを跳ね返して……と、バトルスーツのせいで良くわからなかったのだが、どうも精霊様、体表に水のようなものを纏っている、というかコーティングしている感じだな。
これに何か秘密があるのはもう間違いない、ひとまず尻を丸出しにして、引っ叩きながら問い詰めていくこととしよう……
「ひぃぃぃっ、ちょっと、やめなさいってばこんな外でっ」
「ダメだ、反省して、それからどうして精霊様だけダニ、ノミ、シラミの影響を受けないのか、その秘密を喋りつつ、俺達にも同じものを提供するまで尻叩きだっ、はい始めっ!」
「ひぎぃぃぃっ! 痛いっ、ごめんなさいぃぃぃっ!」
皆で押さえ付け、丸出しになった精霊様の尻を交代で引っ叩いていくのだが、その際にもやはり何かがそこへ移ったりとか、そういうことはしないようだ。
逆に、精霊様の素肌に触れた部分、およびその周辺については、その厄介な連中も全て死に晒し、ノミだのダニだのに刺されて腫れていた仲間達の患部も癒えていく。
これはもう精霊様の体表面、そこをコーティングしている水に秘密があると見て間違いなさそうだな。
もちろんお仕置きが優先だが、それが終わり次第その話に、それを聞き出すための拷問に移行することとしよう。
「オラッ! どうだっ! 参ったかっ!」
「ひぎぃぃぃっ! はっ、反省しましたので許して下さい……」
「よろしい、ではもう二度と勝手に、仲間を置き去りにしてとんずらなどしないように、良いな?」
「えっと、それは約束しかねるというか……ぎゃいんっ! 女神の奴だって逃げたのにっ」
「あ、そういえば奴も見かけないな、まぁ良いや、ところで精霊様……何かダニ、ノミ、シラミ対策してる?」
「当然しているわよ、じゃないとこんな所、危なっかしくて降りて来ることなんて出来ないわ」
「うむそうか、やっぱそうだよな」
「それで精霊様、どのような対策をしているんですか? お金で解決出来そうな感じのやり方ですか?」
「お金じゃ無理よ、というか、この私でもここまでコーティングするのに1時間は掛かったわね、この『聖水』を頑張って精製して……」
『聖水?』
いきなりそれらしきアイテムの名前が飛び出したではないか、聖水といえば、魔物だのゾンビだの、そういったものに対して効果のある、体に振り掛ければそれらと遭遇しなくなる類のアイテムだ。
もちろん敵に投げ付けることでも効果を発揮し、なかなかダメージを与えられないあのメタルな奴等に対しても有効という、実は隠れた名品なのである。
そんな『聖水』を、水の精霊様であるこの精霊様が、必死になって精製していたということは、もう少しだけ頑張らせれば、その量をもっと増やし、少なくともパーティー全体に行き渡るようにすることが出来るのではなかろうか。
もちろんそこまで、パーティー全員が、さらには関係者までもが『聖水コーティング』を得るまでに、それなりに時間は要するのであろうが、『2万年熟成した肥溜め味』の魔法薬を用いるよりは、もう少しだけ我慢した方がマシであろう。
マーサも、他にかなり喰らっているミラやアイリスも、そしてダメージは受けていないが逃げ出していたカレンもそのつもりらしいし……と、どちらでも良いと表明しているのはリリィだけか、あの臭そうなアイテムを使うつもりなのであろうか、もちろん使わせはしないし、悪戯用にキープさせたりもしないつもりだ。
で、そんなリリィはさておき、未だに押さえ付けたままの精霊様に対し、ひとまずその『聖水』の精製を再開するよう要請してみる……
「どうだ精霊様、いけそうか? いけるのか? んっ?」
「いえ、この格好じゃ無理よ絶対に、まず集中して、凄く頑張って聖水の純度を上げていかないとならないんだもの」
「そうか、じゃあ頑張ってくれ、ほら起き上がって、逃げたら承知しないからな、尻叩き5万回のうえ1週間夕飯抜きだ」
「わかったわよ、じゃあまずここに……そうだわ、他の皆も力を集めて、多少はプラスになるかも知れないわ」
そういう精霊様に対し、俺以外の仲間は魔力だの何だのを、そして俺は勇者的な力を、精霊様が目の前に出した、人の頭程度の大きさの水の塊へと注ぎ込む。
こうやって水を浄化し、最後は精霊様が持つ、あの馬鹿女神ほどではないが『比較的聖なる力』を注ぎ込み、聖水を完成させるというのだ。
で、今はその浄化の段階、そこらじゅうから掻き集めた水に含まれている物理的な不純物や、魔導的に邪魔をするような地亜kらなどを排除していく。
もっとも、その水の変化が俺達の目に見えているとかそういうわけではなく、精霊様がこれで良いというのに従い、何ら変化がないように思える水の固まりに力を注ぎ込んでいるのであった。
「……良いわよ……うん、こんなももかしら、はいストップ、ここからは私の力で……ふぬぬぬっ!」
「えっと、聖水ってそんなにキバらないと出来ないのか? むしろ『黄金』が出そうなキバり方だぞそれは」
「ちょっと勇者様! おかしなこと言ってないで黙ってなさいっ!」
「へ、へい……しかし『精霊様の黄金』か……これは変態の人達に高くうれろぺぽっ!」
「そこで死んでいなさいっ!」
「かぺ、かぺぺぺ……」
聖水ではなく黄金に言及していたところ、セラによってボコられ、地面にめり込んでしまった。
幸いにもバトルスーツが破けたりはしなかったのだが、このままでは精霊様が黄金を……やめよう、これ以上埋められると駄王のようになってしまう。
で、キバっていた精霊様は黄金ではなく、キッチリ聖水の方を完成させたご様子、もちろん見えているのは単なる水の塊であって、どことなく神々しく、凄まじいオーラを放っていること以外はいたって普通、どこにでもある通常の水である。
そして精霊様は周囲を見渡し、もちろん最もダニ、ノミ、シラミの影響を受けているマーサに近付き、まずは敷かれたシートの上に、うつ伏せに寝転がるよう指示した……
「うぅっ、痒い痒いっ、何するか知らないけど早くしてよねっ」
「ちょっと落ち着きなさい、まずこの聖水を良い感じに捏ねて……尻尾にポンッ!」
「ひゃっ、ちべたい……けど気持ち良いぃ~っ……」
「そのまま背中にもいくわよ、全身に、隈なく広げないとダメなのよねこれ、こんな感じにっ!」
「ひぎぃぃぃっ! 肩こりも治りそうっ!」
まるで温泉施設にて受けるマッサージ、そのオイルだとか何だとかが、まさかの聖水に置き換わっているような、そんな光景である。
マーサの次はミラが、そしてアイリスが、それぞれその『大精霊式聖水マッサージ』を受け、全身をその聖なる力で、ダニ、ノミ、シラミを寄せ付けない凄まじい清浄さでコーティングされていく。
この聖水によるコーティングの良いところは、先程マトンに貰ったヤバそうなクスリとは違い、肥溜めを2万年熟成したような芳醇な香りが漂ってこないことだ。
俺も順番を待って大精霊式のマッサージを受け、もはやバトルスーツなど着用しなくとも、王都の中のダニ、ノミ、シラミを一切弾き返す、そんな状態を獲得したのであった。
これなら10時間以上はコーティングが継続しそうだな、多少不思議な感覚ではあるが、バトルスーツを着ているよりは幾分かマシである。
精霊様にはそのまま聖水を作らせ続け、ある程度まとまった量になったら関係者に、そしてさらに時間を掛けて、圧倒的な分量を精製させた後に、王都民に対して配布……いや、有料で販売しよう……
「ご主人様、その肥溜めみたいな臭いがするというクスリ、余っちゃいましたね」
「だな、マトンにも当然こっちの聖水を使わせることになるだろうし、コレ、どうしようかな、てかバトルスーツ越しじゃないと相当に臭いのがわかるな、こんなもの平気で使う奴は……リリィ、あげないからな」
「大丈夫です、何かもう要りません、投げるときに手が臭くなりそうだと思ったら興味がなくなりました」
「やっぱ投げるつもりだったのか、しかしコレ……駄王にでも飲ませてみようぜ、それか研究所の適当なハゲとか、そういう奴の頭に擦り込むんだ、頭から何か生えるかも知れないぞ」
「とんでもないモンスターが誕生しそうな、そんな予感しかしないんですが……」
とにかく、精霊様はその辺にあったトタンのようなものの上に座らせ、それを俺と助かったマーサが前後で持って運ぶ。
もちろん移動している間に何もしていないわけにはいかないためだ、常に聖水を創り出し続ける必要がある精霊様は、屋敷に着いてまともなリヤカーを確保するまでの間、このスタイルで運んで行くしかないのである。
で、その他のメンバーは一部が屋敷へ戻り、一部が王都内を移動して、『たかし』が生産されている研究所へと向かうことが決まった。
俺とマーサ、精霊様に、それからマリエルとジェシカもそちらへ、つまり王都内を移動する側に組み込まれ、最後にダニ、ノミ、シラミを吹き飛ばすために、セラが抜擢されてパーティーが半分に分かれる。
今はどんな状況に置かれたとしても、精霊様の聖水のお陰で何らダメージを受けない、ダニ、ノミ、シラミの全てを弾き返すことが出来るのだが、それでもやはり奴等が、まるで埃のように舞い、地面に降り積もっている場所を歩くのはキモいのだ。
よってある程度はそれを吹き飛ばしつつ、それによって精霊様も集中して聖水の精製を行えるよう取り計らうのである……
「よしっ、じゃあ他の皆は一応地下へ、で、この聖水の余りはシルビアさんと、それから地下牢の連中に使用してやってくれ、もしかわいそうだと思ったらで大丈夫だが、うむ、ユリナに任せておこう」
「わかりましたの、じゃあ気を付けていってらっしゃいですの」
「それと、ここまでの道中で完成した分の聖水も置いて行くわ、ほんのちょっとだけど、じゃあ出発、GOよっ!」
『うぇ~いっ!』
リヤカーに精霊様を乗せ、先頭に立ったセラが露払い、ではなくダニ払いをしつつ前進する。
最初にバトルスーツを着込み、必死になって王宮を目指した際とは違い、実に快適な感じだ。
進むスピードも速く、あっという間に研究所の近くへ辿り着いた俺達は、そこでとんでもない光景を目の当たりにしてしまった……たかしが、無尽蔵とも思えるほどのたかしが、研究所の入口から列を成して歩み出ているではないか。
周囲にはウ○コのような見た目のカートリッジを持っていたはずの研究所員が、その持っていた分を全て奪い尽くされ、地面に倒れ付している……きっと散布された薬剤をモロに吸い込んだのであろうな、インテリノやマトンの姿が見えないが、2人はどこだ?
「マーサ、ちょっとアレだ、この状況はトラブル臭がする、マトンか、それかインテリノの居場所がわかれば教えてくれ」
「えっと……たぶんあっち、今ちょっとだけ動いたから、あんた達がさっきまで着ていたバトルスーツ? みたいなのを装備した2人で、片方は子どもね」
「となればもう間違いないな、建物の横の倉庫に隠れたのか、何があったんだ一体?」
「主殿、ここは私達もそちらへ行くべきだと思うぞ、見ろ、そこら中のたかしが強攻撃を出しまくっているからな、あの動きは確実におかしい」
「だな、敵に操られているとかそういう感じはしないが、ちょっと正常には見えないもんな、研究所員も巻き込んでしまっているし、とにかく急ごうっ」
自律型の人型魔導兵器であるたかしに興味津々なご様子の精霊様はリヤカーに乗せたまま、ひとまずマトンとインテリノが隠れているらしい、研究所建物付属の小さな倉庫へと向かう。
ガラッとその戸を開けると、中で息を潜めていた2人は一瞬だけギョッとし、そしてやって来たのが俺達だとわかると、一転してホッとしたような顔をする。
この場で、特にたかしがどうなってこの状況となったのか、まずその説明を受けることとしよう……
「えっとですね、DDTが、たかしが、命令もしていないのに勝手に自分達の増産を……しかも強攻撃の頻度も16分の1程度まで上がっているようで……もう反乱なのかも知れません、今のところは一応ダニ、ノミ、シラミを退治しているようですが、その……」
「見境がなくなっている様子だな、というか研究所員を巻き込みすぎだ」
「そうなんですよ、もしかしたらこのまま暴走して、研究所内ではたかしがたかしを造って、そのたかしがまた……というような感じになりそうです」
「やべぇな、全ての王都民があのたかしに置き換わったらとんでもないことだぞ」
「ええ、おそらくは破滅です」
単に屁をこきまくり、それによってダニやノミ、シラミなどを撲滅する魔導ガスを散布するだけの存在であったたかし、本来は実にショボい存在なのである。
もちろん思考回路はどこからか持って来た古の魔導AIチップなのであろうが、そのようなものが反乱を起こしたり、勝手に自分達を増産したりするなどといった話を聞いたことはない。
しかも一部は勝手にリヤカーをどこからともなく持ち出し、それを二輪に改造して大幅な移動を試みているではないか。
さながら暴走族、いやもっと性質の悪い連中に成り果ててしまったたかしおよびその同じ形状の何か達。
ダニ、ノミ、シラミも厄介だが、それが消え去った後は、このたかしが厄介者として王都に残るのは確実。
今のうちにコレをどうにかする算段を……というか、次から次へと余計なトラブルに見舞われているような気がするのだが……とにかくどうにかしなくてはならない。
マトンとインテリノをその隠れていた倉庫から連れ出し、研究所へは裏口、量産たかし共が用いていない方の出入口から入り込む。
中で何が行われているのか、まずはそれをキッチリと把握し、この状況をどうにかするための作戦を立てる、そのための情報源とするのだ……




