88 薄汚いドブの底から
「絶対にイヤよ、この水の大精霊様がこんな汚水の雨の中に出て行くなんて!」
「精霊様はダメと、リリィは?」
「私もイヤですよ、これが口に入ったら大好きなお肉の味がわからなくなります」
「ふむ、空を飛べる2人が行けないなら雨が止むまで待とう」
今のところ、空から降って来る薄汚い汚泥の雨に対抗する手段はない。
リリィも精霊様もさすがにこの状況で表に出るのは拒否、一応飛ぶことが出来るゴンザレスも、雲の上まで行くことは難しいそうだ。
「ご主人様、このままだと屋敷の方が心配ですね、近いからそっちにもこの雨が降っているでしょうし」
「それはさすがに業者の仕事だな、俺達だけで片付けるのは無理だ、諦めよう」
「あうぅ…温泉がダメになってしまう」
「ルビア、ここの室内風呂は無事なんだぞ、屋敷が何とかなるまではこっちに入れば良いじゃないか」
「あ、それもそうですね、もう気にしないことにします」
切替が早くて何よりである。
しかしいつになったらこの雨は止むんだろうな、このままだとカジノの売上に多大なる影響を及ぼすぞ。
汚泥の雨は一向に止む気配が無い。
それどころか益々強く、激しい音を立てて窓に叩きつけられ始める。
「おいおい、このままじゃ王都が汚泥の海になってしまうぞ」
「大丈夫ですわよ、この感じだともうすぐ止みますの、この技は最後の方で一気に強くなる特徴がありましてよ」
ユリナ曰く、この雨の元となっている雲の上で戦わされている汚泥の魔物の強さが上がっているそうだ。
魔物同士の勝負が進み、今は残った実力者同士の勝負に負け、粉々になった比較的強い奴が激しく降り注いでいるのだという。
なるほど、全く意味がわからない。
「あ、ほら、ラストアタックが来ますわよ」
ユリナがそう言うと同時に、ドンッという音が響き渡った。
汚泥の魔物界で最強の者が決まり、破れたナンバー2が不潔な雨となってカジノの建物に降り注いだのである。
「おう勇者殿、音がしなくなったようだ、ちょっと俺が外を見てくる」
「気を付けろよ……などとあんたに言っても意味は無さそうだな」
颯爽と出て行ったゴンザレス、しばらくすると、穿いていたカーキ色のズボンを真っ黒に染め上げて帰って来た。
「ハッハッハァ! 見ろこれを、ここは少し窪んだ土地だからな、腰の辺りまで深さのあるドブになっているぞ!」
「わかった、臭いからそれ以上近寄らないでくれ、で、毒は無さそうなのか?」
「いや、かなりの猛毒だぞ、だがかえって免疫が付く!」
そんなはずがない、むしろゴンザレスですら猛毒だと主張するレベルのものである。
普通の人間が浴びたらただでは済まないであろう。
そのときちょうど、球戯機械コーナーで磁石を使って不正をしているババァを見付けた。
あいつを使って実験してみよう。
ババァを捕まえ、汚泥の中に放り込む。
悲鳴が上がり、あっという間に服を着た骸骨に変化してしまったではないか。
まぁ、そんなところですよね……
「おう、何だあの老婆は? あの程度で死ぬとはさすがに貧弱すぎるぞ」
「違う、おそらくあっちが正常だ、異常なのは筋肉団の方だぞ」
休憩中の筋肉団員は皆、汚泥を顔に塗り付けて迷彩を作り、特殊部隊ごっこをして遊んでいる。
だが誰一人として体が溶けてしまう様子はない、何かが狂っているようだ。
「しかしこれはどうしたら良いんだろうか? ユリナ、敵の狙いは何だというのだ?」
「おそらくここから汚泥の魔物の中で最強の座を勝ち取った奴が出て来るはずですわ、狙いはご主人様が居るここのはずですの」
なぜ人畜無害勇者の俺なんかを狙うんでしょうね、駄王を狙いなさいよ駄王をっ!
「あ、ご主人様、あっちに何か気配がありますよ!」
「うん、あれだろうな、凄まじい敵意だぞ……そんなに強くはないようだがな、でもカレン、ばっちいから出て行っちゃダメだぞ」
「言われなくても絶対に行きませんよ、あんな所……」
カジノホールの正面入り口から30mぐらい先の汚泥がボコボコと泡を立て、次第に盛り上がってくる。
その隆起した部分に目が出来、そして口が出来た。
いよいよ敵の本体が……え? それで終わりなんですか?
『ワレハオデイノマモノ、キサマラヲコロシニキタ』
「おいお前、もっと人型になるとか、あるいは出て来て空飛ぶとかさ、そういうの無いわけ? ただ山みたいに盛り上がっているだけじゃないか、どうしてそんなに地味なの?」
『……ウルサイ、シネ』
「ハイ残念でしたぁ~っ! 言い返せなくなって馬鹿とか死ねとか言った方が負けなんだよ、とっとと土に還りやがれこの不潔モンスターが」
「その理論だと主殿は大体の口喧嘩に負けているような気がするのだが……」
「おいジェシカ、うるさいぞ馬鹿がっ!」
『キサマラ、ハヤク、ハヤクシネ』
「おい、敵さんどうやらせっかちみたいだぞ、ちなみにユリナ、あれは殺しても構わないんだよな?」
「大丈夫ですわよ、元々人間だったみたいな鬱設定は隠れていなくてよ」
「わかった、ちなみにマーサの親戚とか幼馴染でもないよな?」
「どう考えたら私があんなのの関係者だと思うわけよ、知らない奴だから殺して良いわよ」
「そうか、ちょっと雰囲気が似ているかなと思ってな、リリィ、焼いて良いぞ」
雑魚キャラに対してはリリィのブレスが安定である。
汚泥の魔物はその形のまま、完成した土器のようにカッチカチに焼きあがった。
「これで終わりか?」
「いいえ、まだ周囲から潤いを取り戻して復活しますわよ、汚泥が無くなるまで地道に焼いていくしかなさそうですわね」
さすがにそれは面倒だ、というか無理だ。
ちょっとした窪地とはいえ、この周囲にはかなりの量の汚泥が溜まっているからな。
いくらリリィでもスタミナ切れ必至だぞ。
「精霊様、一旦この当たりに溜まっている泥をどこかへ押し流せないか?」
「それを早くやりたかったわ、臭くて敵わないのよ、このままだと鼻が肥溜めになってしまいそうだわ」
精霊様が勢いよく出した水の力により、カジノ周辺に溜まっていた汚泥はそのほとんどが洗い流され、周囲の道や草原に散った。
ここでもう一度リリィのブレスを放つ……
ダメだ、よく考えたら敵が失っているのは水分だけである。
汚泥がなくなったとはいえ水は残っているからな、また吸収してしまえば元通りだ。
『ツギハオレノターンダ、コイツヲクラエッ!』
汚いっ! 汚泥の魔物がその体の一部を飛ばしてくる、万が一肌に張り付くと溶かされるからな、セラの風防と精霊様の水壁を2重にし、万全の体制でそれを受け止める。
「おい……あいつ僅かに小さくなっていないか?」
「そのようですわね、まぁ自分の体を千切って飛ばしたんですもの、当然の結果ですのよ」
汚泥の魔物は、今飛ばして失った体の一部を周囲の泥で代替しようとする。
だがそこにはもうほとんど泥が無い、全く無いということではないものの、精霊様の出した水によってかなり薄まっているのだ。
もはや汚泥というよりかは泥水といったところである。
それを勢いよく吸い上げた魔物、ちょっぴり薄くなってしまった。
「あいつ相当馬鹿なんだろうな、自分が薄まっていることに気付いていないらしいぞ」
「所詮は魔物ですもの、知能なんてその程度ですわよ」
もう一度リリィのブレスを浴びせてやる。
水分含有量が多くなりすぎた汚泥の魔物は、焼成の課程でヒビが入り、脆くも崩れ去った。
「お、魔物だからコアが出るんだな、じゃんけんで負けた奴が取りに行くことにしようぜ!」
パーティーメンバー全員に拒否されてしまった、確かにあれを回収しに行くのはちょっとリスキーだ、諦めよう……
「ご主人様、魔物はもう良さそうですが、この泥水じゃここから出られませんよ、ドブ臭いし最悪です」
「何だ、ルビアはどうしても屋敷に帰りたい理由とかあるのか? 無いならしばらくここに滞在すれば良いじゃないか」
「うぅ~っ! 今日は夜には帰れると思っていたのでエッチな本を持って来ていないんですよ!」
かなりどうでも良い理由である、コイツのために苦労して屋敷を目指す必要は一切無いということが良くわかった。
しかし水が引くまで最低でも2日は掛かりそうな感じだな。
というかここはかなり水捌けの悪い土地のようだ、元々池とか沼だったんじゃないか?
地震で液状化しても知らないぞ。
「おう勇者殿、お疲れさん、俺達はこれから泳いでここを脱出する、王都で救助要請を出そうと思うが勇者パーティーも一緒に行くか?」
「いや、俺達はここの守りを固めておくよ、ついでに今夜の食糧支援も頼む、もしかしたらここにある分だけじゃ足りないかもだからな」
「おう、では行って来る!」
筋肉団の面々はバタフライで泳いで行ってしまった。
どうしてわざわざ一番疲れる泳法を選択するのであろうか?
「ねぇ、私達は今日ここに泊まるのよね? だったらスタッフの子にも普通の部屋を使わせてあげても良い?」
「構わんぞ、2階に使っていない大部屋があったはずだ、そこに宿泊施設の布団を持ち込んで寝させよう、食事もちゃんと出すぞ」
「ありがと、で、今居るお客はどうするの?」
「どうせ知らない奴等だし、放っておけば良いだろ、金があるなら居酒屋や食堂で何か食べるだろうし、有り金全部スッてしまった馬鹿は我慢するべきだろう」
居酒屋も宿泊施設も通常通り営業することとした、VIPルームは俺達が、そして大部屋1つは貴族家の奴隷達が使うが、それ以外は客に解放する。
もちろん全て有料だから、料金を負担できるかどうかは客側の問題だ。
そういうことに決め、とりあえず部屋でまったりしていると、お困り顔のマリエルが入ってくる。
トラブルのようだ。
「勇者様、部屋を借りることが出来なかったお客が暴れていますよ」
「放っておけ、一番安い雑魚寝部屋は銅貨1枚のところを半額の鉄貨5枚にしたんだ、それすら払えないというのなら地べたで寝るべきだろうよ」
鉄貨5枚、俺が元居た世界の通貨に換算すると500円程度だ。
それが払えない客というのは、おそらく俺達が戦っている間も散財を続け、スカンピンになったということであろう。
汚泥の雨が影響して帰れなくなるかも知れない、ということが判断出来なかったはずはない。
それでも財布の中身を使い切ってしまうような連中は救済の余地ナシといえよう。
「ご主人様、お風呂が沸きましたよ、ご飯の前に入ってしまいましょう」
「そうだな、先に風呂……敵が来たようだな、カレン、ちょっと外に出てみようか」
「わかりました、汚い奴じゃないと良いんですが……」
「今回はあまり期待しないでおくべきだぞ」
カレンと、それから横に居たルビアも連れて外に出る。
精霊様は既に気が付いていたようで、入り口の扉の所で仁王立ちしていた。
「遅かったじゃない、何か出てくるみたいよ」
「ああ、また汚泥の魔物かな? ちょっと違うような気もするが、どうせまた変な奴だろう」
先程の魔物と同様、泥の中から出てくるようだ。
今度は水っぽくなっているから盛り上がることは出来ないだろうが……
今度はちゃんと人型のが出て来た、肌の白い子供か?
いや、小さいおじさんである、全身真っ白、白ブリーフのおじさんである。
またしても気持ち悪いな、どっかのホラー映画から転移してきたのか?
泥水の中から現れた真っ白おじさんがこちらに泳いで来る、もちろんバタフライだ……
「ルビア、皆を集めて来るんだ、アレ、どうやら魔将補佐みたいだぞ」
「また気色の悪いのが出現しましたね……とりあえず呼んで来ます」
「じゃあ、私はアイツが近付いて来ないように水流を作って妨害するわ」
精霊様が泥水に流れを作る、バタフライの真っ白おじさんは、その流れには逆らっているものの大幅に進行速度を落とした。
きっと皆が来るまでここに到達することはないであろう。
「ご主人様、皆を呼んで来ましたよ、マーサちゃんだけは面倒だからパスとのことでした」
マーサめ、敵が来ているというのに面倒とかどういうことだ?
……もしかするとあの敵は相当に関わりたくない奴なのかも知れんな。
水流に逆らい、徐々に近付いてくる白いおっさん。
最後の最後で進まなくなり、泳法をクロールに変更してきやがる。
息継ぎがキモい!
「来るぞっ! 何かヤバそうだから全員建物の中に入るんだ、少し距離を取って中で戦おう」
俺達は一斉に後ろに下がり、ホールの端で戦闘の構えを取る。
敵は躊躇することなく建物の中に入って来た。
両肘を張った状態の四つん這いでシャカシャカと歩いている、キモい。
「セラ、風魔法で攻撃するんだ、ちょっとぐらい客に当たっても構わん」
「でも……敵の数が増えてないかしら?」
「え?」
よく見てみよう、最初に入って来た敵、つまり白い肌、白いブリーフのおじさんは1体。
で、今は5体、うむ、確かに増えているようだ。
「あ、普通の客にタッチするとそれが敵と同じ姿に変わるんだわ!」
カジノに設置されたセットの影で見えなかったが、宿代の鉄貨5枚も払うことが出来ないタコ負け組に、敵の魔将補佐が次々タッチしているようだ。
タッチされた客はその姿に変わって暴れ出す。
鬼が増えるタイプの鬼ごっこのようである。
「勇者様、どれが元々敵で、どれが人間だったのかわからないわ、ちょっと攻撃しかねるわね」
「別に良いと思うんだがな、あんな連中」
「でも殺した途端に人間に戻ったら寝覚め悪いじゃないの」
「……確かに」
真っ白いおっさんは次第にその数を増していく。
ホールに居た客の半分程がおっさん化した頃、救援要請に行っていたゴンザレスが帰還する。
そうだ、この鬼ごっこを終わらせれば良いんだ!
「おう勇者殿、新たな敵が現れたようだな、しかもこんなに沢山とは、筋肉がはち切れそうだぜ!」
「ゴンザレス、ちょうど良いところに戻って来たな、少し頼みがあるんだ……」
ホール中央、ステージの上に立つゴンザレス。
その辺で見付けた教壇セットも設置しておいた。
『おう皆の衆、授業を始めるから席に着くんだ!』
俺達は急いで近くにあった雀卓の座席に座る。
ホールに居た客達も、一部はその気迫に押されて思い思いの椅子に座った。
やったぞっ! 椅子に座っている奴はタッチされてもおっさん化しない。
こういうゲームの場合、先生が来たときに既に着席していれば原則セーフなのだ。
作戦は成功である。
「おう勇者殿、敵が苦しみ出したぞ、こいつらは何なんだ?」
「それは元々ここの客だったんだ、最初の奴にタッチされておっさん化した!」
「そうか、ではあの平気そうな奴が……」
『貴様等、よくも我が僕の増殖を止めてくれたな』
「おい、てめぇも早く着席しろ、もう先生が来ているだろうが、留年したいのか?」
『黙れ、そんな筋骨隆々の先生が居るはずがなかろう!』
「おう敵の魔族よ、言っておくが俺は体育の教員免許を持っているぞ」
『なんだとぉっ! では仕方が無い、こうなったら不良生徒の俺様が暴行を加えてやる、どうだ、やり返すことなど出来まい!』
「おうおう、俺は体罰推奨派の暴力教師なんだ、貴様ごとき一撃でこの世から退学させてやるぞ」
『ぐぬぬっ! では仕方が無い、そちらの弱そうな教育実習生から殴ってやる!』
教育実習生? あ……俺のことを言っているのか。
明らかに俺を目標にして飛び掛ってくる白いおっさん、もとい不良生徒。
いや貴様が生徒? その見た目で? 何回ダブっているというのだ。
ちなみに、俺は教師でも教育実習生でもないものの、体罰推奨派であることはゴンザレスと変わらない。
接近する不良真っ白おじさんに聖棒を叩き付け、そのまま滅多打ちにする。
『あぎゃぁげぎゃっ! 何だその棒は? あぎろげほへっ!』
「この棒は貴様のような奴をぶっ飛ばすための特別なものだ、で、反省したならこっちへ来い、貴様は死刑だ」
ステージの上にあった教壇セットを片付け、開業初日に置いてあった断頭台を再び設置する。
『あがぁ、待ってくれ、死にたくない、死にたくないんだっ!』
「そりゃそうだろうよ、だがな、俺はお前を殺したいんだ」
景品交換所にあった切れ味の悪い剣を持って来る、それを魔将補佐の首に何度も叩き付けるものの、なかなか切れないようだ、まだ生きてのた打ち回っている。
ちなみにコイツの名前はホラスというらしい、あともう少しでこの世から消える名前だ。
『ぎざま……ごんなごど…・・・をしてタダで済む……とおっ』
「もしもし? 何か言いましたか? お~いっ……死んだか」
「おやおや、ホラスを討伐したみたいね、誰も白いおじさんに変えられていないかしら?」
「マーサ、どこに行っていたんだ?」
「コイツに触られると気持ち悪い見た目になっちゃうから、ちょっと隠れていたの」
「そのようだな、で、既にかなりの数がそうなってしまったんだが、どうすれば良い?」
「さぁ? 術の類なんだからサリナちゃんが何とかできるかもよ」
「サリナ、どうなんだ?」
「出来はしますが……1人頭半日ほど掛かりそうです」
「では諦めることとしよう、ちなみに死んだ途端に人間の姿に戻るなんてことは無いよな?」
「ええ、大丈夫ですよ、その連中は死んでもそのままです」
なら気分を害することはないな、皆で手分けして全部殺してしまおう。
白いおっさん化した客は全部で53人、普通なら尊い犠牲であるが、どうせクズなので墓すら作る必要は無いであろう。
苦しんで床に転がっているソレを次々に始末していく。
こんなところで全財産スッてしまうからこうなるんだ、自業自得だな。
「さてさて、これで全部片付いたわね、さっさとお風呂に入って野菜炒めを食べましょう」
「おいマーサ、貴様戦闘に参加していないのに良いご身分だな」
「あら、怒っているのかしら?」
「ちなみに俺は体罰推奨派だ」
「ちょっ! 痛いってば、耳を引っ張るのはやめてちょうだい! あ、尻尾もダメぇっ!」
とりあえず不快魔将軍の補佐1体は片付いた、残るはもう1体の補佐と、それから魔将本体である……




