769 湯けむりで繋がる
「向こうはだ~れも居ませんよっ、あとこっちのお部屋にもホントに誰も居ませんよ……というか誰の匂いもしないです」
「荷物もありませんね、全員武器を持って部屋に来ていたはずなのに、観光に出るのに持って行ったのかしら?」
「んなわけねぇだろ、誰が剣だの杖だの携えた状態で温泉街に出るんだよ? 怪しいどころか普通に逮捕されるだけだぞ」
「ですよね……というかカレンちゃん、誰の臭いもしないってのは……」
「皆この部屋には来てもいないということです……」
「……早速だが意味がわからんぞ、さっき別々で部屋に入って、俺達の荷物はここにある、で、両隣の部屋には荷物もなくて、さっきまで確かに居た仲間の臭いがしないと、うむ、意味不明だ」
そこには誰も居なかった、そう主張するカレンと、少し悪いとは思ったが、仲間なので、そしてこういう事態なので仕方ないとして覗き込んだ皆の部屋の様子も、その主張をガッツリと裏付けるものであった。
掃除の行き届いた部屋には荷物も、もちろん座布団らしきクッションやちゃぶ台の乱れもなく、本当に案内された瞬間の部屋、誰も利用していない真っ新な空間なのである。
そしてそれは俺の仲間達、つまり勇者パーティーが滞在することにした部屋だけではない、1人で1部屋を使うという贅沢三昧となった紋々太郎、フォン警部補、新キジマ―の部屋も同じ状況。
そして下の階に降りてみると、これまた同じように使われていない感じの部屋……と、ひと部屋だけ荷物もアリ、残っている人間があったではないか、ひとまず話をしてみよう……
「おいっ! 大丈夫かお前等?」
「……何がっすか? まさか事件がっ?」
「その通りだ、他の部屋を確認してみてくれ、誰も居ないんだよこれが」
「誰もって……てか、そういえば声もしないっすね、あと買い出しに行った同室の仲間もやけに遅いような……」
「確かにな、一番近くの店で焼きそばとたこ焼き、それからフランクフルトをゲットしてくるだけだって言っていたのにな」
「あ~、そんなことよりも腹減ったな、ベビーカステラも頼んでおけば良かったぜ」
「デブかよお前は?」
「まぁな、しかしデブにしては痩せている方だと思うだろう?」
『ギャハハハハッ!』
「いや笑ってる場合じゃねぇからっ! たぶんだけど買い出しに行ったその同室の仲間、もうとっくの昔にブッ殺されてんぞっ!」
『ギャハハハハッ……ハハ……はぁっ?』
イマイチ状況が飲み込めていない様子のスタッフ軍団、その数はおよそ30程度であろうか。
とにかく人間が存在している、そして今は居なくとも存在していた形跡があるのはここと、俺達3人の部屋だけだ。
そういえばこの部屋はアレだな、俺達3人の部屋のちょうど真下に位置しているな、その間の2階部屋は誰も使用していなかったのでわからないが、とにかくその位置取りにも何か関係がありそうである。
で、そのわけがわかっていないスタッフ共を部屋の外へ連れ出し、他には誰も居ませんということをキッチリと認識させておく。
これにはかなり驚いたようだ、およそ1,000人のスタッフのうち、主要キャラによって存在が確認出来ているのが自分達だけになるなどとは思わなかったであろう。
そして何よりも、気軽なノリで温泉街へ出ていった仲間達が、既に残虐な方法によって殺されている、それを俺達が目撃しているという事実にショックを隠し切れないようだ。
「とにかくだ、今居る人間だけはどうにかそのままでいて欲しい、部屋に戻って、そこから絶対に出ないように気を付けてくれ」
『うぃ~っす』
「よろしい、じゃあ俺達は……どうしようか?」
「どうしようもないです、あ、でも1階ではミラちゃんの匂いだけしましたよ、他の皆と違っていつもシャンプーが安いやつなのでわかり易いです」
「かわいそうな奴だなミラは、だがそのお陰で居場所が特定出来そうだ、とにかくミラを探すこととしよう」
『うぇ~いっ』
ここにきて唯一、主要キャラとして存在の可能性が示唆されたミラ……いや、先程まで一緒に居た仲間がこの空間に存在しているのかどうかを確かめる、それをしなくてはならない現状がヤバいのだが。
とにかくカレンの良く利く鼻を頼りに、どこかへ行ってしまっているミラの足取りを追う。
ロビーでは旅館の従業員がこちらを見て、何をしているのであろうかという顔をしている。
どう考えても怪しい動きをしているのは俺達だ、宿の従業員がこの件について何も知らないとしたらではあるが……
「スンスン……階段の方ですね、上って行ったみたいです」
「てことはアレか、自分達の部屋へ行ったってことだよな?」
「だと思います、そのまま続いて……あ、やっぱりお部屋の中へ入ったみたいです、開けてみて……と、やっぱり居ません」
「そしてやはり荷物もないじゃないか、どういうことなんだ?」
「でもご主人様、さっきはミラちゃんの匂いにも気が付きませんでした、だから今、ちょっと前にここへ来たのは絶対ですよ」
「すると……あのスタッフ部屋でゴチャゴチャ話をしているうちに入れ違いになったのか……」
「たぶんそうです……」
なんということでしょうか、比較的どうでも良いとされるモブキャラへの注意喚起、そのために時間を喰ってしまい、肝心要である仲間の足取りを見失うことになってしまうとは。
いや、しかしこれはこれで色々とおかしい、つい先程ミラがここへ来たというのであれば、それこそ荷物なり、本人なりの存在が確認出来ないなどということは考えられない。
いくら自身の財に対しての警戒レベルが異常に高いミラであっても、まさか『ちょっとその辺へ』というのに武器防具まで携えては行かないはず。
そしてこの部屋へ来た段階では他の仲間が居なかったのだから、これ以上勝手にウロウロしないで待つのが普通ではなかろうか……
「もうわけがわからんな……ダメだ、ちょっと、一旦部屋に戻って座らないか?」
「そうですね、動き回るとまた良くないことが進行しそうですから、ここで私達の部屋に戻りましょう」
「わふっ、私もそれが良いと思いますっ」
ということで全会一致、俺とカレンとルビアの3人は、これ以上おかしなことにならぬよう、全員が常に隣に居るのかどうかを確認しつつ移動、自室へと戻る。
俺達の荷物は健在だ、座布団的なものも、そしてルビアが勝手に全員分食べた置き菓子の袋もそのまま残されている状態。
特に変わったことはないし、誰かが侵入したような形跡もない、念のため調べてみるも、やはり新たに魔導アイテムがどうこうということはないようだ。
外の景色も同じだし、相変わらず湯けむりが立ち上る露天風呂と……と、カレンがその露天風呂に反応しているではないか、何かを発見したというのか?
「どうしたカレン? 何かあったのか?」
「……露天風呂に誰か居ますよ、隣のお部屋……行ってみますっ!」
「おいちょっとまっ……あれ? どうしてそういう感じなんだ?」
「何を言っているんですか勇者様は、というかお隣さんが丸見えなんですねこのお風呂、実にエッチな仕組みです」
「いやいやいやいや、ミラ、お前今までどこに居て、どうしてこんな所で当たり前のように湯船に浸かっているんだ、おかしいだろう?」
「おかしいのは皆の方ですよ、特にこの部屋の残り3人、部屋に入ったら荷物だけで、『先に温泉街へ行ってます』って書置きだけ残っていて……」
「書置き? てか荷物? どういうことだ……荷物があったってのか?」
「ありますよ、てか今も窓の向こうにお姉ちゃんの杖が見えていますよ、精霊様のアイテム袋も、リリィちゃんのおやつポーチも」
「はぁぁぁっ⁉」
カレンの走って行った先、つまり横の部屋のそれが丸見え状態の露天風呂に居たのはミラ。
1人で、さも当たり前のように湯船に浸かっているのだが、話しぶりからして状況が掴めていないらしい。
というかミラにはセラやリリィ、精霊様の荷物が見えているというのはどういうことだ? もしかして俺達が変な術にやられているだけなのか? 本当は皆の存在もそこにあるのか?
いや、このままではわからない、とにかくミラの居る方へと移動しよう……と、この露天風呂の境界線を跨ぐと汚れそうだし濡れたりもしそうだな。
一旦部屋から出て、隣の部屋経由でミラが入っている露天風呂を目指そう、幸いにも鍵は開いていたわけだし、移動することについて特に問題はないはずだ。
「じゃあミラ、俺がすぐに行くからな、そこを動くなよ、カレンとルビアもだ、気をつけっ!」
『ビシッ!』
「よろしい、絶対に動かないようにっ!」
『はーいっ!』
カレンとルビアにはその場での停止を厳命しておく、カレンはともかく、ルビアはこういう時にふざけて言うことを聞かないのが常なのだが、今回に関してはさすがに遊んでいるような状況ではないと理解しているようだ。
で、自分達の部屋を出た俺は隣へ、セラ達がキープした部屋のドアを開け、1人で中へ入って行く……やはり荷物はない、これがどういうことなのかをミラに確認しなくては……
「お~い、ミラ、ミラは……いや、居ねぇじゃん……おいカレン、ルビア、ミラはどこへ……居ねぇじゃん、どうなってんだよマジで……」
結論、ミラの分を含めた荷物もないし、つい今の今まで湯船に浸かっていたミラも存在していない。
そして隣、つまり俺達の部屋に繋がる露天風呂で、直立不動の姿勢を取っていたはずのカレンとルビアも見当たらないのだ。
俺はどうなってしまったのだ? 本当に誰も居ない世界へ迷い込んでしまったのか? 慌てて外へ、室内の方へではなく外の温泉街へと目を向ける。
……多くの人が歩いている温泉街は平穏そのもの、見知った顔こそないものの、一般の観光客の姿だけはそれなりに見えている、つまり俺達がそこに居たときとさほど変わらないのだ。
で、それによりとにかく俺だけがどこかへ飛ばされてしまった可能性は消えた、ではどうなったのか、それはまるでわからない……とりあえず自分達の部屋へ戻ろう……
露天風呂からミラが消えてしまったセラ達の部屋を出て、自分達の部屋へ戻る……荷物はある、そして窓の向こうにはなんと、直立不動の命令を守り続けるカレンとルビアの姿があるではないか。
しかも境界線からこちらへ身を乗り出し、こちらの部屋の様子を窺っているミラまでそこに見えている。
いや、向こうはむしろ『俺が消えてしまった』ということで焦っているような感じだのようだな……
しかし何だこの状況は? 隣の部屋へ行けばミラ、そしてカレンもルビアも消失、戻ってくればそこに居る、むしろ俺の方が消えていたということになりそうな予感である。
「お~いっ、大丈夫か? 3人共ちゃんと居るか? そして俺もちゃんと存在しているのか? と、2人共もう動いて良いぞ」
「……ふぅっ、ご主人様、どこへ行っていたというのですか? 隣の部屋へ行くと言っておきながら居なくなって、右も左もわからないほどに耄碌したとかじゃないですよね?」
「いや行ったんだよ俺は、確かに、ミラが今そこに居るその場所ヘな……でも誰も居なかったし、荷物さえも存在していなかったぞ」
「おかしいですよ、勇者様がこちらへ来ればわかりますし、荷物だってまだ見えていますよ」
「う~む……わかった、じゃあミラ、今度はミラがこっちへ来てくれ、ちゃんと服を着て、俺達の部屋がどうなっているのかを確認するんだ」
「わかりました、じゃあ少し待っていて下さいね」
そう言って風呂から上がり、部屋の中へと入って行ったミラ、その様子を覗き込んでみると……いや、確かに荷物らしきものがチラリと見える、アレは精霊様が持っている怪しいアイテムがギッシリ詰まった袋に違いない。
で、体を拭き、温泉旅館らしく用意されていた浴衣のようなものに着替えたらしいミラ、すぐに姿が見えなくなり、部屋から出ていったのであろうということがわかる。
そこから1分……3分……5分以上が経過したのだが、一向にそのミラが俺達の部屋へ来る様子はない。
いや、それどころか廊下にも居ないし、カレン曰く新しいミラの匂い、風呂上がりの香りは漂っていないとのこと。
つまりミラは廊下へは、もっと言うと部屋から1歩たりとも出ていないということである、そしてさらに数分後、再びそのミラの声が聞こえたのは、何と先程まで話をしていた露天風呂の方であった……
「ちょっと勇者様! どういうことですかこれはっ⁉」
「どういうこともこういうこともないんだよ、ずっとこんな感じでだな、今居るのは俺達3人と一番下の同じ位置の部屋のスタッフだけだ、ちなみにスタッフが何人か、温泉街の変な奴に殺害された」
「スタッフが? ということはやはり敵が居るってことですね、まぁスタッフぐらいならチンピラとかにでも簡単に殺されてしまうでしょうから、そういうこともあるのかもですが……それよりもこの状況を何とかしないとですっ!」
「そう言ってもな……とりあえず露天風呂ではミラと会えるのか……いや、これは少し試してみる価値があるな、カレン、ルビア、もう一度そこで待っていてくれ」
『はーいっ!』
徐々にこの現象の仕組みがわかってきた、そんな気がしてならない俺は、汚れたり濡れたりするのを仕方なく我慢し、露天風呂経由でセラ達の部屋へと移動する。
早速見えているセラの杖、荷物を確認する……これはセラのパンツ、こちらは精霊様のパンツか。
ミラのパンツも取り出そうとしたところで、そこに居る本人から殴られてしまったのだが、とにかく念願の『皆の荷物』と邂逅することが出来た。
そしてそこから部屋の外へ、念のため逸れたりせぬよう、ミラと2人で並んで出てみる。
まずは俺達の部屋だ、ドアを開けて中を覗き込むと……やはり荷物がない、カレンとルビアもそこには居ない。
これはもう確定だな、俺達は何者かの手によって分断されてしまったのだ、しかも少人数に分けられ、会うことも連絡を取ることも不可能な状態に放り込まれたのである。
だが謎の敵が仕掛けたその罠にも穴があったのだ、選択した部屋ごとに違う空間へ誘ったのは良いものの、まずは同じ位置にある違う階の人間とは同じ空間に居るということ。
そして何よりも、俺達勇者パーティーのメンバーが入った全ての部屋に設置された露天風呂、どういうわけかそこだけは他の空間と繋がり、露天風呂経由でなら行き来できる可能性があるということだ。
「……よし、じゃあミラ、一旦それぞれの部屋へ戻ろう、以降はあまり露天風呂でのコンタクトも控えるんだ」
「どうしてですか? 繋がっている窓口はそこしかないみたいなんですよ」
「いや、そのことに俺達が気付いたと敵に悟られたくない、そこを対策されたら今度こそ完全に分断されるからな」
「確かにそうですね、じゃあ部屋に戻って、私はとにかくお姉ちゃん達が温泉街から帰って来るのを待ちます」
「あぁ、全員戻ったら状況を説明して、皆でさりげなく温泉へ入るんだ、そしたそこで作戦会議が出来る」
ということで一旦セラがキープしている4人部屋を経由し、直立不動で待機していた2人が居る俺達の空間へと、これまた露天風呂経由で戻る。
今のところこの方法での行き来は問題ないようだ、だがもしこれが封鎖されてしまった場合には、もうそれぞれが部屋ごとに完全な孤立状態となってしまう。
そして賢い系のキャラが存在しない俺とカレン、ルビアの3人が、現状で最もヤバいセグメントであるということは明白だ。
きっと真っ先に狙われるのであろうが、その点は俺とカレンが物理戦闘可能であり、ルビアの回復魔法もかなり使えるはず。
この先『魔法攻撃以外効きません系』の敵が出現したりしない限り、一応は敗北してしまう心配はなさそうだな。
他の部屋は……誰かしら賢いから大丈夫だ、唯一の問題は物理が出来ない悪魔3人娘の部屋が、多少戦力として劣るというぐらいか……
「うむ、じゃあカレン、ルビア、このまま部屋で待機しようか」
「ご主人様、夕飯はどうなるんでしょうか? 持って来てくれるのかくれないのか……」
「それは……持って来てくれることに期待するしかないな、幸いにもフロントは通常業務感バリバリだったろ? もし敵だったら殺せば良いし、毒を盛るなら温泉街でとっくにやっていたはずだからな」
「う~ん、まぁ良いか、とにかく待ってみます……ダメなら係の人に聞いてみたりもします」
こんな状況でも食欲は衰えないカレン、いや、こんな状況だからこそ、おそらく安心で安全な海の幸を食して冷静になるべきなのかも知れない。
というかそもそも、現状ではもう『分断された仲間との連絡、合流手段』を持っているのだ。
それを全員集まった際にまとめて行使し、敵の思惑の裏を突くことが出来れば万々歳である。
そして皆と合流した後には、必ずここで何らかの計画を練っていた何者か、本当に正体も何もかもわからないのだが、そいつを捜し出して八つ裂きにすしてやるのだ。
そのまま部屋で時間を潰しつつ、夕方になるのを待った、いや、その前に反対側の、マーサ、マリエル、ジェシカ、アイリスの部屋に人が戻ったようだな。
壁越しには全く聞こえないその声も、外の露天風呂越しには丸聞こえ、やはり空間が繋がっているのはそこだけであり、話をしたかったらそこからコンタクトを取る以外になさそうである。
ということで一旦外に出て、露天風呂の境界線から身を乗り出す……帯剣した状態で警戒しているジェシカがこちらに気付いた、俺の顔を見て、やはり何かが起こっているのかというような表情になり、こちらへ駆けて来た。
そのジェシカに対し、なるべく静かに、それとなくこちらへ来るようにジェスチャーを送り、ひとまず落ち着かせる……この部屋のチームは俺達と同程度、いやそれ以上には何かに気付いているようだな。
とにかくジェシカと話をして、これまでの情報を共有しておくこととしよう……




