719 最後の神様は
「おいおい、何なんだよアレ? スライムとかそういう類か?」
「にしてもおかしいわね、凄く良い匂いがするわよ」
「これって……味噌ですよ味噌、この感じは間違いないですっ!」
「味噌って、あの黒い塊というか何というか、とにかく敵のことだよな? 味噌が今回の敵なのか? それとも今回の敵が味噌なのか……あれ?」
ここはどう考えても迷宮庁舎のボス部屋、目の前に蠢く不定形の、そして良い匂いのする黒い物体はボスキャラ。
そしてこの部屋を通過すれば、間違いなく目的の裏切り首長野朗に手が届くのだが、さすがにこの状況は異常すぎやしないか?
まず第一にその『味噌ボス』に関してだ、この味噌は味噌汁に使うような赤味噌や白味噌ではなく、味噌カツや味噌田楽、あとは……まぁ、そんな感じの『つける、かける、塗るタイプの味噌』である。
そしてそれはここまで見てきたこの地域の、明らかに名物系であるその他のものと比較しても妥当なこと、巨大二枚貝だのコーチンだの、それから岸男だのといったものと同じ属性の、『でら美味い』と評価される何かなのだ。
だがこの味噌は明らかに強すぎる、おそらくは無限沸きのチンピラ雑魚犯罪者、それを5万匹一気に放ったとしても、10秒後には跡形も残らず消滅させる、そのようなことが出来かねない、とんでもない強さの味噌ということ。
……いや、もう意味がわからなくなってきたな、部屋に充満する味噌の甘いような、香ばしいような、そして美味そうな、ではなく確実に美味い匂いによって正常な思考が奪われていく。
「クッ、ダメだ、これは良い匂いすぎるぞっ!」
「ご主人様、これはでらうみゃーです、うみゃーですよっ!」
「ルビア! もう何も考えるな、思考が侵食されて変な言葉遣いになっとるがやっ!」
「……勇者様もよ、もう黙っとりゃ……あっ!」
で、その蠢く大量の味噌なのであるが、ウネウネと動き出したかと思えば、正面に口のような器官が発達していく。
どうやら喋り出すようだな、まともに意思疎通が可能である相手だと良いのだが……人間型ではないのであまり期待は出来ない。
しかしこの地域では『4柱の大神様』のうち、最初の大海神様を除き、岸男であった次の大陸神様、それに続いて出現した、コーチンであった大空神様は喋る系であった。
となると、この目の前の、おそらく『大神様』の最後の1柱なのであろう味噌の塊、えっと……そうだ、『全属性大権現禍津神様』であったな、コイツも喋るに違いないのでしばらく様子を見ておこう。
しかし、この神様の冠する『全属性』とは、何のことを指し示しているのかという疑問があったのだが……なるほど、陸海空の全てというわけではなく、『味噌が万能であること』を示すものであったのか。
確かに、ほぼほぼ何につけても、掛けても、塗ってもハズレはない、味噌は万能、いや全ての属性にマッチする、そして一度食べ始めたらもう、例えばキャベツをひと玉食べ終えるまでやめられない、本当に凶悪な調味料だ、これが禍々しいと言わず何というのか。
ということで、人工神様シリーズ最後の1柱である『全属性大権現禍津神様』の正体はここに判明したわけだが、その神様の準備が終わり、ようやく喋り出すことが可能な状態へと変化したようだ……
『我は……我はこの地の神、人々の味覚を支配する神である……いや神であったというのが正しいかも知れない……』
「どういうことだ? もう神の権能を悉く喪失したというのか?」
『力は残っている……だが本来の目的である、どぅぉえらうみゃぁぁぁっ! と、人々に言わせることもはや能わず、ただただこの場で無為な時間を過ごすのみ、そしていよいよこの場で、攻め入った人々に危害を加える、これはもう神ではない、単にどぅぉえらうみゃぁぁぁっ! だけの黒い塊に過ぎぬ』
「……そ、そうですか、それは大変残念なことで」
「ご主人様、どうしてこの黒い塊の人は『どぅぉえらうみゃぁぁぁっ!』だけ気合が入っているんですか?」
「いや、普通に知らんぞ……」
そもそもコレが何なのかさえわからなくなってきたではないか、というか戦うのか? コイツと? 強いのは明らかなのだが、一体どういう攻撃をしてくるのであろうか。
もしかしたら味噌を顔面に貼り付けて窒息させるとか、味噌を口の中に突っ込んで『美味死』させるつもりなのか……と、そうではなく味噌の一部を飛ばしてくるようだ……
「攻撃してきますっ! 小さい飛沫を喰らわないようにっ! きゃっ!」
「大丈夫かミラ! 自分が喰らって……あぁ、バッグに当たっただけか、拭けば落ちるがシミになるだろうな」
「えぇ、そしたら『味噌迷彩になった』ということで得したと考えて……あれ?」
「どうした? バッグの中にでも……なんで動いてんだそれっ!?」
ビビビッと、あらゆる方向に味噌の飛沫を放ってきた神様、というか味噌ボス、皆それを喰らわぬようにシュシュシュッと回避したのだが、後ろに向けて忠告を出したミラが、自らそのバッグに味噌を喰らうという事態となった。
ベチャッと付着した良い香りの味噌、黒く染まったミラのバッグ、そしてそのバッグが突如、バタバタと動き出したのである、まるで生きているかのように……
「おい味噌神様! コレは一体どういうことなんだっ?」
『……すまぬ人々よ、我が味噌は美味すぎる、美味すぎるがゆえ、それがつけられた、掛けられた、塗られたモノは全て、例外なく命を吹き込まれるのである、その荷物も同じである、何もかもがそうなのである、すまぬ人々よ、どぅぉえらうみゃぁぁぁっ! と評価される味噌に免じて許してくれぬか』
「ゆっ、許しませんよっ! このバッグの中にはまだお金がっ! しかもバッグ自体もまだ全然使えるものですしっ! 非常食も入っているんですっ! ちょっと……逃げないで……あっ、紐が……」
そうこうしている間に、ミラのバッグはそれを繋ぎ止めていた紐を自切し、脱走してしまった。
中には本当に僅かだが銅貨や鉄貨が、そしていくつかの缶詰と干し肉、干し野菜が入っているのだ。
時価総額にしておよそ銀貨1枚、それを俺が転移する前に住んでいた世界の通貨単位に換算すると、何だか知らないおっさんの絵が描かれた、最大の価値を持つ紙切れ1枚分である。
これは丸1日バイトしても稼ぐことが出来ない金額だ、そしてこの世界においては、命を賭してでも回収するに値する凄まじい金額……まぁ俺やミラにとってはということであって、金持ち王女のマリエルなどはその貴重さに気付いていないようだが……
で、バッグは宙を舞い、味噌ボスの下へと馳せ参じる、こちらに向かって馬鹿にしたように中身を見せびらかし、さらにはその中へ味噌を……クソッ、中の干し肉が『味噌味ジャーキー』となってしまったではないか、これは一度食してみなくてはならない、確実にだ。
そしてその光景を眺めている間に、今度は味噌の弾丸を凄まじい勢いで飛ばしてくる味噌ボス。
狙いは……新キジマーだ、確かに戦闘員としてここに居る中では一番、ダントツで避けられそうもない見た目なのである。
だがそこは英雄パーティーの一員、与えられているポン刀で薙ぎ払い、その味噌の塊をザックリと切り裂く、良い切れ味だ。
2つに分かれた味噌は、ちょうど後ろで閉じていた扉、俺達が入ってきた両開きの扉にそれぞれ直撃、扉は無駄にガタガタと振動し出した……攻撃は効かないが『どぅぉえらうみゃぁぁぁっ!』味噌の支配下には置かれてしまうのか……
『ブヒッ、フーッ、フーッ、きょ、巨大化したとはいえ我も戦士、これしきのことでは……ん?』
「……おいキジマー、ポン刀の様子がおかしいようだが……まさか、そんなことがあるとは」
『こっ……これはぁぁぁっ!?』
なんと、味噌の弾丸を一刀両断した新キジマーのポン刀、これさえもその力に魅了され、どぅぉえらうみゃぁぁぁっ! とされる状態に陥ってしまったのである。
発達しすぎた筋肉を最大限に活かし、ポン刀が手から離れるのを防ごうとする新キジマー。
だがその力と、そして味噌の虜となったポン刀の力に、柄の部分が耐えることは出来なかったようだ。
スポッと抜けた刀身、それはミラのバッグと同様に味噌ボスの目の前へと馳せ参じ、追加の味噌を貰ってご満悦の様子。
まるでどこかの英雄が、動物に『ダンゴ』を与えて仲間にしていく、そんな物語のような光景だ。
もちろんこの場合の『英雄』は敵の味噌ボスであり、こちらは討伐を甘んじて受け入れるべき『鬼共』なのだが……
「拙いですねご主人様、とんでもないモノを盗られちゃいましたよ」
「あぁ、ミラのバッグはともかく、あの英雄武器が敵方のものとなったと考えると、これはかなり厄介だぞ、新キジマーも単なる筋肉の塊だしな」
『すっ、すまぬっ、フーッ、フーッ……暑い……』
「あんなに使えそうなキャラだったのに、どうしてこんなに暑苦しい感じになったのかしら? もはや向こうの味噌玉と交換して欲しいぐらいね、てか殺しましょ」
「いや待て精霊様、新キジマー、悪いが攻撃が出来ないのであれば盾になってくれ、そうすることで今のお前でも活躍が出来るはずだ、どうだ?」
『うっ、うむっ、そうしようではないか、さぁ来い、我こそは英雄パーティーの一員にして空を……ぐふっ……』
「……まぁ、そうなるとは思っていたよ」
「ですよね~っ」
前に出て、名乗りまで挙げようとした新キジマー、だがつい今奪われた、先程まではこの新キジマーの占有下にあったポン刀は、今では立派な敵の武器なのである。
当然味噌ボスはそれを使って攻撃するわけで、狙うべきは前に出たうえに、最も攻撃の当たり易いということがひと目でわかる新キジマー。
まっすぐに飛んで来たポン刀はその腹部に突き刺さり、切っ先が分厚い筋肉の壁を越えて背中から飛び出しているではないか、アレだ、普通に切腹してしまったかたちだ。
で、その攻撃を受けてなお立ち続ける新キジマー、剛の者なのは構わないが、あまり無理をしてこの場で死亡するのはやめて欲しいところ。
とはいえ突き刺さったポン刀を抜けば、その瞬間に大出血して意識を失い、直後に死亡するであろう。
ルビアの回復が間に合うとは思えない、というかルビアの奴、これが『回復魔法を使うべき場』だということに気付いていない様子だ。
ひとつ忠告してやらねば、満を持して腹のポン刀を抜いた新キジマーが、そのまま『え?』というような表情でルビアを見つめつつ、この世を去っていくのを目の当たりにする結果となりかねない……
「おいルビア、ルビア! 聞いてんのか?」
「……はっ、いえ、全然聞いていませんでした、そんなことよりもご主人様、良い香りに包まれてちょっとお腹が空いてきませんか? そろそろおやつの時間にしましょう、ね?」
「ダメだ、完全に思考能力が失われているじゃないか、新キジマー、悪いがもう少しそのままで我慢してくれ」
『そ……そう言われても……グッ、ポン刀が抜けそうで……力が……入らぬっ!』
「おいおい、それを抜かれたら死ぬと心得ておけ、ほれ頑張って……っと、攻撃がくるぞっ!」
絶望的な状態の新キジマーと、攻撃を受けずして味噌の虜となっているルビア、その2人の相手をしているうちに、再び狙いを定めた味噌ボスの攻撃が飛ぶ。
今度は新キジマ―本体が狙われた、ポン刀を突きさされ、それを引っこ抜かれぬように耐えていたところをだ。
そして当然味噌玉攻撃はヒット、ベシャッという音と共に、新キジマ―の表面が黒く……浸食されているのか、しかもポン刀を自分で抜き去り、そこにあった傷はみるみるうちに回復していく。
新キジマ―の体が完全に黒く、黒というかまぁ味噌色なのだが、とにかく変色し切ったところで、これまで蹲るようにして耐えていた姿勢をやめ、スクッと立ち上がってこちらを向いた……
『こ……この力は、この力は何だというのだ? 香ばしい、そしてしっかりと甘いこの味噌……神だっ! 我は神の力を得たぞっ!』
「……新キジマ―よ、お前は……もうダメなようだな、完全に別人になり果ててしまったというのか」
「しかも『ポン刀持ち』に復帰しているじゃねぇか、こりゃさらに厄介だぞ」
「元に戻す方法はなさそうね、このまま斬り捨てるか、焼いて消滅させるぐらいしか対処方法はないわよ」
「精霊様でも無理か、サリナは?」
「これはさすがにちょっと……というかその前にルビアちゃんをどうにか戻した方が良いのでは?」
「あ、そうだった、おいルビア! シャキッとしろルビア!」
「う~ん……味噌田楽……」
「おいっ!」
どうしてこの世界の人間が、島国以外に味噌の存在を認められていないはずの世界の人間が、味噌田楽などという言葉を知っているのかは疑問だ。
だが少なくともあの味噌ボスによって何かを、頭の中に直接流し込まれてこうなっているのは間違いない。
そして普段の敵と違って饒舌でない味噌ボスであるから、そのやっていることは全くわからない、看破しようがないのである。
で、その味噌ボスは『これにて任務完了』のような感じで黙って後ろへ下がった。
ここからは支配下に置いた新キジマ―を手駒として操り、自らは安全な場所から様子を見るつもりのようだ。
「……クソが、何なんだこの戦いは?」
「というかこれは『戦い』なのかしら? もう意味不明とかそういう次元を超越しているわよ、やっていることに全く意義が感じられないもの」
「うむ、俺もそう思う、てかもうやめねぇかコレ?」
「いえ、それは目の前の敵、元新キジマ―を討伐してからよ」
「あぁ、もう仕方ないからコイツは倒す、『元、元新キジマ―、であった肉片』にしてやろう」
「……勇者君、あまり細かくしないでくれたまえ、もしかしたらダンゴの力を用いて、『元、元、元新キジマ―、であった肉片、を結着した良い感じのダンゴ戦士』として蘇らせることが出来るかも知れないからね」
「わかりました、もうそれが何なのか、どの『元』がどこに係るのかわかりませんが、とにかくやれるだけやって、可能な限り良好な保存状態の肉片にして見せましょう」
ということで対峙するのは元新キジマ―、通常の状態では素早さタイプであるのだが、無闇なレベルアップによってゴリラ状態と化しているため、パワー系の敵を相手にする感じでの戦闘だ。
なお、新キジマ―単体であればそこまで強くはない、とはいえ普通の人間などは指を鳴らしただけで100人程度木っ端微塵にすることが可能な程度の実力ではあるが、俺達からすれば特にどうということのない雑魚である。
しかし現状、味噌ボスから受け取った味噌の力を得ている新キジマ―、おそらく摂取している『ダンゴ』に味噌が掛かったような状態となり、そのどぅぉえらうみゃぁぁぁっ! 同士の相乗効果によって数百倍、いや数千倍の力を発揮することが可能となっているのだ。
まぁそんなことはどうでも良いとして、とにかく斬りつけてくる様子の元新キジマ―、狙われたのはカレンであるが、当然ひらりと身を躱す。
床にめり込むポン刀、凄まじい威力なのだが、あまりにもスローであるため攻撃を当てることが出来ない。
ついでに言うとポン刀が衝撃で折れていないのが凄い、どれだけの大業物だというのだ。
で、敵がノロマだとわかったカレンは挑発に出るつもりらしい、あえて接近し、ステップを踏みながらニヤニヤしている、楽しそうで何よりだ。
「や~いっ、こっちですよ~っ!」
『ヌォォォッ! 天誅!』
「ひょいっと、そんなのじゃ掠りもしません、せめて尻尾の先ぐらいには当ててみたらどうですか? 無理だったら別に良いですけど、ほら」
『フンヌゥゥゥッ! ハァァァッ! ヌヲォリャァァァッ!』
「カレン、遊んでていても構わないがな、こっちに連れて来るんじゃないぞ、床が抜けたりしたら大変だからな」
「わかってます、作戦があるんで大丈夫ですよっ!」
「作戦? まぁ良いや、そいつはカレンに任せた」
「任せられました、この人と、それから……おっとっ」
元新キジマ―と、それから……何なのであろうか? とにかく自ら攻撃をするわけでもなく、室内を縦横無尽に飛び回って回避を続けるカレン。
そういえばカレンが攻撃を喰らう瞬間というのはしばらく見ていないな、何があっても余裕で避ける、そんな感じだ。
しかし今回は少し動きが違うように見える、どういうわけか、何か敵を誘導しているかのような……
「や~いっ、こっち、こっちですよ~っ!」
『ヌォォォッ! そんな台詞しか言えぬのかっ! 語彙力はどうなっているのだぁぁぁっ! フンヌゥゥゥッ!』
「いや、お前もたいがいだけどな……」
元新キジマ―は相当にイラついているようだ、元々は無口で冷静であった新キジマ―、それがゴリマッチョ化した影響で変な性格となり、さらに味噌の魅了によって思考を奪われ、馬鹿となってしまったのである。
そしてその馬鹿さ加減は、勇者パーティーにおいて最も馬鹿である……いや、ルビアの方が馬鹿なのかも知れないが、とにかくお馬鹿のカレンにも馬鹿にされる次元のものであった。
ヘラヘラしながら、ひょいひょいと尻尾を振って挑発しながら移動するカレン、それに翻弄され、攻撃がどんどん雑になっていく元新キジマ―。
そして遂にカレンが止まった、これは大チャンスだ……あそこまで頭が悪ければそう考えるのは明らか、実際にはどう見ても『あえて作った隙』なのだが、今の奴にはそれを判断する能力がない、早く戦いを終えて味噌たっぷりのカツか何かを喰らいたいのであろう。
『ヌォォォッ! 貰ったっ! チェストォォォッ!』
「はい、残念でした、お終いですっ!」
『なっ⁉ 我に……ギョェェェェッ!』
『かっ、神様ぁぁぁっ!』
「コントかよお前等……」
舌を出しながら、元新キジマ―による渾身の一撃を回避したカレン、その後ろに居たのは、すでに役割を終えた感を出して傍観していた味噌ボス。
カレンはここに敵を誘導していたのだ、そう、意味不明な、少し気を付ければそうはならないはずの同士討ちをさせるためにだ。
で、予想に反して攻撃を喰らい、ダメージを負った味噌ボスはどうするのかというと……元新キジマ―を取り込んでしまう、吸収してしまうというのか……




