572 そういえば奴は
「来ましたわねっ、この卑怯で卑劣で無知蒙昧で、愚劣で不潔で甲斐性なしの敵めっ! 私に迷惑を掛けたことを公開させてやりますわっ!」
「おいユリナ、たぶんまだ聞こえてないと思うぞ、もう少し接近するまで待とうか」
「……空回りして恥ずかしいですの……ですがそれも全て奴のせいっ! この私が絶対に成敗してやりますわっ! ちょっとっ、聞こえているなら返事をしなさいですのっ!」
「だからまだ聞こえてないって、ほら、米粒程度のサイズじゃんか」
「……重ね重ね恥ずかしいですの……ですがそれも全て……(省略)……」
興奮するユリナとの実につまらない、単調なコントを演じつつ敵の到来を待つ。
しかしどれだけ遅いというのだ? 本当にゆっくりこちらを目指す敵、通常であれば遅延行為で警告を受けていてもおかしくない遅さである。
ちなみに敵が見える方角はΩ施設があったのと同じ、おそらくは一度施設に戻り、両手に抱えた謎の箱を持ってまた戻って来たのであろう。
そして奴はあれでも全速力で飛んでいる、そう考えると最初に施設の指令室から消えたタイミング、この集落が襲われたタイミング、そして寄生された王国兵と戦っていた時間の全てを、奴が施設とここの間の往復に掛けたと考えれば辻褄が合うのだ。
ということで遅延行為とみなして反則を取ることも出来ず、俺達はひたすらここで待っている他ない。
姿が見えてから5分以上、ようやく敵のシルエットがハッキリ見える位置まで接近した……
「それでユリナ、もう見えていると思うが……アイツの顔、見覚えある?」
「う~ん……う~ん、あるようなないような……やっぱりありませんの、知らないし会ったことも、もちろんこれまでにすれ違ったことさえもありませんわ」
「そうか、じゃあユリナかサリナのストーカーって可能性もあるな、あとエリナもだ、念のため3人は用心しておけ、そういう奴は何をするかわからんからな、体液を掛けられたりとかしたらひとたまりもないぞ」
『ひぃぃぃっ!』
ユリナ、サリナ、プラス念のためとしてエリナ、その3人はとりあえず俺達とデュラハン軍団の後ろへ隠し、他のメンバーで敵を待ち構える。
しばらくすると、フワフワとまるで風船のように空を舞いながら接近する敵の姿が、衣服の柄までハッキリと見える位置までやって来た、なるほど、確かに凄まじくツギハギだらけだ。
この状態ではもう、一度バラバラに分解されてから繋ぎ直したと言われても特に否定することが出来ない。
いや、むしろ『事故車をニコイチ、サンコイチした』と主張しても特に驚くことはない見た目だ。
そしてようやくにして声が届く程度の位置までやって来たその敵に対し、まずは優しく声掛けをしてみる……
「おいそこのツギハギ野郎! どこのゴミ箱から逃げ出したのかは知らねぇが、よくも王国兵をあんな風にしてくれたなっ! 同じ目に遭わせてやるから覚悟しろよこのゴミクズめがっ!」
『フハハハッ! 何を粋がっているのかなこの変な男は? もしかして知能が低いのかな? ん?』
「ぶっ殺すっ! マジで粉微塵にしてやるからサッサと降りて来やがれっ! てかお前……本当に魔族なのか?」
『ほう、貴様はチンパンジー並みの知能かと思ったが、まさかこの違和感に気が付くとはな、と、もしかすると野生の勘というやつか? 人間らしい生活様式を取っていないゆえに、そのようなことを察する能力が付いたとか……』
「黙れこのハーフΩ野郎がっ! キモいし臭そうなんだよ、内蔵とか腐ってんじゃねぇのか? フランケンなんちゃらの怪物にでもなったつもりか?」
『むっ、貴様は相当にムカつく奴だな、よかろう、この僕が直々に殺して差し上げようではないか、それと、後ろに隠れている宿敵もなっ!』
漂うフランケン感を指摘され、ムッとしたような顔になった敵は、スーッと高度を下げて地面に降り立つ。
俺と後ろに隠れたユリナ達、それを交互に見ながら歩く敵は……実に臭かった、リアルに腐りかけていやがる。
しかし敵のユリナ達、というか主にユリナを睨む視線、これはストーカーのそれではない、親の仇にでも向けるような、非常に恨みの籠った鋭い視線である。
ということでストーカー説は棄却、安心した悪魔娘3人衆は隠れるのをやめて元の位置へ戻った。
背後にはハーピー集落のメインである公会堂的建物と、その中に収容されている非戦闘員やその他弱者達。
果たして敵が、この魔族とΩのハイブリッドのような存在の実力がどの程度のものなのかはわからないが、少なくとも後ろの連中には累が及ばないように、この悪臭さえ嗅がせることのないようにしてやらねばなるまい。
「それでユリナ、あとサリナもエリナも、本当にコイツが誰なのかわからないのか? ほら、ユリナなんか凄い勢いで睨まれてんぞ」
「いえ、そんなこと言われましても知らないものは知りませんわ……」
『おい魔将ユリナァァァッ! 貴様もしかして僕のことがわからないのかっ⁉ 何という、何ということだっ! 僕はこんなにも貴様のことを恨み、復讐を誓っていたのに、貴様は忘れた? この僕を? ふざけるんじゃないよぉぉぉっ!』
「ほらユリナ、めっちゃキレてんじゃん、やっぱ知り合いだろ? 許婚とかじゃないのか?」
「あんな臭いそうな、というか現に臭い許婚なんて居ませんの、むしろ居たら初顔合わせの場で殺していますわ」
「だよな、さすがにあのビジュアルでユリナとは釣り合わないもんな、おいお前、そういうことだからサッサと正体を明かせ、お前はユリナの何なんだ?」
『忘れたとは……忘れたとは言わせんぞぉぉぉっ!』
「いやだからさ……ダメだこれは、一切話にならない、取り付く島もないし、これ以上意思の疎通を試みるのは諦めようか」
コイツが何者なのかということに関しては今聞くのを諦め、後程キッチリ拷問して吐かせることとした。
先に行動不能にする、と、その前にまずは危険そうなあの『お手持ちの箱』を破壊した方が良さそうだな。
ここまで一切姿を現さず、俺達を小馬鹿にするかの如く振舞ってきたこの敵が、幾度となく先手を打ってきたこの敵が、どういうわけかこの場において俺達の前に姿を現したのだ。
となるとあの『箱』の中身、或いはそれそのものに強力な力があり、それをもってすれば自らが危機に陥ることなく勝利出来ると踏んでいるはず。
正体も謎なら箱の中身も謎、対峙してなお謎だらけのこのハーフΩ野郎に、もうこれ以上好き勝手をさせるわけにも、先手を打たれるわけにもいかない……
「まずはその箱からですっ! やぁっ!」
『おっとっ! いきなり何をするのだこの人族の女はぁぁぁっ!』
最大のリスクがそれだと考え、箱に狙いを絞ったのは俺だけではなかったようだ。
横でサッと動いたマリエルが、その槍で敵の持った箱の中央を貫いた。
穴が空き、次いでバキバキッと壊れ始めるその箱……槍で突かれたのが原因には他ならないが、その後の動きには少し違和感がある……外側ではなく、中の何者かがそれを壊しているような……
いや、そんな気がしただけというわけではなく、これは現にそうであるようだ。
視覚から得られた情報は、その箱の中身が巨大な、人の半分程度もあるクモのような形状のΩであることを俺の頭に伝えた。
「……おい、何だよその気持ち悪いのは? お前と同等、それ以上かも知れないぞっ!」
『フハハハッ! まぁ貴様等を倒し、そこのユリナに対して凌辱めいたことをするのにコイツの力は必要なかろうが、一応紹介しておこう』
「ひぃぃぃっ! 不敵に笑うと余計にキモいですのっ! 死ねっ! 早く死んで下さいですわっ! 汚くて臭いお前なんかに生きる権利はありませんのっ!」
『ひぎぃっ……っと、え、えっと……コイツは、コイツはアレだ、この腹の中に大量の極小Ωを封入した、いわば寄生型Ωの母艦といったところ、噛まれた者はもちろん寄生され、あの人族の兵士共のようになるのだっ! フハッ、フハハハッ!』
ユリナのマジ切れによって怯んだ敵、その一瞬のインパクトに驚き、気になってそこから続く話をしっかり聞いていなかった、とりあえず『クモΩに噛まれるとやべぇ』ぐらいの認識で良いのであろうか?
しかしどうして恨んでいるはずのユリナがキレると怯えるのだ? もうサッパリわけがわからないな。
もちろんその辺りには奴の正体に関する秘密があるはずだが、それを窺い知ることが出来るような情報は現時点では提供されていない。
「……で、ここからどうしようか? とりあえずあのクモの方はノータッチでいきたいんだが」
「そうね、壊すと中から小さいのがゾワァ~ッて……考えたら鳥肌が……」
「だよな、ということはやはり本体狙いなんだが、果たしてどの程度の防御力なのかな?」
『そこは我等にお任せを、皆様方の力では奴を消し飛ばしてしまいかねませぬ、ですが我等であればそういったことにはならないかと』
「うむ、じゃあ先鋒はデュラハンのうちの誰かにお願いしようか、他の皆もそれで良いな?」
『うぇ~いっ!』
勇者パーティーのメンバー全員の同意、デュラハン隊長からの選任によって、今回の旅において俺達の乗る馬車で御者をしてくれているデュラハンが前に出る。
そのまま剣を構え、キモ顔で臭く汚らしい、そして余裕の感じられる笑みを浮かべる敵に向かって突撃していく。
避ける素振りさえ見せない敵、それもそのはず、デュラハンの剣は不思議な力で弾かれ、手から離れてどこかへ飛んで行ってしまったのだ。
これは防いだのではなく、何らかの『パッシブ防御』が掛かっていると推定出来るもの。
剣を失ったデュラハンが殴り掛かっても、同様に敵はまるで動かず、ただ攻撃のみが弾き返される。
『ぐぁぁぁっ!』
『フンっ、僕には一切の攻撃が届かない、何をしてもただ跳ね返されるだけ、吹っ飛ばされた衝撃で傷付くのは自分なのだっ!』
『な……なんということだ……ぎゃぁぁっっ!』
自ら放ったパンチがそのまま返ってきたような衝撃を受け、首なしウマから落馬してしまったデュラハン。
その際に落とした頭を敵が踏み付けると、たいして力を入れていない様子にも関わらず、地面にめり込んでメコッと歪む。
『もう良いよ、貴様はここで死ねっ!』
『ぎぃぇぇぇっ……っと、頭がダメになってしまったではないか……』
『ん? 何だこっちが本体じゃなかったのか、でも貴様はもう負けだ、どっか行って勝手に死ね』
『クッ……クソッ!』
なんと、上級魔族の中でもかなりの力を有するはずのデュラハンが、あんなわけのわからない敵にあっさりと敗北してしまった。
もちろん死んではいないし、飾りである頭を失ったのみなのだが、問題はどう考えてもそれが出来るはずのない、あからさまに弱く力のない敵がそれをやってのけたことなのだ。
このような感じで敵が強力な防御機構を備えていることは良くあること、特に半分Ω化しているようなこの野郎であれば、それを後天的に獲得することは容易なことであろう。
しかし、それを自らの攻撃に転用し、それでデュラハンの頭を踏み潰すというのはなかなか考えにくい、ただ防ぐだけでなく跳ね返して敵のダメージと出来るのも驚くべきだ。
コイツはこれまでのΩとは違う、明らかに『元になった上級魔族』とは異なる、途方もなくオーバースペックな機能を搭載したバケモノ、いやモンスター魔道兵器と呼んでも差し支えない。
『……うむ、何と言いましょうか……ご覧の通りです、我等ではまるで歯が立たぬようですな』
「お、おう、これは予想以上だぜ、おそらく俺達の攻撃力でもあの防御機構は破れないだろう、キモくて臭くて強い、マジでとんでもない野郎だ」
「あのクモの方も厄介そうだし、どうしますか勇者様?」
「う~む、そうだな……とりあえず連続攻撃してみようぜっ!」
『うぇ~いっ!』
もう面倒臭い、そう思った俺達は、可能な限り周囲を破壊しない程度の力をもって、全員で繰り返し攻撃を仕掛けるという作戦に出た。
ぶつかり合う体と体……もちろんこちらの誰かと敵とではない、攻撃が通じずに弾き返された仲間と、その次に攻撃を仕掛けようと突撃していた仲間同士のぶつかり合いである。
これでは全く意味がないではないか、1人後ろでサポートに当たっていたルビアも、その治療の処理能力がそろそろ限界だ。
敵の放つ攻撃程度では、どれだけ硬く強力な何かを纏っていようとも俺達にダメージを与えることが出来ない、ひょっとしてこの敵はカスなのではないかと錯覚するレベルのか弱さ。
だが自分の攻撃が、その威力がそのまま跳ね返るとなると話は別、すっ飛ばされた衝撃と、地面に叩き付けられた際の諸々の事象によってかなりのダメージを追ってしまうのである。
「ぐぁぁぁっ! っと、おうおうっ、もうダメそうだ、ヤメッ! 攻撃中止だっ! おいカレン中止だってばっ、ぎゃぁぁぁっ!」
「いてて、また吹っ飛ばされました、じゃあもう1回!」
「ヤメェェェッ! 攻撃止めだっ、俺の方にすっ飛んで来て、ついでに俺の顔面に着地するのも止めだからっ!」
「えぇ~、何かもうちょっとな気がするのに……」
「どこがもうちょっとなんだっ!? 見ろ、敵さんピンピンしてっから、カレンのこと見ながら冷笑してっからっ! だから停止、止まれっ!」
「わぅ~っ……」
何度もアタックしては跳ね返され、その度に俺を着地用のクッションにするカレン。
もはや俺に直接攻撃しているのと変わらない、ただし本人には悪気がないのであまり強く言うことも出来ない。
そんなカレンをどうにか押さえ込み、自分がこれ以上ダメージを受けることを阻止する。
敵は下種な笑みを浮かべつつ、ゆっりと歩いてこちらへ、いやターゲットであるユリナの方を目指す……
『フフッ、フハハハッ! やはりこのΩの力、全てをレジストする機能を手に入れたのは大正解だったな、僕はあの勇者パーティーの、ユリナさ……ユリナの馬鹿をあっさり破ったという連中の、その頃よりもさらに強化したはずの攻撃を一切受け付けないのだっ!』
「おいお前今ユリナ様とか言おうとしたろ、一体どういう関係なんだよ?」
『フンッ、それは死の間際の本人に……いや不死であったな、とにかく散々痛め付け、大切な仲間を目の前で殺されて絶望するユリナ様……ユリナにっ! こっそりと耳打ちして教えてやるのだ、囁くように優しくなっ!』
「キモッ!」
「キモいですのっ!」
「まさかここまでキモいとは……」
「どうやったらそこまでキモくなれるというのだ?」
『えぇぃっ! うるさいわこのボケ共がっ! 所詮貴様等は僕にダメージを与えることが出来ない、いやはや、この力を手にしたとき、というか普通にウ○コした後ケツ拭こうとしたらあえなくレジストされたときにはどうなることかと思ったが……』
「いやちょっとまてお前ウ○コした後ケツ拭いてないのかよっ!?」
『そうだ、どういうわけか攻撃とみなされ、レジストされてしまって拭くことが出来ないからな』
「もしかしてさっきも?」
『もちろんだっ! 畏れ入ったか?』
「だから近くに紙が落ちていなかったのか……ってそうじゃねぇよっ! どんだけ汚らしいんだよお前っ! 死ねっ! 拭いてないケツから腐って死ねっ!」
汚らしいハーフΩ野郎に罵声を浴びせるも、それでダメージが入るわけではない。
だが今のやり取りの中でもう一度、ユリナのことを『ユリナ様』と呼んだではないか。
となるとコイツ、もしかしてユリナの元部下とかその類のキャラである可能性が高いように思える。
それであれば本人は覚えていてもユリナは忘れているというのにも納得がいく、そして、紋章の不正使用が出来たのもそれゆえと考えることが出来るのだ。
まぁ、忘れられているような時点で元々はほんの雑魚キャラ、本来であれば名前や台詞など与えられることはなく、登場して数秒で物言わぬ肉塊と成り果てるようなモブであったに違いない。
……いや待てよ、確かユリナと戦ったときに登場したのは魔将であった本人と妹で魔将補佐のサリナ、それからジェシカと、既に一線を退いて帝国で暮らすキャリル……これは非常におかしなことだ。
他の魔将、例えばマーサであれば、今は王都の研究室で働いているマトンと、もう1人カレンがタイマンを張って殺害した種牛野郎という『2人の魔将補佐』が居た、それ以外も一律そうであったはず。
だがユリナが従えていた補佐はサリナのみであり、ジェシカは普通に人族のお世話係兼、本来は弱いはずの姫様に付く護衛という立場で、魔王軍とは一切関係が無かった。
で、もう1人居るはずの、男女比を同率にしてある魔王軍においては確実に男であるはずの魔将補佐が……それに関しては何か情報があったような気がするが、果たしてどんな内容であったか……ここは本人に聞いてみよう。
「なぁユリナ、ちょっと良いか?」
「どうしたんですのご主人様? あ、この敵がキモくて臭くて汚らしいのは承知ですので、改めて教えていただかなくても結構ですわよ」
「そうじゃなくてさ、ユリナとサリナが魔王軍に居た頃さ、魔将補佐ってもう1人居たはずだよな? もちろん野郎の奴な、それはどうしたんだっけか? イマイチ記憶にないんだが」
「魔将補佐……男の魔将補佐、まぁ確実に居たはずですが……サリナ、覚えていませんこと?」
「えっと、居たのは確かだけど、私もその方がどうなってどこへ行ってしまったのかまではちょっと……」
『……貴様等、おい貴様等! 聞いているのか僕の話をっ?』
「え? 何だよお前、ちょっとこっちは大事な話をしているんだ、もちろんお前の正体に関してだがな、だからしばらくの間ちょっとその臭い口を閉じて……」
「あぁぁぁっ! そうでしたわっ! もう1人、いや1匹の魔将補佐は処刑したんでしたの、口が臭くてキモかったから……でも顔はやっぱり忘れましたわね、気持ちの悪い顔面だったのは確かですわ、そう・例えばあんな……」
そう言ってユリナが指差した先には、それはそれはお怒りの様子である敵の姿、今にも爆発しそうだ。
で、それを見てハッとなるユリナ、同じくサリナ、なるほど、やはりそういうことであったか……




