516 まさかの敗走
「……やっぱり全然避けようとしませんね、舵を切ってすらいないようです」
「デカいから偉いとか思ってんだろうな、それか見張りが馬鹿でこっちに気付いてないとか」
「馬鹿な見張りって、あんたもそうだったわよね……」
「おいマーサ、余計なことは言わなくて良いんだぞ」
「あ、はーい、毛布被って寝ようとしていたことは黙っておいてあげるわ」
「モロに言ってんじゃねぇか!」
口の軽いマーサを叱っている間にも対向船は接近を続け、その巨大さをさらにアピールしてくる。
というか取り舵を切っていないか? こちらがルール上右に避けたのに、なぜか左にずれて衝突コースをキープしてくる巨大船、わざとやっているのであれば相当に悪質だ。
「あのっ、これはもう完全に当ててくるつもりです、どうしましょうか?」
「う~ん、そうだな……リリィ、ちょっと向こうの船の様子が見えるか?」
「え~っと、一昨日見た兵隊の格好の人が沢山乗ってます、あとこっち見て笑ってますね」
「……うむ、もうロリ・コーン師の船で確定だし、ふざけてこっちを沈没させようってのも確定だな、とりあえず戦う準備をしよう」
徐々に接近して来るロリ・コーン師所有であることがほぼ間違いない巨大船。
海上交通のルールを無視している時点でもうアレなのだが、自分達のせいで明らかなピンチに陥っている俺達の船を笑いながら見ているとは。
で、対するこちら、ドレドの船は、その小ささ……とはいえ普通に大きいのだが、とにかく相手と比較して10分の1にも満たないサイズによる機動性を駆使して一時逃走を図る。
そのまま面舵を一杯まで切り、反転するようにして北へ転進、曲がった際に傾いた船はあっという間に復元し、すぐにトップスピードを取り戻した。
これなら追って来れまい、あれだけの図体でドレドの船に勝るスピードを持っているはずが……ないと思った俺が馬鹿であったか、それともこの世界の様々な部分が馬鹿げているのか。
とにかく距離を縮められている、このままではいずれ追突され、この船がどれだけ頑強に造られていようともまず間違いなく沈してしまう。
ここで、しかもこの寒さで海に投げ出されるのは酷だ、そもそも船を失えばこの敵を追うことが出来なくなる、即ち復讐の機会を失ってしまうということだ、それだけは絶対に避けたい。
「よし、迎撃してやろうじゃないか、もうちょっと頑張って逃げていてくれ、まずは……セラかユリナの魔法でもブチ込んでやろうぜ」
「ちょっと待ちなさい、もう魔法を使うのは手遅れよ、この距離であの巨大な船にダメージを与える規模の魔法を撃ったらこの一帯に凄い波が巻き起こる、そうなれば追突されるのを待たずしてお終いよ」
「なるほど、それは精霊様の言う通りだな、となると空から炎でチマチマいくしかないか……」
確かにこの段階ではもう距離が近すぎる、ここでセラやユリナが魔法で攻撃、もちろん敵もそれなりの防御策を講じているはずなので、それを打ち破り、船体に取り返しの付かない程度のだダメージを加える魔法を打ち込んだ場合、それは自殺行為もたいがいにしろというレベルの暴挙だ。
言うなればそう、水中核実験の爆発半径内でウロウロしているような、しかもその核実験のタネを、自ら砲丸投げで海に放り込むような、想像しただけで頭が悪いと断定出来る行為。
となればもう細かい攻撃を地味に加えていく他ない、幸いにも波風立てないリリィのブレスがあるし、同時に上空からセラが雷魔法を放つことも可能だ。
それ以外に攻撃の方法がないことはもう2人にもわかっていたようで、既に飛べる態勢で甲板に立ったリリィと、その上に跨って魔法の準備をしているセラ、共にやる気満々である。
「じゃあちょっと行って来るわね」
「ああ、だが相手が何をしてくるかわからんからな、最初は様子見で、ヤバい攻撃をしてきそうな感じが少しでもあったらすぐに離脱するんだぞ、リリィも良いな?」
『は~い、いってきま~っす!』
嬉しそうに飛び立っていく2人、久しぶりに空中からの攻撃、そして船という巨大な的に、好きなだけ炎を、そして雷を食らわせて良いという状況。
出来れば武力衝突などしたくはないと考えている俺とは異なり、この世界の人間は非常に好戦的だ。
もっとも俺とて『確実に勝てる状況』、『こちらが一方的に蹂躙するような状況』であれば、大喜びで敵を殺しに行くであろうが……
で、比較的高度を取って敵船の上空へ到達したセラとリリィは、そのまま様子を伺うようにして旋回する。
甲板からは矢のようなものが無数に……必死で戦っているのではなく、空中の何かに対してちょっかいを出しているようにしか見えない。
事実、かなり接近した敵船からは、セラとリリィの高度まで届きそうな矢が攻撃たれる度に、歓声とさらに射手を鼓舞する声が聞こえてくる、もちろん当たったりはしないのだが。
しかし奴等は相手がドラゴンだということをわかっているのか? 船の甲板に備え付けるような大型の兵器を使っても、それこそ全く届かないへなちょこの矢しか放てない自分達に、空飛ぶ巨大生物(強力魔法使い付属)と互角に渡り合える力が備わっていないことなど考えなくてもわかることであろうに。
「あら、攻撃を開始するみたいね」
「うむ、久しぶりの急降下だが、大変にキレがあってよろしい、俺には到底真似出来ないな」
「それは平時に練習しておかないからよ、まぁ風魔法のセンスもあるでしょうけど」
「あれは練習したところでムリだろ、センス100%だぞ……」
敵の攻撃が脅威ではないと判断した2人、一気に高度を落とし、まるで突っ込むかの如く敵船の、甲板ではなく中央のマストへ。
甲板の敵からすれば、上空の生物が向きを変えた次の瞬間には頭上を通過していたのであろう。
それに矢を射掛ける暇はない、そしてその攻撃を回避したり、その他の方法で防ぐ余裕もなかった。
リリィの吐く炎のブレスが帆へ、そしてその帆が張られたマストの根元には、ごく正確にセラの雷魔法が直撃。
帆を炎上させながら次々に倒れていくマスト、大火災だ、そのまま船ごと燃え尽きてしまうが良い。
「はい残念でしたっと、あれでもう航行不能だな、あとはこっちから乗り込んでクルーを皆殺しにするだけだ」
「サメの餌にするのが面白そうね、船べりから吊るして、海面からジャンプしたサメが足先だけパクッと……あら?」
「……どうやらそういうわけにはいかないようだな、何だアレ?」
「櫂を出してきたわね、人力で漕ぐつもり……しかも超速いじゃないのっ!」
「マジだっ、マンパワーやべぇな……」
敵船の横に見えていた無数の四角い穴、それは俺の感覚でいけば完全に『大砲を出す穴』であったのだが、そもそもこの世界には通常の大砲など普及していない、せいぜい貴重な魔法使いに高い金を払ってやらせる魔導砲、それと以前大変に苦しめられた氷魔法使いそのものをカートリッジとしてしまう凶悪魔導砲ぐらい。
ではその船体に空いた穴は何であったのか、それは帆を失った際に人力で漕ぎ、推進力を得るために使う穴であったのだ。
大型タンカークラスの船舶を、大木にも劣らぬサイズを持った櫂で漕いで進む、しかも速い。
一体あの中にどれだけの数の人間が居るというのだ? おそらく奴隷なのであろうが、きっと数千人は押し込まれているはず。
偉大なマンパワー(強制)、その速度は帆を使って風に乗っていた際よりもさらに上昇、甲板の火災で焼け死んでいる馬鹿共はガン無視してこちらに向かって来る。
状況がより悪化したではないか、既に船首にも火が回っている敵船にこのまま突撃されればどうなるか? 砕かれつつ燃やされ、どう考えてもこちらの船は海の藻屑だ。
「おいっ! もう一旦撤退するしかないぞっ! セラとリリィに戻るよう合図、あと可能な限り敵の足を止めるための攻撃を……と、何だ? 何か飛んで来たぞっ!」
「うへっ、何よこの茶色いのは……って、これ……」
「……ウ○コじゃねぇのかこれっ!?」
甲板が燃えたまま、その後ろの無事な部分に設置されたカタパルトのようなものから発射された茶色い物体、しかも柔らかく、こちらの船体にベチャッと……いや、それでも木で出来た部分には穴を空けている。
いや、鉄の装甲板も思い切り凹んでいるではないかっ!? どれだけヘヴィーなウ○コなのだ? というかこれは本当にウ○コなのか?
セラとリリィはもう帰還のコースに入り、追加でその『ウ○コ発射装置』を攻撃するには、一旦方向転換してウ○コ飛び交う中を敵に向かって飛ばなければならない、それは大変危険だ。
「おいおい何だよコレはっ!? わけがわからんがヤバいぞ、とにかく何かの下に隠れるんだっ!」
「お~い、2人共こっちですっ、そう、後ろから回って着地して下さいっ!」
ドレドの誘導によってどうにか着艦出来たリリィ、俺達と共にウ○コ弾の届かない位置に隠れるが、凄まじい威力のソレは甲板にも、そして船室に繋がる扉にも直撃し、悉く破壊していく。
しかもかなりの重量らしい、大量のウ○コ弾が船に乗り込んだことにより、もう目に見えてわかるほどに、かなり明確に喫水が下がってきた。
当然船速も落ちてくる、このままでは確実に追いつかれてしまうではないか……と、リリィから降り立ったセラが慎重に前へ出た、それを守るようにしてミラとジェシカ、向かい来るウ○コ弾を剣で切り裂き、セラに直撃しないようにしているようだ、後でしっかり洗って欲しい。
「おいちょっとセラ、前に出てどうするつもりなんだ?」
「敵の船を風で煽るのよ、そうすればこっちも進むし、あっちは後ろまで火が回って攻撃が続けられなくなるはずよ」
「おぉっ、それは良いアイデアだっ、早速やってくれたまえ! 俺は間違ってもヘヴィーウ○コを喰らいたくないからここに居る、頑張れよっ!」
「本当に情けない異世界人ね……」
もうぶつかるかどうかという位置にまで迫っていた敵船に対し、セラが風を、空気を押し流すだけの風魔法を当てていく。
通常であれば、この程度の魔法は敵の速力を軽く低下させる程度の効果しか生じさせない、だがリリィのブレスで炎上している敵船にとっては別。
風を受けて炎が煽られ、次第に甲板後方にも火災が発生、飛び散った火の粉もかなり良い仕事をしているようだ。
そして遂に、櫂が出ている船体の穴からも炎が見える、内部まで火の海になったということだ、その穴から奴隷と思しき火達磨のおっさんが次々に落下、敵船のスピードは急激に低下していった。
「やれやれ、どうにか逃げ切れたみたいだな、全く薄汚い攻撃ばっかりしてきやがって、そもそも何を食えばあんなヘヴィーなウ○コが……あれ? てかこっちも徐々に遅くなってないか? お~いドレド、何かあったのか~っ?」
「それが何というか……突然船が苔生してきて、あの攻撃を受けた部分が主にそうなんですが……」
「苔が? いや意味がわからんぞ、どうしてウ○コを喰らうとコケが生えてくるんだよ?」
「ご主人様見て下さいっ! コケだけじゃなくて草が生えてますよっ!」
「うおっ、あんなに綺麗だった船べりに雑草がっ!?」
意味不明な事態、敵のウ○コ弾攻撃に何か秘密があったとでもいうのか? とにかく俺にも、それからほぼ全ての仲間には理解することさえ困難な状況だ。
だが精霊様だけは別、どこからともなく嫌に現代的な防毒マスクとグローブ、それに防護服を取り出し、船体に付着したウ○コの調査を始めた……
「……わかったわ、これはウ○コのようでウ○コじゃないのよ」
「どう見てもウ○コじゃねぇかっ!」
「違うの、これは最近新しく発見された超重たい物質、名前はまだないけど仮に『ウンウンウンチウム』と呼ばれているわ」
「いやウ○コじゃねぇかっ! てか名前なくてもその仮称はやめろっ! まず誰がそんなもん創り出したんだよっ!?」
「う~ん、おそらく物質を司る神のうちのどれかってことだけは確かだわ、でね、この物質の特徴なんだけど、放っておくと勝手にβ崩壊して良い感じの肥料になるの、だからこんなに苔や草が生えてきているのよ」
「だからウ○コじゃねぇかっ! 何だβ崩壊って、こんなもん創った奴の脳みそがβ崩壊してんぞっ!」
などとキレている間にも、船体に生えた苔や草は徐々にそのボリュームを増していく。
このままでは航行の継続が困難になる、舵も効かず、この船は大海原に浮かぶ小島となってしまうのだ。
既に敵船は米粒ほどにしか見えなくなり、その動きが完全に停止しているのは一目瞭然だが、こちらも動けなくなってしまったのでは意味がない。
というか敵は全滅したわけではなく、火災の処理さえ終えれば残った連中だけで動き出し、また追って来る、こちらが攻撃してしまった以上それは明らかなことだ。
「ここからどうする? てか今からなら戻る方が確実に近いよな?」
「ええ、位置的にはトンビーオ村に戻るのがベストなんですが、そうすると敵が村まで付いて来てしまう可能性が……」
「そうなる前に撒こう、姿が見えなくなれば大丈夫なはずだ」
「わかりました、では村に帰還する方針で航行を続けますっ!」
船の魔法動力だけでなく、セラの風魔法も限界まで用いて推進力を得る。
この世界にはレーダーなどというものはないはずなので、敵から見えない位置まで離れればほぼ逃走は完了だ。
船べりだけでなく船底からも生えまくった植物の影響で、元の最高速度と比べると10分の1も出ておらず、まるで港内でも進むかの如きスローな船旅なのだが、やられてしまったものはもう仕方がない。
「ご主人様、もう一度行って敵を燃やしておいたら良いんじゃないですか?」
「いや、そうするとリリィが戻るための合図を敵に見られる可能性があるからな、ここは余計なことはせずに撤退しておいた方が無難だ」
「ちぇ~っ、残念でした~っ」
「まぁ、相手は健在……ってほどでもないと思うが沈したわけじゃないんだ、そのうちにまた攻撃する機会があるからそれまで待て」
「は~いっ」
そのうちにと言っても、実際に正しい表現は『すぐに』ということになるはずだ。
敵は明らかに北を目指していた、そしてあの規模の船が着岸可能な港など限られている。
そしてコース的にはトンビーオ村を目指すつもりであったに違いない、せっかく撒いたのが無駄になった可能性が高いな。
もちろんあの巨大な船を岸ベッタリまでは寄せることが出来ないはずだが、タグボートなどで降りて人間だけ上陸させることは可能だ。
で、上陸したら住民を皆殺し、村を制圧した後にそこを拠点として北側の大陸で何かをつもりであった、そう考えて良さそうである。
などと考えつつも、可能な限り、手の届く範囲で植物を切り払っていく。
それを夕方近くまで続けていると、ようやく村の明かりが、そして帰航途中と思しき村の漁師の船と出会うことが出来た。
その時点でこちらの航行能力はもう限界、邪魔をしているのが植物ゆえ沈んだりはしない、むしろあのヘヴィーウ○コで喫水が下がった分をカバーされているのだが、舵もろくに動かず、何をしても進まない状態。
ということで、俺達に接近して来た漁船が一度村に戻って応援を呼んでくれるとのこと、しばらく待つと無数の明かりがこちらへ向かって進んでいるのが確認出来た。
ようやく陸に上がれる、漁船によって曳航され、情けない姿で港に到着した俺達。
ドレド、そして村の方々の見立てでは、この状態の船を再び稼動出来るようにするまでには3日以上掛かるという。
……その前に敵の方がこちらに来そうだな、いやもしかするとここ以外の港を目指しているのかも知れないが、順当に来てしまった場合にはもう確実に全面戦争だ。
「勇者様、一応村の人に危険だって伝えておいた方が良いわよね?」
「あぁ、それは間違いないな、だが人間だけ逃げてもヤバい、万が一あのウ○コ弾を村中に撒かれたら大変だ、漁村なのにエルフの隠れ里みたいになるぞ」
「それはかなり微妙なビジュアルよね……」
山奥にあるはずの隠れ里が磯の香り漂う漁村、そうなってしまえばここはもう、わけのわからない、とても観光地としてやっていくことが出来ないダメな村に成り下がってしまう。
それに敵の攻撃手段がアレだけとは限らない、これまで見たこともないような『特殊攻撃』を初手で使ってきたのだ、それに類する、またはさらに突拍子もない何かを持っている可能性がないとは言えない。
「いや~、これはちょっと強敵だな、ターゲットだけサラッと捕獲してどうのこうのというつもりだったが、そういうわけには行かない感じだ」
「というか敗走なんて久しぶりのような気がするわ、まぁ海上じゃなくてやりたい放題の場所ならあんな風にはいかなかったはずだけど……」
「そうかしらね、ドラゴンが上を飛んでいるのを見て雑魚キャラ共があの余裕だったのよ、もしかしたら本当は凄い防御システムがあって、自分達を守ってくれると思っていたんじゃないかしら?」
「で、甲板の馬鹿共は見捨てられて焼け死んだと、だがそれだとマストを失ってまでそれを使わなかったのは変じゃないか?」
「確かにそうだけど……とにかく敵に何か特殊なモノがあるのは確実だし、用心しておかなくちゃだわ、とりあえずこの村の普通の人達が犠牲にならない程度にはね」
「うむ、それは早急に対策をしておかないとならんな、ここが戦場になる可能性が極めて高いわけだし、今のうちに注意喚起と避難の準備要請だけでもしておこう」
思いのほか強敵であったロリ・コーン師の一団、全力でぶつかり合い、かつ敵の攻撃手段がウ○コ弾のみかその程度のものであれば負けはしない。
だが本気で何をしてくるかわからないのは今日の戦いで十分に感じ取ることが出来た。
用心に用心を重ね、万全の態勢で敵を迎え撃つよう、これからすぐにでも防御を固めていかなくてはならないな……




