510 交渉と術中
「じゃあこのままどこか……そうだな、温泉施設でこいつらを収容して貰おう」
「なぁ私は? 私はどうしたら良いのよ、お腹空いたんですけど」
「わかった、じゃあアンジュはこっち、朝食だけ俺達と一緒に取らせてやる」
武力衝突寸前までいった摘発作戦、それを放り出してお土産の買い物をしていたセラを大声で呼び、荷物を半分肩代わりしてやる。
目を回したところから寝息を立て始めたペロリンヌも抱えつつだ、実に重い。
そのまま徒歩で……いや、王国兵の誰かが報告に行ったのであろう、馬車が迎えに来たようだ。
ここからはこの温泉郷における行政のメインを担う温泉施設、そこで執務に当たっている王都獣人部隊(駐留組)に捕獲したサキュバス共を預け、今後に関しての交渉に入る。
そして1人だけ、この地域で抵抗を続けていたグループの親玉、子ども社長であるペロリンヌのみを俺達の滞在すべき部屋へ連れ込む予定だ。
そこでは色々と情報を引き出して、存在が明らかになっている『人族側の協力者』を一層した後、今まで見た中で最も大きいと思しきサキュバスのグループを、こちらの作戦、つまり南の旧共和国領で発生している事態や、それに繋がる数々の事案の解決に役立たせるための交渉をしていく。
と、その前にまずは腹拵えだ、先程空腹を主張したアンジュに続き、フラフラと買い物をしていただけのはずであるセラも腹が減ったとやかましくなった。
まぁ当然俺もだ、昨夜は高級ルームサービスを金も払わずに堪能したのだが、夜通し走ったり歩いたりを繰り返した結果、その分は全てエネルギーに変わってしまったらしい。
……そういえば宿の方は放っておいても良いかな? 拠点村から御者をしてくれたお姉さん、そして最初に捕らえたサキュバス嬢を置いたままだ。
あの宿はオーナー始め敵側の人間だらけの感じなのだが、昨夜の件で逃走し、そのまま戻っていないことを祈るしかない。
まぁ戻っていたとしても余計なことは出来まい、後で少し様子を見に行く、そしてこちらへ転移して貰うとして、今はこの荷物群を温泉施設で使う俺達の部屋に置くことを優先しよう。
「あ、見て勇者様、あの子ミケちゃんじゃないかしら?」
「え~っと、ホントだ、手を振っているってことはもう間違いないな」
馬車に乗って道を行き、温泉施設に近付く、その手前で手を振っているのは猫獣人で王都獣人部隊で、そして以前俺達と行動を共にした際に担当に付いてくれたミケ。
本来はミルフォード=ケリーという名前なのだが、髪色がそこら中で一致せず、まるで三毛猫のようなのでミケ、俺達以外にもそう呼ばせている上席の武官だ。
今回もここの連中との共同作戦になりそうということで、上層部はまた案内係が必要として、経験者であるミケを選任したということなのであろう。
こちらも馬車の窓から手を振り返して答える……駆け寄って来やがった、その場で待つということをあまり知らないのだな……
「ニャッ、何だかお久しぶりニャ、といっても先々月ぐらいに会ったばっかりだけどにゃ」
「うむ、そんなに懐かしいとかそういう感じじゃないよな、で、今回は俺達、どこへ泊まれば良い?」
「案内するにゃ、本当は10人以上で来ると思っていたからちょっと広い部屋を用意してたんだけど、予想外に2人……プラス捕虜の魔族さんが2人にゃ?」
「ああ、それとこの後捕虜をプラス1人、それと御者をしてくれているお姉さんが1人来るから、お姉さんの方は1人部屋を用意しておいてくれ」
「わかったにゃ、そう伝えておくんだにゃ」
俺達に部屋を案内してくれたミケは、要望を伝えるべくちょこちょこと、しかし素早く走って行った。
朝食もそのうち用意されるはず、ペロリンヌをベッドに寝かし、とりあえず俺とセラだけで使うには広すぎる部屋のソファに腰掛ける。
「あ、そうだ勇者様、朝食を取ったらすぐに御者のお姉さんを迎えに行きましょ、あの宿、あんな感じじゃモーニングがあるかわからないもの」
「だな、ディナーはキッチリ出そうだが、大半の客はそこでサキュバスの罠に掛かってENDだもんな、朝食時にはもうどこかへ連れ去られているはずだ」
おそらくあの宿の宿泊客、そのうち窓の外にランタンを出して名刺的な紙切れを燃やしていた連中も、昨夜皆殺しにしたあのおっさん共と同様にあの敷地内のどこかに放り込まれているに違いない。
まぁそちらは気が向いたら救出、もちろん俺達はそんなことはしないのだが、王国兵が帰りに暇であればそうするのであろう。
別に死んでも一向に構わないような連中だし、後回しの中の後回し、最後の最後で可能であればやる、もちろんその費用負担は本人持ち、というぐらいで構わないはずだ、完全に自分が悪いのだからな。
で、それは良いとして、俺達にとって肝心なのは敵の方、人族でありながらペロリンヌ達サキュバスの違法行為に加担していた連中の始末だ。
それを先にしておかないと、完全に取り逃した際には後々面倒なことになりかねない。
反勇者のゴミ分子に加入したり、豊富な資金力でまた魔王軍やその系列の何かに協力しないとも限らないのだ。
もちろんそうなれば俺達の負担は増大、もう少しで撃滅出来そうな魔王軍の最後の日はその分だけ遅くなってしまうのである。
面倒になる前に潰してしまいたい、そしてその鍵を握るのは、そろそろ話が聞ける状態を取り戻すであろうペロリンヌの供述だ。
しばらくまったりと休憩していると、入口ドアの向こうからガラガラという音、床に正座させてあったアンジュの尻尾がピンッと立つ、先程から腹が減って仕方ないとやかましかったので罰として縛り上げ、椅子の使用を禁止していたのだ……
「どうも~っ、朝ごはんを持って来ましたよ~っ、にゃっ」
「お、ミケが直々に持って来たのか、そこそこ偉いはずなのにご苦労なことだな、まぁ座って一緒に食べようぜ」
「そうさせて貰うのにゃ、あ、でも1人分足りなかったにゃ……」
「ん? あ、あぁ、ペロリンヌが目を覚ましたのか、良いよ、俺の分を半分食べさせてやろう、てか食べるよな?」
「……ふんっ、まぁ今回だけは施しを受けといてあげるわ、でも後で絶対にケチョンケチョンにして、アンジュ様を助け出してお家に帰るんだからっ!」
「やっぱどうなっても生意気なものは生意気なままなんだな」
「これじゃ何をしても勇者様には従いそうもないわね」
「うむ、間違いない、ということでアンジュ、後でお前がお仕置きするんだ、それから尋問も手伝ってくれよな」
「じゃあそれぞれのタスクで何かお菓子1つ、良いわよね?」
「わかった、おやつならいくらでもやるから俺達に協力しろ」
アンジュとの交渉は成立、『お菓子』とか『おやつ』という言葉に、なぜか尋問される対象であるペロリンヌも反応していた。
おそらく子どもゆえ、そういうワードには無条件で反応する仕組みとなっているのであろう。
叩いたり抓ったり、そらから怒鳴ったりするよりも、むしろ菓子で釣った方が効率良く情報を引き出せるかも知れないな。
そのまま俺の分の朝食を半分、いや7割前後ペロリンヌに引渡し、俺だけはイマイチ空腹が解消されないまま、作戦は次のフェーズへと移行したのであった……
※※※
「じゃあ、私は先に行って来るわね、あの御者のお姉さんと、それから捕まえてあったサキュバス嬢の子を連れて来れば良いのよね?」
「そうだ、だが敵が戻っている可能性がないとはいえないから気を付けろよ、あともし宿のオーナーが居たら伝えておいてくれ、お前の命も残り数日、死刑台に上がるときの服でも選んでおけってな」
「その場で殺しちゃえば良いのに……まぁとにかくわかったわ、ミケちゃん、一応私達を狙った襲撃事件(未遂)の現場だから一緒に行って見ておく?」
「う~ん、その方が合法的にサボれる……いえ、現場検証は重要なのでお供するにゃっ!」
余計なことを言いかけたミケを伴い、セラは御者のお姉さんとサキュバス嬢のために昨夜の宿を目指す。
あの広い地下空間の捜索は既に始まっており、転移装置の場所も既に派遣部隊の王国兵や駐留している獣人部隊が把握しているはずだ。
部屋を出る2人を見送り、俺はアンジュと、それからそのアンジュを本来するべき向きとは逆に説得し、脱走を教唆しているペロリンヌへと向き直る。
「おいコラそこのお子様、せっかく大人しくしているアンジュを誑かすんじゃないよ、てかコイツが逃げ出したらガチの大捕り物だからな、余計なことはしてくれるな」
「だから私は逃げたりしないってば、ほらペロちゃんも、ワガママ言ってるとお仕置きされちゃうわよ」
「ひぃぃぃっ、こんなのにお仕置きされたら最悪ですよっ、アンジュ様、今ならコイツ1匹です、だからチャチャッとやっつけて逃げましょう、ね、ほら顔面にパンチとかして」
「全くしょうがない奴だな、おいアンジュ、もう言っても無駄だ、まずは頭でもグリグリしてやれ」
「それも何だかかわいそうよ、ねぇペロちゃん、この変なの……あでっ、じゃなくて大勇者様に協力すれば、これまで通りお店屋さんごっこも出来るし、お菓子だって沢山貰えるわよ」
「えっ!? どうしてですかアンジュ様、この悪い奴は私達のお店を潰して、仲間の皆を捕まえて、アンジュ様もこんな目に……ほら、超悪い奴じゃないですかっ!」
「いや悪い奴等はお前等なんだが、まぁサキュバスに何言ってもダメか、人族に対するボッタクリぐらいは許されるって感じだもんな」
「……ごめん、たぶん私の啓蒙活動が影響してるはずよ、メチャクチャな内容のセミナーとかやってたもの、もちろん人族の領域へ侵攻するためにね」
申し訳なさそうなアンジュ、確かにサキュバスボッタクリバーを広めた最大の功労者、というかこちらから見れば元凶はコイツだ。
だがそれは人族の敵として、人族と戦争状態にある魔王軍の大幹部、南の四天王としてやったこと。
つまりここでその責任を大々的に問うのはあまり芳しいことではない、もちろん全くの無罪というわけにはいかないが、その分はもう、この間王都で開催された戦勝記念のささやかな宴でチャラにしてある。
しかしこのままでは埒が明かないし、どうにかしてペロリンヌ、いやもうペロちゃんと呼んでおこう、このガキを懐柔してしまわなくてはならない。
と、そこでアンジュが何か思い付いたようだ、わざわざこっちに寄り、ソファに座っている俺の足元にまるで犬のように座った、そのままコソコソと、ペロちゃんに聞こえないように話を始める……
『良い? ここは私がもう完全にペットか奴隷ぐらいにされて、従わないと生きていけない、ぐらいの状態にまで調教され切っている感を出すの、わかった?』
『うむ、それでアンジュはもうダメだと諦めさせるんだな……いや、それだと普通に失望されて今よりも状況が悪化しないか?』
『大丈夫、ここで異世界勇者に従っていることが何よりの喜びみたいな感じでいくから、まぁそれも良いんじゃないの? ぐらいに思わせればこっちの勝ちよ』
『……果たしてそんなに上手くいくかな? でもアレか、もしダメだったら今のはただの演技でノーカンだって言えば良いだけだもんな、よし、じゃあやってみよう』
まずは俺の足元に正座させたアンジュの尻尾をガシッと掴む、一瞬だけビクッとなってしまったアンジュだが、そこは堪えて演技を続行する。
しかしここから何をしてやろうか? 頭には角があるので叩くと俺が痛い、ついでに言うといつも鞭を持ち歩いているルビアや精霊様が居ないため、『アイテム』としてそれを借りることも出来ない。
仕方ない、ここは痛め付けるのではなく、適当に可愛がっている感でも出しておくか……
「よぉ~しよしよしっ、ほらアンジュ、もっとこっちに来い」
「くーんくーん……」
『おいコラ、犬じゃねぇんだからもっと何かこう、ほら、やりようってものがあるだろ?』
『……と言われても困るわね、でもこのままワシャワシャされてれば良いんじゃないかしら? ほら、ペロちゃんだって……何か怒ってるみたいね』
俺がアンジュを抱きかかえてワシャワシャしているという光景に、子どもながらそんなことは有り得ないと、あってはならないことだと感じ取ったのであろうペロちゃん。
怒り心頭のご様子だ、すぐにアンジュを手から離し、元の位置に正座させる。
「あ……あのねペロちゃん、今のはその……何というか……」
「いえ良くわかりました、アンジュ様はその変なのに調教されて骨抜きにされているんですね、全くもって情けないです、悪い子です、でも可愛いので許してあげます」
「へへーっ! 許して頂いてありがとうございますっ!」
「それで、結局そこのおかしな『モノ』とアンジュ様は私に何をさせたいんですか? わざわざ捕まえて、私のお店までダメにして」
「じ、実はねペロちゃん、ちょっと教えて欲しいこと、それとお願いがあって……」
「ならそこに正座して下さい、ちょっと、そっちのゴミも早くっ!」
『はいっ!』
逆転した立場、子ども相手に全ての威厳を失った元魔王軍四天王のアンジュ。
だがそれは自分の作戦が失敗したためであるから仕方ない。
解せないのは俺まで正座させられていることだ、とんだとばっちりである。
まぁこれでペロちゃん、いやペロちゃん様に俺達の話を聞いて頂けるのであれば万々歳だ。
ここからはこもう、の天才子どもサキュバス経営者のご意向に沿うよう、可能な限りこちらが譲歩しつつ、その協力を得ることを第一に考えて接待していくこととしよう。
まずはボッタクリ関連の事業に援助や投資をした馬鹿共の洗い出しだ。
ペロちゃん様に対して失礼のないよう、丁寧に施設の土地を貸した地主、宿のオーナーなどの名前をリストアップしていく。
……かなりの数の協力者が居たようだ、もちろんこの温泉郷やあの宿だけではなく、この地域のそこら中で仲間を集め、しかし利益はほとんど独占するかたちで事業展開をしていたようだ。
もちろん発覚した協力者の氏名は全て野郎のもの、サキュバスの魅了、そしてこのペロちゃん様が持つ謎のカリスマ性で、出会った野郎を片っ端から味方に付けていったのであろう。
とにかくその連中には別に思い入れもなく、特に必要としていないとのことで、ペロちゃん様はその討伐に協力して下さるとのこと。
俺はアンジュと共に深々と頭を下げ、額を床に擦り付けて感謝の意を表明しておいた。
そして次の要請に移る、次は営業の場所を大幅に変更し、南の旧共和国領で馬鹿共から金を、そして命を巻き上げて欲しいというものだ……
「え~っ、それって私にお引越ししろってことでしょ? アンジュ様を連れて行って良いならともかく、あんたみたいなゴミのためにそこまでするのってどう? サイアクじゃないかしら?」
「いやーそんなこと仰らずに、ね? 私如き大腸菌にも劣るゴミクズではございますが、前世の前世のそのまた前世ぐらいから、ペロちゃん様のことを大変に尊敬しておりまして……」
「馴れ馴れしくペロちゃんとか呼ばないでよ気持ち悪いっ!」
「へへーっ! これは失礼致しましたっ! 以後気を付けますゆえどうか我らに協力をっ!」
先程まで俺が偉そうに座っていたソファに、代わって腰掛けたペロちゃん様の足蹴が飛ぶ、ありがとうございます、誠にありがとうございます。
これまで大変な勘違いをしていたことを心の中で詫びつつ、さらにペロちゃん様のご機嫌を取るにはどうしたら良いのかを必死で考えていく。
だが俺のように有機物が集合しただけに過ぎない物体が発言するのは逆効果、ここはアンジュにどうにかして貰いたい、ということでアイコンタクトを送ってみる……
「……う~んと、ペロちゃん、私からもお願いしておくわ、てかこの勇者、もう何だか見ていてかわいそうだもの」
「う~ん、どうしよっかな? ペロちゃん迷っちゃうわね……あら、誰か来たみたい」
「あっ、それは先程出て行ったセラという者にございます、ほら、帰って来ただけで……」
「ただいま、ってどうして勇者様が正座しているわけ? 私が出ている間に一体何があったの?」
「それはかくかくしかじかでだな、このペロちゃ……ペロリンヌ様の慈悲で俺のような塵芥がその存在を許されているのだ」
「あちゃ~、完全にヤラれてるわねこれは……ちょっとそこのおチビサキュバスちゃん、あまりふざけてると承知しないわよっ、いますぐにこのダメ異世界人に掛けた術を解きなさいっ!」
「げっ、どうしてわかっちゃったのかな……あ、魔法使いだからか……とりあえずごめんなさ~い」
次の瞬間、俺の脳が凄まじい勢いでクリアになっていく、まるで排煙でもしたかのようなその澄み渡り方に、もはや頭痛すら覚えつつまともな思考を取り戻した。
完全にヤラれていた、アンジュと馬鹿な茶番をしている間に、勝手に魔力を奪う腕輪を外したペロちゃんの術中に堕ちていたのだ。
今になってわかったがサキュバス固有の魅了に近い効果、それが効かないはずの、賢者の石を所持している俺に対して有効化する。
これは実に恐ろしい術だ、、特に何の拘束も受けていないペロちゃんと対峙する限り、俺は弱点モロ出し、普通の馬鹿な野郎がサキュバスの店で、ボッタクリに気付かず搾取され続けるのと同じ状態に陥ってしまう。
だがそれにセラが気付いてくれて良かった、このままでは流れのままにとんでもない約束を交わし、ペロちゃんが一方的に有利な立場で交渉を終えていたに違いない。
それを未然に防いだ有能セラ様には、後で少し大き目の飴玉でもくれてやることとしよう。
で、悪戯を見破られ、自主的にソファから降りて正座したペロちゃん、そちらを見ると目が合い、直後には両手を挙げて降参のポーズを取ったのであった。
「さてと、なかなか面白いことをしてくれたようだな」
「ど……どうだった?」
「凄く楽しかったんじゃないか? だがここからの方がさらに楽しいはずだ、覚悟しろっ!」
「ひぇぇぇっ! ごめんなさいごめんんさいっ!」
こうしてペロちゃんを配下にした俺は、以降の作戦を実行に移すべく、もう一度セラも交えた説明を始める。
だがもう眠い、そしてまだ昼だ、とりあえず今日はここに泊まって、実働は明日からとしよう……




