482 トンネルの明かり
「よっしゃ、いくら明かりを持って行くとはいえ、そこそこ暗いからコケないよう気を付けろよ」
「一番コケそうなのは勇者様だと思うのよね……」
「まぁあれだ、うん、異論はない」
狐獣人の里の人々のご尽力の賜物で工事が完了した抜け穴トンネルの入口付近。
梯子は架かったものの未だ内部に恒久的な明かりが灯されているわけではなく、まずはランタンを持った誰かが降りねばならない。
底の見えない真っ暗な穴に入って行くというのはあまり気の進む行為ではないが、最初にこの穴に入り、見事に生還している俺が、ここでもう一度漢を見せるというのが妥当なやり方であろう。
明かりを持って梯子を降り、下に異常がないことを、その明かりの灯ったランタンを振ることによって地上で待つ皆に伝える。
次に降りて来たのはセラのようだ、だが残念なことに、明るいこちら側から暗い穴の中間地点の様子は見えない、つまりパンツが見えないということだ。
人生の目的を失った俺はその場で座り込み、順番に、ゆっくりと降りて来る仲間達が全員到着するのを待った。
いや、別にセラのパンツなどいつでもどこでも頼めば見せてくれるはず、だがこういうシチュエーションで、したから覗き込むようにして見るというのが……と、全員が下に降りたようだ……
「よし、じゃあユリナ、燃料代節約のために明かりを頼む」
「ご主人様、燃料は節約するのに、私の魔力は全然節約しないんですのね」
「当たり前だ、こんな所に強敵がいるとは思えないし、もし居たとしても火魔法は絶対NGだからな、残念なことにこのトンネルにおけるユリナの活躍は『明かり』としてのみだ」
「うぅっ、酷い言われようですの……」
「ふんっ、いつも散々ディスられている分のお返しだ、とにかくさっさと先へ進もう、異常なまでに寒いしな」
明かりの届かない、そして凍った大地の下に掘り進められた長いトンネル。
寒いのは当然だ、外よりも気温が低く、今にも全身が凍ってしまいそうである。
もちろん寒さ対策はバッチリだし、外と違って風がない分だけ体感温度的には若干マシなのだが、それでも業務用冷凍庫並みのマイナス20度、いやそれより下もあるのではないかという程度の寒さだ。
さらにトンネルを奥へと進み、俺が転がり落ちた坂道を終えると、そこからは地面がフラットになる。
そしてとんでもない寒さだ、もし穴に落ちた際、ここまで転がっていたら確実に寒さでやられ、動くことすらままならなかったに違いない……
「あ~、これは寒い、寒いったらありゃしない、ユリナ、やっぱり明かりの方は俺達でどうにかするからさ、暖房の方をお願いしたいんだよな」
「あらご主人様、私の活躍は『明かり』としてのみで、燃料代の方が大事なんじゃなかったんですの?」
「もぉ~しわけございませんでしたっ! 何卒、何卒ここはホットな遠赤火魔法をっ!」
「仕方ないですわね、ですが、これからはユリナ『様』と呼ぶことですわ……」
「ヘへーッ! ユリナ様には日頃から大変お世話になっておりましてっ!」
土下座で頼み込み、どうにか周囲だけでも温めて貰うことに成功した。
ちなみに俺の掌と額は凍った地面にへばり付き、このままだと永久に土下座したまま朽ちていくことになる。
もう一度ユリナ、いやユリナ様に対して謝罪と感謝の言葉を述べ、冷たい地面からも解放されることに成功した。
ホットになる範囲には限界があるため、全員で身を寄せ合って先へ進む。
もちろん瘴気避けの魔法薬は服用済みだが、瘴気が濃くなったことに気付いた者は全員に知らせる手はずとなっている。
その辺りに看板でも立てておけば、もし狐獣人の里の人がここへ入って来て、奥を目指すようなことがあったとしてもある程度は安全だ。
先へ、されに先へと進んで行く、終わりの見えない暗闇のトンネル、明かりは3つ灯したランタンのみ。
照らされているとはいえ薄暗く、さらに寒さもあるためユリナから離れるわけにもいかず、そう易々と前進することは出来ない。
明かりの燃料となる油の量的にも、あと2時間程度で引き返す必要がある、それまでにどこまで進むことが出来るか……と、意気揚々と先頭を歩いていたカレンが立ち止まった……
「何か居ますよ……モゾモゾ動いてます」
「こんな所でか? 特に敵らしい反応はないんだが、マーサは何か感じるか?」
「そんな前とかよりも服の中でモゾモゾしてる子が居るからわからないわ」
『だって寒いんだも~ん』
何者かの気配に反応したのはカレンのみ、マーサは服の中に入り込み、二人羽織り状態になっているリリィの出す音が邪魔で何も聞き取れない、感じ取れないようだ。
俺の索敵に反応することもないし、今のところは敵ではないのだが、近付いたら突然襲ってきたり、そもそも生物ではなく動くタイプのトラップが仕掛けられている可能性もないとは言えない。
明かりを前に出し、ついでに得物が長い俺とマリエルが戦闘に立って慎重に進んで行く。
一時停止した場所から30m前後進んだ所で、カレンの言っていた『モゾモゾ動く何か』を認識することが出来た。
次の瞬間には強烈な敵意、これは索敵などという変な能力を持つ俺のみでなく、明かりに照らされたその物体の姿を認識していた全員が感じ取ることが出来るほどに強烈なもの。
もう、明らかに飛び掛ろうとするその物体は、俺がこの世界に来て初めて出会い、物凄い数を始末した魔物、スライムにそっくりだ。
だがあんな可愛らしいものではない、まぁアレも相当にキモかったといえばキモかったのだが、今度のはキモいだけではない、強いのである。
飛び上がり、限りなく丸い状態をキープしたままこちらへ向かって来るその物体は、一歩前に出ていたマリエルの前でバッと、まるで風呂敷でも広げたかのように、トンネルの行く手を阻む程度の範囲に広がった。
とっさに槍で突いたマリエルであったが、その薄い壁というか皮膜というか、とにかく目の前のソレがプニュッと凹んだのみで、まるで手応えがないのは傍から見ていてもわかる状態。
そこで危険を感じたのか、スッと後ろに下がる、同時に俺も敵の勢力圏と思しき範囲から離脱した。
次の瞬間にはもう、その皮膜状の壁が蕾のように閉じ、俺とマリエルが居た場所はスッポリとそれに包まれてしまう。
危なかった、おそらく相当に冷たいであろうゲル状の物体、あんなものに包まれたら寒いどころの騒ぎではない、その場で熱を奪い尽くされ、フリーズドライにされてしまいそうだ。
「次来ますよっ! もっと後ろに下がってっ!」
「と言われてもな……」
そこまで狭くはないとはいえ、今回狐獣人の里へ来ている14人のうち、アイリスとエリナを除いた12人がトンネルの中に突入しているのだ。
俺とマリエルに代わって前に出たミラが忠告するものの、後ろは大渋滞でそれどころではない。
もうこのまま戦って、この奇妙な何かを始末してしまう他ない、だがどうやって倒すべきか……
「ちょっと場所代わって、そいつ物理攻撃じゃ倒せないわよ、たぶんだけど」
「うむ、俺もそんな気がする、さっきマリエルの槍をまともに喰らったのにビクともしていなかったからな、ここは魔法か何かで……精霊様の水もやめた方が良いと思うぞ」
「……やっぱそうかしらね、もう遅いけど」
最後列から仲間を掻き分けて来た精霊様、既に水の弾丸を放ち、それは敵のブヨブヨに直撃していた。
で、敵の様子だが、もちろん水を吸って巨大化したのである、わかり切っていたことだ、そういうのはダメなのだよ。
「うわっ!? こっちに飛んでっ! あっ……見てくれ、私の剣でならちゃんと斬れたぞっ!」
「ジェシカさん、それは確かに『斬れた』とも言うが、現実的に考えて『増えた』というのが妥当だ、とんでもないことしてくれたなマジで」
「す、すみませんでした……」
精霊様の攻撃を吸って巨大化し、そのままの姿で飛び掛ってきたブヨブヨを、正面に居たジェシカが一刀両断、もちろん2つに増えた、流れからして考えるまでもない、至極当然のことである。
細胞分裂でもするかの如く、見事に真っ二つに割れたブヨブヨは、すぐにそれぞれがそれぞれの意思を持って動き出したのであった。
「仕方ないわね、こうなったら私の魔法で2つまとめてっ!」
「おいセラやめるんだっ! あ……もう遅かったか……」
さらに追撃を加えるセラ、放たれたかぜの刃は2つに分かれた敵の両方にヒットし、今度は4つに分裂してしまった。
全く余計なことをしやがる、小さくなったとはいえ物理攻撃が一切効かないのだ。
これだと対応するだけで精一杯、どうやれば潰せるのかなどと考える余裕は失われた。
「やれやれですの、やっぱりこのパーティーには私の魔法力がないとダメですわね」
「おぉっ! ユリナ様だ、ユリナ様の火魔法があればこんな奴等……おい、でもやりすぎるなよ、こっちにまで被害が及んだら承知しないからな」
「わかってますの、ここはかる~く炎で炙って、ササッと乾かしてやりますの、ということで……あら?」
「ということで何だ? というか何だあの動きは……変身、いや変形するのか?」
4つ横に並んだ状態でウネウネと動き出した敵の物体、まずは高さ140cm程度の位置までミョォーンと伸び、そこから腕が生え、さらに足が二股に分かれていく、ついでに長い尻尾のようなものが生えて……超リアルなサリナになったではないか。
着色こそされていないものの、振り返って後ろに居るサリナと比べて遜色ないフォルム。
それが寸分違わぬ状態で4つ、量産したら『等身大勇者パーティーフィギア』として王都で売れそうな勢いだ。
だが騙されてはいけない、これは商品ではなく敵なのだ。
精巧な造りのソレを崩してしまうのは少しもったいないところであるが、背に腹は代えられない。
前に出て魔法をブチ込む準備をしていたユリナもそう考えて……はいないようだ。
攻撃魔法は完全にキャンセルし、尻尾の先からは今まで通りに遠赤火魔法を放ち、周囲を暖めている。
「おいユリナ、超精密サリナ人形がもったいないのはわかるけどな、今は攻撃しないとダメだぞ」
「……そんなこと言っても無理ですの、たとえニセモノとはいえサリナの姿をした何かに攻撃することなんて絶対に出来ませんのよっ」
「あ、そういうことか、それじゃ仕方ないよな……いや、となるともうこちらには攻撃手段がないんだが?」
「ちょっと待って、こうなったら私が雷魔法でっ!」
勝利を諦めかけ、逃げる算段を立てようとした次の瞬間、セラが後ろから、今度は小さめの雷魔法を放つ。
避けることなくその魔法を受けた4体のサリナ人形、一瞬ビクッとなった後、それまでの静止状態をやめ、スムーズに手足を動かし出したではないか。
「あら、雷の力で動き出しちゃったわ、残念ね」
「おいコラ、さっきから状況を悪化させてばっかりじゃねぇかっ!」
「だって、どう戦ったら良いのかまるでわからないんだもの、適当に攻撃してみるしかないわ」
「それがいかんと言うのだこういう敵に対してはっ!」
不定形でかつ正体も不明な敵との戦闘をまるで理解しようとしないセラ、最初にやらかした精霊様、そして次のジェシカと共にお仕置き確定だ。
とにかく今は少し後退し、サリナの姿のままこちらに向かう敵をやり過ごさなくてはならない。
念のため武器を構えたままジリジリと下がる、それに応じて付いて来る4体の敵、ニセモノ、作り物の分際で余裕の笑みを浮かべているのがムカつく。
「ご主人様、ちょっとそこは、あっ」
「え? うわっ!?」
そのまま目線を逸らさず後ろに下がっていると、俺に何かを伝えんとするルビアの声と同時に、突如として体のバランスが保てなくなる。
地面の出っ張りに躓いてしまったのだ、トンネルに入ってすぐに立てたフラグを、まさかこんな最悪のタイミングで回収してしまうことになるとは。
生まれてきたことすら後悔しつつ、かといって何もすることが出来ず、ダイナミックに動く景色を見ながら仰向けに倒れる。
バタンッといったところで目に入ったのは、その位置で見えることのないはずのない光景。
ホンモノの作り物ではないサリナのパンツが見えているのだ、もっと後ろに居たはずなのに、この状況でどうして前へ出て来たというのだ?
「おいサリナ、肖像権とか何とか諸々侵害されて怒るのはわかるが、ちょっとあの敵は……」
「いいえ、もう倒しましたよ、正確には狂わせただけですが、あの『操り人形』は崩れました」
「どういうこと? え、あ、えぇ……」
自信満々の討伐済み宣言を受け、ランタンの明かりに照らされたパンツから目を逸らし、敵の方を見る。
確かに居ない、今までヘラヘラと笑いながらこちらに迫っていた、そして転倒し、背中が凍った地面にへばり付いた状態の俺に襲い掛かる寸前であったはずのサリナ人形が、4体共その姿を消しているのだ。
代わりにあったのは水溜り、この極寒の中でも凍る気配がない、一種の不凍液のようなものなのであろうが、それが4ヵ所に広がり、徐々に地面に染みこんでいく最中であった。
そして気になるサリナの一言、崩れ去ったサリナ人形が『操り人形』だという言葉。
つまり、あのブヨブヨ自体が魔物とか敵の何かとかではなく、どこかで術者が操っていたということだ。
最初は敵意を感じなかったのも、その術者の持つ敵意が、あのブヨブヨの中に流れ込んでいなかったためか、そういう説明であれば合点がいく。
「それでサリナ、操っていた本人はどうしたんだ?」
「今こちらに来るように誘導しているんですけど、小さいうえにヨロヨロになってしまって、もうしばらく時間が掛かるはずです」
「小さいのかよ、そんな奴に翻弄されていたとは情けないぜ、あと情けないついでに誰か俺の背中を地面から剥がしてくれ」
「本当に情けない異世界人ですわね……」
またしてもユリナ、じゃなかったユリナ様にお助け頂き、地面とオサラバすることが出来た俺。
起き上がるとすぐに、俺達が向かうはずのトンネルの先から、淡い光がユラユラとこちらに向かっているのを認めた。
「何だろ、小さい光の塊?」
「あっ、妖精さんですっ! トンボみたいな羽が生えた妖精さん……の、おじさんですね、全然可愛くないです……」
「おっさんなのかよ、妖精さんなのに……」
マーサの上着の胸元から顔を出したリリィが確認したその飛行物体の詳細な姿は、次第に俺の目にも見えるようになってきた。
ハゲでオヤジシャツにカーキ色の腹巻き、そしてどこぞの酔っ払いのように目は虚ろ、千鳥足というか千鳥羽というか、とにかく涎を垂らしながらヨロヨロと飛んでいるのだが、これはサリナの幻術を、その小さな体でまともに受けてしまったためだ。
妖精おじさんは俺達の目の前まで来ても何ら変わることなく、ひたすら酔っ払いの様相を呈している。
幻術を解かないと話にならない、だがサリナの幻術解除方法はビンタであったはず、この小さいのにどうやってビンタを……
「じゃ、ちょっと幻術を解きますね、いきなり攻撃してくるかもなので注意して下さい、ていっ!」
『ひょげっ!』
「おいおい、叩き落としてどうすんだよ、地面に激突して痙攣してんぞ」
「こ、これはやりすぎたんじゃなくて幻術の副作用でしてっ」
「副作用で脳震盪起こすのかお前の幻術は……」
地面でピクピクしている妖精おじさんに、ルビアの回復魔法を掛けてみる……弱かったボディーの輝きが強くなると同時に、光る鱗粉のようなものを撒き散らしながら復活するおじさん、キモい……
『ん? んんっ? わしはどうしたのじゃ? 確か久方ぶりの侵入者を追い詰めて……あっ、貴様等が侵入者じゃないかっ! 成敗してくれるっ!』
「成敗されんのはお前だこのキモ妖精野郎がっ!」
『ぎょっ、ぎょーっ、よせっ羽を千切るのはよすんじゃっ!』
「じゃあ質問に答えろ、お前は一体何者で、どうして俺達に攻撃を仕掛けた? 返答次第じゃ殺す、あと無回答でも直ちに殺すっ!」
『ぎょっ、わしは、わしはこのトンネルの明かりと暖房用に作り出されたホムンクルスの集合体じゃっ、ここがもう使われることなどないと悟ったわしらは、任務を放棄して集結、数千年、いや数万年に一度紛れ込む侵入者をブチ殺して遊んでおったのじゃ』
「お前普通に最低だな、で、明かりと暖房と言ったが、もしかして……」
『ぎょ、ぎょぇぇぇっ! かへぽっ……』
キモいキモい妖精おじさんを握り潰してみる、断末魔の叫びと、それから内圧が高まり、破裂寸前になって見せた目玉の飛び出しそうな顔がよりキモかったのだが、無視して圧縮したところ、突然パンッと、金色の光の粒、先程の燐粉のような粒の塊に変化した。
暖かい、そして明るい、金色の粒は徐々に俺の手元を離れ、次第にトンネル全体へと広がっていく。
金色の光は1分弱で俺の手元から全て消え、しばらくするとトンネル全体に行き渡ったようだ。
まるで室内のような明るさと、それに暖房でも効かせているような暖かさ。
もうランタンの明かりも、ユリナの遠赤火魔法もまるで必要なくなった。
「クソめっ、奴がサボッていやがったからここまで俺達が寒い思いをさせられたんだな」
「本当にどうしようもないホムンクルスですわね、まるでご主人様のように役立たずで……あ、何でもないですの……」
「おうユリナ様、じゃなかったユリナ、今日は散々調子に乗ってくれたようだが、まだやるか?」
「ひぃぃぃっ! ごめんなさいですのっ!」
自分の能力の不可欠性を盾に、俺に対して調子に乗りまくっていたユリナ。
いつもであれば鞭打ちの刑に処すところであるが、今回はサリナの活躍に免じて尻尾クリップの刑だけで良いにしてやった。
トンネルはまだまだ続いている、だが明るくなり、暖房代わりの魔法も不要になったのだ。
ここからはガンガン進み、まずは反対側の出口がどうなっているのかを確認しておこう。
もちろん一度狐獣人の里に戻って作戦を立てるのだが、場合によっては魔族領域の様子も確認しておきたい。
とにかく今は前だけ見よう、行った先でどうすべきかは後で考えるのだ……




